4-04 記憶:祠
夢で見た記憶を咀嚼する。少しずつはまって行くピースがもどかしく、眠り続けたい気持ちが湧き上がる。しかしどうにも落ち着かず、同じフロアにいるであろう見張りに声をかける。慣れというものは恐ろしいもので、最近では廊下にまで響く声量で手洗いを求めることにもさほど気恥ずかしさを感じなくなっていた。
軽い音とともに開く鍵。促されるままに廊下の突き当たりにある小部屋へ————ここで見張りを昏倒させればこの地下牢から逃げ出すこともできるだろうか。
ふと湧き上がる嫌な発想へ舌を噛む。記憶が戻りきっていない今、それをしたところで行くあてもないのに。
『いいかい。記憶っていうものはね、恋みたいなものなんだよ』
フリコの言葉が蘇る。思い出さなければと焦る度、言い聞かされた言葉だ。
『必死に追いかければ、それだけ早く逃げられちゃう。だから、向こうからやってくるのをそっと待つ。あのコは俺の記憶だからな。結局は俺の元に帰ってくるのサ。って、自信を持つんだ』
心地の良い低さを伴う、おどけた言葉には毎度助けられたものだ。
『そうして全部を思い出した時、その記憶を信じるのか、捨てるのか、なかったことにするのかは君が決めればいい。まずは全部を思い出すんだ、全部をね』
彼はときどき、津島が覚えていない津島をちらつかせる。しかし思い出すその時まで、それがどんなものかを言うつもりはないのだろう。
フリコの口調は非常に柔らかい。例えるには難しいが、菜の花の咲く草原のなかで日向ぼっこをするような。一文字一文字を丁寧に紡ぎ出し、いってらっしゃいと送り出すような。彼に紡がれる言葉は幸せだろうと感じさせる喋り方をする。それは港でおにぎりを食べ、気の抜ける笑顔を浮かべる軍人とどこか似ているような気がした。
人の神経をむやみに逆なですることを恐れる津島に聞く勇気はなかった。フリコはなぜ、そしてどれだけここに入れられているのか、などということを。
「今日のお昼はなんだろうなぁ」
部屋に戻ると、フリコはゆっくりと部屋を歩き回っていた。彼はヒールのある靴を履いているようで、歩く度にコツコツコツと硬い音が鳴る。
「ね、カズくんの好きな食べ物はなに? ボクはオムライス!」
軽く一跳ね。声の揺れとともに、ヒール音がひときわ大きく鳴った。
「黄金のふわふわな卵! フルアの実に似た色をてらてらと輝かせるライスは、ボクに「食べて」って語りかけてくるんだ。卵のところに絵が描いてあると可愛くていいよね」
「フリコさん、可愛いもの好きですよね」
「あっ、バレた〜? だーいすき! だからね、フォーンくんとはとっても気があうんだ」
ふと出た名前に「おや」と思う。
「えへへ、キミも友達なんでしょう? ボクもなんだ! 彼は優しいからとっても丁寧に接してきてくれてね……二番隊だっけ?」
見張りについたときに会話でもしたのだろうか。ここで本来の仕事を放り出し、おにぎりを片手に談笑するフォーンの姿は想像するにたやすい。
「似合わないよねぇ、彼が二番隊だなんて。あそこは戦闘集団と言っても違いない隊だよ。戦争では毎回第一線に立つような、とても頼れる隊だからこそ……そういえば話は変わるけど
『あの軍人、二番隊だったそうよ』
『無害そうな顔して怖いわね。ここの人たちのことも、いずれ殺して回る予定だったのかしら』
汚物を思い出すように顔をしかめる二人の女性は、津島に「違う」という間も与えることなく横切り、やがて遠ざかっていった。潮の香りが鼻をかすめ、季節風である風波がゴオゴオと屋根を揺らす記憶に、津島は頭をおさえる。
