割れたガラスの向こう側
「ただの幻影魔法だな」
元の世界にいた典型的なオタクなら、きっとそう口にしたでしょうね。
でも私にとって、それは本やマンガに書かれたただの説明文じゃなかった。
目の前に、確かに「それ」が浮かんでいたのだから。
光はその表面を透過している。
なのにインジケーターは、確かな音を響かせていた。
色があり、デザインがあり、明確な機能がある。もしかしたら匂いすらあったかもしれない。
それなのに、物理的な実体ではない。
精神領域にしか存在しない、ナニカ。
「それ」が指しているのはタイマーだけじゃない。このゲーム全体のことだ。
ゲーム全体が、人間のような肉体ではなく、精神的なシミュレーションと具現化によって形作られた一つの生きた有機体。
……バカバカしい妄想と理論だって?
ええ、私もそう思うわ。
「幼稚園児たち」の拘束が、少しずつ、けれど確実に緩んでいく。
隙を見て、私は生きた人間の山からそっと抜け出した。
軽く体を伸ばし、ストレッチをして息を整えてから、私はモニカに声をかけた。
「ねえモニカ、今何時かしら?」
私の声に、彼女はハッと我に返ったようだった。
床に向けられていた視線が、ゆっくりと窓へと移る。
部屋の窓は真新しく、家全体のボロさにはおよそ不釣り合いだった。
けれど右上から左下へと一直線に走り、景色を真っ二つに切り裂いている長いヒビが、取り付けられてから相当な時間が経っていることを物語っていた。
単にモニカが、普段から丁寧に磨き上げていただけみたい。
窓の外の景色は、正直言ってあまり気分のいいものじゃなかった。むしろ逆ね。
見たところ、ルカの家はスラムの本当に一番端っこに位置しているらしかった。
ここへ来るまでの道のりが永遠のように感じられたのも、景色のちぐはぐさも、全部それが理由だったのね。
ガラスのヒビより上の位置に、太陽が昇っていた。
ちょうど天頂に近づきつつあり、まもなく正午を迎えることを告げている。
建物たちの影は、昼の光線に怯えて身を縮めるように、冷え切った室内へと這い込んでいた。
遥か彼方の地平線には、整えられた牧草地が見えた。
若い馬たちが草をはみ、その隣の柵には羊と牛が一緒に放たれている。
農業の知識なんて皆無だったけれど、その光景には強烈な違和感を覚えずにはいられなかった。
ネットや絵画で見かける羊と牛は、別々に放牧されているのが普通じゃない?
同じ柵の中にまとめられているなんて、まるでゲームのアセットを配置ミスしたみたいな胡散臭さがあった。
……まあ、私が口を挟むようなことじゃないけれど。
農家だか何だか知らないけれど、ここの領有者の方が自分の仕事のやり方を熟知しているに決まっているわ。
私の素人意見なんて、死人にとっての金塊と同じくらい価値がないのだから。
なんで頭に浮かんだ例えがそれなのかは、自分でも謎だけど。
「……ちょうど11時47分よ」
モニカは素っ気なくそう言い、横を向いてくしゃみをした。
「お昼頃」とか「12時前」なんて曖昧な表現じゃなく、具体的に分単位で答えてきたことに、私は素で驚いてしまった。
地球で当たり前に使っていた現代的な時計なんて、この世界にあるはずもないのに。
モニカの言葉には強い疑問を抱いたけれど、太陽が天頂付近にあるのは紛れもない事実だった。
疑ったところで何も得しないし、私は素直にその数字を受け入れることにしたわ。
「私、どれくらい寝てたかしら?」
牧草地から目を離さないまま尋ねる。
「3時間だな。まあ、3時間半ってところだ」
ようやく喉の乾きを癒やしたジャスパーが答えた。
ピッチャーの中身は最後の一滴まで空っぽになっていた。いい飲みっぷりね。
ということは、私が目を覚ましたのは朝の8時頃かしら?
まあ、不思議じゃないわね。
幼い頃から両親に朝型の生活を叩き込まれていたから、私の体内時計は今でも狂わずに早朝のリズムを刻んでいるみたい。
「ルカはどこ?」
問いかけた瞬間、頭の中で悲鳴のような痛みが響いた。
……くそっ。鎮痛剤の効果が完全に切れかけているみたい。
体が交互に熱くなったり冷たくなったりする。
手足が無事なのは幸いだけど、全身が酷く疼いていて、いっそ吹き飛んでくれた方がマシだったんじゃないかと思えるほどだった。
「ルカ兄ちゃんなら、朝の7時頃に出て行ったよ。お姉ちゃんが起きる1時間前くらいかな」
ミナトとマサユキが、まるでハモるように声を揃えて答えた。
今更だけど、この二人って本当にそっくりね。双子かしら?
一歩も離れず、いつも行動を共にしているみたいだし。
ミハエルの敗北を最後まで受け入れられずにいたステファニーが、ようやく涙をこらえた。
……まったく、私の顔を見る目はまるで、私がルール通りに遊んだんじゃなくてガキを刺し殺したんじゃないかってくらいの惨状だったわ。
彼女は鼻をすするなり、ルカが早朝に出て行った理由を教えてくれた。
「森へ狩りに行ったの。ここから数キロ離れた場所まで。今日は店が休みだから、みんなを起こさずに明日ぶんの蓄えを作りに行ったんだよ。日曜日だから時間もあるし」
「狩り、ねえ……森で?」
込み上げる激痛を必死で押し殺しながら、私は呟いた。
「一体何を狩ってるの?」
「さあね、誰にも分からないわ」
妹から会話の主導権を奪うように、モニカが肩をすくめた。ステファニーは答える手間が省けて嬉しそうだったけれど。
「まるまる太った立派なイノシシを連れて帰ってくることもあれば、『これは数週間ぶんの蓄えだ。一番いい肉はお前たち用で、残りは売り物だから触るな』なんて言ったりね。かと思えば、首の落とされたニワトリを片手に下げて帰ってきて、それを夕食に食べた後、もう片方の手には果物か野菜か、あるいはゴミの詰まった大きな袋を持ってたりするの」
「誰も深く考えようとはしないわ。だって、考える必要もないでしょう? お腹が満たされていれば文句はないし、文句がないなら尋問する必要もないんだから」
モニカは再び肩をすくめて概要説明を終えると、ステファニーを床へ降ろした。
幼い妹は、嬉々として他の子供たちの遊び場へと走っていった。
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