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第3話「値札のない部屋」


朝。


無常ちゃんは目を覚ました。


目覚まし時計は鳴らなかった。


そもそも、目覚まし時計がどこにあるのか分からない。


「……?」


無常ちゃんは目を開けた。


白い天井。


昨日はなかった。


昨日の夜は、古い喫茶店だった。


その前は洋館。


さらにその前は、ホテルだった。


今日は白い天井。


壁も白い。


床も白い。


家具は一つもない。


「……また変わりましたね」


無常ちゃんはベッドから降りた。


足元に何かがある。


値札だった。


拾い上げる。


何も書かれていない。


「……?」


裏返す。


こちらも空白。


無常ちゃんは首を傾げた。


「値札なのに、値段がありませんね」


その瞬間。


白い壁に、黒い文字が浮かんだ。


空白


無常ちゃんは文字を見つめる。


「……なるほど」


自分の部屋の名前だった。


いつも通り。


部屋には名前がない。


だから、


空白。


それだけのことだ。


「今日は何にしましょう」


無常ちゃんが言うと、


白い部屋が一瞬で変わった。


木製の床。


赤いカーテン。


丸いテーブル。


古いラジオ。


壁には小さな時計。


「喫茶店……」


無常ちゃんが呟く。


さらに変わる。


今度は和室。


畳。


障子。


ちゃぶ台。


その次は病室。


次は子供部屋。


次はホテル。


次は宇宙船。


次は何もない荒野。


無常ちゃんが一歩歩くたびに、部屋が変わる。


「……今日は落ち着きませんね」


部屋が止まった。


無常ちゃんは少し笑った。


「ありがとうございます」


誰に言ったのかは、自分でも分からなかった。




昼。


カウンターに立っている無常ちゃんは、今日は眼鏡をかけていた。


「いらっしゃいませ」


「無常ちゃん、今日メガネなんだ」


懺悔ちゃんだった。


「はい」


「昨日はなかった」


「昨日は必要ありませんでしたので」


「今日は必要なの?」


「今の私には必要です」


「ふーん」


懺悔ちゃんは無常ちゃんの顔を覗き込んだ。


「似合ってる」


「ありがとうございます」


「じゃあ明日もそれにする?」


「明日の私に聞いてください」


懺悔ちゃんは少し考えた。


「……それ、すごく無常ちゃんらしいね」


「そうですか?」


「うん」


「では、覚えておきます」


「でも明日の無常ちゃんは忘れてるかも」


「……」


無常ちゃんが止まった。


懺悔ちゃんは気づかず、カウンターの向こうを覗いた。


「今日のチキンタツタある?」


「ありますよ」


「食べたい」


「では、ご用意します」


「やった」


懺悔ちゃんが笑う。


無常ちゃんも笑った。


その瞬間。


無常ちゃんの眼鏡が消えた。


懺悔ちゃんが瞬きをする。


「……あれ?」


「どうしました?」


「メガネ」


「?」


「なくなってる」


無常ちゃんは自分の顔を触った。


確かにない。


「……必要なくなったようです」


「便利だね」


「はい」


「でも」


懺悔ちゃんはチキンタツタを待ちながら言った。


「ちょっと寂しい」


無常ちゃんは笑った。


「そうですか?」


「うん」


「では、また必要になったら掛けます」


「そういうところ」


「はい?」


「なんでも戻せると思ってるところ」


無常ちゃんは答えなかった。




閉店後。


無常ちゃんは部屋に戻った。


今日は洋室だった。


白い壁。


大きな窓。


木製の床。


中央にはテーブル。


その上に、値札が置かれている。


無常ちゃんは近づいた。


値札には、


¥8,800


と書かれている。


「……これは何でしょう」


手に取る。


値札を裏返す。


何もない。


表を見る。


¥8,800。


裏を見る。


空白。


もう一度、表。


¥8,800。


「家具の値札でしょうか」


部屋を見回す。


家具はない。


テーブルもない。


椅子もない。


さっきまで確かにあったはずの家具が、全部消えている。


