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紙上史  作者: こーりょ
4 紙に例えられた世界の上で、二人が綴る短い歴史
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4-08 紙

「カズは、自分がもうすぐ死ぬとわかったら何をする?」


 突然の問いかけに津島はうつむく。

 かつての自身であれば喜んだだろう。死とは解放であり、救いだった かつての自分ならば。しかし今はどうだろうか——すぐに答えることはできそうにない。


「————あたしは、おっかさんの提案で魂と体をつなげる縁となるものをかき集めた。さすがに翼人の羽は無理だったけどね」


 その言葉に空の言葉が蘇る。

 フルアの実や、ギシュゴートの角。そして翼人の羽。この世界には、魂と体の結びつきを強めるお守りが存在していること。そしてジェスの部屋には、それが多く集められているという言葉が。


「でも どうにもならなかったから、歪妖にすがってある一つの契約をしたんだ。体を歪妖のものへ作り変え、病気とは無縁のものにする契約。

 知らないことが当然ってほど特殊な手段らしいから、今日連れてこられた理由はそれかと」


 囁くような言葉に対し、津島は弾かれるように門へ意識を向けた。盗聴されている気配はないが、下手な発言で再び牢に入れられては困る。

 しかし彼女は首を横に振った。


「フリコさんは別に良いと言ってくれたんだ。やっちゃったことなら仕方ないって」

「そう……ならよかった。病気って、どんな?」

「抵抗力が極端に低いんだって。どのお医者様からも言われた。ミヨさんにも」


 とりとめのない世間話でもしている様子だった彼女が、一度言葉を切った。そして密かに津島を伺う。

 なにかに躊躇いを見せているその様子に続きを促せば、深く息を吸い込んだ。


「あたしは、あなたが一体どうやって生まれて、どこからやってきたのかを全く知らない。何を求めて、何を目指そうとしているのか、天敵である神の子供とつるんでいた理由も」

