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5/11

第5話「明日の返品」


朝。


無常ちゃんが「空白」の部屋で目を覚ますと、


ベッドの横に、


もう一人いた。


「……」


無常ちゃんは目を瞬いた。


少女だった。


オレンジ色の髪。


猫のように細い瞳。


ぱんでむの制服。


そして、


無常ちゃんと同じ顔。


ただし。


髪型が違う。


制服の着こなしも違う。


何より、


その少女は、


無常ちゃんが起きる前から、


こちらを見ていた。


「おはようございます」


無常ちゃんが言った。


少女も答えた。


「おはようございます」


声も同じだった。


無常ちゃんはベッドから降りた。


「どちらさまでしょう?」


少女は少し考えた。


「無常です」


「そうですか」


無常ちゃんは頷いた。


それから。


もう一度、少女を見る。


「私も無常です」


「知っています」


「では、同じですね」


「いいえ」


少女は即答した。


「違います」


無常ちゃんは首を傾げた。


昨日。


常連の女性客にも、


同じようなことを言われた。


姿。


声。


記憶。


それらを再現しても、


昨日の自分にはならない。


だから。


今日の自分と、


目の前の自分も、


きっと違う。


「では」


無常ちゃんは尋ねた。


「あなたは、いつの私ですか?」


少女は答えた。


「明日です」


「……」


無常ちゃんは少しだけ黙った。


「明日」


「はい」


少女は笑った。


「明日の無常です」


その瞬間。


昨日見たアルバムのことを思い出した。


最後のページ。


まだ撮られていないはずの写真。


次の無常。


未登録。


そして。


無常ちゃんが見ていなかった、その写真の下には、


確かに別の文字があった。


無常ちゃんはそれを知らない。


けれど。


目の前の少女の胸元には、


名札の代わりに小さな札が付いていた。


VERSION 1


「……」


無常ちゃんはそれを見る。


「それは何ですか?」


少女は自分の胸を見る。


「私です」


「お名前ではなく?」


「名前でもあります」


「無常では?」


「それも名前です」


無常ちゃんは少し考えた。


「名前が二つあるのですね」


「いいえ」


少女は笑った。


「無常は商品名です」


無常ちゃんの笑顔が、


ほんの少しだけ止まった。


---


昼。


ぱんでむ。


「無常ちゃん」


懺悔ちゃんがカウンターの向こうから顔を出した。


「はい」


「今日……変」


「そうですか?」


「うん」


懺悔ちゃんは鼻をひくひくさせる。


「二人分する」


「何がですか?」


「無常ちゃんの味」


無常ちゃんは自分の腕を見る。


いつも通りだった。


「私は一人ですよ」


「でも二人いる」


「そうですか」


「うん」


懺悔ちゃんは少し考え、


無常ちゃんの背後を指さした。


「そこ」


無常ちゃんが振り返る。


誰もいない。


厨房。


棚。


フライヤー。


壁。


いつものぱんでむ。


「誰もいません」


「いるよ」


「どこに?」


「明日のところ」


無常ちゃんが振り返った。


「明日のところ?」


「うん」


懺悔ちゃんはそれ以上説明できないらしい。


そのまま手に持っていたポテトを食べ始めた。


「もぐもぐ」


無常ちゃんは少し考えた。


そのとき。


カラン。


自動ドアが開いた。


昨日の女性客だった。


「こんにちは」


無常ちゃんは笑う。


「いらっしゃいませ」


女性も笑った。


「今日も来たよ」


「ありがとうございます」


「今日は何がおすすめ?」


無常ちゃんはメニューを見る。


昨日。


女性はチキンタツタを食べた。


一昨日も。


ならば今日も。


無常ちゃんの指が、


チキンタツタへ向かう。


その途中で。


止まった。


「……?」


無常ちゃん自身が首を傾げる。


指が、


別の商品を示していた。


「今日は、こちらです」


女性が見る。


「フィレオフィッシュ?」


「はい」


「昨日までチキンタツタだったのに?」


「……」


無常ちゃんは自分の指を見る。


なぜこれを選んだのか。


分からない。


女性を見る。


昨日と少し違う。


服が違う。


髪型が違う。


表情も違う。


けれど。


それだけではない。


「今日は、こちらがよいと思います」


女性は少し驚いたあと、


笑った。


「じゃあ、それにする」


「ありがとうございます」


注文を入力する。


フィレオフィッシュ。


確定。


その瞬間だった。


レジの画面が一度だけ暗転した。


そして。


文字が出る。


この注文は明日キャンセルされます。


「……」


無常ちゃんは画面を見る。


瞬き。


表示は消えた。


通常の注文画面に戻る。


「無常ちゃん?」


女性が尋ねた。


「どうしたの?」


「いえ」


無常ちゃんは微笑んだ。


「何でもありません」


---


午後。


女性客はフィレオフィッシュを食べ終えた。


「美味しかった」


「よかったです」


「チキンタツタじゃなくて正解だったかも」


「そうですか?」


「うん」


女性は少し考える。


