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紙上史  作者: こーりょ
4 紙に例えられた世界の上で、二人が綴る短い歴史
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4-11 戦地にて02

『……ツシマカズネ? 君、この子達に何をしたの』

 かつて双子の翼人を腕で覆い、不満げな表情でこちらを睨んだその顔は、それでも幸せを感じさせるものだったのに。


 偶然先ほど思い出した翼人本人がここにいる。まさかまた、こうして遭遇することになろうとは。

 地図屋と雰囲気が似ている気がしたが、今は全く類似点が見当たらなくなってしまっていた。

 刀を持つ手が誤魔化しようもないほどに震えている。武者震いとはまた異なる震えだ。

 それを見とめた瞳がわずかに細まり、気がつけば剣が津島の刀に叩きつけられていた。ガンと重い音が響く。至近距離で覗く彼の顔はやはり作り物のように綺麗で、その白い皮膚の下に流れる血液すら想像が難しい。

「ウォルノールの様子がおかしいと思ったが、まさかたった一人の人間が僕の対抗馬か?」

 翼人の厳しい目つきも記憶のものと変わらず、しかし顔の位置が近いのは津島の身長が伸びたためだ。津島を覚えているはずもない翼人は、ためらいなく長い剣を振るう。それを必死に受け止めながら必死に頭を動かした。ウォルノール国領内で出会ったはずの彼がなぜここに居るのか。彼が兵贄で間違いはないのだろうか。そして、彼の名前は一体、なんだっただろうか。カタカナで五文字くらいだった記憶がある。


 その剣に、自分は腹をえぐられたんですよ。と言おうとしてやめる。どっちにしろこの男は殺されなければならないのだ。受け身一方だった剣先をねじって斬りかかる。

「ウォルノール軍、 津島和音! 私は、あなたを殺すためだけに、ここまで来ました」

 それまで濁っていた青がとたんに光を取り戻す。楽しげに挙げられた口角はしかし、間もなくして下された。

「セロ・メグディエ。 第12軍 兵贄23号。やれるものなら、やってみろ」

 上から振り下ろされたものを右へ、体で突き飛ばそうとするもひらりと交わされる。一瞬で組み上げられた干渉術があぶなく津島の頬をかすめ、黒髪を焦がした。全神経を彼に注がなければあっという間に心臓を突き刺されそうだ。

 一度距離を置こうと地面を蹴る。不思議なほどに体が軽く、元の世界では考えられないほどの跳躍に動揺する。しかし、すでに津島の体は記憶という糸にぶらさがる人形であった。なにに恐怖を感じようとも、四肢は戦闘を求めて激しく動き回る。

 すごいと思った。自分の足や腕、指は、こんな風に動くのか、と。


 天から放たれる炎に続き落下の速さを乗せた剣先をどちらも受け流し、そのまま斬りかかる。

 一度距離を置いて、流れを断つ。相手の隙など探そうものなら ただの睨み合いになってしまうだろうから、あえて津島から足を踏み入れる。

 視界の端に映る煙がやたら遅く感じたが、直後に受けた剣の切っ先で 翼人の動きが早いのだと考えを改めた。



 そんななか、戦いが長引くにつれて生まれる異変を津島は確信していた。彼の頭の中は戦闘による興奮に反し、風のない水面のように静寂を極めていたのだ。

 魔法構文とは異なる響きの詠唱と、津島が振るう斬撃の放つ気配。二人の戦闘が生み出す空気は、この世界に属する存在にとって決して心地のいいものではないだろう。


 五度目の刃のぶつかり合いにとうとう世界は耐え切れず亀裂が走った。そこから音を立てて溢れでるのは、群晶。さすがに驚き、たたらをんだ。

 世界から歪妖の王に勘違いされた少年と、世界が想定しているより遥かに大きな魔力を身に宿す兵贄の成功体。二人が刃を交わすにつれ、干渉術を放つにつれ、二人を取り囲うようにしてみるみると群晶は質量を増す。

 世界が、ゆがんでいるのだ。ジェリクスのいうことが本当ならば、このまま戦い続けることで世界に穴が開けることができるだろう。


 そんな中、混乱を人の声が断ち切った。増援だ。我に返ったウォルノール軍勢がバクサアロ領へとなだれ込み、戦場は一瞬にして騒然となる。


 しかし目の前の翼人は、もとより他の軍人など興味にもとめていないようだった。自国軍が押されているにも関わらず、まっすぐ前を——津島を見据えていた。23号など嘘だ。彼には番号でない名前があった。それが思い出せない。呼べればこの状況もわずかに変わりそうなのに。焦る津島の心境を考えることなく、翼人からはつぎつぎ剣が突き出される。

