145話 負の感情
召子が引きこもるに至った理由は、間違いなく悪魔と戦ったからだ。
ただ、アッシュの時とは違い、勝ったことへの喜びよりも――勝ってしまった、相手の命を奪ってしまったことへの後悔。
召子がクロノに最後の一撃を放つ瞬間に感じ取ってしまった――クロノの死にたくないという感情。これから斬られる事への恐怖と言いかえてもいい。
クロノの感情を受け止めきれなかった、流せなかった自責の念が、召子の身体を縛っていた。
フェンが心配そうに召子の頬を舐めて励ますが、どこか召子の目は遠いところを見つめるように虚ろ。フェンを撫でる手は機械的に動くのみで、そこに普段の温もりは感じられなかった。
「クゥン……」
召子が苦しんでいる姿を前にしても、感受性の高いフェンはただ寄り添うことしかできず、召子の負の感情に引き込まれるように食べ物が喉を通らなくなっていた。
このままではいけないと思いながらも、召喚されてしまった勇者の責務は本人が望んだものではない。理不尽に選ばれてしまったただの人間に過ぎない。
扉を軽く叩く音が、召子の部屋に小さく響く。
召子は返事をせず、部屋の隅でフェンに寄りかかるのみ。
フェンは客が来たと視線で召子に訴えるが、反応は返ってこない。
「レルゲンだ。召子、話がある。開けてもいいか?」
扉の鍵は閉まっている。
今仮に開けようとしても、レルゲンは入ってこれずに諦めて帰るだろう。そう思っていたが、扉の鍵が誰の手も触れていないはずの内側から開けられ、レルゲンが部屋に入ってくる。
「レルゲンさん……どうして鍵を」
「閉まっている扉を開けるくらい、俺の魔術なら簡単だろ?」
「確かにそうですね――はぁ……それで、何か用ですか?」
「ああ、少し話をしようと思ってな。場所を変えてもいいか?」
「どうしてここじゃ駄目なんですか」
「召子の負の感情がこの部屋には充満しているから。フェンも君の感情に呑まれている」
レルゲンが召子を起こそうと近づくと、フェンが歯を立ててレルゲンに向かって激しく唸る。
それでもレルゲンは召子に手を差し出すと、フェンが『それ以上近づいたら噛み付くぞ』と言わんばかりに唸る声を大きくする。
それ以上手を無理に伸ばさずに、レルゲンは意思を込めた声でフェンを真っ直ぐに見つめて語りかける。
「お前が主人を護ろうとしているのはわかった。だけどな、それだけがお前の、召子にかける優しさとは限らないぞ。お前なら気づいているはずだ。フェンリル」
レルゲンの言葉を聞いたフェンは耳が少し垂れ下がり、召子の側から離れる。
――私を置いていかないで……フェン君。
召子は離れていくフェンに向けて右手を僅かに伸ばしたが、すぐに床に手が力なく落ち、召子がレルゲンに向けて掠れた声で言葉を投げかけた。
「……お好きになさって下さい」
と言い、レルゲンが念動魔術で窓を開けて、夕暮れに近い陽の光と共に、外へと連れ出した。
しばらく飛んだ後に召子は辺りを見る。この進路の先にあるのは間違いなく
「メテオラに向かっているのですか?」
「そうだ。浮遊魔石を回収したからな。返しに行こうと思ったついでに、召子に見せたい景色があって」
召子は返事をせず、ただメテオラへ向かって飛び続けるレルゲンの横顔を見つめた。
――どうしてそんなに強くいられるの? 私とそこまで歳だって変わらないのに……
夕日から星空が徐々に覗き始め、雲の切れ目からメテオラが見えてくる。
レルゲンがサンライトを発動させて灯りをつけ、メテオラの管制塔に向けて合図を送ると、向こうも灯りをレルゲンに向けて返して合図を送ってくる。
「まずはこの魔石を返そう。召子との話はもう少し時間が経ってからだ」
「はい……」
メテオラに到着し、スカイの部屋に通される二人。まだ数日しか経っていないにも関わらず再訪したレルゲンたちを見て、スカイは一瞬からかうか迷ったが、すぐに二人の表情を見て諌める。
「よくお越し下さいました。本日はお二人だけのようですが、どんなご用件でしょうか?」
「地上の悪魔侵攻の話は、既に聞いているだろう? 丁度中央に攻め込んできた悪魔が浮遊魔石を使って兵器に利用していた。運良く回収出来たから返そうと思ってな」
スカイは一瞬嬉しそうな表情を見せたが、レルゲンが持っている浮遊魔石を確認して、表情が曇るように見える。
「どうしたんだ? これは浮遊魔石だろ?」
「はい、確かにコレは祠に祀られていた浮遊魔石です。しかし祀られていた浮遊魔石は『二つ』ございます……」
「悪魔側にまだもう一つ浮遊魔石があると言うことか」
スカイが頷くと、レルゲンは一言「わかった」と返し、それでも持ち主に返そうと石を差し出したが、スカイは首を横に振る。
「以前にレルゲンさんも仰っていましたが、現状の私たちでは、この魔石を悪魔から護る戦力がありません。また悪魔がここに取りに来れば、たちまち奪われてしまうでしょう」
「ならこの魔石はどうするつもりなんだ?」
「悪魔の脅威が去るまでの間は、レルゲンさんにお預かりしてほしいのです。悪魔に渡るくらいなら、武器に転用する為に加工して頂いても構いません」
「だが、それでは今まで君たちが必死に護り続けていた気持ちを、踏み躙ることにならないか?」
「確かに自分たちで大切な物を管理できない不甲斐なさはあります。ですが、この赤く光る貴重な石を人殺しに利用されるのはもっと我慢なりません」
スカイの、そしてこの空中都市の思いが詰まった浮遊魔石をレルゲンは大切に預かり、人助けのために使うことを約束した。
レルゲンと召子は、そこから宿屋に向かうのではなく、以前ここに訪れた時に見た夜空の星々を眺めていた。暖かくも冷たくもない風が頬を撫で、髪が優しく揺れる。
レルゲンは、召子が自分から話し始めるのを、ただ静かに待っていた。
「私、ここに来る前は高校生っていう、ここで言う魔術や剣術が学べる学校の生徒でした。成績はそんなにいいものじゃありませんでしたけど、それでも幸せな日々を過ごしていたと思います。それで、ある日学校の帰り道――急に周りの地面が紫色に光り始めて、こっちの世界に来ていました。それで急に勇者になれ、ディシアさんを殺せって言われて、今になって思えば中央王国には助けを求めるために来たんだと思います」
レルゲンはただじっと聞いていた。少し間を置いて、召子が仰向けで夜空を見つめて口を開いた。
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