 天敵とはどういう意味か。理解が遅れる津島へ、ジェスは唇を薄く開く。

「意味などとうにわかっているだろうに」

 しかし、そこから響いた声は彼女とは大きく異なるものだった。女性にも男性にも聞こえるそれは、彼女の影を揺らし現れる。


「——私たちはあなたが求めるものの力になりたい。すべての歪妖の根源たる存在である、『歪妖の王』よ。あなたの助けとなりたい」


 浮かび上がったのは1メートルほどの金属棒が三本。それらは独立した動きで、人の顔程度の核を囲むように浮いている。

 核が露出した歪妖を見るのは初めてだった。

 どこか無機質な印象を受けるそれに小さく会釈をする津島へ、ジェスは笑顔を浮かべる。


「この子が、あたしに核を与え、体を歪妖のものに作り変えてくれた子。テシャロっていうの」

「よろしく」


 その言葉はしかし、耳をすり抜けた。原因は今しがた発せられた単語にある。


 歪妖の王


 王などと称される覚えはない。

 しかし不思議と耳に馴染む言葉だった。だからこそ動揺した。


「自分は、王なんかじゃないよ」


 必死の思いで言葉を絞り出す。

 ジェスと、テシャロと呼ばれた歪妖は続く言葉を静かに待っている。


「勘違いだ。百体の歪妖がそれを肯定しても、これだけは揺るがない。

 空がこの世界に神様だと判定されるように、きっと何かが間違ってしまっているだけだ、だから——」


 津島は頭を下げた。

 ジェリクスが津島へ好意を持つ理由がようやくわかったのだ。

 ベニヒは神様という気配を、ロユは世界学の手がかりを求めて。チオリは料理を少しでも上達させ、フリコは津島を戦力にするために。

 好意を見せてくる相手が、自分にどういった利用価値を見いだしているかは、把握しておくに越したことはない。


「だから、ごめんなさい」


 相手の徒労を省けるからだ、こうして先に謝罪することによって。


「自分はあなたの役には立てない。もう帰って大丈夫だよ、お母さんが心配してるでしょう」

「ど、どーして!? 利用価値だなんて、あたしはそんな……」

「立ち位置が逆ではないかと、歪妖の王。貴方が私たちを利用するのが道理」


 震えるテシャロの声が不思議であった。どうやら歪妖も気遣いや世事といった言葉が使えるらしい。

 どういう言葉をかければ困らせずに済むかと、津島は頭を練り動かす。

 しかしその前に、ジェスは「じゃあ最後に」と声を上げた。


「ひとつだけ、歪妖の話をさせて。どうやら歪妖の王という言葉、はじめて聞いたようだし」


 素直に頷く。話を聞くことでジェリクスが満足するのなら万々歳だ。

 しかし、その口からこぼれ出たのは、津島が想像していた話とはわずかに異なるものだった。



「世界は紙に例えることができるんだって」



 小さな声が、青く照らされた石にやたら大きく反響したような気がした。


「草や土、人や魔物といった、世界にもとよりあるべきものは、筆で記された文字や記号。

 対して歪妖は、本来であればいなかった存在————つまり、この世界に生まれた皺や歪み、汚れに例えられる。

 長く機能した紙はくたびれ、些細なことで皺が寄る。皺はやがて穴になり、穴は紙の全てを飲み込み、それが世界の崩壊へ繋がる」


 ジェスは言葉を切り、目を閉じた。


「『歪妖の王』は、その皺を司る神を指すもの。

 異常なほど一年が長引き、多くの文明が失われた『おわりの時代』。その最中に歪妖が作り出した ただの概念だった。

 けれど歪妖を思いのままに生み出す力を持つとされたそれは、七年前に現実化した」


 また七年前だ。と津島は眉根を寄せる。神様の宣言が行われたのも約七年前だったはずだ。

 ふとテシャロの姿が消える。


「あっ、時間切れだ。この子、核を保護する体を持っていないから、長いこと外に出てこれないんだ」

 その点は他の歪妖と変わりがないらしい。

「ジェスの身体を核の入れ物としているんだね。どこに入れてるの? お腹……とか?」

「通常、核に実態はないんだ、外へ出る時に具現化させているだけで。だからどこにあるかは理解してないや」


 話を戻すよ。とジェスは頬をひっかく。


「七年前、歪妖の王はソラリス神と一緒にこの世界に現れた。共に様々な街を見て回り、再び姿を消すまで一緒だったんだって」

「あれ? さっき神と歪妖は天敵って」

「うん。ソラリス神には世界の皺を伸ばし、穴を塞ぐ力があるから。普通の歪妖ならその気配に触れただけで即死だよ。

 だからこそ神の子と常に一緒に居られるカズは、歪妖の王なんだ。って確信したんだ。なにも気配の強さだけで判断したんじゃない」


 いわゆる神様は世界のアイロン——焼鏝やきごてであり、セロハンテープなのだろう。


「それならジェスだって。核によって身体の造りを歪妖とほど近いものにしているのに……空と仲良くしていたよね」

「神の気配を出しないときだけだよ、そうできたのは」


 言いにくそうに笑う彼女に、津島は短く声を上げた。

 狩猟ギルド【ぽぽーん】に、神の気配を探知して音を鳴らす道具があった。その道具が鳴っていないときは、空はあくまで普通の人間だったのだろう。


 なら。と少し思う。

 ジュデグナ砂漠への旅路を共にした歪妖インピィはどうだったのだろう。

 多少なり苦しい思いをしていたのかもしれない。


「あたしには、いつも一緒にいるあなたたち二人が、七年前に聞いたソラリス神と歪妖の王の話に重なって見えたんだ。

 シフォルア街で『別の世界を見ていた』という『神の宣言』もそう。

 ソラは元々住んでいた場所に帰りたいのだと言っていたけれど、それは七年前にソラリス神が “見ていた世界 へ戻りたいんじゃないか。二人が目指している場所は、この世界にはないんじゃないかと、ずっと思ってた」


