第6話「店のおすすめ」
開店前。
無常ちゃんがカウンターに立つと、メニューが一枚だけ裏返っていた。
直す。
また裏返る。
「……?」
もう一度。
今度は三枚。
無常ちゃんは全部戻した。
その瞬間、頭上のメニューボードが点灯した。
本日のおすすめ
その下に表示されたのは、
フィレオフィッシュ。
「私と同じですね」
昨日、無常ちゃんが自分で選んだ商品だった。
偶然。
そう思って厨房へ向かう。
ところが。
ドリンクサーバーの前を通ると、コーラの表示が消えた。
代わりに、
おすすめ:オレンジジュース
フライヤーの横では、
おすすめ:ポテト 塩少なめ
デザートケースには、
おすすめ:アップルパイ
無常ちゃんは立ち止まった。
どれも今朝、
なんとなく食べてもいいと思ったものだった。
「……なるほど」
何がなるほどなのかは、分からない。
---
開店。
最初の客がレジへ来た。
「ビッグマックセットで」
「かしこまりました。ドリンクは」
レジが先に鳴った。
注文欄。
フィレオフィッシュ
「……」
無常ちゃんがビッグマックを押す。
フィレオフィッシュに戻る。
もう一度。
戻る。
客が画面を覗いた。
「フィレオフィッシュ?」
「少々お待ちください」
無常ちゃんは取り消しを押した。
画面に文字。
おすすめです。
「誰のですか?」
無常ちゃんが聞く。
画面は答えない。
もう一度ビッグマックを入力する。
今度は通った。
「お待たせしました」
客は特に気にせず支払いを済ませた。
無常ちゃんだけが、画面を見ていた。
レシートの最下段に、小さく印字されている。
適合失敗
無常ちゃんはそれを折った。
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昼。
「無常ちゃん」
懺悔ちゃんがトレーを持ってきた。
フィレオフィッシュ。
オレンジジュース。
ポテト、塩少なめ。
アップルパイ。
無常ちゃんはトレーを見る。
「それ、全部召し上がるんですか?」
「違う」
懺悔ちゃんが首を振った。
「これしか取れなかった」
「……」
「月見バーガー押したら、これ出てきた」
フィレオフィッシュを指す。
「コーラ押したら、これ」
オレンジジュース。
「いっぱい押した」
「そうですか」
「全部、無常ちゃんの味」
懺悔ちゃんはフィレオフィッシュを一口食べた。
「今日は店も無常ちゃんになったの?」
無常ちゃんは答えなかった。
厨房を見る。
いつもなら、それぞれ違う注文が流れている。
だが今は。
フィレオフィッシュ。
フィレオフィッシュ。
フィレオフィッシュ。
客席でも、同じ包み紙ばかりが開かれていた。
注文した覚えのない客まで、
「まあ、これでもいいか」
と食べ始めている。
無常ちゃんは厨房へ入った。
ビッグマックを作ろうとする。
バンズを取る。
次の瞬間。
手の中にあるのはフィレオフィッシュ用のバンズだった。
肉を取る。
白身魚になる。
ソースを取る。
タルタルソース。
「……」
無常ちゃんは手を止めた。
フライヤーの終了音が鳴る。
誰も触れていないバスケットが上がった。
中には白身魚。
九枚。
---
「本日のおすすめ、人気ですね」
客が笑った。
無常ちゃんは笑顔を返せなかった。
別の客が来る。
小さな男の子を連れている。
男の子がメニューを指した。
「これ!」
てりやきバーガー。
母親が財布を出す。
「じゃあ、てりやきのセットを一つ」
レジには、
フィレオフィッシュ。
無常ちゃんは削除した。
また出る。
削除。
また。
おすすめです。
男の子が言った。
「おさかな、きらい」
無常ちゃんの指が止まる。
レジには再び、
フィレオフィッシュ
その下。
適合率:98.7%
無常ちゃんは電源を切った。
画面が暗くなる。
