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紙上史  作者: こーりょ
3 手がかりを追って
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3-32 五の贄に続く

 空が目覚めるまでの数日間は、不安との戦いだった。もしこれで二度と目を覚まさなければと最悪な空想ばかりが膨らみ、食事はミヨ・トッペスから差し出された暖かいスープを飲み込むので目一杯だった。自分の責任である。これで目を覚まさなければ、自分は本物の人殺しとなってしまう。

 仮に元の世界へ帰る手段が見つかったとして自分だけしか故郷の土が踏めないのならば、自害だってするつもりでいた。この世界での自殺方法を調べていた。幸いにもミヨ・トッペスの部屋には臓器や筋肉など人の身体に関する本がたくさんあったので、様々な知識を得ることができる。止まっているのではと錯覚してしまいそうなほど、静かに呼吸を続ける空の隣で。

 空はおそらく寝顔を見られることをひどく嫌がるだろう。汗や砂でどろどろになっていた衣服を着替えさせたのが津島だとわかれば、もしかしたら本気で怒られるかもしれない。そう考えると後ろめたくて、近寄って呼吸の確認をすることもできなかった。仮に死んでしまっていても、そのことにできるだけ気が付きたくない。という気持ちも、正直なところあった。前髪の隙間からさりげなくその姿を覗くだけ。なんの夢を見ているのか、時折頭頂の双葉がぴょこりと揺れると、その度安堵をする。


 空が目を覚ましたのは、そんな日が続いて三日目の昼だった。


「いっせーの!」

 津島と空の掛け声が、エリギの森に響き渡る。

 エリギの水源である川の底、他の住民の獲物たちに並べるようにして沈めたのはテントの外幕。そうして旅の間でこびりついた砂を洗い流すのだ。

 すっかり冷えた獲物を引き上げる住民が、そんな二人を見て目を丸くする。


「なんの皮かと思ったら……どうして川なんかで?」

「お風呂は人の身を清める場所だと思うと少し心苦しくて!」


 頬のガーゼのせいで大きく笑えない空。彼から朝食の時間にて指摘されるその瞬間まで、津島には旅の道具に意識を向ける余裕が全くと言っていいほどなかった。服はミヨ・トッペスが綺麗にしてくれていたが、それ以外のものは未だ泥だらけ砂まみれ。少なくともフォーンから借りたテントや寝袋だけでも綺麗にしなくてはならないと、二人は袖をまくり上げたのである。

 そうして数十分水にさらしたのち木に引っ掛け、風に晒した外幕が乾ききったころに一つの知らせが飛び込んできた。

「ソラくん、カズくん、帰ってきたよ!! エグバリーくんたちが!!」



「ジュデグナが湖になった現象に関して、軍が本格的に調査をはじめている」

 無事帰還したエグバリーが、あわてて駆けつけた津島と空へ「ただいま」の挨拶と共にそう告げた。今日も変わらず人影がない、集落の中心である広場で。

「正確には、ジュデグナが砂漠になった原因となる魔物が消えた原因に関して、だな。

 俺たちがジュデグナ砂漠で最後に見た魔物は終わりの時代が終わる頃に現れ、あの地域一帯の水質魔物を食いつぶすかわりに火質魔力を排出していたらしい。食いつぶす魔物がいなくなった今、あそこは一面湖になっている」

「フォーンとは途中で別れたわ。学問の街パナーダの軍拠点へ向かうって言っていたから、私たちの挙動をうまくごまかそうとしてくれるみたいね。普段働いていない人に期待はできないけれど。……年明けくらいまでおとなしくしておいたほうが身のためかもしれないわ」


