15話 遅すぎた自己紹介
レルゲンが目を覚ましたのは、闘技大会があった日から三日後だった。
「お姉さん! ほら、目を覚ましたよ! 起きて!」
「えっ! 彼が起きたの?」
机に突っ伏して寝ていたマリーが、勢いよく起き上がる。
「はしたないぜ、嬢ちゃん」
少し呆れながら笑い、差し入れと思われる袋を片手に、白髪の剣士が扉を開ける。
マリーが口についたよだれを袖で拭きながら睨む。
「うるさいわよ」
レルゲンの意識が少しずつはっきりする。
手の痛みに気が付き、厳重に巻かれている包帯に視線を送る。
マリーに起こしてもらい、ゆっくりと座る。
「ここは、俺が借りていた部屋か……?」
「そうよ。ちゃんとここの親子も無事」
レルゲンが安心して身体の力が抜けていく。
すかさずマリーが支えてくれたが、一つだけ気になることがあった。
「そういえば、アンタの名前は聞いていなかったな」
「俺はハクロウ。姓はない。ボウズ、嬢ちゃんを護ってくれて感謝するぜ。あれは俺じゃどうにもできなかったからな」
「それで? そろそろあなたの名前を教えてくれてもいいんじゃないの? ――私の英雄様」
レルゲンは素性を明かすか少し考える。
短期間とはいえ、お互いのことは戦いで理解し合えた。この人たちなら、きっと受け止めてくれる。
「俺は……俺の名前はレルゲン。レルゲン・シュトーゲン」
場が一瞬凍り付く。
だがその場を引き戻したのは、マリーだった。
「シュトーゲン……旧王朝の王族の名前よね。どうりで学が高いことを言うと思っていたわ」
ここに剣があったとしたら、恩知らずな行動に走っていたかもしれないとハクロウは思った。
「ハクロウ。彼は出自はどうあれ、私を助けたお方よ。控えなさい」
「すまねぇ……頭ではわかっちゃいるんだが、どうかしちまってるな。でもよ、感謝していることだけは本当だ。信じてくれ」
「こうなることをわかって俺も名乗ったんだ。気にしないでくれ」
下の方から賑やかな気配を察してか、ローラが声をかけてくる。
「この街の英雄様がお目覚めなのかい? 賑やかなのも結構だけどさ、水でも持っていってやんな!」
「あたし行ってくる!」
フランが元気に階段を降りていく。
その様子を見ていると、マリーが少しだけ笑ってからかってくる。
「あなた、見た目によらず結構優しいところあるわね」
「見た目は余計だ」
「結構元気じゃない。マインドダウンだって聞いた時は信じられなかったけど、あながち間違いでもなさそうね」
マインドダウンは、自身の魔力を使い切った際に陥る症状で、命に別状はない。
大小の差はあれど、魔術師にはよくある話だ。
後で聞いた話だが、最後の魔法陣はハクロウが魔力揮発剤を使って破壊してくれたらしい。
可能なら最後の戦闘前に破壊しておきたかったが、観客を虐殺する可能性を考えると、一刻も早く足止めする必要があった。
今になって思えば、魔物に殺された人が多いほど、マリーの立場が悪くなるように仕向けていたのかもしれない。
結局のところ、最初のユニコーン騒ぎから一連の事件は全て、狙いはマリーの失脚だったわけだ。
ここでマリーがストップをかける。
「また遠い目をしてる。考える事は結構だけど、それよりもあなたは怪我人なんだから、大人しく休んでいなさい」
「ああ、そうする。後の処理は任せた」
「任せてちょうだい! これでも地道な根回しは得意なんだから!」
目を閉じる。
まだ魔力はほとんど回復していないが、もう一日経てば多少は戻るだろう。
微睡みの中で、うっすらとマリーの声が聞こえてくる。
「やっぱり身体、まだ治っていないじゃないの……ゆっくり休みなさい」
次にレルゲンが目を覚ましたのは、その日の夜だった。
部屋には誰もいない。
静まり返り、仄かに月明かりが部屋に差し込んでいる。
改めて傷の具合を確認する。
手の火傷は酷いが、指は動く。
一本も欠けることなく乗り切れたのは奇跡に近いだろう。
あの時、アシュラ・ハガマの光線を受け止めた時の感覚を思い出す。
魔力の全解放をしたのに、内側からさらに魔力が噴き出したのが不思議でならない。
あの時の感覚は、苦しい以外にも気持ちよさがあった。
それこそ誰かに、「もっと先へ行け」と背中を押されているような……
幸い魔力は少しだけ戻り、日常的に使う念動魔術なら使えそうだ。
枕のそばに置かれたコップに入った水を見る。
手を伸ばし、魔力糸は出さずに意識のみを集中する。
戦闘時は魔力糸なしで制御していた念動魔術だが、今はどうだろうか。