二番隊にいい記憶はない。港町ブラウの外れにある保育施設で子供を襲い、狩猟民族の集落エリギではシフォー・カロユの腹に穴を開けた。けれど、フォーンが優しいことは確かだった。弟を見るように津島や空を見つめる紫の瞳は、何よりも悪意がなく、なによりも真っ直ぐだった。
一体女性の記憶はいつのものか、思い出そうにも風に飛ばされた帽子のように、気づけばあっという間に遠くへ行ってしまっている。喋り続けるフリコの優しい声は全く頭に入らなかった。
×××
立つ鳥跡を濁さず。という日本語がある。狩猟ギルド【ぽぽーん】へ入隊することが決まった次の日、津島と空はその言葉を体現するべく片付けた家を後にした。入隊はリーダーであるベニヒ・エッシェーの休肝日明けとなっているため、津島と空には一日の猶予がある。再び使うこととなったブラウの借り家へ荷運びを終えた二人は、【ぽぽーん】拠点にて一人のんびりと茶をすすっていたグルーンに頼み込み、急かすように小さな島へと足を向けた。『終わりの時代』を経てその規模を小さく変えた、人間が唯一住める世界である『柱内』、その一番端にある孤島へ。
津島がこの世界に来て初めて転送門を経験した場所だったが、そのホールに見覚えはなかった。当時は不安と焦りに飲み込まれ、周囲に目を向ける余裕すらなかったのだろう。
「反対だぞ。オレは」
普段より数段低い声と寄せられた眉。その原因は津島と空によるわがままでなく、目的地にあった。グルーンを先頭にして進む道のりは、神の生まれる地ともされるキクジン村へと続いている。それでも二人に引き返すという選択肢はなかった、その地に古くから伝わる儀式『二月の精錬』を執り行うまでは。
風に揺れた草花は無遠慮な侵入者たちへ息をひそめている。津島の緊張が移ったか、隣を歩く空の口もへの字に歪んでいた。間もなくして山道へと変わった坂道は、かつての津島であればすぐに息を切らしていただろう。
「オレは先ほどの村でお前らを待つ。帰りは二人だけだから、道忘れんなよ」
慣れたように生い茂る枝葉をかき分けて、木の根に足をかけては体を持ち上げるグルーン。返事をしながら津島はゆるりと周囲を見渡した。自然豊かな森のようなのに生物の息遣いが一切ない。結界が機能していないという意味を改めて理解する。前を進むグルーンは森の中に残された数少ない生命の気配に向かって迷わず突き進んでいた。
「そちらにお社が?」
「ああ。キクジン村に顔を出してみようだとか、変な気を起こしたらダメだぞ」
二人は念を押すグルーンの言葉に揃えて頷く。そうして進むこと幾許か、木々の合間に飛び抜けて大柄な大木『神樹』が現れた。大の大人が幾人あつまっても囲いきれそうにないその根元には小さな社が収まっている。そこから伸びた石畳の道は津島たちの足元で、森に遮られるように途切れていた。
「マジか」
空が小さく息を漏らす。すっかり硬直してしまったグルーンの隣で、津島は社へ——否、社の前に佇む存在へ、小さく頭を下げる。
「ここの土地神様ってあなただったんですね————ニルフェさん」
すっかり弱くなってしまった日差しを灰黄色の髪に受け、丸まった一対の角を頭蓋から伸ばした少女が立っていた。呼ばれた名に反応し、その頭を深く深くさげる。いつも傍にいる猫又が、今日はいない。前髪に満開の花。そこから伸びるツタは金へと変色する髪に絡みついている。常に閉じられているその瞼がゆっくりと持ち上がった。
「まさかあなた達から会いに来られるとは思わなかった」
それは津島たちの言葉でもあった。しかし『二月の精錬』を行う手間が省けたのは嬉しい限りだ。宝石を連想させる新緑の瞳に促されるまま社へ一歩踏み出したところで、しかしグルーンが声を上げた。くんと惹かれたポンチョの裾に、空は思わずたたらを踏む。
「あんた誰だ、ここの者じゃないな?」
