4-05 記憶:パナーダ・ベスク
「それは都合がいい」
津島と空の話を受けたグリエは、瞳を輝かせある依頼表を指し示した。
「今年最後の狩りは国境山に三泊四日を予定しているんだ。 二人はパナーダに前乗りし用事を済ませ、後日僕らと合流。という流れはどうだろう?」
学問の街パナーダは宿泊する国境山の麓に位置している。薬草から食材、魔物の角に至るまで、最後にふさわしい数の依頼品に気圧されつつも、ふたりは迷うことなく頷いた。
「一年の行いが悪いと、年を越す瞬間に命が持っていかれるんだって」
転送門にて、払う金を数える空が唐突に口を開く。
「フルアの実や、ギシュゴートの角。そして翼人の羽等等……さっきの依頼表に書かれていた物品たちは、ほぼすべてすべてが無事に年を越すためのお守りに使われるものだ。ジェスから聞いた覚えがある、霊と体をつなぐ縁となってくれるとも。おおかた、販売用に用意していたものが売り切れそうになった……とかだろうな。さすがに翼人の翼は無理難題だけど」
翼人はほぼ絶滅したといって違いない存在であるため、納品は不可能だと依頼人も承知している。といった前提を置きつつも、グリエは口角をニヤリと引き上げ『でもカズはメーの近くで翼人に会ったことがあるんだろう』と言い放った。だからこそメ国境山へ行くのだと。
顔見知りの同行が確定したおかげで戦闘の手間が省けた、と彼が笑った際には、表情筋が自分のものではなくなったようだった。かつて出会った青年や、双子と再び会えると思うと心が躍るのもつかの間、同時に彼らがあんなにも人間を警戒していた理由が飲み込めてしまったのだ
皆が依頼に出る二日前の朝。街の住民たちは皆、家のなかに引っ込んでいるらしい。いつもは街を満たしている賑やかさも、年越しを眼前にひそめられている。
切符となる札を受け取り、環状壁の中へ踏み込む。【ぽぽーん】へ入ってから使用頻度が格段に上がった門と対峙する。
しかし、空の口からジェスという単語が出るとどうも嬉しくなるのは野次馬精神たるものだろうか。せっかく港町ブラウに戻ってきたというのに、彼女と会うことも無くなってしまったが。
「ジェスの部屋には、そういった霊と体をつなぐ縁になる物品が沢山あるらしいぜ。国境山から帰って来たら、年越し用にいくつか借りるのも手かもしれないな」
「そしたらジェスの分がなくなっちゃうよ」
最初の頃の緊張はもはや無く、雑談とともに様々な色の混ざり合う膜の中へ足を踏み入れる。そうして吸い込む学問の街パナーダの空気からは、静寂を強要する圧がなくなっていた。ブラウのものとは大きく異なる転送門のホール。そしてこの世界ではそうそうお目にかかることのないビルの群に、初めて訪れた空はよく働く表情筋で驚きを表現してみせる。
「この街、すごいな」
厚い素材のポンチョと癖のある髪が右へ左へゆらゆら進む。以前大通りを埋め尽くしていた学者たちは新年を実家で迎えるのだろう。人が居ないために空気が緩やかな街を進み、壮麗な彫刻を纏う白の役所にて二箇所の図書館に申請を出す。せっかくこの街に来たのだ、津島にも調べたいことがあった。
「宿は俺が取るから、フォーンさんのこと聞いてこいよ」
焦る気持ちを汲んでくれる空に甘え、礼を残す。せっかくミヨが教えてくれた情報なのだ。何かに生かすことができたら、と思ったがしかし、得られた情報は『役所で軍内の情報は得られないこと』のみであった。
「ギルドセンターは口が軽かったから期待していたのだけど」
「フォーンさんが戻った理由を考えると変に接触するよりよかったんじゃない」
肩を落とす津島に、役所の外で空が札を差し出す。空の手にも握られていることを確認し首をかしげた。
「宿、別でとってくれたの? 同室でよかったのに」
「まさか津島がそれを言うとはね。でも俺が個室で眠りたいの、金は多少余裕があるし贅沢させてよ」
地図を広げる空に続いて壁から背を離す。申請に対する礼をいえば「楽しかった」と浮ついた笑顔が返ってきた。
植木に守られるようにして建つレンガ造りの一軒家『パナーダ・ベスク立資料館・世界学図書館』は、大通りから一つ脇にそれた場所にある。許可が下りる気配のない木札を握りしめた津島は、細い道をいくつも曲がったかつての記憶に首を傾げた。フォーンの記憶が間違えだったのか、それとも彼は何かから身を隠そうとしていたのか。口をぱかりと開けたまま図書館を眺める空の隣に並ぶ。