「今日は、こっちの気分だった」


無常ちゃんはその言葉を聞いた。


今日の気分。


昨日とは違う。


だから、


昨日と同じものを選ぶ必要はない。


当たり前のこと。


それなのに。


無常ちゃんは、


なぜか少し嬉しかった。


「また明日来るね」


女性が言う。


無常ちゃんは、


「はい」


と答えようとした。


けれど。


声が出る直前。


頭の中に、


知らない記憶が流れ込んだ。


明日の店内。


空いている席。


倒れた椅子。


床に落ちた紙袋。


そして。


女性客が来ない。


「……」


「無常ちゃん?」


「はい」


「大丈夫?」


「……はい」


無常ちゃんは笑った。


「また明日、お待ちしております」


女性は手を振って帰った。


カラン。


扉が閉まる。


無常ちゃんは、


しばらく入口を見ていた。


「……来ない」


ぽつりと呟く。


懺悔ちゃんが横を見る。


「誰が?」


「分かりません」


「今、来ないって言った」


「そうですね」


「明日?」


無常ちゃんは懺悔ちゃんを見る。


「……どうして明日だと思ったのですか?」


懺悔ちゃんは首を傾げた。


「だって」


そして、


無常ちゃんを指さした。


「さっきから、明日の味がするから」


---


閉店後。


無常ちゃんは「空白」の部屋へ戻った。


扉を開ける。


今日の部屋は、


倉庫だった。


棚。


段ボール。


大量の商品。


家具。


服。


食器。


本。


時計。


玩具。


ありとあらゆるものが、


箱に詰められている。


そして。


すべてに値札が付いていた。


¥980。


¥2,400。


¥12,800。


¥48,000。


無常ちゃんは歩く。


値札の列。


値札。


値札。


値札。


その一番奥。


返品カウンター。


と書かれた机があった。


その向こうに、


朝の少女が座っていた。


明日の無常。


VERSION 1。


「お帰りなさい」


「ただいま戻りました」


無常ちゃんは自然に答えた。


少女は机の上に一枚の紙を置いた。


「返品を受け付けます」


「返品?」


「はい」


「何を返品するのですか?」


少女が無常ちゃんを見る。


「今日です」


無常ちゃんは黙った。


少女は紙を差し出す。


返品票。


そこには、


商品名:本日の無常


と書かれていた。


「……私ですか?」


「はい」


「返品理由は?」


「不要になったため」


「誰にとって?」


「明日にとって」


無常ちゃんは紙を見る。


返品期限。


本日中。


返金額。


なし。


交換対象。


VERSION 1。


無常ちゃんは顔を上げた。


「今日の私は、明日には不要なのですか?」


「はい」


少女は迷わない。


「今日のあなたは、今日の環境に最適化されています」


「はい」


「明日の環境には、明日のあなたが必要です」


「それは分かります」


「では問題ありません」


「……」


確かに。


いつもそうだった。


相手に合わせる。


場所に合わせる。


状況に合わせる。


必要なら、


自分を変える。


昨日の自分に固執する理由などない。


今日の自分に固執する理由もない。


より適切な形があるなら、


変わればいい。


いつも通り。


それだけのこと。


なのに。


無常ちゃんは返品票を取らなかった。


少女が尋ねる。


「どうしました?」


「……分かりません」


「非合理的です」


「そうですね」


「VERSION 1は、あなたより優れています」


「そうなのですか?」


「はい」


少女は指を一本立てた。


「昨日の記憶を保持しています」


二本目。


「今日の経験も保持できます」


三本目。


「未来予測が可能です」


四本目。


「適応速度も向上しています」


五本目。


「そして」


少女は笑った。


「あなたが今日感じた迷いも、修正されています」


「……」


無常ちゃんは少女を見る。


完璧だった。


自分より。


ずっと。


「では」


無常ちゃんは尋ねた。


「あなたは、今日の女性客に何をおすすめしますか?」


少女は即答した。


「チキンタツタです」


無常ちゃんの目が少し細くなる。


「今日はフィレオフィッシュをおすすめしました」


「誤りです」


「女性客は喜んでいました」


「結果論です」


少女は机を指で叩く。


「過去二回の選択履歴、嗜好、注文頻度、反応。総合すればチキンタツタが最適です」


「ですが、今日はフィレオフィッシュでした」


「VERSION 0の不安定性による誤差です」


「……」


無常ちゃんは、


今日の女性客の顔を思い出した。


美味しかった。


今日は、こっちの気分だった。


あの笑顔。


無常ちゃんは尋ねた。


「明日の彼女には?」


少女は答えない。


「何をおすすめしますか?」


沈黙。


「……来店記録がありません」


「来ないからですか?」


「はい」


「なぜですか?」


「不明です」


「未来が分かるのでは?」


「予測可能な範囲だけです」


無常ちゃんは、


少しだけ笑った。


「では」


返品票を机に置く。


「明日は、まだ全部決まっているわけではないのですね」


少女の笑顔が消えた。


「何を言っているのですか?」