どういうことかと、ニルフェの顔を見やる。彼女は困ったように眉を下げて、言葉を考えている様子だった。以前出会ったときは「会いにゆく」と断言してくれたにも関わらず結局それ以来見ることのなかった彼女。その丸められていた背が、勇気とともに伸ばされる。
「顔見知り。“彼女”の最期を看取らせてもらったの」
彼女、がこの土地を守る神様を指すのならば、村を覆う結界の死も理解できる。ニルフェは言葉を続けた。
「彼女の代わりにわたしが、答えられることなら答える。わたしはあなたたちの仲間でありたいもの」
「味方、それ前も言っていましたね。その理由と狙いは? あなたの正体は? それにこの祠、これは」
次々とぶつけられる空の質問に、ニルフェはまぶたと眉を下げ唇を震わせる。
「ええと、それは……まず神に作られた子であれば味方をするのは当然のこと。加え、わたしにはできる限りの手助けをしなくてはならない約束がある。部外者の権限なんてたかが知れているけど、人でなくなってしまった者の姿を人に調節する程度ならできるから……」
身に覚えがあり、津島の呼吸が自然と揺れた。この社の名が『まほらの祓』であるとかいった話が、思考の流れに押し流されてゆく。
ニルフェの部外者という言葉は、彼女も別の世界からやってきた人であることを意味している。しかし津島たちとは異なり、知識を持っていることは確実なようだった、この世界に住んでいる人間たちでは到底知り得ない領域の知識を。しかしそれを聞き出す術がわからない。下手な質問では、答える権限がないと言われて終わりだろう。————手助けをする約束とは一体、誰と交わしたものだろうか?
浮かんだ疑問を口にするべく顔をあげる。しかしその時にはすでに、津島を除くその場の皆が喋ることをやめ、ある一点へと視線を向け腰を落としていた。
「キクジン村の人間が近づいてきてる」
ちりと皮膚を焼くような空気を揺らすグルーンの囁き。ニルフェが視線を動かすこと無く、津島へ朱色の巾着を差し出した。
「これを持って逃げて。土地神が死んだと知った日以来あの村の人は神経質になりがちなの。さ、早く。グルーンくんも」
促されるまま、不完全燃焼で離れがたい気持ちを抱えつつ社に背を向ける。そんな二人を視界の端に津島は巾着を握りしめた。少しばかり重みのあるそれは、不思議と手のひらにしっくり収まる。
「ニルフェは逃げないんですか」
「わたしは“こことは違う場所”に逃げるから大丈夫」
そういえば彼女の肉声を聞くのはこれが初めてだ。そんなことを考えながら、津島もニルフェからそっと離れた。
「ねえ、和音ちゃん」
去り際ふと呼ばれた名に、木々の間からその姿を振り返る。
「この世界における運命って決して幻想じゃないと思うの。信じて、その刀があなたの背に収まっているように、目的に向かって進めばいつか絶対、いい方向に転がっていくから」
頭に直接言葉を残し姿を消した彼女を見送り、津島も今度こそ社に背を向ける。ニルフェの言葉を聞いたとたん、刀が意思を得たかのように重量を持った気がした。
「ベニヒとグリエがやたらソラにこだわっていた理由がわかった」
山から転がり出た三人は、社へ戻る気も起きずブラウへ引き返す道を選択した。得たものは少なかったがゼロではない。朱色の巾着袋には、かつて津島が持っていた携帯電話と財布が入れられていた。グルーンは大股でさくさくと前を進む。
「グリエはベニヒの心の敵をとろうとしている。ソラ、お前殺されるなよ。いざとなったらオレは止められない。過干渉は禁止なんだ」
「うーん、ベニヒさんはどうかわからないけど、俺が男でいられるうちは別物として見てくれるので大丈夫です。以前洞窟で性別が変わったときの目は、とてもじゃないけど耐えられるものじゃなかった。……というか、意外と淡白なんですね。【ぽぽーん】は皆仲良しなものかと」
