4-12 憎しみの行く先
メグディエ領主は、二体の兵贄でウォルノール軍の戦力をほぼ全て削れると考えていたに違いない。
しかし、いざ前線に出してみればそれらは津島 和音、そしてフリコ・アゼール・ウォルノールという小柄な二人を相手に苦戦を強いられている状況であった。
即撤退を心がけていた前日と打って変わり、今日の先頭はまさに血で血を洗う肉弾戦。
二人が兵贄をひきつけているおかげで、ありとあらゆる場所で人間同士が声を上げながらぶつかり合っている。
——兵贄とカズは、どうやら顔見知りだったらしい。
チオリはその二人が剣を交えたことをその雀色の目で確認し、隊列の反対方向へと手綱を引いた。
地図屋によって隊を大幅に削られた際は頭を抱えたくなったが ウォルノールの対応は存外に早く、参謀や司令塔の質の良さを感じさせた。
いつの間に合流した別隊も含め濁流のようにぶつかりはじめる人と人。
チオリはその合間を縫い、バクサアロ領兵からの刃先を躱し、時にはじき返して馬の足を早めてゆく。
静けさが木漏れ日とともに降り注ぐエリギとは対照的に騒々しい平原。そこでの人間同士の戦いは醜く、チオリは顔を歪めながら人の群れを抜け出し、なお走り続ける。
向かうはもう一体の兵贄がいる場所——フリコ・ウォルノールの元だ。
直前までともに居たかつての家族に後ろ髪を引かれるも、それをすんでのところで振り払う。もうこれ以上、遅くなるわけにはいかないのだ。
そこら中でちらほらと行われている戦闘に巻き込まれないよう急いで、急いで、そして————
「チオリ。どこへゆくの」
ふと静かな声が耳をかすめた。馬の足音は2騎分。
それすらも全く気がつかなかった存在へ、ついバランスを崩す。
「おわっ!! えっ…レ、レヨン。なにしてん。あー、どうりで追い風が強いと」
「一人でどこかへ行こうとするから気になったんだ」
レヨンとは違い派手に返り血をつけて、いつもの無表情がそこに居た。
レヨン・セルパータ。 ぽぽーんの一員であり、そのギルドの名付け親という時点でわかるネーミングセンスのない男。
「カズは」
「向こうにはベニヒとフォーンがいるよ。だけど、あの地図屋もここを離れて居ないようで、姿の見えないどこからかこちらを見ている」
「よう…わかるね、そういうの」
馬の速度を緩めず言葉を交わす合間で、崩れたバランスを整えつつ 先ほどまで焦りで張り裂けそうだった心臓が不思議と落ち着きはじめている事実に気がつく。
レヨンは「本当、リアクション良いよね」とわかりにくく微笑んだ。
「勘……かな。そしてその勘は次に、きみがなにか大変なことをしようとしていると言っている」
彼の青の瞳がなにかの確信を持ってチオリを見つめている。気圧されてつい、下を向いた。
言い訳を考える子供のように馬のたてがみをふさふさと弄るその様子に、レヨンは「ふふ」と口角を薄く上げる。
「手伝えること?」
「ぜ、絶対やめへんよ、私は! だってフリコちゃんは言っとったろ、カズくんの護送が終われば自由行動、って…………あれ、止めへんの?」
「まさか。そういう目をした人には覚えがある。きみは今 大切な何かを守ろうとしているだろ」
視線を正面へ戻し、レヨンはうなる。
「殺したいのは誰? フリコ・ウォルノール? 有角族の角は調味料にでもなるとか…」
「ううん、これは私のただのわがままで、守れるものは私の意地だけ。他にはなにも産まん。
……これは、ただの自己満足や。それも家族の心地よさに目的を忘れつつあった意気地なしの。それでも手伝うてくれるんなら、一般兵の排除をお願いしたい」
「一般兵……ね。まさかとは思うけど————」
レヨンの言葉を最後まで聞くことなく、チオリは馬の速度を上げた。その背を強い風が押す。
多分、そのまさかだよ。という回答も口にせず。
互いの国の主力がぶつかり合う人の群れ、その片方との距離はみるみる縮まってゆき、やがて0になる。
相変わらず戦闘を避けるチオリと、邪魔な相手はひとまず排除するレヨン。しかし離れることのない二人の距離が彼の手際の良さを示しており、チオリは口角が引きつらせた。
「ほんっま、怖いギルドや。ぽぽーんってのは」