 息を飲む。

 一体なにが『何を求めて、何を目指そうとしているのかもわからない』だ。

 彼女の憶測は的確だ。一寸の狂いもなく、津島と空の目的を見抜いていた。


「だから、あたしもその手伝いをさせて欲しいんだ。歪妖の王だからとか、そういうんじゃなく、今回助けてくれたお礼として。そして————友達として」

 最初は確かに歪妖の王だから近づいた。と、ジェスは言葉を詰まらせる。

「でも見るからに危なっかしくて、いつの間にかそんな目的なくなってた。

 カズが港町ブラウに来てすぐのこと……覚えてるかな。壁を思い切り破壊して、森に逃げ込んで……そこで魔物に襲われたときのこと」

 言われれば鮮明に思い出す。多くの記憶に上塗りされながらも、それは強く恐怖の記憶として津島の中に残っている。

 敵意をむき出しに津島を囲む魔物たちは、しかし飛びかかる寸前に内から破裂して死んだ。

「あのとき助けてくれたのはあなた達だったということ? もしかしたら自分が魔物になにかしたのかと、ずっと……」

 声を震わせる津島に、ジェリクスはゆったりと首を横に振る。


「壁を破裂させたのは確かにカズの力だけどね。きっと空間をぎゅっと歪ませて、ねじ切ったんだと思う」

「……ありがとう。助けてくれたんだ、見ず知らずの自分を」

「テシャロがね! あのときから、あたしは想像していたものと違う『歪妖の王』の様子に強く興味がわいたんだ。

 カズが初めて畑にやってきたときは、もう運命だと思った。だからあたしは必死に、君を追いかけたよ」


 初めて出会った日に津島が受け取った煮物も、本来であればすべてがジェスの家で消費されるものだったらしい。えらく気が利くじゃないかと、母親に珍しがられたことを話しながら、ジェスは目を細める。


「あなたは、あたしがソラのことを好きだと思い込んでたみたいだけどね。ソラは気が付いていたよ。あたしが一番近づきたいのはあなただってこと」

「ご、ごめん……だってとても仲が良さそうで」


 他人からの好意を受ける対象として、自分自身を考慮に含んでいなかった。というだけのことだ。

 慣れない状況にうまい言葉が出るわけもなく、津島はひたすら指を弄り続けた。


「歪妖は世界の歪みが可視化したもの。その力を以てすれば空間の距離なんてあってないようなものなんだって。だからいつでもあたしのことを呼んで、戦闘はテシャロが。力仕事はあたしが手伝うから」

 そろそろ時間かな。と外に続く扉を一度伺う。

「世界の構造に関しては、全部テシャロが教えてくれた。こいつはおしゃべりだから、人が知るべきでない知識をもぺらぺらとしゃべるような子だけど、とっても強いんだ。だから力になれると思う」

 あなたに遣われたいと考える歪妖って、存外いっぱいいるそうだよ、とジェスは微笑みながら身を翻した。

「じゃあカズ、また。一緒に買い物、行こうね」


 重い扉が音を立てて開く。

 それをくぐりながら、ジェスは最後にまぶしいほどの笑顔を残し、階段を上っていった。


 自分の牢へ戻りながら可能な限りを頭の中で整理する。

 不思議と心は晴れやかであった。


 彼女は、彼女の自由と引き換えに津島が戦地へ赴くことを知らないだろう。しかしそれでいい。

 友達と呼んでもらえたことが、なんだかとても嬉しかった。

 しかし慣れない出来事、世界に関する多くの知識は頭をぐるぐると駆け巡りやがて瞼を重くさせる。


 ベッドに潜り込んだ津島は胸に手を当てた。

 歪妖の王と勘違いされるだけのものがあるならば、この感覚も事実なのだろう。

 不本意ではあるものの、認めざるをおえない。

 それはいつの間にか体の中にあるものだった。狩猟民族の集落で暮らしていた頃にはすでにいた気がする。


 体の中に、一つの存在がいる。そしてそれは今までに出会ったどの生物より弱っていた。



『向こうが兵贄へいしの成功体なら、こちらは歪妖の————』

 現実と夢の境界がおぼろげになりはじめたところで、先ほど聞いたフリコの声が意識に響いた。


『自分じゃ信じられないかもしれないけれど二人はすごく強く世界とのつながりを持っているんだ』

 これはインピィ。歪妖、つまりはずれの魔物の王。死のうと思っても死ねない体が歪妖と同じであることは自覚していた。だからこそ学問の街パナーダで歪妖の資料を読み漁ったのだ。