コップに入った水の表面がわずかに波立ち、
不恰好ながらも、水がゆっくり空中へ浮かび上がる。
消滅魔術下での操作に慣れていたためか、何も障害がない方がやり辛く感じる。
だが、それもまた慣れだろう。
まだまだ念動魔術は応用が効くはずだ。
魔力糸無しで自由自在に制御ができるようになれば、戦闘の幅が飛躍的に上がる。
そんな期待感と自信が、レルゲンにはあった。
念動魔術で身体を無理矢理動かしつつ、ベッドから身を起こす。
階段を降りると、マリーが食事を取っていた。
こちらを見ると同時に、驚いて目を見開く。
「レ……あなた! もう起きて大丈夫なの!?」
「あぁ、心配かけたな。もう動く分には問題ない」
「大丈夫なわけないじゃない」
マリーが立ち上がって肩を貸そうとするが、手で制止する。
「大丈夫さ。魔力も戻ったし、明日は街の治癒術師に会いに行ってくる」
そう言うと、ローラが申し訳なさそうに顔をしかめた。
「悪いねぇ……この街には薬師はいても、治癒術師はいないんだよ」
街に出れば治癒術師がいるものだと思っていたが、いないのであれば仕方ない。
「アンタのその怪我も、薬師がわざわざここまで来てくれて処置してくれたんだよ。回復薬は飲み薬しか余ってなくてね。塗るタイプの回復薬は、今回の魔物騒ぎで使い切ったらしいの」
「重傷患者向けに、飲むタイプだけ余らせているのか」
「多分そうだろうね。明日、アタシから言ってもらってきてやるよ! 英雄様が欲しがっている事を伝えればすぐさ。ほら、今の話聞いていただろう? フラン、明日アタシが店を空けている間は店番頼んだよ」
「任せて!」
「私も手伝います」
「いいよ、あなた様も疲れているでしょうし、ゆっくりして下さい」
マリーがゆっくりと首を振る。
「いいえ。何かしていないと落ち着かないので」
「そうかい? なら頼もうかね。これで安心だわ」
「お母さん、それどういう意味?」
フランが不服そうな表情をする。
不満をぶつけるべく、厨房にいるローラのいる方へ歩いて行った。
「何か食べられそう?」
「いや、明日の朝もらうことにするよ」
「明日、貰ってきてくれる回復薬で、その傷も少しはマシになるといいわね」
「多少は残るだろうな。回復薬も万能じゃない。治癒術師がいれば多少は良くなるはずだが」
「……この街にはいないしね」
少しの沈黙が続く。
気まずさや恥ずかしさではない。
温かい沈黙の時間。
再びマリーが口を開く。
「ねぇ……どうやってお礼をしたらいい?」
「いいさ、礼なんて。俺がやりたくてやっただけだ」
「そうは言うけど、引き下がれないわよ。それとも何? 私は命を救われたのに、何もお礼をせずに王宮に帰ってきましたって、報告させる気なの?」
「いや、そこまでは言ってない」
「同じよ。そんな恩知らずな王女だなんて周りに知れたら、間違いなく継承権の降格になるわ」
「……」
穏便に、かつこの王女様を納得させる方法がないか、レルゲンは少し考える。
少しも案が浮かばないで困った顔になっていると、片目だけ閉じたマリーが微笑んだ。
「うちにいらっしゃいな」
いえ、イエ……まさか、王宮まで来いと?
この辺境の街から?
レルゲンはこの時、アシュラ・ハガマと戦った時以上の緊張に包まれ、冷や汗を流した。
「俺はまだ死ねない」
「なんでそうなるのよ! 確かに有り得なくない話だけど、私が絶対にそんなことさせないわよ!」
「そもそもだが、マリーは何でこんな遠い街の大会なんて出たんだ?」
消え入りそうな声で、マリーが呟いた。
「……家出よ」
「何だって?」
「家出よ家出! この身一つで武勲を立てて、私を束縛する貴族に目にモノ見せてやる……! つもりだったわ」
家出……平民の子供じゃあるまいし……よく抜け出せたものだな。
ハクロウは、その護衛として後をついて来ていたのだろうか。
レルゲンが素直に感心していると、マリーが落ち込んだ様子で続ける。
「でも結果は散々だったわ……ユニコーンの時だって、あなたに頼り切りだった。大会だって決勝までは行ったけど、あのまま戦いが長引けば私の負け……! あの五段階目の魔物だって!」
「マリー、ストップ」
心に刺さった棘は、時間が経ってから痛み出す。
マリーの棘もまた、深いところまで刺さっていた。
「古い話をしよう」
レルゲンが昔話を切り出すと、涙目のマリーが続きを促した。
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