4-07 年明け
ひどい頭痛に目が覚めた日から、記憶の夢を見ることはなくなった。記憶の矛盾は解消できず、ここに入れられた原因すら思い出すことはできない。それでも諦めず目を閉じる。夢を見ずに目が覚めたときは必ず「サンデア」とつぶやいて、不必要な焦りを、不安を外へ外へと追い出してゆく。最初は居心地がよかった牢のなかも、目的を思い出してしまった今ではもはや苦痛でしかない。最後の記憶は、どこか明るいことだけを覚えていた。
「空」
あの大きく、子供体温の手のひらが懐かしい。やかましい笑顔が、そしてときおり見せる素の表情が。今彼はどうしているのだろうか? 危険な目には合っていないだろうか。一緒に帰るという夢を、まだ持っていても大丈夫だろうか。
固い石を叩く一人分の足音に目を開ける。いつの間に浅い眠りについていたらしい。フリコが戻ってきた。……彼が軍人であることを、忘れていたことに気がつく。
年末は軍の拠点内も普段と比べ静かなものだろう。普段であれば周りに三人はいる部下も今日は居ない。なにも考えずに話していた。砂漠へ行ったことも、巨大な“はずれの魔物”が目の前で消えたことも。今にしてみれば危機意識が足りていない、愚かな行為だったと思う。それでも彼へ一度抱いてしまった好感を打ち消すなんて器用なことはできない。津島は「おかえりなさい」を言うため、今日も扉が閉められる音を待つ。
……コツリ
勿体ぶるように鳴る足音は、しかしフリコの牢を横切った。厚い壁を越えて、それは確かに津島の牢の前で立ち止まる。それまで見つめていた床に、細長い影が差しこんだ。
「……今日はおかえりなさいって、言ってくれないのかい?」
伸びやかなフリコの低い声に、視線だけを持ち上げる。鉄格子越しに見えた色の薄い皮のブーツは小さく、そこから白いタイツに包まれた足がすらりと伸びている。
それまで感じていた印象とは正反対の身なりに弾かれるようにして顔を上げた。
そこ立っていたのは可憐な少女だった。ピンクを基調とした、フリルをふんだんにあしらったスカート。ウェストを引き締めるコルセットを覆い隠すのは、軍服と同じうぐいす色のポンチョ。手のひら二つ分のリボンが胸元を飾っている。背丈はおよそ150cmほどの小柄なものだが、肩にかからない程に短い髪をかき分け伸びた鹿のツノが、その存在を非常に大きく見せていた。
目の上で切りそろえられた白い前髪の下で、大きな瞳が燗と瞬く。黄色をしたそこには、人外であることを知らしめるかのように花の文様が浮かんでおり、動揺する津島を面白そうに見つめていた。
「その顔、やっぱり飽きないな」
小さな口から零れる男の声が、その少女のことをフリコだと証明している。気づけば牢の扉は開けられていて、彼はそこから津島に手の平を差し出していた。
「カズくん。外へ行こう」
一体なにを言われているのか、理解が遅れる。我に返ったときフリコは津島の前でしゃがんでおり、膝を抱きしめる手をほぐすように包んでいた。
「今に年があける。世界の呼吸を、見にいこう」
すくわれ、引かれるがままに走り出す。手洗とは反対の、外へ続く石の扉を押して、階段を駆けあがる。息を切らす暇もなく、気づけば建物の屋上に立っていた。冷たい風がフリコと津島の髪をなびかせる。久しぶりの天に言いようもない懐かしさを感じ空気を深く吸い込めば、喉を冷気が刺激して————そこで違和感に気がついた。
「薄い……」
空気を構成する魔力が、弱まっている。
そう高度のない石造りの塔は森で覆われており、地上では宴会をしているのか、なにやら意味のない叫びが聞こえる。魔力が薄いせいだろうか、ぐるりと見渡す景色もどこか彩度が低い。
フリコも同じように風に服をたなびかせ、天を見上げたきり何も言わない。その背は小さいはずなのに妙に大きく見えて、津島はそっと息を飲む。
やけに静かで、平穏な時間。しかしそれはわずかな間の予兆であり、びゅうと耳をなでる特別強い風を合図に周囲が暗くなる、まるで電源を落としたように。夜らしい夜の訪れだ。
宴会の声がポッと賑やかになったかと思いきや、次は周囲から音が消える。風呂に沈み、ひとり目を閉じた時のような。不安になってフリコに一歩近寄れば、その意図を察した彼の手が、津島の手を包み込んだ。