 腹の奥になにかがすとんと落ちたような感覚へ「ああ」と声にならない息を吐き出す。

 本当に自分は化け物だったんだ。

 頭がしびれるような感覚に、今度こそ意識は夢へ落下した。


『ごめんなさい。人としての姿を確定させるのが、精一杯だった』

 頭の中に言葉を響かせながら、頭に花とツノをつけた少女——ニルフェが身を縮こませる。

 白い空間が広がっていた。

 この言葉を言われたのはまだ戦闘に慣れず、狩猟中に気を失ったときのことだった。しかし、エリギでないこの風景を気にしていられる心境でもない。

「人としての姿って……なに。なら本来自分はどんな姿だったんですか」

 必死の思いでその細い腕にすがりつく。

「今更 歪妖の王ってなんなんだ、自分は普通の人間になりたいだけなのに!! そうであることを強いられていたのに!」


————津島和音は、どうあがいても津島和音だよ


 気がつくとニルフェの姿は消えていた。手は空を切り、風の吹く音が耳をかすめる。いつのまに閉じていた目を開ければ、山が連なる孤島の真ん中ですべてを見下ろしていた。広がる森のぽかりと空いたところにひどく濁った湖が広がり、天を雲のかわりに流れるのは鳥の群れ。

 やさしく頬を撫でる風は暖かくて、思わず目を細めてしまう。

 脈略のなさから、これが夢であることに気がついた。そして、記憶であることも。



 地上で男の声が響く。

「なんてことだ!」

 米粒ほどの大きさに見えるその男は、ぬかるむ地面を滑りながら持っていた剣を振り回す。

 少し痛い。が、今身じろぎをすれば、体があたって男は大けがをするだろう。息をひそめ、どこかへ行くよう願えば地面から小さな歪妖が次々と湧き出てきた。

 自分の代わりに男を追い払ってくれた魔物はその使命を果たしたとたん空気に解けて消え、男が最後に言っていた言葉だけが耳に残る。

「調査依頼をださなくては」といった言葉を。

 その依頼が、【魔物研究協会】に出されること。そして【ぽぽーん】へ調査依頼が出ること。

 グリエや、ベニヒがこの村に戻ってくるきっかけとなったことを、津島は知っている。



————わかっていて、みないふりをしてきたんだ。

————知らないふりをして、パナーダでもはずれの魔物のことを調べたんだ。自分がそうでないと、証拠を探すために。

————でもそれは無駄に終わった。なぜなら、調べれば調べるほど、それは自分と当てはまる特徴をもっていたからだ

————人の生活に溶け込もうなどできるわけがない。最初から無理なことだったのだ。


 全く関係のない存在だと思い込んで、夢のなかで湖から語りかけていた大きな大きな影。目の部分しか光を映さないから、シルエットでしか姿を認知することができない龍。友達ができたと語る自分に、この龍はおそらく強い同情を抱いたろう。なぜならその龍は、津島自身だったからだ。


 思い出した。


 この二日後に、自分の元へ一人の少女がやってくる。


「和音ちゃん、今姿を戻してあげる」

 目を閉じたまましゃべる彼女は、世界に刻まれた魔物——津島和音の情報をわずかに書き換え、その姿を人のものへと変化させた。

 彼女の名はニルフェ。隣に座る猫又の黒さが、竜の姿の自分ととても似ていることに気がついた。




「カズくんはこの国のことをよく知らない。軍人になるにあたって必要な知識は全く無いに等しい。……違う?」


 年が明け、ジェスから眷属の話を聞かされたその翌朝。津島は牢屋から出され、はじめて軍ギルドの拠点へと足を踏み入れた。

 ひらりとスカートを翻しながら前を歩くフリコ。その声は声帯をとりかえているのか、地下で聞くものとは大きく異なっている。

 外見にふさわしい声を出す彼によって押し込まれた一室で、うぐいす色の上着に腕を通しながら津島は頷いた。返す言葉がない。


 本来、ウォルノール国軍ギルドに入隊するには難しい筆記試験、体力テストを含む様々な壁を乗り越えねばならないのだが。

 しかし「わかっていました」とフリコは自信たっぷりに頷いてみせる。

「だから、カズくんには特例を行使しました! これでテストは無し!!所属部隊バッヂもお客様色で〜す」

 津島がかがめば、肩部分にするりと黒のバッヂが通される。近づく顔に、彼は声を3段ほど低めた。

「今回の戦争はバクサアロ領全体が、メグディエという街の長を指揮官にふっかけてきた戦争だ。偵察曰く、いまだウォルノールが神の再現でうかれていると信じきっているらしい。実際そうなのだけど」

