第4話「昨日の常連さん」
昼過ぎ。
ぱんでむの店内には、いつもと少し違う匂いがしていた。
チキンタツタ。
コーヒー。
焼けたパン。
そして、昨日とは違う何か。
無常ちゃんはカウンターの中で、今日のメニューを眺めていた。
昨日と同じメニュー。
ただし、並び順は違う。
昨日はチキンタツタが中央だった。
今日は右端。
理由はない。
今朝、そうした方がよいと思った。
それだけだった。
「無常ちゃん」
懺悔ちゃんが隣から顔を出す。
「はい」
「今日……甘い」
「何がですか?」
「無常ちゃん」
「そうですか?」
「うん」
懺悔ちゃんは小さく頷いた。
「昨日は……もう少し、しょっぱかった」
「……」
無常ちゃんは少し考えた。
「では、今日は甘いということで」
「うん」
「ありがとうございます」
「……もぐもぐ」
懺悔ちゃんはそれ以上何も言わなかった。
そのとき。
カラン。
ドアが開いた。
一人の女性が入ってくる。
昨日の客だった。
無常ちゃんは笑顔を作る。
「いらっしゃいませ」
女性は歩いてきて、
「こんにちは」
と言った。
無常ちゃんは一瞬だけ止まった。
「……こんにちは」
女性が笑う。
「覚えてる?」
「はい」
即答だった。
女性の表情が少し明るくなる。
「よかった」
「昨日、チキンタツタを召し上がりましたね」
「うん」
女性は席に座った。
「今日も同じの、お願いします」
「かしこまりました」
無常ちゃんは注文を入力する。
チキンタツタ。
単品。
ドリンクなし。
昨日と同じ。
「以上でよろしいでしょうか?」
「うん」
「ありがとうございます」
注文を厨房へ送る。
女性はカウンター越しに無常ちゃんを見ていた。
「ねえ」
「はい?」
「昨日と、ちょっと違うね」
「そうですか?」
「うん」
女性は少し笑った。
「髪型も違うし」
「はい」
「声も」
「そうでしょうか」
「あと……」
女性は言葉を探した。
「雰囲気」
無常ちゃんは首を傾げる。
「昨日の私と、今日の私は違いますから」
女性が黙った。
「……そうなんだ」
「はい」
無常ちゃんは自然に答えた。
「今日は今日の私です」
女性は少しだけ寂しそうに笑った。
「そっか」
「はい」
料理が完成する。
無常ちゃんはトレーを女性のところへ運んだ。
「お待たせしました」
「ありがとう」
女性はチキンタツタを見る。
昨日と同じ。
包装も同じ。
味も同じ。
少なくとも、商品としては。
女性が一口食べる。
「……美味しい」
「よかったです」
「昨日も美味しかった」
「ありがとうございます」
女性は顔を上げた。
「昨日の無常ちゃんも、こう言った」
「そうですか」
「うん」
「では、同じですね」
「……違うよ」
女性が言った。
無常ちゃんは瞬きをする。
「何が違いますか?」
「昨日の無常ちゃんは」
女性は少し考えてから、
「もっと嬉しそうだった」
と言った。
無常ちゃんは黙った。
「今日の無常ちゃんは、ちゃんと笑ってる」
「はい」
「でも」
女性はチキンタツタを見つめる。
「昨日の無常ちゃんが笑ってるみたいじゃない」
「……」
無常ちゃんは答えなかった。
店内の音が遠くなった。
厨房の音。
客の話し声。
食器の音。
全部が少しだけ遠い。
無常ちゃんは自分の顔に触れた。
頬。
口元。
目元。
普通に笑っている。
「同じ笑顔にすることもできます」
女性が顔を上げた。
「え?」
「昨日の私を再現すればよいのでしょうか?」
「……できるの?」
「はい」
無常ちゃんの表情が変わる。
目元。
口元。
声。
姿勢。
ほんの数秒で。
昨日の無常ちゃんが、そこに立っていた。
「こんにちは」
女性が息を呑む。
昨日と同じ声。
昨日と同じ笑顔。
昨日と同じ仕草。
「……」
無常ちゃんは微笑んだ。
「これで、昨日と同じです」
女性はしばらく無常ちゃんを見つめていた。
そして。
首を横に振った。
