4-13 メグディエ・ティリカ
うまくやれよ。と言われたような気がした。
土の壁に遮られる間際にぱちりとあった、花の模様が浮かぶ大きな目に、チオリは唇を噛みしめる。
調理用の包丁をそのまま大きくさせた特殊な形の武器を、手のひらによくなじんだその幼い頃からの相棒を握りしめた。
わざわざ兵贄を引き剥がしてまで作ってくれたこの機会は、絶対に逃さない。
追い風が消える代わりに、小柄のナイフが宙を舞う。レヨンの武器だ。
チオリには想像しきれないほど小難しい計算によって各方向へ流された強風へ乗せて、ギリギリまで重量を持たせたナイフを飛ばす。
昔————チオリとレヨンが初めて出会った頃は、ナイフ一本飛ばせて上々という程度だったのに、今では十本単位で管理を行っているのだから恐ろしい。
変に手を出せばレヨンの計算が崩れてしまうから、あえて一般兵には手を出さずチオリはまっすぐ標的へ突撃した。
「正面の任せた」
そう聞こえた最後の声に従い、チオリはバクサアロ領主の一番近くに立ちふさがる男へ包丁の鞘を抜く。
彼の顔に、見覚えがあった。燕色の髪を持たない、母似の男。
「お前っ……!!!」
絞るような声がその男から漏れ出した。動揺が先に出たせいで隙が生まれた首を鞘で強く殴る。喉仏を潰そうという行為だ。当たりどころが悪ければ死ぬだろう。
メグディエの領主がチオリを視界に入れ、目を細める。
混じり合う雀色の瞳。彼が大柄な剣を抜く動作を待つことなく、チオリは馬から飛び降り、着地と同時に包丁を引き抜く。
突き出した切っ先をしかし難なく受け止めた領主は、チオリに眉根を寄せた。
「お前……何をしているんだ、こんな場所で」
「あんたを殺しにきた」
「ははは、笑えない冗談はよしてくれ。そんな手先で一体何ができるという」
言葉とともに突き出された剣に体を横へ逸らし、チオリは包丁を振りかぶる。もう一本の剣で受け止められ、刃と刃が嫌な音を立てた。
「まさか生きていたとは思わなかった。会えて嬉しいよ————我が息子 ティリカ。アニトシエーリのお嬢さんは元気かい」
「口を閉じろ。もうその名は捨てた。今の私はチオリ・ターナだ」
互いにバラバラな流派の剣が交錯する間で、領主は笑顔に哀れみを混ぜる。
「可愛い息子。一体どうした、お前の血は名を変えた程度で変わるわけではないよ」
「その可愛い息子とやらを兵贄の実験体にしようとした男はどこのどいつだ。罪のない人を痛めつけて、兵器へと改造するような男が父だと、私は断じて認めたくない」
くるくると舞う雀色の髪に、周囲のバクサアロ領軍が気がついた。チオリを止めるべく割り込もうとした彼らの胸をレヨンだけでなく、他のウォルノール軍…3番隊の人間たちがさくさくと刺してゆく。
「認めないと反発した結果がこれかい。いい歳して反抗期とは……それで、なんだ————私を殺す、だったか?」
領主とチオリが交わす剣先は絶え間なくぶつかり合う。浮かべられたのは、嘲笑だ。
「なつかしいなあ。お前、家を出てゆく前に、一度 毒を盛っただろう。あれには度肝を抜かれたな、調理人になりたいと言っておきながら」
「はは。あの頃から一切、気持ちは変わっていないよ。さっきも言った通り私は、あんたを殺すためにここに来たのだから」
「やれると思うのなら、やってみろ。ただし……無事に帰れるとは思うな」
領主の言葉にチオリは「当然」と口の中で言葉を紡ぐ。彼に生きて帰るつもりは欠片もなかった。だからこそ、断髪してからここへ来たのだ。
それまでチオリ先導だった打ち合いが一転、領主のものへと変化する。
みるみる間に押され始めるチオリは、やはりかと唇を噛み締める。
父親だった男は、非常にメグディエ領主らしい男であった。隣に人が並ぶことをよしとせず、自らの力量を上げることでただ一人の頂点でありつづける。そういう男だ。
自らの命を捨ててなお、叶うことのない相手である。それでもこの男を殺したい。これ以上兵贄という、この世界にあってはならない機能の犠牲者が増える前に。
「弱い、弱い弱い弱い弱い! ティリカ、俺は恥ずかしいぞ!!」
怒鳴る男にチオリは一つ、舌を打ちながら剣を受け止める。