「神のことと言っていたから神学に行くものだと思ったんだけど」
「それは午後と明日。まずはロユの本で世界学の基礎知識をおさらいする。カズは生物学で合ってたよな?」
「はずれの魔物のことを調べたくて」
その存在の意味はなんなのか、特徴は、弱点は、生まれた理由とは。砂漠で対峙して以来膨らんでいた興味を解消できるいいチャンスだ。
暫くして光り始めた札に「じゃあ、また後で」と挨拶を残す。生物学の図書館への道を歩きながら津島は、かつてフォーンが細い道を遠回りした理由にふと気がつく。彼はあえて道を選んでいたのかもしれない。許可が下りるタイミングで図書館に到着するように。津島は会話で暇をつぶすことが苦手だとわかっていて、それでも気を使って話そうとするだろうとまで予測して。
「そこまで気の回せる人間じゃないよ、フォー太郎は」とベニヒならきっと笑うだろうが、彼はぼんやりしているように見えて周囲に強く気を張り巡らせている。そんな印象がとても強いのだ。
『歪妖』または『はずれの魔物』。歪みを含む人とも魔物とも異なる存在というその名は体を表すようで、意思のある非生物だと表記している本がほとんどだった。どこからともなく現れ、子を産まないそれらの食べ物は主に『実態を持たない状態の魔力』と『同類(歪妖)』の二つ。なにもしない限り、歪妖側から人などを襲うことはないという。
『はずれの魔物』と呼ばれるようになった所以としては、魔物に比べ戦闘能力が高いにも関わらず、得られるものは加工に特殊な技術を要する核のみ。うまく締めて残した肉も味があるだけで腹は膨れず、骨などは砂のように崩れて消えることからであり————
ふと本から顔を上げた津島は、記憶との差異に首をかしげた。あれは確実に人を襲う存在だ。事実、ジュデグナ砂漠でであったものも、港町ブラウから狩猟民族の集落エリギへと向かう道中で遭遇したものも、こちらから危害は一切与えていない。チオリに助けてもらわなければ命を落としていただろう記憶に体をぶるりと震わせ、ページをめくり更なる情報を急かす。するととある本の文面に動きを止めた。
「神様の力は、はずれの魔物を殺すんだって」
寝ることのみを想定した狭い宿の一室。まだ夕刻にも関わらず寝巻き姿の空に津島は語りかける。ベッドの上で行儀悪く饅頭を頬張る彼は「ふむーん」などという相槌を打ちつつ、値段の割に微妙な味だと、眉をしかめた。
「カズは、ジュデグナ砂漠の魔物を俺が殺したって言いたいんだろ」
批判しながらも二つ目の饅頭へ手をのばす彼へ、ベッド脇の椅子に腰掛けた津島は頷く。世界の歪みを正すという神の力なら可能であると。
「似た感覚は確かにあったよ、こう言ったところで信じてはもらえないと思うけど……」
空がぽぽーんに所属して間もない頃に一人で無茶をしようとしたフティブ平原でも、そしてジュデグナ砂漠でも、共通の感覚が彼にはあったという。視界が瞬き自らの立つ大地を中心に、不要物を外へ押し流してゆく波の広がる感覚が。
「グリエさんだって言ってたろ、俺らがジュデグナ砂漠に行っている間に探知機が鳴ったって。でも、ジュデグナでは潰しきった感覚はなかったな……微妙に残っていた気がする」
とはいえこれならば、魔法構文を使っていないにもかかわらず、口の中で衝撃が起きたのも理解ができる。「俺が神様だって証明がさらに増えたわけだ」悲しげに笑った空に、津島はちりと胸が痛んだ。そんな顔をして欲しかったわけではなかったのだが。
「俺もいろいろ調べたけど、この街はすごいな。情報の山だ。あの転送門ホールの模様も、すごい綺麗だった」
ただ綺麗というには含みのあるニュアンスへどういうことかと距離を寄せれば、饅頭を飲み込む彼はわずかに身じろぐ。
「壁に刻まれた模様すべてに、魔法構文の意味が含まれてた。魔法構文には多くの種類があるけれど、大まかに分けると『音』と『文様』の二つに分類できる。この街はまるごとが一つの兵器みたいだ。要所要所をつなぐと、一帯の地盤が弾け飛ぶ巨大魔法構文になる。転送門ホールはその起点で、あの藍色の染料も妙な匂いがしたから特殊なものを使ってるんだと思う」
鼻を押さえてそう言った空に、津島は「すごい」と両手を叩いた。なぜ分かったのだろう、壁を眺めていた時間はものの数秒だったはずなのに。
「数秒だったからこそ地盤破裂以外の意味を読み取れなかったんだよ。音と文様についてはアルパインさんのノートに書いてあった」