「はは、皆それぞれ目的に縋って生きてんだ、阻害なんてできないだろ。とは言っても、オレの目的は【ぽぽーん】の皆が幸せになることだ。お前らの目的も果たされればいいと思ってる」
からからと笑うグルーンの笑顔は気持ちがいいもので、津島と空も自然と頬が緩んだ。
しかし【ぽぽーん】拠点へ無事戻った彼らを迎えるグリエはカンカンで、怒声を躊躇なく耳に突き立てる。
「一体なにを考えてるんだ、ついこの間話をしたばかりだというのに」
「神に会いたくて……」
「ならなおさら、なぜ僕を連れて行かなかった」
絶対に反対すると思ったから。という言葉を飲み込んだ。それに、朝に拠点を覗いたとき、グリエが居たのならきちんと話をしていただろう。グルーンしか居なかった上、暇そうにしていたから話をしたのだ。
グリエは眉間を指でほぐしながら深く息を吐き出す。
「まあ、いいさ。でも君たちは利用対象だ。行動するにあたり相談は絶対。行動の許可は僕が出す。明日の入団挨拶後、カズはグルーンに、ソラは僕に同行すること」
入団の挨拶。それを考えただけで津島の腹はきりりと傷んだ。新学級、転入先、入学式……人の前に立つことを苦手にした津島に、それは反射で苦痛を与えてくる。その上入団の理由が理由だ。強張った空気が部屋を満たすことは、容易に想像がついていた。
しかし翌日、津島を迎え入れたのは暖かい拍手だった。
「トッペスの気持ちは変わらない。反対だよ」
口をへの字に曲げてそう断言したミヨ・トッペスも、二人が拠点に乗り込んだ話を掘り返すことはなく、あくまで事情を知る前の態度を貫いている。
ベニヒに至っては休肝日での出来事をすっかり忘れており、グリエはそんな彼女に話を合わせている様子だった。
「まあ、そうだろうよ、ベニヒってばあの期間のことは記憶に残んないらしいじゃん」
グルーンは肩をすくめる。共に出たマングローブにて魔物たちの命を単調に奪いつつ依頼品である植物を目指す道中でのことだった。
「まさかあの時に組手を交わした子たちが、ベニヒたちの一番の秘密を聞いた上でぽぽーんに入隊するなんて展開、誰が想像するよ」
楽しげに口角を引き上げる彼は、ふとその表情をバツの悪いものへと変える。
「ミヨのことは許してやってほしい。あの人に……ミヨに、悪気はないんだ。心配なだけなんだよ、いろんなことが」
その目には様々な感情が入り交ざっていて、二人の関係がひどく深いものを感じさせた。強い愛情。けれども恋人とは大きく異るもの。嬉しそうに弟を語るメリィや、レヨンの顔とひどく似ていることに津島は気がつく。
「大丈夫です。でも、ときどき不安になりますね。嫌われているのかと……少しだけ」
「まさか。ミヨはびっくりするほど君たちのこと気に入ってるよ。もちろん俺もね。初めて君に転がされてから、一緒に狩猟に出てみたいとずっと思ってたんだぜ。手合わせだってもっとしたいし」
喋りながら迷いなく泥の間に手を差し込み、小さな蟹を拾い上げる。指先に乗る程の大きさのそれは、突然の襲撃者から逃れるようにして泥へ落ちた。
それからの十日間は瞬く間に過ぎていった。ギルドで受ける依頼とエリギでの狩りとでは目的が異なる場合がほとんどで、慣れない戦闘には苦戦を強いられる。しかしその分だけ身の回りが潤う速さを身にしみて感じた。
たった十日で二人は多くのことを学んだ。戦闘技術はもちろんのことギルド間の付き合いかたや、【ぽぽーん】がいかに有名なギルドであるかどうか。核というエネルギー体の凄さ、そして————この世界における人命の軽さ。