 インピィとの再会を喜ぶ様子の彼女は、しかし悔しげに唇をかんだ。できることなら違うルートをたどり再びルベルグの山——はじまりの樹を目指したいところだろうが。

 言うことは言ったと安心したか、その場で船を漕ぎ始めるエグバリーの背を大きく叩き、チオリが腕をぶんと振り回す。


「すごいんやで。地面からぶわーって水が噴き出してな、立ってられへんから流れてきた魔物にみんなでしがみついて。なあ!」

「うん。でもその魔物、水に耐え切れず死んでしまってたけど」

 メリィ・ターナは、当時を思い出して顔を青くさせる。その背をさすりつつ、シフォー・カロユも微笑んだ。

「にしても空が無事でよかったわ」

「ありがとうな、ロユ用の球だったのに……」

「問題ないわよ。そもそも空があの魔物を消してくれなければ死んでいたもの。礼を言うのはあたしよ。……じゃ、報酬は後日渡すので今回は解散。皆命を張ってくれて本当にありがとう、有意義な旅だったわ。お疲れ様!」

 ロユは大きく一回手を叩き、そう言うなりあくびと共に家へ踵を返した。

 それを合図にターナ家もそろって家へと歩き始める。しかしメリィは去り際にひとり、津島の前に立った。

「カズ、あの時……大きな魔物が地面から出てきた時、手を引っ張ってくれてありがと」

「えっ。い、いえ、そんな。お礼なんて。無事でよかったです、お互いに」

「そだね。最初に腰を抜かしたとき、カズが引き上げてくんなかったら、きっと地面の亀裂に落ちて死んでいたと思う」

 もしくは飛んできた岩にぶつかってね。と言って笑ったメリィに、津島はどうすればいいかわからず俯く。

「だからありがとう。格好よかったよ。男の子ってすごく成長が早いんだよね。あの言葉の通り、本当に命を守ってもらえるだなんて思わなかった」

「そんな、自分は」

 男じゃない。と、口が滑りそうになったのを慌てて飲みこみ「そんなことないです」と首を横に振った。

「礼を言おうと思っていたけど、それどころじゃなくって遅くなっちゃってごめんね。ほんと、助かった。ソラももう普通にお話しできるみたいで、安心したよ。じゃあまた」

 照れ臭そうに片手を振り、エグバリーとチオリの後を追うその背を見送りながら、空が津島の脇腹を小突く。

「やるじゃん」

「なんもしてないって」

 家への道を引き返しつつ、津島はそれでも上がる口角を抑えることはできなかった。


×××


 雲のない青一色の天を背景に佇むその黒い存在は、まるで世界に開いた穴のように感じられた。

「君の体もとても大きいよね。……あの魔物みたいだ」


 砂漠にて対峙した魔物を思い浮かべながら、水面に座った津島はその存在へ語りかける。氷が張っているわけではないのに、水はまるでクッションのように津島の体を支えていた。濁った湖の底には沈んだ村が見える。両手で数えて少し余るほどの家屋しかない、本当に小さな村のようだった。

 この夢は二度目だ。いや、もっともっと繰り返し見ているようなきがする。覚えていないだけで。


「君は誰? こんなに頻繁に自分の夢に出てきて、自分となにか関わりがあるっていうの?」

『……ズ』

「なんて? もう一度言ってくれないかな」

 魔物の声がよく聞き取れず、問いかけたところで魔物は口を開かない。津島は諦めたようにため息をついた。

「自分の友達をしてくれるつもりなら……別に大丈夫だよ」

 その言葉に魔物は目を丸くしたように見えた。津島は、自分に言い聞かせるように言葉を続ける。

「友達ができたんだ。彼は自分の体質を見ても仲良くしてくれて、今まで通り接してくれた」

————でも裏切るかもしれない

 脳裏に響いた声は、津島が普段 骨伝導で聞いている自分の声と同じだった。思わず体に力が入り水面が揺れる。

「かもしれないね、でも」

————でもじゃない。人は裏切る生き物なんだ。信じちゃ、だめだよ


 コツン


 窓が強く叩かれる音に、飛び起きた。

 瞼を開いた途端、伝ってきた汗が目に入る。寝巻きもまくらも湿っていた。冷や汗だ。


 コツン コツン


 二度目の音に呼ばれるようにしてベッドから這い出る。慌ててカーテンを開けた津島は、そこで肩を揺らした。


「エグバリーさん、どうして」

「少し話をしないか、カズ」


 普段の狩猟で使用する大鉈の代わりに、短刀を腰から下げたエグバリー。その表情はいつも以上に固い。髪を下ろした彼に新鮮さを感じながら、津島は小さく頷いた。


 まだ天に明るくなる気配はなく、集落も寝静まった深夜帯。玄関先の松明は全て消され、森に尾を引いて漂う埃のような、ほのかな光が蛍のようだ。はじまりの樹を目指す旅の合間に聞いた話の通りであれば、これが光の魔力というものなのだろう。見えるのは深夜だからだろうか。

