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アイアシリーズ  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
あいちゃん

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31/34

 ほころんでも、苦み。

 十月になった。


 愛子はとうに新しい学校に通学しているだろう。

 あの美貌で人気者になっているだろうか。

 あるいはその美貌ゆえにうまくなじめないとか、そんなこともあるだろうか。その方がドラマもあるか。


 斎藤は寝転んで考えていた。古い家、古い畳。

 黒ずみはある。しかし掃除は行き届き、しっかりと風を通した空間。几帳面な斎藤らしい管理がなされていたし、先代倉本八重の性格の表れでもあった。


 もう手を引いた仕事ではあったものの、時々この仕事を思い出していた。そして愛子のヒロイン性から、以前考えた悲運のラブストーリーを手遊び程度にノートにまとめていた。

 全部で10ページくらいにはなっていたが、けっこうな割合をイラストが占めており、出版にはまだまだかかるだろう。


 十月と言えば大学生も夏休みが明ける。

 子供の夏休みを、特に大学生の夏休みなんてのは長いうえになんだか自由の象徴のように思え羨み、斎藤は恒常的にひそめている眉を余計にひそめた。

 でもまあ、今やだれよりも夏休みな日々を送っている自分に気づき、むなしくなった。

 昨日から深江に借りた漫画をずっと読んでいる。全部で20巻以上あるものだったが、もう三週目だ。

 不安になってきた。


 ちょうどドロドロした恋愛もので、そうだ、こういう感じで、良いことの後に悪いことを、悪いことの後に救いを。こういう風に話を作ればいいのだ。

 いい年して無駄に有り余る時間を、創作意欲に強引に意識を向かわせることで、自分は大丈夫。自分は大丈夫。そう、言い聞かせた。


 アイアは昨日からいない。何やら仕事があるらしい。自分にはないのに。

 最近はこうやって仕事だと言ってはよく姿をくらましていた。自分にはないのに。


 いや、なんかの遊びを仕事と言っているだけで、実際は働いてないのかもしれない。よく釣り好きが「こっちが本職」なんて言うこともあるし、今時分はサバとか旬か?キノコ狩りなんかもありだな、似合うし。

 斎藤はそう思うことにした。情けない。


 実際アイアは多趣味で、よく、というより常に遊んでいるように見える。一方仕事も結構しっかりする方で、というかいくつか会社を興したりもしていてそちらに顔を出すこともある。資産も多い。