アルパイン。それは【ぽぽーん】に所属しているレヨン・セルパータの弟だ。空が魔法構文を学ぶにあたり、彼から過去使用していた学習ノートを貸りている。
「研究内容を守る為……とかなのかな。申請を出すときにもらえるのも、文様タイプの魔法構文?」
「そ。いざ魔法構文を扱う人と戦うことになったら、言葉以外も気にしたほうがいいらしいぜ。地面に足で刻んだ模様でも効果は現れ——」
そこで、コンと扉を叩く音が部屋に響いた。口を閉ざす寝間着姿の空に変わって、刀を手にした津島が扉へと近寄る。覗き穴という文化がこの宿にはない。扉に耳を寄せ外の人数を探る。軍人だろうか、なにせジュデグナを湖に変えた張本人がこの部屋には居る。なにがあろうと気を抜くことはできない。
しかし、外から聞こえたのは聞き覚えのある声だった。
「ベニヒ・エッシェーだ。開けてくれないか」
【ぽぽーん】リーダーの名に、招き入れれば彼女の手にビンが握られていないことへ気がつく。
「ソラも居たか。よかった、手間が省けた」
口角だけを上げて微笑む様子に普段のリーダーの顔はない。もしや酒が入っていないのでは、そう案ずる津島をよそに彼女は「少し頼みを聞いて欲しいんだ」と小さく頭を下げた。
「なんか、すみません。寝間着で」
「構わない。私も恥ずかしい姿を沢山見せてしまっているからな、おあいこだ」
ベニヒには椅子をすすめ、空はベッドの縁に座りなおす。
「先日はみっともない姿を晒して申し訳なかった。君たちに不必要な重荷を背負わせてしまったのではないかと、私は後悔してもしつくせない。神に会うために君たちを利用だなんて、グリエも大概酷いことを言う」
下げられた頭に抑えていた憶測が確信へと変わった。彼女の過去に関する話を聞いた日のことを————休肝日でのことを、彼女はすべて覚えているのだ。正気を保てずにいた間のことなど、いっそ忘れていられた方が楽だろう。心が壊れている間、人は平常なときには想像もつかないような行動を取る。対策を練ろうにも想像できなくては練りようがないからだ。彼女の腕には赤い爪痕がほのかに残っていた。
「けれど彼は悪くない、不出来物である私が悪いんだ。嘘を大切な仲間に明かす勇気も出ない。いつか言わねばを先延ばしにして、ここまで来てしまった」
「前も似たようなことを言っていましたね、エリギにあるロユの別荘で。……不出来物だとか云々」
空は感情を押し殺した表情で口だけを動かす。
「興味だけで神の情報を集めている。ってあのときの言葉、忘れてないです。隠された意味をグリエさんから明かされて初めて、あなたが嘘の上手な人だと気が付きました。『クロメールと世界の幸』や多くの知人も、神を探す上で役に立つと思ったからでしょう。ロユと仲良くなったのも狙いがあったから」
静かにベニヒは頷いた。空に差し出された饅頭を手にした彼女の頬へ、まつげの影が落ちる。
「当時の私はグリエの狙いに気がついてなかったんだ。複製親であるベニヒの仇を討つという彼の狙いを。仇を討ったところで、それが複製親に伝わることはないのに」
その言葉に引っかかりを感じた空が小さく呻いた。それでもあくまで聞く側としての姿勢を崩さず、不味い饅頭をちょびりと口に含む。グリエが神を殺したがっていることはグルーンも認知していたから本当のことなのだろうが、彼女があえて自身と『複製親であるベニヒ』を分けて言う理由がわからない。それではまるで————
「複製親であるベニヒ・エッシェーはあの夜キクジンの民に殺された。私が実際にソラリス様と接したのは一度だけで、残っている家族の記憶も作り物。本来であれば私にベニヒを名乗る資格はない。私は、グリエと同じだからだ」
津島のつばを飲み込む音が大きく鳴った。【ぽぽーん】にそれを知るものはどれほど居るのだろうか。
「これは私だけが知っている。情けないことに打ち明る勇気が私にはなくて……、けれど言わねばならない義務がある。命をかけて私を救い出してくれた彼らには、知る権利が、ある」
目に張り詰めていた水はいよいよこらえきれず、目尻からこぼれ落ちた。空はただただ目を細め薄く口を開く。どこまでが本心か勘ぐっているのだ。
「全員に伝える必要はないんじゃないですか。そうしたら【ぽぽーん】の有り様が変わりそうだ。……頼みというのは? 話を聞いて欲しいなんてつまんないものじゃないですよね?」
