3-25 はじめの一歩
朝というには早すぎる時間帯。天はまだ暗く、冷たい空気に身を縮こませながら総合施設の扉が開くときを待つ。
木々が生い茂る中、そこだけがくり抜かれたように開けた広場で一人また一人と集まる人影。そんななか「メリィ、遅いなあ」と呟くチオリに、津島はそっと近寄った。
「チオリさん」
二度目のあくびを漏らす彼は、彼の意を決した顔つきに首をかしげる。
「どうしたん、カズくん。昨晩はよく眠れた?」
「ありがとうございます、ぐっすり眠れました。あの、一昨日の手合わせでは本当にすみませんでした。つい我を忘れてチオリさんを……」
「ああ……ええよもう。気にせんでええて。むしろ本気になってくれて嬉しかったし。……まあ、せやね。ちょっとびっくりしたけど。あれからどうしたの? ソラくんちょっと怒っとったよね」
やさしく緩められる笑顔に、津島はつられて眉を下げた。答えようと唇を開いたところで広場に隣接する総合施設から重い金属音が鳴り、内側から扉が開かれる。
「遅くなってごめーん! さ、入って」
メリィがそこから顔を出し、広場にて待つ皆を手招いた。
まだ出勤時間を迎えていない総合施設に人は誰もいない。踏み入れた足に床が軋む音がやたらと大きいのは、普段聞こえる話し声が一切ないからだ。窓から差し込む光は頼りなく、そんな薄暗い施設の中を七人は息を潜めて進む。
フォーンが興奮気味につぶやいた。
「僕、こんな時間にここに入ったの初めてだよ」
それに相槌を打ったのは、普段の白いワンピースではなく長い紺の上着に身を包んだシフォー・カロユ。
「職員はしまっている時間でも出入り自由と言っていたわよね、メリィはこれくらいの出勤が普通だったりするのかしら?」
「いえ、私も久しぶりですよ。よっぽど仕事が溜まってない限りギリギリまで寝てるので、むしろ遅刻常習犯ですね。お恥ずかしい」
そう言うメリィはファーのついた渋緑のもこもこしたジャンパーに膝丈のパンツ、そして防具性能のあるタイツを身につけている。彼女の制服でない服装は、津島と空にとってはなんだか新鮮なように感じられた。
転送門の正面に立つ。ここまで静まりかえっているとなんだか別の場所のようで、妙にあたりの様子が気になってしまう。
メリィから手渡された木札を両手で握りしめ、津島は思い切りよく転送門に飛び込んだ。
「そういえば、空はここに来るの二回目だよね」
「なんで覚えてんの?? 前来たときは怖い顔した軍人さんしかいなかったから、今どんな感じかって気になってたんだよ!!」
転送門をくぐり抜けてすぐ。広がるホールに響く声を聞きながら、シフォー・カロユはその場にいる人数を確認する。
大丈夫だ。全員こちらに来れている。
ここ、テンティノを出てまっすぐルベルグの山への道を進むわけだが、この街を含めた辺り一帯には鉱資源が多く採れる山が連なっている。それが鉱資源の街と称される所以なのだが、安全に作業を行えるよう採取場の周りにぐるりと魔物よけのバリケードが張られているのもこの街の特徴だ。
バリケードの外に出てからが、真に気を張るべき場所ということになる。
ふと、肩に乗っていたインピィがシフォー・カロユの頬に顔をこすりけた。
『力みすぎ!』
「ええ……そうね。ちょっと久しぶりに緊張してるかも」
眉間を揉みながら、ホールから出る扉を押す。そして鉱資源の街特有のさらりとした土の匂いを、肺にめいっぱい吸い込んだ。
隣の家に行くのにも短い坂を一度降りてから上がらなければならない高低差がある黄土の土地。並び方に規則性が無い建築物はほとんどが白か黄土色で、パステルカラーが立ち並ぶ港町ブラウと比べると地味だが統一性がある。主要な道は石で綺麗に舗装されており、一方は精錬所へ、そしてもう一方は巨大な採掘穴へつながっている。