すでに犠牲者が生まれている現実がある。今更どうこう動いたところで、これが覆ることはない。
きっとバクサアロはこの戦争で負ける。だからチオリが足掻く必要はない。
「悔しいけれど同意見だ! 私だって、私が恥ずかしいっ……!」
自らが弱いことなど百も承知であった。だからこそ土地に伝わる伝承に頼るしかなかったのだ。
神を味方にしてでもこの手で殺したい。意固地になった子供のような願望だとチオリは自覚していた。
そして同時に、それが情けなくて仕方がなかった。
領主の刃がありとあらゆる場所をかすめ、血がどくどくと溢れ出す。痛みを感じないのは脳みそが興奮状態に陥っているからだ。
血の味が広がる口が意図せず開き、そうそう出さない大声が腹から溢れ出る。
パチリと視界が瞬くとともに、頭の中に入り込む情報量が膨れ上がった。
目から不必要な膜が落ちたかのように、周囲の様子が鮮明になる。対して喧騒は、耳の手前で弾き返されているかのように遠くなった。
この感覚には覚えがある。幼い頃から体に馴染んだ補助魔法————血の繋がりのない姉、メリィ・ターナの魔法構文だ。
突然、一体なぜ。
その疑問を抱く暇すら与えまいと、バクサアロ領主は剣を振りかざす。
しかしその動きまでもがひどく遅緩に見えた。
『そんなんじゃ殺せないぞ。武器は腕で使うのでなく、下の方が大事だ。下半身』
脳裏にはっきりと、低い声が響いた。幼い頃から何度も武器の使い方を教わった兄——エグバリー・ターナの声だ。
『最後まで思いやれ。殺される側の気持ちを考えるといい。それが命を奪い、その責任を負う者のつとめだ』
怖いと思われがちだが、優しい光を讃えるその目に、何度背を押されたか、何度許されたか。
そしてその優しさは、この期に及んでチオリを許そうとするのだ。
『焦りは何も生まないからな。狙いを定めろ、————さあ、行け!』
×××
砂埃を引き裂くようにして兵贄である翼人と津島が滑り込んできた先で、フリコを含め生きているものも死んでいるものも、多くの人間がメグディエ領主の最期へ目を向けていた。
なぜだ。と、メグディエ領主が整えられた顎を動かす。
共に雀色の髪を砂に泳がせつつ、チオリは問いに答えない。包丁を引き抜き、胸へ、腹へと、次々に穴を開けてゆく。荒く上下する肩。包丁を突き立てるたびに喉から漏れ出す、チオリの声。
やがてメグディエ領主は地面へと崩れ落ち、チオリは満足げに天を仰いだ。肩から力が抜け、それまで彼を支えていた紐が切れてしまったかのように、膝が地面につく。満身創痍というように横になった彼の腕からは、返り血でない、彼自身の血がどくどくと溢れ出ていた。
「チオリさん」
津島の掠れた声にチオリが小さく反応し、未だ殺意の溢れる瞳を向けた。
「ああ……カズ、カズか。やってもうたよ、わたし」
歪に歪められた口角が、言葉を紡ぐ。
「おとうさん、殺しちゃった————」
はらはらと涙を流しながら再び包丁を握りしめる彼にフリコは全身を震え上がらせる。
「アンジュ、彼を!!」
三番隊隊長を呼ぶその響きに反応したのはしかし、津島と その隣に佇んでいた翼人であった。
駆け出そうとする津島を脇に抱えなおし、広がる血の隣で座り込むチオリを拾い上げる。そして瞬く間に、人の手が届かない場所へ舞い上がった。
「えっ、うそ!! ちょっ」
やって来たとたん間抜けな声をあげたフォーンを尻目に、その姿はどんどんと小さくなる。
従って黒い兵贄も同じ方向へ地を蹴った。兵贄の成功隊だけあって、その足は速い。
フリコは体を折り曲げ、バクサアロの領主の首を落としながら叫んだ。
「フォーンくん、五番隊に協力要請! 可能な限り早い、飛行可能な足で逃亡した兵贄を追って。早く!!」
指導者を失い愕然とする、また、激昂する敵兵はどうなろうと構わないが、兵贄や津島は例え一時であれ野放しにしておける存在ではないのだ。
馬に声をかけ、あわてて身を翻す二番隊の兵士フォーンを見送り、フリコは切り落とした首を掲げる。
それでも危険性は薄いと彼は思っていた。
なぜなら兵贄たちは去り際、主人だったものをいたわる様子が一切なかったのだから。