「ああ、そうだ。背を押して欲しい」
空の物言いに気を害することなく、袖で目元を拭ったベニヒは立ち上がる。粗野な普段とは異なる、髪の先まで整えられた所作へ津島はほうと息を飲んだ。安い宿がまるで高級旅館であるかのような空気が彼女一人の体から溢れだしたのだ。空は饅頭を皿に置いた。
「前へ進むための一つを。ソラリス様との指切りはこの世への束縛でなく、確かに解放だったから」
弱弱しくも強い意志を抱く黄色い瞳に、かつてシフォー・カロユとの会話を思い出す。神に会えたらこの酒をやめられる方法を聞く。と、ベニヒは言っていた。高濃度の魔力を口にし続け、荒れ果てたその体で一体何を求めるというのか。
右でまとめられた蒼髪を解く彼女に、ごくりと唾を飲んだ空の口はしかし上向きに上がっていた。鋏を受け取り、手にかかる重みをかみしめながら立ち上がる。
そして言い訳をするように口を開いた。
「自分より長い髪、切り慣れてないんで。後で誰かにちゃんと、整えてもらってくださいね」
×××
ギリリと重い音を立てて牢の扉は開く。覚醒した意識へ入り込んでくるのは石の壁と、隣からの廊下に踏み出るヒール音。
「どうもありがと」
「いえ、こちらです」
音によって起こされたことへ若干の不満を抱きつつ緩やかに目を開ける。
フリコのいる牢が開けられた。手洗ならば津島がいる牢屋の前を通る必要がある。隣人が一体どんな顔をしているのか、わずかながら興味があった。
夢の余韻もそこそこに息を詰めてその瞬間を待ったが、しかし予測とは異なり足音は反対へ向いた。前の廊下を通ることなく遠ざかる足音に、津島は慌てて上半身を持ち上げる。
ここからいなくなってしまうの? そう問いかけたところで答えはないだろう。重い扉の開閉音が廊下に響く。津島が気づいていないだけで、頻繁に外に出ているのかもしれない。軍人の声が津島と接するよりどこか硬く丁寧なことに関係はあるだろうか。
ぽすんと音を立ててベッドに横になる。自分はいつここから出られるのだろうか。いつ、記憶を全て思い出すことができるのだろうか。
ニルフェから受け取ったはずの財布や携帯電話はどこにもない。マットを引っ掻けば簡単に布が裂けて、中から綿があふれ出る。足音が再び戻ってきたときには、毟った綿が手のひらからこぼれ落ち、床で山を作っていた。
「お疲れ様、君たちは明日からおやすみだよね、気を抜かないようにするんだよ」
フリコの声に、目がさめる。硬い返事を残した軍人たちは牢から去っていくようだ。津島は鉛のように重い上半身をのそりと起き上がらせた。
「おかえりなさい……。戻ってこないかと思いました」
「おや、可愛いこと言ってくれるね。でもボクは帰ってくるよ、暗くて狭いここがお気に入りだから」
石壁越しのおどけた声色に混ざる疲労がある。大きな欠伸が一つ漏れた。しかし彼は眠気の混ざる舌ったらずな声で「カズくんは、どう?」と話しかけてくる。
「年末にかけて魔力の活動が緩やかになる影響で、人間は気力や体力が次第に落ちてくる。下手をすれば死人だって、出る。カズくんの体調は」
姿の知らないフリコの、うつらうつらと船を漕ぐ姿を思い浮かべてクスリとしながら、津島は口を開く。
「特に、なにも感じません」
「そうだろうね。キミに関して、人間の理は当てはまらないから」
体をこわばらせる津島に、フリコは畳み掛ける。
「わかっているでしょ、キミはおバカじゃないんだ」
「わからないです。なにが言いたいんですか」
力が入った津島の物言いにも、大して気を悪くするでもなく笑みをこぼした。
「勘のいい普通の人なら、これくらいの季節になると身体にかかる負担で年末を強く感じるようになるんだって。今日はこんなに怠いから、あと三日程で年が明ける——って。何ごともない年明けが、無事世界に訪れるといいよね」
勝手に話題を打ち切られ、間もなくして聞こえた深い呼吸にほとほと呆れかえる。言いたい放題言って眠ってしまった。津島は脱力した体を再びベッドに沈め、目を瞑る。この男は日々の雑談に返答など待ってやいないのだ。津島がなにも喋らなくとも、なにを喋ろうとも、彼はなにも思わないだろう。
再び記憶に潜って行く意識の片隅でぽそりと呟く。
「フリコさん、軍人さんだったんですね」
「————おっと、ばれちゃったか」
現実との狭間、そんな返答が聞こえたような気がした瞬間、意識はとぽりと夢の世界へ急降下した。