 完全に気を抜き思考をぼんやりと泳がせていると、川に架かる橋を渡ったところで語りかけられた。


「初めて会ったときのことを覚えているか」

「はい。学問の街 パナーダの資料館で、エグバリーさんは寝ている自分を起こしてくれました。ここでお世話になり始めて最初の頃、エグバリーさんは資料館で眠っていた自分をずっと怒っていたものだと思っていたんです」

「なぜだ? 身に覚えがないな」

「ふふ……顔が怖かったからですよ」

 怒らないでくださいね。と付け足した津島は、前方で足を止めたエグバリーと目を合わせる。その表情はどこかショックを受けているようで、津島は小さく頭をさげた。

「悪く言ったつもりはないんです」

「うるさいな。これでも気にしているんだ。顔が怖いとは昔から言われ続けていた。それにしてもカズ、お前なんか変わったな。前までのお前はそんなこと……」

「へへ、わかりますか? 元の世界に帰るため、強くならなくちゃいけないと思ったんです。だから少しだけ堂々としてみようと思いまして」

 胸を張って見せると、エグバリーは含みのある笑みを浮かべる。

「無理はするなよ、また倒れられたら迷惑だ」

 背を向け、再び森の奥へと歩き始める彼は、背の低い木々をかき分け、歩きにくい道を進んでゆく。

 最初はあてもなく、ただ眠気をさます散歩として歩いているものと思っていたが違うようだ。背の低い木々に隠されるようにして広がる、背の高い雑草地を抜ける。

「話を戻そう。俺とカズが初めて会った時、俺は本来資料館へ行く予定などなかった。ちょうどパナーダ近くでの依頼を終えて、転送門を使って帰ろうとしていただけだったんだ」

「じゃあ、どうしてあんなところに」

「呼ばれたからだ。強い魔物の気配に」


 エグバリーの低い声に、津島の足が止まる。


「確かにあの街では実験体としてラットを飼っている場所が多くある。だが、あの日俺が感じたものは比べ物にならない、強い魔物の気配だった」

「たどる途中で、寝ている自分を見つけたということですか?」

「いや、途中ではない。たどった先で行き着いたのが、寝ているお前だった」


 長い雑草を掻き分けた先、それまで四方を覆っていた草花からとたんに解放される。そこは人の手を感じさせるほど綺麗に開けた空間だった。木々に覆い隠されているようで、立ち入り難さを感じさせる。雑草は短く、木の根による凸凹もない、歩きやすいなだらかな地面から、人の背丈を優に超す石板が立てられている。奥から手前にかけて一枚、二枚、三枚と、天から見下ろせば三角に見える配置だった。


 サリサリと音を立てて、光の魔力が天から木々の間を縫って落ちてきている。

 エグバリーの言葉の意味が理解できないほど、津島はバカではない。対応を考えている合間に、エグバリーは再び口を開いた。


「そしてあのときの強い魔物の気配は、今さきほどまでお前の部屋から発せられていた。昼であればここの集落民すべてが気がつくような」


 なるほど。と津島は理解する。ずっと気のせいかと思っていたが、ここまでの道中で後方から人の気配があったのは確かなようだ。いまこの空間には、自分たちを除いて人が少なくとも五人はいる。


