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紙上史  作者: こーりょ
4 紙に例えられた世界の上で、二人が綴る短い歴史
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4-06 記憶:メー・ウビウス・ベスク

「グリエさんの言う通り神は様々な場所を巡ったようで、行き先を調べるのは容易かったよ。パナーダのように繁栄した町だけでなく翼人の町や、もう地図には残っていないような街にも行っていた」


 閑散とした道にて、空は津島に届く最低限の声量でつぶやく。夕食の準備に追われる時間帯だ、天は暗く、街を彩る花びらもわずかにくすんでいる。二人が歩くのは花の町の名を冠するメー・ウビウスの外れ。数少ない地上に飛び出た建築物と、転送門を結ぶ細い通路だ。


「星の街スタウには、当時の神による記録が大切に保管されてるらしい。この世界には存在しない文字で書かれている上に貴重なものなので、読解したくとも出来ないとか。もしそれが日本語で書かれているものなら、帰る手がかりになるかもしれない」


 彼はそこでため息とともに体を伸ばす。津島は相槌を打ちつつ安堵に目を伏せた。

 数時間前の空はストレスのピークを迎えていて、前夜の饅頭に懲りず宿の机に甘味をこれでもかというほど並べていたからだ。ストレスを発散するべく端から口へ放り込んでゆく様に、津島は彼の心と体重に懸念を抱かずにはいられなかった。気持ちはわからないでもない。昨晩ベニヒから聞かされた話は衝撃的だったし、学問の街に揃えられた本はどれもお行儀がよく、神に会うなどかけらも想定していないものばかりだったからだ。


「ね、ねえ空。明日の朝にはぽぽーんの皆と集合でしょう。気分転換に今から花の街へ観光に行こうよ」


 暖かい水にたくさんの花を浮かべる、花湯という名物があることを知ったのは最近のことだ。まるで日本のお風呂の様で、気が安らぐのではないだろうか。必死の提案に一瞬眉をひそめた空は、それでも緩やかに頷いた。最後のドーナツを大きな口に放り込み早々に支度を始める彼の後を、津島は慌てて追いかけ、そして冒頭に至る。



「かーーー!! 湯船に浸かったあとの牛乳は最高だぜ!!!」

 話に聞く通り、花湯には色とりどりの花が浮かべられていた。ややぬるめの水温に、みちるわずかな甘い香り。全身から力が抜けて行くのを感じながらの会話はとても穏やかなものであった。

 風呂上がりに口周りの白いひげを拭う空。それに同意しながら、津島は隣の低い頭へ目線をやる。

「でも、君も風呂好きだったとは思わなかったよ、インピィ」

「行きづまったロユと時々来るんだ! 牛の乳は初めて飲んだけど、なかなかおいしいね」

 世界学者シフォー・カロユの足元にいるべき狐の歪妖だ。年末ゆえに誰もいない浴槽で姿を人に変えくつろいでいた姿に 遭遇したのはひとえに偶然である。

 花湯は銭湯そのもの。男女別に浴室が設けられ、その奥に体を流すための水場、そして大の大人が足を伸ばしても余裕のある湯船が鎮座している。

 インピィの出会って一言目は「うわーっ! たくましくなったねえ!!」だった。空の体は狩猟民族の集落から狩猟ギルドを経て、綺麗に鍛えられている。残る傷跡が眩しく、津島も目をそらすことを忘れ見入ってしまったものだ。傷一つ残らない自らの体がとても汚らわしく感じられ、風呂でも足を延ばすことができなかったほどに。

 空っぽになった瓶を両手で抱きしめながら、ふとインピィが口を開く。

「僕ね、君達と話がしたかったんだ。少しお散歩に付き合って欲しいんだけど……」

 嫌な予感へ断りかける津島に反して、空は大きく頷いた。

 

