画面の向こう側の『現実』
彼にアナライズしたことがバレたら、私の首が飛ぶのは確実だわ!
……それにしても、このUIも昨日から随分と様変わりしているわね。
「……それで、何の用かしら?」
私は軽く咳払いを挟みつつ、神経質に問いかけた。
驚きと苛立ちを悟られないための、精一杯の演技だったわ。
それにしても、あの「女神」とやらは、どうしてこうも他人にばかり強力なスキルを与えるのかしら?
ルカはどんな物体でも任意の温度まで加熱できるし、このミハエルは何だって別の何かに変換できる。
……これのどこが平等なの?
私なんてスキルがふたつあって、ひとつはパッシブで回復量を70%も奪っていき、もうひとつは下手をすれば私を穴の底へ送る自殺兵器じゃないの。冗談じゃないわ。
「やっぱり! お姉ちゃんはただ者じゃないと思ってたんだ!」
ミハエルは相変わらずの大音量で叫び続けていた。一時も……一秒たりとも静かにできないのかしら、この子は。
「僕たちが遊んだあのゲーム、面白かったでしょ!? 僕も大好きなんだ! でもね、それだけじゃないんだよ……ねえ、あの文字読めたでしょ!? 読めたんだよね!? 僕……ミハエルはさ、最初から気づいてたんだから! 盤上に駒を並べ始めた時の、お姉ちゃんの顔を見せてあげたかったよ!」
ミハエルは、私がすでに熟知している内容を遮二無二捲し立て始めた。
ゲームのルール、駒の種類、マップの構造、果ては特定の駒に施された装飾の数まで。
王から始まり、盾、剣、ナイト、そして最後に魔術師の駒。彼はそれぞれのステータスまで語り尽くそうとしていた。
……語り「たかった」というのが正しいわね。残念ながら、私が途中で口を挟んだのだから。
「ちょっと待ちなさい。急に何の話をしているの?」
自分でも理由の分からない薄笑いが、勝手に頬を緩ませていたわ。
「あ、そうだ! 僕ったら何を興奮して……」
ミハエルは頭を掻きむしった。ボサボサの髪を整えようとしているのか、それとも逆立てようとしているのかすら定かではないけれど。
「僕が話したかったのは、これだよ!」
彼は人差し指をピンと立て、目の前に浮かぶメニュー画面を勢いよく突き刺した。
その部分の画面が消えるのではなく、想像以上にダイナミックな反応を見せたことに、私は少々圧倒されたわ。
……まるでゴムね。
画面を構成する物質は、標準的なゴムか、あるいは異常な伸縮性を持つナニカに似ていた。
それはミハエルの人差し指を包み込むように、ぴったりとまとわりついたの。
そして次の瞬間、彼が指を引き抜くと、システム画面は何事もなかったかのように元の平滑な表面へと戻ったわ。
「ほら! これ、ちゃんと『物理的』に存在するでしょ!?」
ミハエルの指摘に、私は同意せざるを得なかった。
今まで一度だってこの画面にまともに触れようとしたことがなかったわ。単に自分のステータスが書かれた紙切れ程度にしか認識していなかったのだから。
「やっぱりこれもお姉ちゃんの魔法でしょ!? 弾力のある壁を作り出せるんだ!」
ミハエルは文字通り跳び上がって歓喜した。
……何がそんなに嬉しいのか、私にはさっぱり分からなかったけれど。
彼が「魔法」と呼ぶものがスキルのことを指しているのなら、私の持っているものとは完全に別物よ。
だとしても、彼は単にこの青いパネルを鑑賞するためだけにここへ来たわけじゃないわよね?
私の思考を読んだかのように、ミハエルは画面へ顔を近づけ、子供のように表面をべたべたと押し始めた。
「ちょっと、何してるのよ!?」
私は息を呑み、触れてはいけないものに触れさせまいと、彼を抱き上げて引き離した。
「離して! 離してよー!」
周囲に聞こえないよう必死の小声で抗議してくるけれど、その声色から彼が本気であることが伝わってきたわ。
「ここに書いてある文字は何!? シュメール語じゃないよね! 駒に刻まれていた文字とそっくりじゃない! 教えて、何て書いてあるの!? 僕……ミハエルは気になって夜も眠れないよ!」
(冗談じゃないわ!)
脳裏に稲妻が走ったかのような衝撃が駆け抜ける。
彼に日本語の存在を教えてもいいものかしら?
まだこの環境に馴染めてもいないのに、そんなリスクを冒すのは到底賢明な判断とは思えないわ。
けれど、彼がこのまま大人しく引き下がるとも思えない。
アパシー(無関心)な一面と強烈な対比をなす、彼の狂信的な探求心はすでに知っている通りだもの。
……それにしても、あのゲームの記憶があまりにもおぼろげだわ。
深い霧の中へと沈んでいくように、私の記憶はゲームの序盤と終わりにしか残っていない。その間にあるのは、途切れた断片、破片、残骸だけ。
机に額を打ち付けた、あの痛烈な瞬間だけははっきりと覚えているわ。
あの瞬間だけは確信を持てる。
それが「現実」であったことの物理的な証明として、私のおでこには今も赤く腫れ上がった鈍痛が残っているのだから。
もしこの痛みがゲームのプレイ中ずっと続いていたのだとしたら、私は最初から最後まで、AからZまですべてを鮮明に記憶していたはずでしょう?
なら、どうして記憶がないの? 痛みが引いていたから? 感じなくなっていたの?
だとしたら、なぜ今になって痛みが戻ってきたの?
……そもそも、あのゲームは本当に存在していたのかしら?
始まりと終わりがあったのなら、存在しなかったはずはないのだけれど……。
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