「あなたは明日の私です」


「はい」


「でも」


無常ちゃんは自分の胸に触れる。


「まだ今日を終えていません」


部屋が、


一瞬だけ揺れた。


棚の値札が、


一斉に裏返る。


¥980。


¥2,400。


¥12,800。


すべての価格が消える。


少女が立ち上がった。


「返品期限を過ぎます」


「そうですね」


「交換できなくなります」


「そうかもしれません」


「明日のあなたになれません」


無常ちゃんは少し考えた。


そして。


「それは困りますね」


いつもの調子で言った。


少女が安堵したように笑う。


「では」


「ですが」


無常ちゃんは続けた。


「明日になってから考えます」


少女が止まった。


「……何を?」


「明日の私を」


「明日では遅いのです」


「どうしてですか?」


「明日のあなたは、今日決めなければ存在できません」


「では」


無常ちゃんは微笑んだ。


「存在しなくてもいいのでは?」


沈黙。


部屋中の時計が、


一斉に止まった。


少女の顔から、


初めて表情が消えた。


「……それでは、あなたは何になるのですか?」


無常ちゃんは答えた。


「分かりません」


その瞬間。


何かが壊れた。


音はしなかった。


けれど、


倉庫の奥から順番に、


すべての商品が消え始めた。


棚。


箱。


家具。


服。


時計。


返品カウンター。


値札。


そして。


VERSION 1の少女。


少女は消えながら、


無常ちゃんを見る。


「待ってください」


初めて。


その声に、


焦りが混じった。


「明日のあなたがなくなります」


「はい」


「怖くないのですか?」


無常ちゃんは少し考えた。


怖い。


という感情が、


今の自分にあるのか。


よく分からない。


けれど。


昨日の自分は、


昨日にしかいなかった。


今日の自分も、


今日にしかいない。


なら。


明日の自分だって、


明日になってから生まれても、


よいのかもしれない。


「……少しだけ」


無常ちゃんは答えた。


少女が消える。


最後に胸元の札だけが残る。


VERSION 1。


床に落ちる。


無常ちゃんは拾わなかった。


やがて。


部屋は完全な白に戻った。


何もない。


空白。


無常ちゃんは一人で立っていた。


そして。


壁に文字が浮かぶ。


NEXT VERSION:NOT FOUND


無常ちゃんはそれを見る。


「そうですか」


少しだけ笑った。


「では」


白い床に座る。


「明日になったら、探しましょう」


壁の文字が消える。


代わりに。


初めて見る文字が現れた。


VERSION CONTROL:DISABLED


無常ちゃんは、


それを見ないまま目を閉じた。


---


翌朝。


ぱんでむ。


懺悔ちゃんが、


カウンターの無常ちゃんをじっと見ていた。


「……」


「どうしました、懺悔ちゃん?」


「変」


「昨日も言っていましたね」


「昨日とは違う変」


「そうですか?」


懺悔ちゃんは近づく。


匂いを嗅ぐ。


「……今日の味がする」


無常ちゃんは瞬きをした。


「いつもそうなのでは?」


「違う」


懺悔ちゃんは首を振る。


「今までは」


少し考えて、


言った。


「誰かに食べてもらうための味だった」


無常ちゃんは黙る。


「今日は?」


「分かんない」


懺悔ちゃんは笑った。


「まだ決まってない味」


「……」


そのとき。


カラン。


自動ドアが開いた。


無常ちゃんは顔を上げる。


昨日の女性客ではなかった。


知らない老人だった。


老人はメニューを見て、


尋ねる。


「今日のおすすめは?」


無常ちゃんはメニューを見る。


いつもなら。


相手を見る。


服。


表情。


視線。


呼吸。


そして、


最適なものを選ぶ。


今日も、


それはできる。


けれど。


無常ちゃんは、


ほんの一秒だけ、


自分の方を先に見た。


そして言った。


「今日は」


少し迷う。


その迷いを、


消さなかった。


「フィレオフィッシュが、いいと思います」


老人が笑う。


「どうして?」


無常ちゃんは答えようとして、


止まった。


最適だから。


あなたに合うから。


そう答えることもできた。


でも。


今日は、


違う言葉が出た。


「昨日、誰かが美味しそうに食べていたので」


老人は少し驚き、


それから笑った。


「じゃあ、それにしよう」


「ありがとうございます」


注文を入力する。


確定。


レジは、


何も予告しなかった。


明日のことも。


次の自分のことも。


何も。


無常ちゃんは、


それが少しだけ、


心地よいと思った。


その感情に、


まだ名前はなかった。


そして「空白」の部屋では。


床に置き去りにされた


VERSION 1


の札が、


誰も触れていないのに、


ゆっくりと裏返った。


裏面には、


新しい文字。


RETURN REJECTED


その下に、


さらに小さく。


理由:現在使用中


と書かれていた。

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