「……」


無常ちゃんは値札だけを持って立っていた。


すると。


カタン。


何かが落ちた。


床を見る。


椅子だった。


古い木製の椅子。


さっきまでなかった。


無常ちゃんは近づいた。


椅子には値札が付いている。


¥3,980


「……」


無常ちゃんは、さっき持っていた値札を見る。


¥8,800


そして椅子を見る。


¥3,980


「……どちらが正しいのでしょう」


椅子に触れる。


すると。


椅子が消えた。


代わりに、白い棚が現れた。


棚には値札。


¥12,400


「……」


無常ちゃんは棚を見る。


棚が消える。


ベッドが現れる。


¥29,800


ベッドが消える。


ソファ。


¥48,000


ソファが消える。


巨大な水槽。


¥120,000


水槽が消える。


何もない。


無常ちゃんだけが残った。


「……」


無常ちゃんは、手元の値札を見る。


¥8,800


「これは……」


何の値札なのか。


分からない。


そのとき。


部屋の壁に、文字が浮かんだ。


SOLD OUT


無常ちゃんは目を細めた。


「売り切れ?」


誰もいない部屋で、声だけが響く。


「何がでしょう」


返事はない。


もう一度、壁を見る。


文字が変わった。


AVAILABLE


「販売可能」


無常ちゃんは呟いた。


「何が?」


また変わる。


NOT FOUND


「見つかりません」


さらに変わる。


ERROR


「エラー」


そして最後に。


文字が消える。


部屋が暗くなる。


無常ちゃんだけが残る。


「……不思議ですね」


鏡が一枚、壁に現れた。


無常ちゃんは鏡を見る。


そこには自分がいる。


オレンジ色の髪。


猫目。


いつもの顔。


「こんばんは」


鏡の中の無常ちゃんも笑う。


「こんばんは」


無常ちゃんは少し考えた。


「あなたは、私ですか?」


鏡の中の無常ちゃんが頷く。


「では」


無常ちゃんは尋ねた。


「私は、いくらですか?」


鏡の中の無常ちゃんが笑った。


答えない。


無常ちゃんはもう一度尋ねる。


「私は、いくらでしょう」


鏡の中の少女が口を開く。


今度は声が聞こえた。


「値札がありません」


無常ちゃんは瞬きをした。


「……そうですか」


鏡の中の無常ちゃんは続ける。


「だから、売れません」


「……」


「だから、買えません」


無常ちゃんは鏡を見つめた。


「それは……」


少し考える。


「困りますか?」


鏡の中の少女が首を傾げる。


「分かりません」


無常ちゃんと同じ声だった。


「私も、分かりません」


無常ちゃんは微笑んだ。


「そうですね」


その瞬間。


鏡が消えた。


部屋が元に戻る。


白い壁。


白い床。


家具はない。


値札だけが一枚、床に落ちている。


無常ちゃんは拾い上げた。


今度は何も書いていない。


表も。


裏も。


「……」


無常ちゃんはそれを机の上に置いた。


すると。


机が消えた。


値札だけが床に落ちる。


無常ちゃんは拾う。


置く。


消える。


拾う。


置く。


消える。


何度繰り返しても、値札だけは残る。


無常ちゃんは、やがて諦めた。


「……明日、また考えましょう」


値札を手に持ったまま、ベッドを作る。


今度は白いベッド。


横になる。


目を閉じる。


部屋の照明が消える。


暗闇の中。


値札だけが浮かんでいる。


何も書かれていない。


けれど。


ほんの一瞬。


その空白に文字が浮かんだ。


VERSION 0


無常ちゃんは眠っている。


だから、見ていない。


文字はすぐに消えた。


翌朝。


無常ちゃんは目を覚ました。


「……おはようございます」


誰もいない部屋に挨拶する。


そして。


昨日とは違う姿で、


昨日とは違う部屋から、


今日のぱんでむへ向かった。


値札だけを置き去りにして。


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