「話なんて別にいつでもしてくれてよかったのに!! はじまりの樹へ向かう間とか……いっぱい時間あったじゃん」

 時間としては夜だが、天は暗くなりきれずぼうっとした明るさを保っている。インピィは首を横に振った。平衡感覚がブレたのか、足元が少しだけよろめく。

「ロユのいない環境で、だよ。のけ者にするつもりはないけれど、内緒話がしたかったんだ」

 先端に行くほど金から茶に変色する髪が風に吹き上げられる。引きつけられるようにして、津島は顔を持ち上げた。

 地上から天へ立ち上る花びらのカーテン。そびえ立つ山が影を落とすなか、それらはなけなしの光の魔力を反射して瞬く。気候の条件がうまく当てはまらないと現れない光景に、二回目ともなる津島でさえ歩みは止まり、空の歓声は比べものにならないほど大きく周囲に響いた。それを咎める人は、周りには誰もいない。

「カズは、僕と初めて会ったときのこと、覚えてる?」

 カーテンから目を離すことなくしかし、忘れるわけがないと津島は頷く。一人で見知らぬ街へ行き、会ったこともない権威学者へ話を聞きにきた。今思い返せば怖くて不安で仕方がなかったが、そういった感情が麻痺するほどに当時はがむしゃらだった。インピィは突然やってきた津島のことを、老人の姿で迎え入れてくれたのだ。


「あのとき帰らせようとしたロユに、僕は反対をしたんだ」

「どうしてわざわざ……?」

「気配が強かったからね、追い返したら失礼にあたると思った」

 インピィは飛んできた花びらのうち一枚をパシリと捕まえて得意げに笑う。空がそれに「やるじゃん」と手を叩き、首をかしげる。

「津島の気配、あまり強くは感じないけど」

「ううん、一緒にいた黒猫さんも揃って大きな気配なんだもん。驚いたよ、それこそ家にあげたことを後悔しかけるくらいには」

 あえてゆっくりしゃべることを意識しているらしい。大きく息を吸う彼の言葉は耳を滑ることなく、一言一句頭へと入ってくる。やがて風が収まり、支えをなくしたカーテンは雪のように地面へ溢れ落ちる。雪のように。雪、雪、と津島は口のなかだけで言葉を転がす。

「ソラが花湯の中で言っていた、クロメールのことだけど」

 ふとその口からこぼれた名に、一瞬だけのことをよく覚えていると、津島は刮目する。

 それは湯船にて、その水面をいじる空が言ったことであった。

————そもそも『かみさまのへや』は人間が立ち入っちゃいけない場所なんだろう、じゃあ『クロメール』は一体なんなんだろうな

 と。今は頭を動かすべき時じゃないという結論で終わったはずだったが。


「……あのね、クロメールは確かに神様だよ。でも、一つ上の次元から娯楽を求めてこの世界に遊びに来た一般の神様。『部外者』って呼ぶね」

 空の頭に乗った花びらを背伸びで取ろうとするインピィは、言葉の合間に空へ屈むよう言う。話に集中したい空は戸惑いながらも膝と腰をわずかに折り曲げる。

 「よし、取れた!」と嬉しそうに笑う少年は、その口で世界の理をするすると吐き出してゆく。


「対してソラリスはこの世界を支える存在。時が経つにつれ世界に生まれる皺や穴——いわゆる不具合を治す、この世界の管理人さん」

「ま、待って。なぜインピィはそういうことを知っているの? ロユも知ってること?」

「いや、教えちゃいけないんだ。人間が人間の持ちうる力で辿り着けた真実までが、人間にとっての真実。僕ってこう見えて高位の魔物でね、生きているうちに勘付いてゆくことなんだ」

 意外でしょ? と得意げに胸を張る彼の姿はどう見ても可愛らしい少年のそれで、到底高位には見えない。高位の基準が大きさや強さと決めつけていた津島にとって、そのどちらも持ち合わせていない彼を結びつけることは難しかった。


「基準はどれだけ世界と深く関わっているかだ。これは魔物に限る話でなくこの世界全てにあてはまる。それに従って気配も段々と強くなっていくんだよ。人間はそれが意外と浅いんだ。自分が低位だと気がつけないほどに」

 インピィは再び歩き始めた。シルクのように細い髪が、さらりと揺れる。

「自分じゃ信じられないかもしれないけれど二人はそれの反対で、世界とのつながりを気にする必要がない程強いものが、存在の芯にある。だから知っているべき情報だと思うものをこうして話している。それだけ、気がかりがあるけれど」


 歩道が終わった。街を囲むように植えられた魔物よけの青い花を境に、道はでこぼことしたものになる。これ以上先に進んでは危険だろうと、インピィは立ち止まり津島と空を振り返った。