 両肩に装着された所属部隊バッヂへ、今度は階級布が通される。布とはいえ、まるで紐のような造りをしていた。

「ボクは今から戦地へ向かう。けれどカズくんにはいざという時まで、そこから離れたところで人との戦い方を勉強してもらう。魔物との戦闘とはわけが違うからね」

 階級布の形を整え、満足げに息を吐いた彼は津島の肩を軽く叩く。うまくやっていけるだろうかと広がる不安をなだめるように。

 かつての同居人が頭をよぎった。


「フリコさん、最後に教えてください」

 なんだい?と愛らしく首をかしげる彼に、津島は言葉を続ける。

「神は今、どこに」

「それならシフォルア街の最も高い場所さ。この戦争が勝利で終わったら君はそこへ行くことになる」

 求めていることを完全に理解しているという物言いに、津島は口を閉じて彼の言葉に耳を向けた。

「年明けからまだ二日と経っていないにも関わらず、イゲリオ平原はすでに戦争開始寸前。非常に張りつめた状況だ。きみには後日アンジュ陣営へ入り、まず最前線へ出てもらおうと思っている。きっとそういうところに、素敵な出会いがあると思うんだ」


 彼はときおり、自信をもってこういうことを言う。ならばそうなのだろうと思わせるのも、また彼の力だ。

 ぽかぽかと湧き上がる心の温度に、しかしあまり期待せず頷けば彼は満足げに目を閉じる。自身の汚いところがすべて照らされるような明るい色のそれが隠れてしまう。

「おお、なかなか似合ってるじゃない!」

 そこで突如として部屋の扉が音をたてて開かれた。暖かい部屋に満たされた魔力が、キンと冷えたものに追いやられる。

 視線を向ければ、そこには声をあげ緩やかに微笑むフォーンがいた。



×××


「バクサアロ領は長い時の末、大いなる兵器の開発に成功しました」


 威勢良く上がる拳の数々に、バクサアロ領第一島 セロ・メグディエ領主は満足げに口角を持ち上げる。メグディエにおける貴族の血の表れである美しい燕色の髪を揺らし、この戦争の指導者である彼は言葉を続ける。


「愚かなことです、ウォルノールは開け放たれた大海にいくらの兵が忍んでいるか、平原を見通せる山に何万の構文が刻まれているかを想定することもなく、神の復活祭に明け暮れています」


 つい先日終わったばかりの一年間、神の再現による祭りで浮かれるフリをするのも終い。教育を始めとする根本の改善が功を成し、兵の質は過去にみないものとなった。とはいえ、その兵も今回の戦争においてはただのお飾りだ。二つの最終兵器がありとあらゆる死屍の上に立ち、それでもなお、さらなる血を求める姿が彼の瞼には浮かんでいた。

 向こうの兵数は二万を優に超えるだろう。こちらの兵器はその二万を、片手で握りつぶすのだ。


 出来は、贔屓目に見ても“そこそこ”といったところだ。なにせそれは『終わりの時代』以前にあった高い技術力の結晶。長引いた一年間で完全に失われた技術の解読には何十という節月をかけ、実行するためのシステム構築にも十何節年。上げに上げた成功率で挑んでも、実際に最終兵器としての利用に成功したものは五百人中たったの二体だった。

 しかしそれでも目を見張る活躍が期待できる。開発がこの戦に間に合ったのは、ひとえに同第一島セロ・ガンガハルトの協力があってこそだった。

 力を手に入れ、この戦で成功を収める。金と資材を手に入れ、領を広げる。それがメグディエの歴史に刻まれた在り方だ。いくら臆病者と言われようと、身内に反対意見があろうと揺らぐことはない。

 戦の矛先はウォルノールに限らず、今回は共同戦線を結んだバクサアロ領内での戦も視野に入っている。ガンガハルトとの同盟は最後に無かったことにすればいい話なのだ。

「この戦は勝利のための戦です。鉱資源、領土を我らのものとし、ゆたかな国への第一歩をめざしましょう」

 言葉を切れば、空間を引き裂くような歓声がビリビリと魔力を揺らして基地に響いた。

 後方へ控える魔力遣い共が杖で地面を叩き、兵へ大地の加護を流す。背を押すその力を感じながら、領主はおのおのの持ち場へ散らばる兵へ目をやった。兵士たちは肩を強張らせ、緊張の目つきで平原の向こうを見つめている。