心がざわついて、落ち着いてなんていられなかった。今にもここから飛び降りてどこかへ逃げ出したくなるような不安が湧き上がり————
全てが終わるように、世界が弾けた。
静寂に慣れた耳にその音はあまりの衝撃だった。あらゆる場所を起点とする爆風が髪を服を引き、木のざわめきに負けじと張られた魔物の声を裂きながら、空気が魔力が光が音が、四方八方に駆け巡っている。体が心を置いて遠くへ飛ばされそうだ。地面から膨れ上がった魔力が、大気を溶かして割れて弾けて、天へ昇ってゆく。風は収まらない。それでも突如明るくなった視界に津島はそっと瞼を押し上げた。
暗い天に向かって次々に立ち登る蒼い光が、槍となって天の終わりを波立たせている。
どこかで、空もこの景色を見ているのだろうか。
「カズくん! 聞こえるかい——!?」
フリコが風に服をぐしゃぐしゃにされながら声を張り上げた。
「きっ、聞こえます!!! な、なにこれ! なんですかこれ!」
風に引き裂かれないよう声を張り上げる合間にもまた、近場で破裂が起こり天へ光が立ち上る。そして一つ破裂が起きると、つられてその周囲でも破裂が起こる。今まで薄かった空気が、これでもかというほど密度を取り戻してゆく。
「これが世界の呼吸さ、地上の生物により消耗された魔力と! 世界が吐き出す新しい魔力が入れかわっているんだ!!!」
胸元に着いた大きなリボンが風にあおられ、フリコの顔を叩く。暗かった天が嘘のように、いたるところから昇った光の柱が世界中を照らしていた。暗い牢の中にいた津島には暴力的とも言える光量に目を瞬かせながら、それでも心が洗われたような感覚があった。悩みとかそういったものが全て光とともに天へ打ち上げられるような。
やがて風も破裂も落ち着いて、魔力と光溢れる新しい空気をかみしめる余裕ができた頃。ひときわ大きく聞こえた地上の歓声が、その実感を湧き上がらせる。
自然と止めていた息を大きく吸い込むと、目から涙がボロリとこぼれた。
宴会の声が遠くに聞こえる。全てを飲み込むべく暴れていた世界は凪ぎ、天の終わりも波が収まると同時に姿を消した。
「————年が明けた。人の体に力が戻った。さあ、この状況で起こることといえばなんだと思う?」
静かな風にもかき消されそうなほどの声が、雑音を押しのけて耳に入り込む。普段地下牢で会話をしているときより声が高い。まるで本当の少女のようなそれに津島が答えるより早く、背を向けたままのフリコは言葉を続けた。
「戦争だよ」
「戦争……」
「僕は言わなくてはいけないことがある。あえて話題には出さなかったけれど、君はもうすでにあの牢屋で一度年を越している」
だから、とフリコは大きく息を吸い込む。
「今回は、きみと僕が出会ってから一年と、三周と二日経ったことになる。それだけしてやっと、こうして顔をあわせられたね」
柔らかくスカートを翻し、フリコは津島と向かい合う。
石レンガとブーツがぶつかり高い音を立てた。年が明けたからだろうか、聞こえる音の一つ一つも透き通っている。
「改めてはじめまして。僕はダル・ペグゼジュード・リェス・フリコ=ハルヴォ_アゼール・ウォルノール。一番隊かつ三番隊の隊長を担っている。本来であればペクゼジュードが名前だけど、それだと可愛くないからフリコって呼んでね」
指先まで整った軽い一礼に、角が空気を大きく引き裂く。
「隊長さん?」
「うん、隊長さん。昨年は神の再現のおかげで戦争も収まりを見せていたけれど、今年はそうもいかないみたいだ」
長い睫毛が、黄色の瞳に影を落とす。もはやその様子は、世を憂いるただの可憐な少女だ。
「そんな身構えなくても大丈夫だよ、もう少しの辛抱だから。もう少し、目的が果たされるまでのね」
その意味を尋ねる勇気は出なかった。なにか聞いてはいけないことのような気がしたからだ。
地上の歓声を聞くのも、生まれ変わった世界を楽しむのもそこそこに、彼は「案内したい場所があるんだ」と踵を返した。室内は再び暗さを取り戻し、薄暗い照明も安定して光を放っている。目的がなんであろうと、フリコの優しい声色に嫌な予感はなにもなかった。きっとこの人に任せておけばなにもかもがうまくいくと思わせる、そんな力が彼の声にはあった。
その予感が間違っていると思い知るまでにも、そう時間はかからなかったが。
————二人分の足音が石造りの廊下に響く。地下六階ほどで足を止めたフリコは見張りの軍人に両手を合わせた。