「はは、何を言っているんだ。狩猟ギルドなんて皆こんなものだよ。それに、この技術を教えてくれたのは君の住む集落の人たちだ」
速度を緩めることなく人の合間を突き進むウォルノールの二人へ不信感を得たバクサアロの兵が追いかけてくる。それにつれ攻撃もみるみる激しさを増してゆき、ついに囲まれたチオリたちは反撃へと出ざる終えない状況になった。
レヨンたちがかつて——エリギという狩猟民族の集落へ来る以前——住んでいた村では、二月の精錬という儀式があったという。
この人口密度の中でも絶えず二人の背中を押す風があるのは、その儀式の賜物だ。
風を作り出す方法。それは移動だけでなく、戦闘でも大いに役立つ。
「このままこの戦闘の中心地へ向かう! ついてきてね、レヨン!」
「いいよ」
どこまででも抑揚のない声。けれどそれに安心を得る事実に強く情けなさを感じて、チオリは大きく首を横に振った。
これを聞くのもこれで最期だ。
×××
人と人との合間で、そうでない者同士が武器を交えてから、すでに幾ばくかの時間が経過していた。
メグディエ領主を守る兵贄は黒色をしていた。
動きやすいよう無駄な装飾の省かれた服だけでなく目や髪までが黒。服の合間からはみ出た肌が対比してやたらと白く見える、年端もいかない少年だった。
フリコはその兵贄から次々と繰り出される拳や蹴りを受け流し剣を振るう。力任せのように見えて、存外にも繊細な動きをする眼前の少年に フリコは心の底が沸き立つのを感じていた。
しかしその幾度にもおよぶ剣と拳のぶつかり合いを、フリコはふいに止め声を上げる。
「あのさ」
力の抜けた少女のようなその声を遮るようにして、メグディエ領主が怒鳴り声を上げた。
「どうした? こいつはまだ戦えるぞ」
「君、どこの生まれだい」
フリコの目線は変わらず兵贄の少年へと向いている。しかし返って来るのは小さな唇の動きと、メグディエ領主による戦闘を促す声だけだった。
兵贄のその様子に同情を抱く。声が、出ないのだろう と。
兵贄とは体に魔法構文を刻むことで肉体強化や戦う術を身につけさせた人間を指すが、その魔法構文を体に刻むという行為には、言葉で表現できないほどの強い痛みが生じるとフリコは知識でのみ知っていた。
「……ここらの魔力はもう、比較的使い切ったと思うんだ」
メグディエ領主の家系は魔法構文を使用することができないからこそ、周囲の変化には気づくことができない。しかし言うことの聞く魔力がなくなれば、兵贄の戦闘能力だって人間と同等にまで落ちるのだ。
ここで戦闘を終わらせるのは惜しいとフリコは思っていた。腹の底から好奇心を揺さぶられる感覚を手放すにはまだ早い、と。
兵贄は迷うことなく地を蹴った。単体でなく、小脇にメグディエの領主を抱えて。
「はは! 坊ちゃん。保護対象とはいえ、それはないぜ」
耐えきれず戦場に笑い声を響かせながら、フリコはその後を追う。
ぐぬぬ、と言わんばかりに睨みをきかせるメグディエ領主の姿は、幼少期から知ってなくとも滑稽であった。
だからといって手を抜くつもりはないけれど。と距離を詰めれば、兵贄はさらにフリコが予想だにしていなかった行動へでる。
抱えていた領主を放り投げてみせたのだ。
兵贄の腕がフリコの剣を受け止め、メグディエ領主は顔面から地面に叩き落される一連の流れに、その黄色の瞳は溢れんばかりに丸くなる。そして声を上げた。
「嘘でしょう!」
いままでそんなことする兵贄を見たことがなかった。もっと指導者を大切に扱うよう体に刻み込まれているが故に、不必要な傷を負って死んで行ったもの、殺すことになった者を多く見たというのに。
意識を取り扱う構文の一部が、上手に働いていないのかもしれない。思えば戦闘中使用する構文も、かつての兵贄に比べるとわずかな相違点がある。
相違点といえばもう一つ。
かつての兵贄はすべて戦い方を熟知しているようであり、体もそれ相応に鍛え上げられていた。
しかし目の前の少年はすでに肩で息をしている状態。戦場に立つにしては体が未熟すぎるのは明白であった。
こんな人間、一体どこから引っ張ってきたのだろう。終前の技術でさえ、多くの者に精神破壊をもたらした手術を耐え抜いた心の強靭さとは正反対に、鍛えるという言葉を知らない貧弱な体。