「てりやきバーガーですね」
紙に注文を書く。
厨房へ持っていく。
バンズ。
パティ。
ソース。
今度は変わらなかった。
男の子の前に出す。
「どうぞ」
「やった!」
包みを開く音。
無常ちゃんはその音を聞いていた。
背後でレジが勝手に再起動した。
適合失敗
文字が赤く点滅する。
無常ちゃんは振り返らなかった。
---
閉店後。
「空白」の扉を開ける。
何もなかった。
白い床。
白い壁。
椅子もない。
ベッドもない。
無常ちゃんが一歩入る。
変わらない。
もう一歩。
変わらない。
昨日までは、歩くだけで何かになった。
洋館。
喫茶店。
ホテル。
倉庫。
今日は白いまま。
「……今日は静かですね」
返事はない。
中央に一つだけ、
テーブルがあった。
その上にメニュー。
開く。
一ページしかない。
無常
価格欄は空白。
説明欄には、
現在の利用者に最適化されます。
無常ちゃんはページをめくろうとした。
めくれない。
裏を見る。
文字。
現在の利用者:無常
「……私が使っているから」
部屋を見る。
何もない。
欲しいと思えば、
すぐに現れるはずだった。
試しにベッドを思い浮かべる。
現れない。
椅子。
現れない。
喫茶店。
現れない。
無常ちゃんは少し考えた。
フィレオフィッシュ。
床からテーブルが生えた。
その上にフィレオフィッシュ。
オレンジジュース。
ポテト、塩少なめ。
アップルパイ。
昼と同じ。
無常ちゃんは見つめた。
それから、
「いりません」
と言った。
何も消えない。
「今は、いりません」
フィレオフィッシュが一つ増えた。
二つ。
三つ。
壁一面にメニューが現れる。
すべて同じ。
本日のおすすめ
フィレオフィッシュ。
無常ちゃんは一つを手に取った。
包装を開く。
一口。
食べる。
味は悪くない。
たぶん昨日なら、
美味しいと思った。
無常ちゃんは残りをテーブルへ戻した。
「ごちそうさまでした」
部屋が震えた。
メニューの文字が変わる。
評価:不満
さらに。
再最適化します。
フィレオフィッシュが消えた。
代わりにチキンタツタ。
無常ちゃんは食べない。
ビッグマック。
食べない。
月見バーガー。
食べない。
クッキー。
無常ちゃんの手が止まった。
懺悔ちゃんにもらったものに、よく似ていた。
部屋が待っている。
無常ちゃんはクッキーを取った。
しばらく見る。
そして、
元の場所へ置いた。
「それも、今日は違います」
照明が消えた。
暗闇。
壁だけが光る。
では、何が欲しいですか?
無常ちゃんは答えなかった。
長い沈黙。
やがて。
白い壁に、
もう一行。
回答してください。
無常ちゃんは床に座った。
「まだ決めていません」
回答してください。
「明日、変わるかもしれません」
回答してください。
無常ちゃんは笑った。
「それでもいいでしょう?」
文字が消えた。
部屋は何も出さなかった。
白いまま。
空っぽのまま。
無常ちゃんはその床で眠った。
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翌朝。
ぱんでむのメニューボードから、
「本日のおすすめ」が消えていた。
代わりに、一番上。
誰も登録していない項目が増えている。
お客様がお選びください
その下には、
いつものメニューが全部並んでいた。
無常ちゃんはしばらく眺め、
一枚だけ位置を直した。
それ以上は触らなかった。
カラン。
最初の客が入ってくる。
「おすすめ、あります?」
無常ちゃんは少し考えた。
「あります」
客がメニューを見る。
「どれ?」
無常ちゃんは笑った。
「まだ分かりません」
レジの奥。
誰も触れていないプリンターから、
一枚だけ紙が吐き出された。
適合対象を変更しました。
その下。
対象:店舗