「チオリやメリィはまだ気がついていない。別にこの集落から出て行けと言うつもりもない。ただ……この集落は民の、家族の命を守ることがなにより大切だ」


 知っている。津島は、無残にも殺されたウォルノール軍 二番隊の姿をこの目で見たから。


「メリィやチオリが襲われる前に確認しておきたい。お前が絶対にこの集落の民を襲わないことを。この先祖の名を祀る石碑の下で、誓うことができるかを」

「……そうですね。前までの自分なら、襲おうとしたかもしれません。実際考えたことは一度ありました」


 始まりの樹を目指す旅の前日、チオリと手合わせをしたときだ。

 津島は変に誤魔化すことを諦め、エグバリーの鋭い目を見据える。最初は怖いと感じた顔。それでも家族や友を想う優しさで満ちていることを、いまなら感じることができる。


「でももう、この命をぞんざいに扱うことはできません。自分なんかが助かったことで、あんなに喜んでくれた同居人がいるんです。

 ジュデグナ砂漠で大きな魔物と対峙したことで、死への恐怖も知りました。はじめての感情でした、死にたくないなんて。生きてることに、落胆ではなく安堵をするのも」


 エグバリーに近寄り、その腰に下げられた短刀を抜く。不意を突かれたことで体をこわばらせるエグバリーに笑いかけて、津島は自身の小指を切り落とした。短く柔らかな草花が、血と共に落ちるそれを受け止める。


「確かに、自分は人間ではないと、ずっとずっと昔から自覚していました。化け物だなんて、言われなくともわかってた。でもそれは自分だって望んだことじゃないし、できることなら人として生まれたかった。出血多量で、呼吸困難で、飢えで、死ぬことができる存在に生まれたかった」

 もうその願いは無くなってしまったけれど。

「どうすれば誓うことができますか? 自分はここの人たちに感謝しています。それを仇で返すつもりはありません。指切りげんまんでもしましょうか」


 差し出せば、切り落としたはずの小指は元どおりになっている。非常に不愉快だが、生へ前向きになった今では便利な体質だ。

 エグバリーは目を細め、しばらく逡巡した後ため息をついた。


「お前の意志はわかった。短刀を返せ。指は無事か、痛みは?」

「えっ、え? いいんですか?」

 差し出された手に、素直に短刀を乗せる。

「疑ってかかるようなことをして悪かった。確認してからこれを言うのも卑怯だろうが、そうだろうと思っていたよ」

「自分が魔物だということですか?」

「お前がこの集落を襲う気はないだろうと、わかっていた」


 エグバリーが緩やかに首を振ったそのとき、それまで静かだった森の空気が引き裂かれた。


「ほら! やっぱりそうだろうが!! カズが人を襲うことなんてできないんだよ。 離せっつってんだろ、蹴るぞ」

 弾かれたように振り返ると、そこにはガサガサと豪快に茂みを揺らして、人の手を振り払う空がいた。後ろから困り顔を覗かせたのは集落長だ。

「魔物の気配がなんだよ、こんな深夜に同居人連れ出すなんて非常識だろうが。追いかけてみればいきなり口塞いでくるし……」

 口元をごしごしと拭う空の落ち着いた声色に、エグバリーはおやと眉根をあげる。


「ソラも、なんだか雰囲気が変わったみたいだな」

「話逸らさないでくださいよ。メリィさんにカズのことを『気になる人』と話していたのはそういうことだったんですね、もともと魔物の気配があるってわかってたから」

「よく覚えているな。メリィも話したのか……あいつ……」

「今の照れるタイミングじゃないです。……エグバリーさんは、本当に津島のことをただの魔物だと思ってるんですか」


 集落長に続いて居心地が悪そうに出てくる四人は、皆朝礼で見たことのある人たちばかりだった。

 読みが当たったことを嬉しく思う津島を置いて、話は進んでゆく。


「カズに人を襲う意志は欠片もないと確信していた。始まりの樹への旅を経て確認したからこそ、民への証明のためにもこうして呼び出したんだ。魔物だと強く感じるときもごくたまにあれど、普段の気配は人間のそれだからな。そんな事例は初めてだから不思議に思う。そういえば少し話は変わるが……」


 エグバリーの瞳の奥で強い好奇心が疼いている。気圧されながらも「なんでしょう」と津島が問えば、間を空けず言葉が投げかけられた。


「ゆびきりげんまんってなんだ?」

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