「早速でごめんね、彼に中の案内を」
そして常置してある面会用の帽子を壁から取り上げ、津島の頭に乗せる。
「いいかい、君が誰であるかを悟られてはならない。中で声を出してはだめだよ」
優しい声におずおずと頷く津島の顔は、帽子のツバから垂れる布によって隠された。さながら養蜂家だ。内側からなら透けて見えるので、視界に支障はないけれども。
踏み入れた扉の中は津島が暮らすフロアとさほど変わりない。廊下を挟む合計八つの牢屋たち。敷居となる壁に貼り付けられた青白い照明は、年越しを経てその明るさを取り戻している。強いて言うなら牢の内部がわずかに広いくらいか。老人や中年の男性、はたまた若い女性など、様々な層の人たちがそのスペースを持て余しているだけで、他に目につくものはない。意図がわからないままそれまでと同じように一番奥の牢を覗き込んだ。
どうせ他の牢屋と変わらない様子なのだろう。という憶測は、その瞬間に崩れて落ちる。
「あれ————カズ?」
なぜここに。
牢内からかけられた細い声に応える間も無く、見を翻した。帽子を脱ぎ捨て、階段を下る勢いをそのままフリコの胸ぐらに押し付ける。
「フリコ、なんであの子たちがここに!! なにをしたって言うんだ、言え、言えよ!!」
牢の中にいたのはすすり泣く幼い少女を必死にあやす、津島と同じ年齢の少女。
港町ブラウの外れに住んでいるはずの、児童養護施設にてかつて軍人に襲われていた少女 イコと、畑の一人娘 ジェリクスだった。
「最後の挨拶だよ?もっとゆっくり、顔を見ておけばよかったのに」
花を浮かべる黄色の瞳は、津島を真正面から見据える。落ち着いた声色にカッと血が熱を持った。
「どういう意味ですか、今すぐ彼女たちを解放してください! 彼女たちが一体なにをしたと……」
「言ったところで君に理解できるとは到底思えない。彼女たちは戦力だ。さっき話したろ、戦争が始まる。罪を犯したものにはそこで精一杯働いてもらって、最後に殉職という綺麗な死を与える」
「バカを言うな!! あの子たちは罪なんて犯していない、犯すような子たちじゃない……。戦力になら自分が。あんな女の子より自分の方がよっぽど戦える。今すぐに彼女たちを解放して!! 今すぐに!」
生まれてからこのかた、ここまで大声を出したことなど数える程しか無い。怒り方がわからず、先走る感情に置いていかれた声がひっくり返る。冷静でないという自覚はあった。あっても、強く波打つ感情の逃げ場が見つからない。軍人用の武器が扉の外側にあったはずだ。開け放たれているそこへ行くには二秒とかからない。認めさせてやる、絶対に。
津島は全神経を使い、フリコの一挙一動を追いかけようと身構る。しかし、
「よし。言ったね? 今の言葉を取り消させるほど、僕は優しくないよ」
そう言うなり、細められていたフリコの目はにこりと一転した。その愛らしい笑顔に感情のうねりはあっけなく納まり、同時に気がつく。ーーはめられた、と。
「その言葉が欲しかったんだ」
いたずらが成功した子どものような笑顔で、いまにもその場に崩れ落ちそうな津島の右手をそっとすくい上げた。
「安心して、ジェリクスちゃん達はただの交渉材料として、この半日を過ごしてもらっていただけ。君から入軍の言葉を引き出すためにね。もっと手間取ると思ったから五日間は粘る必要があるかと思っていたけど……まあ、どういう返答であれ確実にブラウへ帰すつもりではいたよ」
などと言いながら、彼は初めての握手に抜けた歓声を上げる。
一体どういうことかと混乱する津島に、フリコはいたって簡潔にその狙いを口にした。
「君が欲しいんだ、この軍に。他ギルド団員の引き抜きは褒められた行為じゃない、けれどなりふり構っていられる状況でもなくてね。君の口から宣言をさせる形になってしまってごめんね」
軍は国一番の規模をほこり、秩序になり得るギルドであるからこそ、なおさら守ら無くてはならない線がある。仕方がないとはいえ、心臓に悪いことこの上なかった。床にへたりこみそうになる津島だったが、それよりも先にフリコが片膝をついた。うなだれることによって長いツノを向けられた津島は、当然ながら息をのむ。
「無礼な行為を、どうぞ許してほしい」
「フリコさん!? なにを」
