4-10 戦地にて01
覚悟はしていた。これは戦争なのだと。
人が死ぬところは、狩猟ギルド【ぽぽーん】の活動でも何度か見てきたからだ。
しかし、実際の戦争は、そんなちゃちな覚悟を大きく上回るものであった。
「“俺と同じ髪と目のいろをした男”——見つけたぜ、あんたがカズネ ツシマだな」
土の魔力を大きく吸い寄せる場所へ向けてまっすぐ馬を走らせてきた。
そこに人間では到底叶うことのない人型の兵器——兵贄が居ると聞いていたからだ。
津島ならその意識を引きつけられて、人間同士で戦う環境を作ることができるのだと、フリコは言っていた。
けれど、完全に腰が引けてしまった。
なにせ津島をかばうように前に出ていた五十を超える人間が、一瞬で十数人になってしまったのだから。
×××
年明けを生き延びた生命への祝福と言わんばかりに空気は澄み、草花は露で煌めいていた。
早朝であるにもかかわらずせわしなく人が動くテントの合間、少し開けた場所で体を温めてから朝食を口にする。
先行隊の一行に混ざり、いよいよ訪れたそのときに心臓の音が耳の裏まで響いている。隣の馬にまたがったチオリが津島の背を軽くさすった。
「そう硬くならんでも大丈夫やって、きっと」
その暖かい手に礼を述べ、すこしだけ落ち着いた心で前を見据える。
前髪のピンを指の腹で摩り、背に戻った刀の重みを受け止めながら「サンデア」と心の中でつぶやいた。
津島の周囲は、これでもかというほど、人に囲まれている。
たった一人で戦わなければならないのかと不安に襲われていたかつての自分に教えたい。強力な味方たちからちらちらと向けられる疑心の目などあえて無視して、背筋を伸ばす。そうだ、たった一人が負けた程度で、この国が揺らぐなんてことはない。不安に泣いたかつての自分は、そう、なにか大きな勘違いをしていたのだ。
ぷわんと一つ、大きなラッパが鳴った。それを合図に土煙が舞い上がる。数多の馬が地面を揺らし、軍勢が前へ前へと風を切る。それに負けじと津島も手綱を引いた。馬の乗り方はすでにフォーンから教わっている。知った顔が津島を取り囲み、その周囲をさらに他の隊のものたちが取り巻いて、出来上がった一隊を引くのが四番隊隊長だ。
進むにつれて心のそこがカッカと熱を持ち手が震える。それは不安や恐怖ではなく、武者震いだった。この戦場で対峙する兵贄とやらがどれだけ強いのか、心が高鳴って仕方がない。いっそ回収なんてなくたっていい。バクサアロ領へ乗り込む気概だって湧き上がるほどの、興奮があった。
「話で聞くより頼もしいですね、これ!」
「カズくんテンション高ない? 絶好調やね」
チオリが苦笑うのも気にせず、津島はあたりへ視線を巡らす。
たくさんの人が津島のことを守るように囲っている。その事実は今までの人生が馬鹿らしくなる程、素敵なことだった。まるで自分が主人公になったような、そのことで人に好かれる要素を一つ手に入れたかのような錯覚すら感じられて、鼻の奥がつんとした。
「チオリ、どうして髪の毛切ったの」
ふと津島の後ろから、戦場に似つかわしくないレヨンの静かな声が鳴り、フォーンが笑う。
「雑談とは余裕だね」
「えへへ、願掛けやで。叶ったあとは切れそうにないし、先に切ってしもうた」
「一体なにに願をかけたのかなって思ったんだけど」
「それは……ナイショ」
チオリは言いにくそうに唇をまごつかせた。
エリギではソラリス神ではなく、古くから伝わる「大地に宿る意識」が信仰対象となっている。
民には強く願ったことを実行に移す際 もしくは叶ったときに伸ばしていた髪を切り落として捧げる習慣が残っており、鋏を任されるのは、願を掛ける当人にとって最も大切な存在、もしくは願に強く寄り添う者が良いとされる。
そう、ベニヒが神の子供である空に頼んだように。
そこでベニヒの瞳が津島を向いた。その頭髪や身なり、武器すべてが過去のものより格段に整えられているのは、彼女が目的以外に目を向けて、気を張れるようになったことを示している。かつての彼女であればブーツではなく、サンダル姿で戦場に立っていたことだろう。
津島の考えていることを読んだかのように口角を上げ、まっすぐに前を見据えた。
「私には大切な仲間が居ると、やっと理解できたよ」
彼女の唇から言葉が漏れる。
「だから、神に胸を張って死ねる人間になろうと思う。寿命を全うしてやったと自慢できるような」
だからこそ——と、言葉は続く。
「こんな場所で死ぬわけにはいかない。レヨンやチオリ。そしてお前もだ、カズ」
「……はい、頑張ります」
変わることのできたベニヒが輝いて見えて、津島はありきたりな返答以外が思い浮かばなかった。
魔力の流れを読むことに長けた者の号令が響き、大所帯だった隊が分裂する。