核で加工された武器は硬く、衝撃に強い。血肉を弾くもの、切れ味が鋭いもの、異様に軽いものと、核によって様々な特徴が加わるそれらは常に品切れなほど需要が高く、供給が少ない。それをベニヒは、グリエは、グルーンは、ためらいなく持ち主とともに地面へ転がすのだ。その光景を初めて目にしたときは、全身の骨がちぐはぐになったかのように動かなくなってしまったものだが、もはや日常茶飯事として受け止められるようになっているのだから驚きだ。
もちろん、ベニヒ達も意味なく人を斬るわけではない。斬るのは、同じ依頼で鉢合わせになった他ギルドが共闘を拒み、ぽぽーんというギルド名を聞いても下がらなかった人。つまり報酬を独り占めしたい者たちのみだ。少人数での狩猟になるとそれに遭遇する確率が格段に上がる。この人数なら倒せる、と思ってしまうのだろう。そしてそういうときは毎回多勢に無勢もいいところで、相手は十を超えることがほとんどだ。ライバルである同業者を減らそうとする彼らに、津島は毎度胸が痛くなる。
勝てっこないのだ。二月の精錬によって得た力に、人は。
子供を彷彿とさせる純粋な笑みと共にグルーンは人をためらいなく殺す。それはベニヒもグリエも同じで、そろいもそろって必ず勝利を収めるのだ。血だまりの残る地面を蹴って魔物を殺す気分のなんと悪いこと。今日くらいはそういう光景を見ないでおきたい。年末すれすれまで活動している狩猟ギルドにまともな部類がいないことをわかっていながら、津島は毎日願いながら布団を出る。そしてそれは、大抵叶わない。
疲れた心をぶら下げて港まで下りてきた。水平線を眺めれば、白くぼやけた先に壁のような山の影があることへ初めて気がつく。ジュデグナ砂漠にて別れて以来姿を見ない軍人、フォーンは今一体なにをしているのか。なにかに巻き込まれてやしないだろうかと不安を覚えた。
「おにぎりの軍人? そうねえ。しばらく見ていない気がするわ」
「とても親切な方だったわよね。困ったことがあると自分のことのように話を聞いてくださって」
港を散歩していた二人組の女性に、気がつけば声をかけていた。上品に笑う二人はしかし、ある単語に顔をゆがめる。
「でもあの軍人、二番隊なのだそうよ。所属隊バッヂが赤色だったって誰かが」
「あらやだ、無害そうな顔して怖いわ。この街の人たちもいずれ殺して回る予定だったのかしら。あなたも二番隊の人とは関わらないほうがいいわよ、老若男女、出身や理屈関係なく、いつ手を出されるかわからないんだから」
怖い怖いと去って行く女性の背を見送ることしかできない津島の心に、もやもやとした影が落ちる。ふと肩に誰かの手が乗せられ顔を上げた。【ぽぽーん】の医者 ミヨ・トッペスの無感情な瞳が津島を見下ろしていた。
「立ったまま寝てるのかと思った」
その白い頬を伝う薄い汗に強張りかけていた心が解けてゆく。われながら現金なものだと呆れながら、津島は藁にもすがる思いでフォーンの所在を尋ねた。飴を噛み砕く彼女の口が止まり、その整った唇がわずかにまごつく。そして学問の街 パナーダの名が飛び出した。
「軍には明るくないんだけど……あそこには軍の第三拠点だかがあったはずだよ。だから役所も軍によって管理されてる。案内所で得られるものもあるかも」
もう道端で寝ないようにね、と言葉を残し手を振った彼女へ、津島も深い礼を残して踵を返す。善は急げだ。嗅ぐだけで唾液が湧き出るような香りに包まれたキッチンに立つ空へ、パナーダ行きを伝えるために。
「おかえり。なあ、頼みがあるんだけど」
帰宅するや否や、汁物の味見をしていた空が津島を振り返る。めずらしいと問えば、彼はやかましい笑みをその顔に浮かべてみせた。
「学問の街 パナーダを案内してほしいんだ。神のことを、調べたくて」