「……なあ坊ちゃん。人は変わるものだ。けれどどうしたんだい? なにがあった。こんな禁忌にを出すなんて。
こうして年端もいかない子供たちをいじめて、楽しいかい」
「……好き好んで作っているわけではない」
フリコの言葉に、飛び起きたメグディエ領主は答える。
その合間にも兵贄からの攻撃は絶え間なく続いている。兵贄自らにかけた補助魔法だけで一帯の魔力を使い切ってしまうほどだ。またすぐに場所を移動しなくてはならないだろう。
遊びに興じるのも程々にした方が良さそうだと攻撃を繰り出すフリコに、メグディエ領主は再び唸るような声を絞り出した。
「殺したのはお前だぞ、ダル・ペグゼジュード」
「おっと、今のは聞き捨てならない」
戦闘時 常に皮膚の上に硬化の鎧を纏う兵贄たちは武器を使用しないことが多い。それを忠実に表すように目の前の黒い少年は脚と拳のみでフリコと渡り合おうとしていた。しかしそんな彼に、フリコは制止の声をかける。
怒りの匂いを嗅ぎ止めたか、敵の言葉を驚くほど素直に聞き入れた兵贄は拳をだらりと下ろす。再び声をかけられるのを待機する姿勢に入る少年へ、メグディエ領主は焦りを露わにした。
「おい、22号。何を」
「ちびすけ、こっちを見ろ。今の言葉は戦士を貶める言葉だ、敵とは言え聞き捨てならない。もしかしなくてもこれは全て、お父様の復讐などと宣うつもりか」
歯をむき出しにした桃色の有角族 フリコの声色から可愛らしさが消える。低い男の声で大きくため息をつき、花の文様が浮かぶ瞳をぎらりと光らせてフリコは言葉を続ける。
「頷く必要はない。これ以上僕を落胆させないでほしいからね。彼の死は 彼と僕とが戦場で真っ向に武器を交わした結果だ。それにどうこう言う筋合いは、たとえ血縁者にだろうとないよ」
落胆のため息が再び漏れる。
鉱資源の街 テンティノをめぐる国同士の戦だと思いきやそれはただの囮で、実はただの子供の八つ当たりだったのだ。
いや、下手に頭と口が回る分 子供よりたちが悪い。
「…とはいえ その憎みは人間として当然の感情だ。問題は口にするか、否かであってね。
人間には何かを悪者にしなければ、憎まなければ、心が潰れてしまう者もいることは確かだ」
煩雑な周囲から隔離されたようにそこだけが動きを止めている。
メグディエの兵士数名が領主の側に寄りフリコへ警戒を示すが、当のフリコはそれをかけらも気にせず微笑んだ。
「キミにおいてのボク、人間においての半魔人。…そして誰かにとっては、キミがそうかもしれないね」
遠くを雀色と、薄い銀色が横切った。
主人に向けられる殺気に兵贄が目ざとく反応する。その首へ間を空けずフリコは刃を突きつけた。
「お待たせしたね。さあ戦いを再開しよう。キミの相手は、このボクだ」
各所から土の壁が現れ、領主までの視界を完全に遮る。フリコによる干渉術だ。
それと同時に離れで空気と大地を揺らす破裂が起こる。津島と、もう一体の兵贄が交戦している方角だ。
慌てて爆発の方角へ顔を向ける黒の少年に、フリコは剣を振るう。
「こっちを見ろよ、兵贄……22号だっけ? キミにはどうやら守るべきものが多くあるみたいだけれどさ」
それどころではないと姿勢を崩す兵贄が目を瞬かせるが、構うことはない。
自らの主人へ迫る危険と、爆発地にいるであろう守るべき者。その二つに兵贄はパニックへと陥ろうとしていた。その証拠として、フリコからの攻撃を受け止める動きに今までの力強さがない。
「それ、減らしたほうがいいよ。いつかキミの身を滅ぼす。……けれどよかったね。片方は体に刻み込まれた本能のようなもので、今 キミはそこから解放されるんだから」
爆発による大地の揺れと、自重によって崩れ落ちた土の壁。その先に広がっていた光景に黒の兵贄は息を飲んだ。
戦闘の意思を完全に失ったそれへ、しかしフリコはそれにとどめをさすことなく距離を置く。
メグディエ領主の腹に一人の男が大柄な包丁を突き立てていた。様々な言葉を叫びながら。
そんな中、爆風に紛れて一体の翼人が低い場所を滑るように現れた。傍に抱えられた津島が目を見開き「チオリさん」と掠れた声を絞り出す。