「そこまでこの世界と強いつながりを持ってしまった君たちは元の世界に帰れるのかな。手段を見つけたとしても今のつながりを切り離した瞬間……」

 ためらうようにインピィは俯いた。

 彼に見えない角度で空が津島の背を軽く叩きながら口を開く。その手の温かさで、津島は初めて全身が力んでいることに気がついた。

「ありがとう。俺たちの話は、もう少し心の準備をしてから聞かせて欲しい。けど、その世界の管理人にはどこで会えるかって、知ってる?」

「管理人はこの世界を個体として眺めると言うよ。多分一つか二つ上の次元にいるんじゃないかな……本当にあるのなら、かみさまのへやもその部類に入るのかもね」

「なるほどな。今聞いたことをロユに話すのは?」

「ダメ。人外からの不当な発言は、人類にとって疑わしいことかもしれない。なんちゃら学者っていう、せっかくの地位を奪うことにも繋がりかねない。ロユも目的があって世界学に身を置いているんだ。……黙って応援をしてあげてほしいな」

 インピィは微笑んだ。言いたくても言えないというもどかしさは、どうやら彼にもあるようだった。もしかしたら、そういった感情を共有したかったのかもしれない。

 


「っ————————」

 割れるような頭痛に意識が覚醒する。ベッドから落ちたわけでも、なにかに殴られたわけでもない。ごりごりと釘が頭蓋に打ち込まれてゆくような鈍痛、そのたびに鼓膜は震え、周囲の音は遠ざかる。驚くほどに早く上下する胸に反し、酸素は体内に取り込まれることなく外に出てゆくような感覚。

 このような痛みは初めてだ。たとえ指を切り落とそうと、全身を踏み潰されようと、ここまで痛覚が悲鳴をあげることなどなかったのに。

 動揺がばくばくと頭に響く心臓の音。震える指先で前髪を鷲掴み、再び横になったベッドの上で膝を抱える。心臓の音が落ち着くのを待って、地に足をつけた。

「あれれ」

 全く力の入らない足に崩れ落ちる膝。重心を保つことができず、生まれたての子鹿のように壁にすがりつく。


 頭痛は思い出すことを拒否している脳からの警告らしい。隣に人の気配はなく、いらない心配をかけずに済んだと安堵する。しかしそれもつかの間、転けた音に反応した見張りが慌ただしい足音で近づいてきた。


「おい、大丈夫か!? 入るぞ」

 鉄格子越しの声へ、首を横に振る。

 『大丈夫だけれど入ってほしくない』というつもりが、しかし反対の意味に汲まれてしまったようで、あろうことか軍人は鍵を開けてズカズカと入り込んできた。津島が悪寒と共に湧き上がる苛立ちで唇をかみしめているとも知らず大きな動作でしゃがみ込み、津島の背に手を添える。ゆっくりと上下するその手が妙に暖かいからか、わずかに呼吸が落ち着くことが憎らしい。次第に収まる震えへ見張りは恐る恐るというふうに口を開く。

「大丈夫か、カズ」

「どうして自分のあだ名を……」

 なんとも馴れ馴れしい。フリコが呼んでいるところを聞いたからにしろ初対面で呼ぶには不躾すぎる。苛立ちを交えた問いかけに、しかし返ってきた反応は悲しげなため息だった。

「……本当に覚えていないんだな」

 震えた声に顔を持ち上げれば、想像よりずっと近い場所にしょぼくれた犬のような顔。気の強そうな眉の下で輝く青の瞳が印象的だ。空よりも濃い色をした茶髪は、まともに寝癖を直していないようであちらこちらにはねている。うぐいす色をした制服の方に付けられている石は水色——五番隊だ。記憶をいくら辿ろうとも、男性の顔に見覚えはない。