 妖怪ゆえに取締役なんぞに就くことはないのだが、それぞれに人を立て、実質、アイアグループみたいなものの、その会長みたいなポジションにいる。


 そんなことを知らない斎藤は無邪気に遊ぶアイアを想像しながら微笑ましく思いつつも、それを鼻で笑った。


 スマートフォンが鳴った。

「渡辺さん」と表示される。

 渡辺文昭、今ちょうど変な妄想を膨らまそうとしていたその元ネタ、愛子と文也の父親。


 斎藤の元上司。きっと今もバリバリ働いている、いわば「現役」だ。

 かつては自分もそうだった。

 このタイミングでのこの人からの電話は虚しさに拍車をかけた。


 愛子の件で斎藤は文昭から金をもらった。

 斎藤は断った。別に陰陽師的なこと何もやってないし。ていうか途中律子にやったのは詐欺だよな。

 それに結局渡辺家は崩壊。何ならそれを助長したのは自分だ。


 それでも渡辺は斎藤に金を握らせた。 


 いずれこうすべき、あるいは最初からこうすべきことだった。

 父親である自分が決断し、実行すべきこと。

 それをただ自分の後輩である斎藤に、自分の家庭が抱える問題に首を突っ込ませた挙句、罪悪感まで持たせてしまった。

 それが渡辺文昭の言い分だった。

 相変わらず生真面目な人だと思った。


 茶封筒には20万入っていた。

「相場が良くわからん。とりあえず今の初任給がこれくらいだから入れてみたんだが」

 文昭はそう言った。

「いや、正直私も相場が良くわからなくて」

 実は、なんで初任給を基準にするのかという文昭なりのおふざけだった。

 しかし「いや~、多くないですか」などと言いながら頭を掻く困り顔の斎藤を、そういえば若いころより余計に困り眉になった斎藤を文昭はおかしく思った。

 相変わらず生真面目な奴だと思った。


 なんだかんだ嫌な仕事だった。

 後味の悪さだけが残り、その上金をもらうという嫌な苦みが奥歯に残るような仕事だった。

 それでも若いころ苦楽を共にした文昭との邂逅は、それをまあ、大人の苦みと錯覚させるくらいのものではあった。


 その文昭からの電話。

 正直、出たくない。


 あそこで別れて、今後一生会わない。あるいは誰かの葬式で会うとか、互いの葬式で手を合わせるとか、そんなんでいい。

 別に嫌いとかではない。互いに尊敬しあっていたし、仲も良かった。何ならブロマンス的なあれもあったでしょう。

 

 ただ、それくらいがいい終わり方だ。

 途中顔を合わせるイベントがあってもいいかもしれない。したってまだ早すぎる。機微の問題だ。

 文昭さんは文学部の出身だし、そういうのわかってるはずだけどな。

 斎藤はそう思った。文学部を何だと思っているのか。


 ということは、どうしても伝えなければならない電話。


 あらためてお礼なんて野暮はない。久しぶりに食事、は今じゃない。やっぱり金返せもない。いや、もし言われたら返すけど。


 トラブル方面と考えるのが妥当。

 出たくない。が、だとすれば挽回の機会もあるか。


 長い夏休みをただだらだら過ごす自分の姿に端を発するマイナス思考がほんの一瞬プラスに上振れした瞬間、斎藤は電話を取った。


 7コール半。

 元イケイケビジネスマンの斎藤としてはとっくに相手を待たせすぎているタイミング。

 現イケイケビジネスマンの文昭としてはとっくに切って折り返しを待つべきタイミング。

 ゆえに互いに手練れともいうべき実績を持つものとは思えないたどたどしい第一声、

「あ、お待たせしま、いたしましたっさ、斎藤で」「あ、うわ、出、ああ、すみません、今大丈、あ、渡辺ですけ」

しかもそれがかぶってしまう。


 そしてかぶったものだからちょっと沈黙があり「あ」「うあ」とまた互いに変な声が漏れてかぶる。


「あ、えっと。どう、なさいました。その、先日はどうも、わたくしの働きがふがいなく…」

 まあこういう時は自分から、目下のもの、しかも仕事を失敗した自分から話を切り出すべきと斎藤が強引に第一声を、ちゃんとした?第一声を発した。


 そしてそれに文昭は何も返さなかった。

「いや、とんでもない」普通ならそんな言葉が返ってくるはずだった。

 沈黙が続いた。

 

 あれ?怒ってる?そういえば渡辺さん怒ると静かになるタイプだったな。いや、金返せってんなら全然いいけど。むしろ返したい。それよりこの人の言葉って妙に心に刺さるというかえぐるというか。あー、怒ろうとして、でも相手を傷つけないようにしてる時の顔だ。いや、顔は見えないけど。あー、なんかいろいろ思い出してきた。25…、26の時だっけ?俺が出張先で…。


 斎藤は短い時間にものすごい多くのことを考えた。怒られるときってこうだよね。


「ああ…、うん」


 文昭は声を発した。斎藤が危惧するような声の感じではなかった。初めて聞く雰囲気。愛子を送り届けた後とも違う、似た声の別人。声を発するその大元、根本のパーソナリティーが変わってしまっているような気さえした。


「斎藤君その…」

 

 そう言えば昔は斎藤君と呼んでいたな、と思った。互いに。

 斎藤が仕事を覚え始めたあたりから「斎藤さん」が混じり始め、斎藤が出世し文昭の上司になると完全に「斎藤さん」になってしまった。


 斎藤の口元が少しほころんだ。


「息子…、文也がいなくなったんだ」


 ほころんで、そのままかたまった。

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