 思い出せ、早く。彼の名前を————


『このまま聞け。返答はいらない』


 彼の口から、干渉術の詠唱とは異なる言葉が小さく漏れた。それは舌ったらずでありながらも意味を持って津島の脳裏に入り込む。

 ふとこの世界にきてから自分が使っていた言語がわからなくなって、思考の海に溺れかけた津島を、しかし翼人は切っ先で引き戻す。


『僕たちにウォルノールと戦う意思はない。けれど無理やりメグディエに従わされている以上、君にも、ウォルノール軍隊へも力を振るわなければならない』


 周りの耳を気にしての判断か、それはまごうことなく津島の母国語であった。こちらの世界には存在していないはずのものだ。


 そうだ、日本語はこちらに存在しない。なら自らが今まで自然に使用していた言葉は一体なんだと、そしてどこで会得したというのか。

 力が緩められることはなく、切っ先による殴り合いはずるずると横に移動している。


『僕たちはもう、メグディエに戻りたくない。……力を貸してくれないだろうか』


 力強い瞳が剣の向こうから津島を見据える。彼に嘘をついているそぶりはない。

 小さく頷けば、彼は「感謝する」と小さく目尻を緩めた。


『僕らの意思は、一人の男————セロ・メグディエの領主が握っている。だから君に領主を殺して欲しい。これから15秒後に周囲へ煙幕を起こす』

 秒などという単位を空以外の口から聞くのも初めてだ。うっかりすると日本語に流され、こちらの世界の言語を忘れてしまいそうになる。

 混乱で視界がぐらぐらと揺れ始めた津島に、翼人はふふと口角を上げた。

『にしてもツシマカズネ。僕が言える立場ではないが、君の太刀筋は流派がめちゃくちゃだ。前と比べ戦えるようになったのはいいことだと思うけどね』

 今度こそ動きが止まる。かわし損ねた翼人の拳が顔面に叩きつけられた。細い腕に反し力が強い。顔から地面に崩れ落ちた津島を動揺の瞳で見下ろしつつ、翼人は組み上げていた干渉術を一思いに発動させた。


 人間の使用する魔法構文とは異なり、自然全てを味方につける干渉術。その力は強大で、難なく地盤が音を立てて割れた。大地から離れることのできない人間は抵抗する力もなく落ちてゆく。人や馬の嘶きが津島の耳に押し寄せる中、翼人は津島の体を脇に抱えた。


 二度目だ、と津島はつぶやく。爆風は絶えることを知らず、次々と上がる土煙は見事に津島たちの姿を隠す。どうしようもなく悲しくなった。津島を抱えてもびくともしない彼の腕から、森の香りに混ざりどこか歪妖と同じものが感じられたのだ。

 彼が生きているという事実にどうしようもなく安堵し、今にも抱きつきたくなってしまう。思い出してはいけないと自分でかけた鍵は、音を立てて砕け散っていた。


 

————牢屋に入れられる直前の記憶は明るく、そして熱かった。



『人間は識を——意思を操る術を持たない。つまるところ兵贄の意思は、ひどい痛みによって制御することになっている。

 僕の場合それより前……兵贄になるための実験段階で痛覚のほぼ全てが麻痺してしまったのだけど』


 短い飛空時間の最中、翼人の早口を必死に聞き取る。


『兵士を操る痛みの起点は腕に構文を刻んだ一人の指導者。僕はその指導者を殺して欲しいと、君に言っている』

 大丈夫なのだろうかと、僅かな不安が頭をよぎった。

 指導者を殺すことはつまり、枷を外すことだ。ここで素直に従って、この翼人は絶対に人を襲わないのだろうか。


『不安に思う気持ちはわかる。けれどどうしても救いたいんだ——友を。もう一人の兵贄を。彼は』

 言葉の合間に大きな破裂が起こる。

『彼は、君と同じ世界の人間だ』


 その言葉を最後に翼人は地面へ滑り込んだ。そしてその光景に津島は息を飲む。


 チオリ・ターナがいた。

 彼は翼人が語った指導者——バクサアロ領セロ・メグディエ領主の腹に深々と刺さっていた大柄な包丁を引き抜き、津島たちの眼の前でもう一度、突き立てた。


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