「ギルセンでお会いしましたか」

「ううん、惜しい」

 眉を下げて笑ったその軍人は、謝る津島に「仕方ないさ」と怒るふうもなく言った。

「アルパイン・セルパータって言います! 国境山への狩りにご一緒させてもらったんだぜ、兄の手伝いをしに。君たちに……そう、興味もあってね」

 紛れもなく、【ぽぽーん】所属レヨン・セルパータの弟の名であった。青い瞳への既視感に納得する。

 しかし語られた言葉に理解が遅れた。覚えていない。いや、まだ思い出せていない記憶だ。焦らないよう自らに言い聞かせるべくそっと前髪のピンに触れ、呼吸を思い出す。

「な……名前は覚えているんです。魔法構文のノートを空にかしてくださっていて、匂いにクセのあるお肉が苦手だというレヨンさんのお話も」

「あはは、忘れてしまったことは仕方ないしあまり焦る必要ないと思うぞ。オレは」

 優しく微笑んだ彼は、津島の背からそっと手を離した。

「笑顔の合言葉を教えてあげる。————『サンデア』って言ってみな。苦しいとき、唇を噛み締めたくなったときによく効くんだ。陽の感情を表す言葉だよ。君にオレの二月の精錬の力は使えないけれど、感情を意識するだけでつらい気持ちは遠のくものだろう」


 聞覚えのある単語だった。プラス思考になれと言われているのだろう。


「ありがとうございます。以前、念写の際に皆が言っていた覚えが」

「笑顔を引き出せる言葉だからな。さて、牢の中に入ったなんて知れたら怒られちゃう。便所行きたかったりしたら我慢せず声かけるんだぞっ」


 腰を上げたアルパインは鉄格子の外に飛び出し、鍵をかけることなく持ち場へと戻って行く。すっかり落ち着いた心臓の音に少しだけ口角が上がった。ただ背をさすられただけではなく、何か本当に魔法をかけられたような気がしたのだ。

 アルパイン・セルパータの二月の精錬で得た力は一体なんなのだろう。彼もレヨンやベニヒと共に、村の人たちから追われ、社に身を隠したのだろうかと、その明るさにすこしだけ興味を抱く。頭の痛みはすっかりと引いていた。


「ああそっか……グリエから話は聞いたんだもんな。実を言うと当時のことはあまり覚えていないんだ。あまりに小さかったから」

 口に出ていたらしい。鉄格子の向こうから声が聞こえた。もう走れないとべそをかいてレヨンにおぶってもらったことなどを楽しげに話した後、声のトーンをわずかに落とす。

「キクジン村の土地神はそれはそれは優しいひとでさ。全部わかっているからと、母親よりも……兄貴と同じくらい、優しく抱きしめてくれたんだ。兄貴についていけば問題はないと信じさせてくれた。俺はベニヒと違って、過去より未来のほうが大切だからね。こう楽天的でいられるのは、土地神と兄貴のおかげだよ」

「土地神様……それって一体、どういう存在なんですか」

「ええっ……あー。豊かな自然に宿った意思とかいうみたいだけど詳しいところはわからないや。ごめんな」

 軽い謝罪に、首を横に振る津島。

「教えてくださって、ありがとうございます。それにしても年末なのに大変ですね。見張りなんて」

「ここは当たりくじなんだぜ。年明けに向けて皆一糸不乱に大準備さ。戦争だとかで人員を確保しなくちゃならない。今年は神の再現による祭りでバタバタだったけど帰れたから良かったな」

 神の再現という単語に違和感を覚える。そんな行事があった記憶はない。先ほどからの記憶のズレに困惑していると、小さな笑い声が飛んできた。

「いずれわかるよ、君がここに閉じ込められている理由もね」

 いずれ————とは、いつのことだろうか。もう随分と長いことこの牢屋にいる気がする。そろそろしっかりと風呂に入りたいところだ。思えばフリコも高頻度で牢を空けている。牢屋で夕飯を共にすることもなくなり、【ぽぽーん】に入りたての空を思い出させた。

 待つことしかできないのだろうか。ここでじっと座って。思えば口角も上がることを忘れてしまったかのように、仏頂面しかしていない。笑ったりすればいい方向に転がらないだろうか。教えてもらったばかりの言葉をつぶやく。

「……サンデア」

「そうそう、サンデア!」

 牢の外から律儀に帰ってくる言葉が合言葉のようで、なんだか少しだけ楽しく感じられた。

 土地神を懐かしげに語っていた彼は、その神が死んだと知っているのだろうか。聞くに聞けないそれだけが、わずかに心残りであった。


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