 勿体無いと密かに笑みをこぼし、メグディエ領主は長い前髪を引く。


 せっかくの戦や、楽しんでなんぼやないか。


×××


「今回の戦は、鉱資源の街 テンティノをめぐるものだよ」

 戦場であるイゲリオ平原からわずかに離れた地に建てられた鍛錬場にて、フォーンは津島のこわばる肩をそっと叩く。「下っぱは戦力すら期待されていないのさ」と肩をすくめるフォーンは、これでもかという程手厚く戦闘のいろはを教えてくれていた。

 期待されていないなど嘘だと思った。なぜなら彼は素人目に見ても強く、武器の扱いに長けていたからだ。だが津島を監視しているだけとも考え難い。


「今回のフォーンさんの役割ってなんなんですか?」

「ええ〜それ聞く? 言っていいのかなあ」

 にへら、と気の抜けた笑顔に反し、ぶつかり合った木刀の先はメシリと嫌な音を上げる。

「君が逃げ出さないことをフリコは確信しているよ、僕たちは待っているのさ。君が対峙すべき“素敵な出会い”とやらが、最前線に出てくるのをね」

 だからこうして、できる限り戦場の近くで訓練をしている。

 いくら動いても汗ひとつかかないフォーンはそう言うなり、津島の木刀を小さな動きで弾き飛ばした。

「大丈夫、そんな硬くならないで。強いて言うなら……そうだね、僕は君に戦い方を教える先生役、かな」

 ウォルノール軍の部隊には、白、赤、緑、桃といった色がそれぞれ割り振られている。津島の肩に輝くのは、そのどれにも当てはまらない黒、お客様色。

 共に肩を並べる人はだれもいない。それに加え、津島は制服に腕を通して以来フリコとフォーンの二人を除く誰とも会話を交わしていなかった。たった一人にその黒はあまりに重い。戦うべき相手とは一体どんなものなのか。

 おぼつかない記憶に加え、一年間という空白の期間は津島をひどく臆病にさせていた。

 動きが止まったことを怪訝に思ったフォーンがその顔を覗き込み、慌てて津島の背へ手を伸ばす。ゆっくりと動くその優しさすら、底なし沼のように自らを飲み込んでしまいそうで、津島はぶるりと体を震わせた。

 しかしめそめそしている暇があるなら、彼にはやるべきことがあった。


 背中を押すのは過去の自分と、空の小指。


 一つ腹から声を絞り出し、床に転がっていた木刀で斬りかかる。踏み込んだ足がドンと大きな音を立てた。反応におくれたフォーンはされど、その切っ先を片手で受け止めている。

「っぶね……ど、どうした、カズくん。情緒不安定? やっぱりいきなりの訓練は厳しかったかな」

「自分、フォーンさんに甘えたらダメになると思いました」

 暖かいその手は、自分が一番欲しかったものにほど近い。話もそこそこに、フォーンへ木刀を構えるよう目配せする。

 彼はやれやれと、小さく息を吐いた。

「甘えてくれても構わないんだけどな……。君は可愛い弟みたいだって、前も言ったでしょ」

「お気遣い、感謝します。けれど、重ね合わせるのはやめてください」

「……そう」


 フォーンは諦めたように口角を引き上げた。

 日頃の所作とは一転、あっという間に距離が詰められ、木刀同士が悲鳴をあげる。チオリのしなやかな戦い方と、グルーンの力強い戦い方を合せたような切りつけ。かと思えば歩くような間を挟む。戦いにくいことこの上ない。

 受け流すことに必死で気がつくのが遅れてしまった。

 つま先で奇妙に地面を叩くフォーンのステップに合わせて、室内の空気が活発に動いている。そして魔力が、フォーンの立っていた場所を沿うように流れている。綺麗に図形を描くその痕跡に津島は確信を得た。