兵贄は、とにかく魔力を消費するのだという。普通に生きている分には人と変わりないが、問題は然るべき使い方——つまり兵器として扱う場合だった。
『世界が想定していないほど一つの存在に魔力が集中することになる。するとどうなるか』
昨夜聞いたフリコの言葉が脳裏に浮かぶ。
『歪みが生まれるんだ。一点に力をかけると紙は簡単に破けてしまうようにね。
つまり兵贄を生み出すことは、結果人工的に歪妖を作り出すことと変わりがなく、世界を作り出してくれた神への反逆といっても違いない行為なんだよ』
だから最終的には殺さなくてはならないのだと彼は言った。
遠方からの迎撃は互いに同程度の魔法構文で無効化しているらしい。上方を飛んでゆく光の矢が綺麗とさえ、思う余裕がその時はあった。
そうして進むこと幾ばくかして、その余裕は微塵も残さず吹き払われることになる。
突如として現れたその人間は、非常に小柄であった。
身長は150cmほどだろうか。この世界にやってくる前の津島よりも低いことは確かである。
バクサアロの兵にしては服装がラフだ。大柄のパーカーを一枚に、泥だらけのブーツのみなのだから。
大型犬のような魔物を六体引き連れた彼は、津島たちの緊張などお構い無しに言葉を続ける。
「話に聞いたときはまさかとは思ったが本当に同じ色だとはなぁ。なんだか嬉しいぜ」
口調に反して声は高く、厚みのある上着から伸びる脚は細く女性的だ。
風になびくほどに余った袖は手を、深くかぶったフードは顔をすっぽりと覆い隠し、両耳から下げられた金の装飾が影からわずかな光を反射している。
彼は引き連れた魔物群と彼自身の脚で多くの人間を落馬させ、瞬く間に無力化してみせた。
軍人が弱かったのではない。彼らがそれだけ、人の動きに対する弱みを知っていた。
彼が、チオリ達の言っていた兵贄なのだろうか?
浮かんだ疑問に、津島は首をかしげずにはいられなかった。確かに人間離れした戦闘能力だが、特別その存在に違和感があるわけでもないからだ。強いて言うならばフリコや、随分と前に会った翼人に似ている。あくまで自然に逆らえない立場である人間とは異なり、自然と交友を持ち力を分け与えてもらっているような。
「苦労させられたぜ。どこに居るかと思えば、軍に隠されてたとはな。依頼人も依頼人だ。俺は郵便屋でも探し屋でもねえっつってんのによ」
しかし残念なことに魔力の流れはよく分からない。まるで意思を持って分散させられているようだ。
つい口が動いた。
「自分を、探して?」
「そうだよ、昨年の真ん中からずっと。ずっとだ! 非常に疲れた 」
前で槍を構えるフォーンからたしなめの視線を受けて、続く質問を飲み込む。一体誰からだろうかと、浮かんだほのかな期待を押しとどめた。
「頼むからどうか、先走らないでくれ」
フォーンの小声に「わかっとるよ」と津島の隣から声が鳴る。
どうやら正面に立つ彼には、自ら人を襲う意思はないようだ。
現に津島の元から離れなかったベニヒやレヨンを含める軍人達は、未だ馬の上にいる。
「何用だ」
「わかってると思うが俺に戦う意思はないぜ。ちょっと場所が悪かっただけだ」
フォーンの問いに答えながら両裾を揺らし、すとすとと距離を詰める彼に槍を突きつける。
「それ以上近づくな。戦う意思がなくとも、今がどういう状況か分かっているだろう。もう一度問う、何用だ?」
「……ま、それもそうか。言伝だよ、伝言。頼まれてきたんだ。」
やれやれと息を吐いた彼は小さな口を引き上げ、フードの下から黒く大きな瞳で津島を見据えた。
『待ちくたびれた。かつてのセネスリードで待つ』
ふわりと、風が吹いた気がした。フードの両脇からこぼれた細い髪束がそれになびいて揺れるのを目で追う。
膨れる期待を乗せて、口を開く。
「……誰からの伝言ですか」
「お前が今 思い浮かべた人から、って言えば伝わるってよ」
もう用はないと背を向けたその人に、津島は我慢できず声を張った。
「伝言ありがとうございます! そ、そのっ、あなたは」
「名乗るほどのもんじゃねーよ。強いて言うなら……人からは地図屋と呼ばれてる」
その言葉に、詰められていたフォーンの意識がぶれた気がした。動揺だ。
近くにいるレヨンやチオリも、目を見開いている。耐えきれず、といった様子でベニヒが口を開いた。
「地図屋……それは意味を持った名称の方か」
「ご想像に任せるよ。どちらにせよ、俺には願いを叶えるなんて力はないから期待するだけ無駄だぜ」
その言葉を最後に地図屋は、うさぎが跳ねるようにして姿を消した。
地図屋という言葉に、この場の皆が心を揺らしたのは何故だろうか。否、それよりも
「かつての……セネスリード?」
それは翼人の街の名だ。かつてとは、一体どういうことだろうか。伝言は誰からのものか。