「ボクはウォルノールの名を背負うものとして、この戦争を負けに導くわけにはいかない。私利私欲のため一年という長い期間きみをここに閉じ込めた、その無礼を謝罪する意思表示だよ。ボクは顔を床に向けて、きみがなにをしようと抵抗はできない。つまり、角を差し出す行為さ」
抜いてもいいよ? と首をかしげるフリコに、津島はあわてて首を横に振る。
「いりませんよ、抜いたら痛そうですし。それに自分はそこまで勝利の鍵になれるつもりも」
「なれるさ」
断言したフリコは立ち上がり、瞼を開ける。その間から零れる黄色の眼力が眩しいと、津島は思った。
「ならないわけがない。向こうが兵贄の成功体なら、こちらは歪妖の————」
「フリコさん!」
言葉を遮り割って入った軍人が、その騒がしい足音と共に頭を下げる。
「失礼します。先ほどの交渉材料がカズネ・ツシマに会いたいと……」
「ふうん? なら僕達は席を外そうか。積もる話もあるだろうからね」
想像の範囲内というように声を上げたフリコは、津島を横切り外へと出て行く。
その背を呼び止める間も無く、代わりに一人の少女が顔を出した。
「カズ、久しぶり」
少しだけ伸びたくせ毛を遊ばせながら微笑んだ彼女は、先ほどまで牢屋の中で幼子をあやしていた少女、ジェリクスだった。
薄暗い廊下でもわかる程に目尻が赤くなっている。相変わらず装いは黒いタンクトップと膝の隠れるパンツというシンプルなものだったが、この季節では少々寒そうだ。
「ソラと一緒にぽぽーんから姿を消したと聞いて以来、どこにいるかと思えば牢屋だなんて……何をしたの?」
わずかにからかう様子の彼女は、手を伸ばせば届く程度の距離で歩みを止めた。目線が下にある。ジェスが小さくなったのではない、津島が大きくなったのだ。
「カズ、元気そうでよかった」
祈るようなつぶやきに「ジェスこそ」と短く答える。記憶を掘り返すこと以外に目的のない日々を過ごしていた津島にとって、その再会はとても喜ばしいものだった。
「その……助けてくれてありがとう。心当たりがあったから殺されるものと身構えていたのだけど。ソラはどこに?」
「わからない。自分だけでごめんね。会いたかったでしょう」
「謝らないで。さっきのカズの声、あたしたちが居る階まで響いてきてたよ。怒るとこんな声出すんだって、びっくりした」
その言葉にボンと顔が温度を持つ。平時でない声を聞かれるなど恥もいいところだ。ごまかすため前髪のピンに触れる津島へ、ジェスはまた一歩近寄った。
「一年間、いろいろあったよ。神様がシフォルアに現れたおかげで国中がお祭り騒ぎだった。【ぽぽーん】はまた、何連続目かで狩猟ギルドの優秀賞をもらっていた。あたしも、いろんな料理を覚えたよ」
また食べて欲しい。と呟く、そのしおらしい様子に津島は不安を抱きながらも相槌を打った。それからたわいもない話をぽろぽろと続け、満足した様子のジェスは津島から離れようとする。しかし聞きたいことを思い出し、慌ててその手を引き止めた。
「あの、どうしてジェスは、さっき自分のことがわかったの? 顔はちゃんと隠していたのに」
地下六階の牢でのことだ。彼女はイコを腕に抱きとめながらも、案内されて覗いた津島の名を迷いなく呼んだ。深く帽子をかぶっており、声も出さなかったというのに。
ジェスは得意げに歯を見せた。
「ここは気配がこまめに掃除されてるせいで目の前に立ってもらうまで気がつかなかったけど、本当なら同じ建物に居るだけで一発だよ。なんてったってカズは世界と強固なつながりを持つ、途絶えの知らない気配を持ってんだもの」
以前、似たようなことを言われた。花の街メー・ウビウスでのことだ。どうやら、あの時のインピィの言葉は本当だったらしい。そこでふと気づく。
「世界と強固なつながりを持つって、ジェスはどうしてわかるの? だってそれは……」
皆までいうことは幅かられた。人間は世界との繋がりが浅い故に、普通であれば世界との繋がりを認知することができないはず。しかし普通でないという事実をつきつける行為は、普通を得たかった津島が一番嫌いなことだ。やられて嫌なことは人にするべきではない。
しかしジェスはあっけらかんとした様子で頷いた。
「うん。あたしは半分、魔物みたいなものだから」
ジェリクス初登場は1-05
イコ登場回は1-14です。
覚えてますか? お久しぶりです。