——間に合わない。


 瞬間、火の魔力が一斉に動きを反転させた。温度を司るそれらが過剰な冷気を生み、他魔力を巻き込んで床や壁一面が氷漬けになる。

「ああっ、やっちゃった」

 声をあげたのは、魔法構文の使用者であるフォーンだった。

 靴が床に貼り付けられ、動きが制限される。しかしそれは津島だけでなく使用者も同じことで。

「やっぱり難しいなあ、これ。上手くいけば便利なのに」

「……掘ったり、削ったりしなくても魔法構文って描けるんですね。初めて知りました。フォーンさんが魔力を扱えることも」

「必要最低限にだけどね」

 こめかみを揉みながら温度を上げる構文を一つ一つ唱える彼に、空やメリィ・ターナのような『慣れ』は感じない。

 しかし彼の言葉は嘘だと思った。


 部屋すべてを氷漬けにするような構文が、最低限なわけがない。


 津島はフォーンのことをなにも知らない。

 軍人で、おにぎりが好きで、各街限定のマスコットを集めることが趣味。

 戦えば意外と強くて、しかしなぜか港でずっと仕事をサボっていた。それくらいのことしか。

 けれどこんな打ち合いをしている間にも、彼から彼のことが少しずつが漏れ出ている。

「次こそ」

 同じ手は使わせないと意気込みながら、上がる部屋の温度に汗をぬぐった。


 そうして彼との打ち合いは、四日間も続いた。




「三番隊アンジュ・リ・ネーレだ。遅くなってすまない」

「だいじょうぶだよ〜。ささ、全員が集まったところで、お話し合いを始めようか」

 いまいち締まらない笑顔を浮かべるフリコを一端にして、小さなテントにぐるりと15人のお偉いが集う。

 天は赤みがかかり、暗くなるのを待つ時間帯。津島は今、フリコの隣で膝を抱えている。人の上に立つものが顔を突き付けあうこの状況に気圧された彼は、可能な限り身を小さくしようと必死だった。


「しんどい状況での戦闘を強要してしまってすまないね。皆、戦いたい気持ちを耐えてくれてありがとう。今の時点での負傷者を三番隊から順に教えてくれるかな」

 フリコの言葉に、端から上がって行く数字。それは、どれも戦争という状況では信じられないほどに少なかった。各隊の隊長の報告が終わり次第、フリコは医療班に薬と人員、テントの余裕を確認し「よし」と頷く。

 耳の下で整えられた紫髪を揺らし、三番隊の隊長が口を開いた。ほど若い女性だが、その目には鋭利さがある。


「いつまでこれを続けるおつもりですか。フリコ・ウォルノール。あなたがしていることは死者を出さずともあえて手を抜くことで無駄に戦を長引かせ————」

「今晩までだよ、アンジュ。そろそろ 向こうメグディエもしびれを切らすころだろう。 こちらウォルノールを領内へ誘い込み、一気に叩き潰す狙いがどうにもうまくいかないからだ。僕たちが防衛一心でモタモタしているせいでね。さ、高台報告をちょうだい」

 コロリと笑う黄色の瞳に、五番隊の隊長が口を開く。

兵贄へいしの動きは未だ僅かですが、出陣準備は確実に行われています。魔力の流れがそれにより大きく変化しました。火質と地質魔力のほとんどがメグディエへと吸い寄せられています。戦場周囲に設置された魔法構文は全て保存魔法。ここ一帯を固定することが可能な程度です」

「そら来た。メグディエの坊ちゃんは皆、臆病かつ短期なのが困りものだねぇ」


 ああ楽しい。と言わんばかりに微笑んだ彼に三番隊 隊長が呆れたように目を閉じる。


「二体の兵贄を従える陣はメグディエの坊ちゃん——領主が独り占めしているという話だ。つまり兵贄たちは同じ場所に居る。

 兵贄とは正面衝突することになるだろう。それにあたって、過去戦闘経験のある僕。そしてこの子が戦闘を担当する」

 温かいフリコの手が、津島の背に添えられた。集まる視線に、姿勢を正座へと改める。

 促されるまま名を名乗り 頭を下げれば、フリコは言葉を引き継いだ。

「皆も覚えているよね、昨年保護した存在のこと。それが彼だ。悪いようにはしないでよね」


 多少生まれたざわめきが耳に引っかかった。

 結局津島は、この世界に来てすぐのことは思い出せたが、この牢屋に入れられた原因は思い出せずにいるのだ。

 なにかがあったのだろう。


 「本当に大丈夫なのか」と不審に思う目線にはなにかを感じるでもない。仕方のないことだと、うけとめる。

 しかし作戦の確認も終わり、自分のテントへ向かおうとしたときだった。

 各隊長が出て行くのと引き換えに、新しく数人がテントに顔をのぞかせた。フォーンに続く面々に、津島は思わず腰を浮かせる。



「どうしてここに!」


 その声は存外大きくテントに響き、津島は頬をわずかに赤らめた。



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