3話 忍び寄る影
「私はローラ。うちはこの辺の宿では珍しい風呂付きだけど、先に入っておくかい?」
「よろしくローラ。それなら先に頂いてくる」
「随分と大荷物だね。アンタ、名前はなんて言うんだい?」
「訳あって名乗れない。すまないが飲み込んでくれ」
「――命の恩人だ。素性がわからなくても、それくらい飲み込むさ。おーいフラン、部屋まで案内してきておくれ」
「はーい! お部屋はこっちだよ」
店主の娘であるフランに連れられて二階に向かう階段を上がる。
木でできた階段は、少し軋む音がした。
年季の入った雰囲気で、レルゲンの持っている大荷物では床が抜けるかもしれない。
だが、床は抜けずに足取りは軽く、フランの後を登っていく。
その様子を見ていたローラが感心したように口を開いた。
「さすがに鍛えているんだね」
本当は念動魔術を使い、荷物を背負っていると見せているだけだ。
部屋に到着し、なるべく床に重さが分散されるように荷ほどきを済ませる。
「じゃあ、お湯が溜まったらまた声をかけにくるね」
「あぁ、わかった」
コップの水へ魔力糸を伸ばし、空中で形を変化させる遊びで時間を潰す。
少し集中していると、やがて呼び出しの声が聞こえてきた。
空中に漂っていた水を口に飛び込ませ、飲み込んでから下の階へと向かう。
久しぶりに落ち着いた状態で温かい湯に入れることに、レルゲンは密かに心を躍らせていた。
野宿中も、念動魔術で川の水を固定すれば簡易的な風呂くらいは作れる。
しかし、維持にも少なからず神経を使うことから、全く魔力操作を必要としない風呂は、とにかく貴重だった。
「ふぅ……」
と思わず声が出る。
湯に浸かって全身の力を抜くと、レルゲンの緊張は少しだけ解れていった。
風呂を済ませ、用意された部屋着に着替える。簡素な作りだが、意外にも着心地がよかった。
「さっぱりしたかい?」
「おかげさまで」
「それはよかった。さあ、飯の用意もできたよ!腹いっぱいになるまで食べな!」
「ありがとう。助かる」
うっかり魔力糸で食器を操作しようとするが、手に魔力を込めたところで踏み止まる。
文化の違いはあれ、食器を空中に浮かべながら食べる者はいないだろう。
出されたメニューはスタミナがつく肉料理とサラダ、ブドウのような甘みのある飲み物。
これは恐らく助けた際に奪われずに済んだ物だろう。思わぬ形で、レルゲンに新鮮な食料として返ってきた。
「ありがとう、ご馳走様」
「あいよ! お粗末様」
店主の娘が空になった食器を片付けていく。
せっかくのいい宿屋だ。
どうやら他にも何人か宿泊している客がいるようだが、レルゲンは早めに休むと決めた。
朝、目を覚ましたレルゲンは、闘技大会に向けた鍛錬のために庭へと向かった。
昨日ローラに庭を使わせて欲しいと頼んでおいたのだ。
「おや、あんたもかい? 精が出るね。うちの庭は好きに使っておくれ」
と言われていた。
もしかしたら先客がいるのかもしれない。
動きやすい白の訓練服のような装束に身を包み、剣を振る度に滴る汗が朝日に反射している少女が一人。
なびく鮮やかな金髪は後ろで一つに纏められ、風に揺られながらも、その表情は真剣だった。
彼女の邪魔をしては悪いと考え、少し離れた位置に移動し、自前の木剣を手に素振りを開始する。
最初は右手で上段に構え、振り下ろす。
さらに左手に持ち替え、また振り下ろす。
合計五十回ほど振り終え、息をつくと、同じく素振りをしていた金髪の彼女がこちらを見ていた。
一瞬目が合ったが、お互いにすぐ目線を逸らして朝の鍛錬へと戻る。
準備運動はこれくらいでいいだろう。
木剣を両手に持ち、加速しきるタイミングで力を加える。
――ブンッ!
振り下ろされた剣は地面付近で急停止し、レルゲンの剣圧で砂埃が舞い上がった。
両手での素振りが丁度終わった頃に、フランが声をかけにやって来た。
「お兄さーん? 朝ごはんできていますよ!」
先ほど会った金髪の彼女は、既に上がっていたようだ。
大会まで残り数日。レルゲンは出場登録のため、闘技場まで足を運んでいた。
「受付完了いたしました。Bブロックの八番です」
手続きを済ませ宿に戻ろうとした時、朝に会った金髪の彼女と再び遭遇する。
朝の鍛錬で目が合った時とは全く違う、探るような視線をレルゲンは感じ取っていた。
大会前日は街が騒がしかった。
どうやら魔物が街の近辺に出没したらしく、街の住人が慌ただしい。
魔力反応も確認されており、衛兵たちが広場へ集められていた。
しかし、人数が少ない。
仮に討伐することを考えているのならばあと三倍は人員が欲しい。
魔物の段位が高ければ、もっと人数が必要になることは間違いなかった。
衛兵の年齢も老いたものが多く、どうにも覇気を感じられない。
街の人々は衛兵たちとは対照的で、頭の中は闘技大会のことでいっぱいだった。
「明日の闘技大会はどうなるのか」
「中止だけは勘弁してくれ」
街の数少ない娯楽として、闘技大会の価値の高さが伺えるが、それどころではない状況だった。
「おう! 今日も早いね!」
洗濯物を干すために、二階へやってきたローラと鉢合わせになる。
「庭、また使わせてもらうよ」
「好きに使っておくれ。それよりもアンタ、ここら辺に魔物が出たって知っているかい?」
「いや、初耳だ。規模は?」
闘技大会をあと数日。
魔物騒ぎはこちらとしても困る。可能なら早めに対処したい。
「これが分からないんだってよ。街の衛兵が調査に行くらしいけど、心配だね」
「そうか。こっちでも様子を見てみるよ」
「アンタの強さは知っているつもりだけど、無理するんじゃないよ」
朝の鍛錬には昨日に引き続き金髪の彼女がいたが、やはり会話は無かった。
鍛錬を終えてから、集まっていた衛兵に話を聞く。
「これから魔物討伐に出るのか?」
「本当に魔物がいた時は討伐だ。少ないが、討伐すれば報奨金も出る。君もその口か?」
「まぁ、そんなところだ」
黒い髪の奥に隠された、蒼い瞳の先に再びの障害が迫っていた。
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