何かが掴めそうな気がして、親指を口に当てる。そのとたん、ずきりと頭に痛みが走り思わず目を閉じた。
「被害がでかいですね……」
ひどく小さくなった隊のどこからか声がした。
「どうしますか、フォーン。戻って魔力使いの補充だけでも」
「いや、この隊の目的はカズくんを兵贄まで送り届けることで、他の隊と戦うことじゃない。幸いここから距離もないようだし、このまま行こう」
「正気か? 今の小娘や魔物のような戦い方をする奴らが、他に向こうにいたらどうする」
「確かにこちらも想定していなかった。いい勉強になったよ。けど……今の相手がもし本当に地図屋なら勝てなくて当然だ。それに」
隊の戦闘を引いていた者が地図屋にやられた結果、指揮権は自然とフォーンに移ったらしい。他の軍人と話し合うその表情は、普段とは完全に切り替えられている。
彼が自称する通り、彼が本当に軍のしたっぱならば考えられない状況だ。やはり嘘をついている。何故かはきっと、考えたところでわかるような話ではないだろうが。
結果、前へ進むこととなった。
四番隊隊長率いるフリコたちの隊が、兵贄の一人とぶつかったらしい。こちらの行動が遅くなることで不利になることを思慮したのだ。
地図屋の襲撃により五分の一となった隊で前へ進み始める。
各所から破裂音に、遠方からの攻撃範囲が変わったことを知る。やがて戦場の空気が、するりと変わった。
見えない扉をくぐったかのようにして変わったのは香りだ、森の香りがする。
それに加え津島たちの背を押すように強い風が吹き始めた。
津島たちを待つ存在の纏う空気が、ここまで伝わってきている。しかしそれから伝わってくる人間性はひどく優しいもので、兵贄というものが一体なんなのか、興味が湧く。
兵贄の感情に強く反応した魔力が振動を起こし、熱を生んでいるようだ。人が使う魔法構文とは大きく異なる蠢きに、津島を囲む皆も気がついたらしい。「これが兵贄の気配かな……?」と、フォーンのつぶやきが溢れた。
馬の中でも気配に敏感な個体が、次第に人の言うことを聞かなくなる。混乱が起きる前にと出された指示で隊列から外れる者が現れ、フォーンやレヨン、しまいには津島の馬さえ、使い物にならなくなっていた。
「いいよ、逃げて」
あまりに可哀想になって、その背から降りる。ウォルノール軍の基地へと走り去ってゆく背を見送り、バクサアロへと顔を向けた。
ひとえに戦場といえどそこは広い。
しかし、目的はすでに目の前にあった。
ぽつりと一人の男が立っている。
「カズ」
隣のベニヒが喉を震わせる。
「あいつだ」
津島は小さく頷き返した。
たった一人。それまで周囲を取り囲んでいた隊や、先ほど対峙した地図屋とは違う雰囲気。それは明らかに異質で、どこか歪んでいるようだった。だからこそ、一目でわかる。
馬が使い物になったのなら、それで踏み潰すことも可能だったろう。それほど無防備に男はいる。そこが戦場であることを忘れるほどの静寂のなか、津島はフォーンたちに言葉を残してひとり前へ出た。
そしてその全身を認知する。動かない表情はまっすぐに津島を見つめ、硬く結ばれていた唇が解かれる兆しはない。広い湖から流れだすせせらぎの音や、そよそよと揺られる花に虫や鳥の息づく音。そういったものが感じられる香りは、確かに彼の纏う空気そのものであった。丈の長い白のローブが、足首の近くで揺れている。
「嘘……」
思わず声が漏れた。
彼と、津島。二人がぶつかり合う場所が前線となることを示すように、数km後方に残るバクサアロ軍勢がずらりとその眼球を並べ待機していた。対して津島の後方でも小編成な隊が固唾を飲んでこちらを見守っていることがわかる。
偉い立場の人間は見受けられないが、わずかに離れた隊に居るのだろう。フリコ達の隊がそこへ突撃している音は、少し前からこの耳にも届いていた。
高鳴る心臓を抑える。皆の目線が、自分と、目の前の彼に注がれている。
「あなたは」
津島のつぶやきをかき消すように、兵贄との遭遇を知らせる合図が天にあげられた。
佇む男に覚えがある。
実際に会話したのはたった半日にも足らない期間。けれど、強く強く記憶にこびりついた顔だ。忘れるはずもない。
首にかかる灰色と青を混ぜたような髪や、頬の横で前髪を結う白い布飾りは記憶のままなのに、水晶のように透き通っていた青の瞳は薄暗く濁っている。
人前では身につけるのがマナーだと言っていたローブを、彼は自ら地へ落とした。こぼれ出た大きくも美しい羽が戦場を彩る。
「…………どうして、あなたが」
それはかつて翼人の村セネスリードで出会い津島の腹を抉った、翼人の青年だった。
エフセリア前回登場話は2-11 角のある少女(https://ncode.syosetu.com/n2417cb/29/)です。