「違う」
無常ちゃんの笑顔が止まった。
「……どこがですか?」
「分からない」
女性は困ったように笑った。
「でも、違う」
「昨日の私と同じです」
「うん」
「声も」
「うん」
「表情も」
「うん」
「記憶も」
女性が顔を上げる。
「……記憶も?」
「はい」
「じゃあ」
女性は尋ねた。
「昨日の私が、今日の私を知っていますか?」
無常ちゃんは止まった。
「……」
「昨日の私なら、今日ここに来ることを知っていましたか?」
「……」
「今日の私が、昨日の私を覚えていることを知っていますか?」
無常ちゃんは答えられなかった。
女性はゆっくり笑った。
「やっぱり違うね」
そして。
「でも、ありがとう」
女性は残ったチキンタツタを食べた。
最後の一口を飲み込む。
「今日の無常ちゃんも、悪くないよ」
無常ちゃんは元の姿に戻った。
「……ありがとうございます」
女性は立ち上がる。
「また明日来るね」
「はい」
「明日の無常ちゃんにも、会える?」
無常ちゃんは少しだけ考えた。
「……はい」
女性は笑って店を出ていった。
カラン。
ドアが閉まる。
無常ちゃんは、その背中を見送った。
「……明日の私」
小さく呟く。
その言葉が、なぜか引っかかった。
---
「無常ちゃん」
懺悔ちゃんが近づいてきた。
「はい」
「今の……」
「はい」
「変だった」
「どこがですか?」
「昨日の無常ちゃんになったところ」
「そうですか?」
「うん」
懺悔ちゃんは少し考える。
「味は同じだった」
「……」
「でも」
懺悔ちゃんは自分の胸元を指した。
「こっちが違う」
「気持ち、ですか?」
「たぶん」
無常ちゃんは考える。
「昨日の私の気持ちは、再現できないのでしょうか」
懺悔ちゃんは首を傾げた。
「……分かんない」
「そうですか」
「でも」
懺悔ちゃんは月見バーガーを頬張る。
「昨日の無常ちゃんは、昨日にしかいないんじゃない?」
「……」
無常ちゃんはその言葉を聞いた。
何かを保存する。
記憶。
姿。
声。
性格。
行動。
それらを全部コピーしても。
昨日そのものには戻れない。
「……昨日にしか、いない」
無常ちゃんは繰り返した。
その言葉が、妙に重かった。
---
夜。
無常ちゃんは「空白」の部屋へ戻った。
今日はリビングだった。
昨日とは違う。
一昨日とも違う。
テーブルの上に、一冊のアルバムが置かれていた。
「……?」
無常ちゃんは手に取った。
ページを開く。
写真が一枚。
そこには昨日の無常ちゃんが写っていた。
昨日の髪型。
昨日の服。
昨日の笑顔。
「……」
次のページ。
一昨日の無常ちゃん。
さらに次。
その前の日。
全部違う。
髪型。
服。
表情。
目の色。
時には、顔そのものが違う。
しかし。
写真の下には、全部同じ名前が書かれている。
無常
無常ちゃんはページをめくる。
最後のページ。
そこだけ写真がない。
代わりに、一行だけ。
> 次の無常:未登録
「……」
無常ちゃんはアルバムを閉じた。
そして机の上を見る。
値札が一枚。
今までとは違う。
値段はない。
代わりに、
昨日
とだけ書かれている。
無常ちゃんは値札を裏返した。
そこには、
本日
と書かれていた。
さらに裏返す。
何もない。
無常ちゃんはしばらく考えた。
そして、小さく笑った。
「……明日は、何でしょうね」
その瞬間。
部屋の奥で、
カチッ。
という音がした。
無常ちゃんが振り返る。
誰もいない。
ただ。
閉じたはずのアルバムが、
一ページだけ開いている。
そこには新しい写真。
まだ撮られていないはずの、
明日の無常ちゃん
が写っていた。
そして写真の下には、
まだ存在しない日付とともに、
一つの文字が記されていた。
VERSION 1
無常ちゃんは、それを見ていない。
けれど。
写真の中の無常ちゃんだけが、
こちらを見ていた。




