嗤いもおきず
斉藤と深江は立会人となった。
愛子の新しい生活に必要なものをまとめると、こんなものか、と思うほどコンパクトにまとまった。
わざわざ用意されたミニバンは不必要な、もっと小さな乗用車で良かっただろうにと思えるほど少ない荷物。
市の?県の?担当職員、児童福祉司とかそこら辺の人が2名、運転手とは別に同乗する。それも含めてのミニバンなのだろう。
斉藤はこの2人から自己紹介されたが、ミニバンはなぁ、便利だけど好みじゃないなぁ、とか考えてあんまりちゃんと聞いていなかった。
荷物をのせ、車に乗り込む愛子に、父、渡辺文昭は唇をかみしめた神妙な笑みを向け、小さく手を振った。
愛子はにっこりと笑顔を返し、同じように控えめに手を振った。
これでお別れ、今までお世話になりました。と、深々とお辞儀などするかと斎藤は考えていたがそうではなかった。
案外あっさりとした、「またね」とでも言っているかのような別れ。
そして斉藤の感じていた大人びた雰囲気からかけ離れた愛子の子供っぽい仕草。
こんな感じの別れならいいな。と、斉藤はぼんやりと思った。
愛子は隣の市の中心から外れた田舎の中学校。そのそばにある児童養護施設で暮らすことになった。
結構大きな施設で、十数人の児童が暮らしている。
文昭はついていかない。ここで見送ることになっている。
何かそういう決まりがあるのだろうか。
あるいは家に残る律子と文也のことを考えてのことだろうか。
律子は玄関に腕を組みもたれかかっている。
2階でカーテンがゆれた気がした。風か、気のせいか。
「それじゃあ行ってきます」
代わりに立ち会い人として親族や担任教師などが付き添って良いらしく、今回斉藤と深江がこれに選ばれた。
二人とも文昭にお辞儀する。
文昭は今どういう状況なのか。
有給か、休職か、あるいは降格でもして近場に異動でもしたのだろうか。当面はこの家に妻と息子と住むらしい。
付き添いとは言っても車は別。
2人は斉藤の古いシビックに乗り込みミニバンについて行った。
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文昭からの電話はタイミングが悪いようで、実はものすごくよいタイミングだった。
見るからに険悪な律子と文也。
怪我をしている愛子。
ここから何が起こったか聞き出すのはなかなか精神に来るものがある。
外にいる男。彼に聞くのが一番かもしれない。なんとなく斉藤と互いにシンパシーもあった。
でも初対面だし。
後でわかったことだが、この男、高校教師を務める律子の同僚で、祭りの夜は補導のために2人で祭り会場周辺を1時間ほど回っていたのだった。
同僚の家庭の、センシティブなことをどれほどしっかりと斉藤に話してくれただろうか。
文昭は事の顛末を聞くに最も適した相手だったし、まさに律子と文也に声をかけねばならない時にかかってきた電話は最高のタイミングだった。
身内のことと一部話を伏せることはあるかもしれないが。
文昭の話は斉藤が見た渡辺家の様子から推測される内容とあまり変わらなかった。
律子が偶然見かけた文也と愛子の姿。それは兄妹の姿と呼ぶにはあまりにも情熱的なものだった。
当初斎藤や深江の想像していた、愛子が兄に恋をしているという予想。
そして深江が文也から聞き出した、文也が妹に恋をしているというその時点での事実。
実際はその両方で、しかも二人が考えていた淡い、青いものではなく、何倍も濃厚なものがよりによって母、律子の前で繰り広げられていたのだ。
激高した律子は愛子の手を引っ張り無理やりに車の後部座席に乗せる。
文也は何もできず呆然としていたが、律子の同僚に促され車の助手席に乗る。
家に着くなり律子は車から愛子を引きずり出し平手打ち。
慌てて車を降りた文也が止めに入るも、同僚の男がそれを止め、自ら止めに入ろうとする。
そのほんの少しの時間に律子はさらにもう一発平手打ち。
男は強引にその間に入り「中にいてください!」と叫び、抵抗する律子の体を押さえ、なんとか玄関の鍵をあけさせ中に押し込む。
頬を押さえて座り込んだ愛子の前で文也は呆然と立っていた。
どうすることもできないでいたが、なんとなく手を伸ばし愛子に触れようとした。
その手は男に掴まれた。
「君も中に居ようか」
そう言われ、うつむき、文也はその言葉に従うしかなかった。
玄関を上がり廊下を少し歩くと、台所で突っ伏している律子がいた。
自分の部屋に、二階に上がりじっとしていればいいものを、文也はそこに、台所に入り、母の姿を眺めていた。
律子の同僚は、これを自分で解決することはできないと思い、
「誰か、お父さんとか電話はかけられないかな」
と優しく愛子に声をかけた。
「電話の、玄関の電話のお気に入りの1番がお父さんの携帯です」
愛子ははきはきとそう答えた。
子供が、こんな目に合ってずいぶんと落ち着いているなと男は思った。
愛子の言う通り玄関の固定電話のお気に入り1番にかける。
「おお、どうした」
と、いかにも地位のありそうな男の明るい声が聞こえた。
「あ、申し訳ございません。わたくし渡部先生の同僚の石塚と申しますが…。旦那様ですよね、実は…」
さあ、どのように事の顛末を説明しようかと考えを巡らせながら、何とか要点を簡潔に伝えることに成功する。
その間文昭はほとんど無言で、石塚の話が終わりしばらくするとため息をつき、
「ああ、そうですか。この度は家族がご迷惑をおかけして申し訳ない…」
とゆっくりと言葉を発し、その後、すぐに現場に向かえない自分の代わりに親族を向かわせる旨を伝えた。
そして、一度は家族の抱える問題を解消に向かわせてくれていた元部下の斎藤にも念のため電話をしたところ、なぜか斎藤のほうが親族より先に渡辺家に来ていたのだった。
文昭が斎藤に話を伝え終えた頃、渡辺家の親族が2名到着。
石塚や斎藤から一通り説明を聞くと再度文昭に電話し、愛子を連れて帰ることとなった。
ここら辺から正直斎藤には何もすることができず、深江やアイアも愛子と少しお話をして気を紛らわそうとするのが精いっぱいだった。
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斎藤はぼんやりと運転していた。
なれた運転だ。ほとんど無意識に入りの悪い古い車のマニュアルシフトも操作できる。
深江は助手席でずっと無言だった。
施設の広い玄関にミニバンが横付けし、斎藤もその後ろに車を寄せた。
古いが頑丈そうなつくりの建物だった。
年季に彩を奪われてはいるが、掃除の行き届いた施設だった。
荷物を持ってミニバンを降りる愛子に深江が駆け寄る。
「持つね」
と笑い、残りの荷物を抱える。
二人の少女が両手いっぱいに抱える荷物。それですべてだった。
建物の中から二人の職員が現れ、ミニバンの担当者と何か話している。
愛子も自己紹介しているようだ。
笑顔で、はきはきとして、斎藤はその姿をしっかりしてるなあとぼんやり眺めた。
車を降りてもそこには近づかず、愛子のことは深江に任せた。
車の上に頬杖をついていた。
はた目にはかなり怖かったと思う。
「今回の仕事は運転と盗聴と食品販売だな」
ぼそっとそう言って、自嘲しようと思ったがそれも上手くできなかった。