朝の早い時間帯である今も、家から採掘場へ向かう男たちがちらほらと見受けられた。
「でも人生、何が起こるか本当にわからないなあ。まさか一緒に学問の街に行ったとき、カズくんが花の街に行きたがった理由がロユちゃんに会いに行くためだとは思わなかったよ」
「そういえば言ってませんでしたね。手がかりとしか……」
「わたしも、まさかフォーンくんとまたこうしてお出かけできるとは思わんかったで!!」
茶色と白の街。街に自然はあまりなく、あるとすれば玄関先に申し訳程度に飾られた花壇程度。
精錬所から伸びるトロッコの線路は、枝分かれして様々な採掘所につながっている。
一行の一番後ろを歩いていた空は、緊張感なく会話に盛り上がっているチオリやフォーンの背中を眺めてから視線を隣に移す。魔物インピィを執拗に撫でるシフォー・カロユと、何度も眼鏡の位置を直すメリィ・ターナ。二人の表情は、明らかに緊張感でこわばっていた。
「すまない。ここに来るトロッコに一緒に乗せて行ってもらいたいのだが」
トロッコへの乗り降りが行われる駅にて、エグバリーの言葉に対する坑夫達の反応はいいものではなかった。
「よそもんに乗せるスペースは無い」と首を横に振る彼らは、どうしてか揃いも揃ってフォーンを伺い見ている。
理由がわからず「そこをなんとか」と食い下がろうとする空。しかしそれを中断させるようにポンチョを引いたのは、最後尾に立っていたシフォー・カロユだった。そのまま彼女は前に出る。そして、ためらいなく頭をさげた。
「お願い。バリケードの外に行きたいの。目的はジュデグナ砂漠だから、ここの人たちになにかをしようというのではないわ。……神 ソラリスに誓って絶対に」
身丈の小さな少女に頭をさげられては、当然いい気持ちがしないものだ。坑夫達は僅かにざわめいて互いに顔を見合わせはじめる。
ソラリスという名に空が小さく肩を揺らしたがそれに気がつく人は居ないまま、坑夫達は渋々と頷いた。
しばらく待つこと少しして建物の間から姿を現したトロッコに、シフォー・カロユは緑の瞳を輝かせる。
それもそのはず、街を一日で何往復もするトロッコは、この世界には珍しくエンジンがついた乗り物だ。空中に漂う魔力を必要な力に変換して車両を引くことができるという、すでに失われた技術である。
つまさき立ちで無理にでもエンジンを覗き込もうとする彼女だったが、エグバリーがそれを慣れた手つきで抱え込んだ。
「まあ、ここの人たちが渋ったのは九割がた僕のせいだろうね」
歩く数倍のスピードで流れてゆく質素な景色。「視線が痛かったや」と、貨物車にてトロッコの進む音にかき消されぬよう声を張ったのは緩やかな笑顔の軍人フォーンだった。
「なんでわかっていてその服を着てきたんだ」
「ごめんねぇ、エグ兄。遠出に一番適した服装は結局これが一番なのさ。他のも一応探してみたんだけれどね。でもよかった。ロユちゃんのおかげで、こうして乗せてもらうことができて。ありがとうね」
目的の場所で七人はトロッコを降り、乗せてくれた鉱夫達へ礼をする。他に降りる人は誰もいないその駅は、街をぐるりと囲むバリケードのすぐ脇にあった。木製の柵を想像していた津島は、城壁と言っても差し支えないほど立派な作りのバリケードに立ちすくむ。
手で押し上げるという変わった作りになっている門のそばには小屋。そこで門の出入りの手続きをするのだと言いのこし、シフォー・カロユは皆に背を向けた。その間に一行は落ち着いた場所で行える最後の調整をする。
津島は借り物の刀と向かい合う。手入れらしい手入れはあまりしていないのにもかかわらず、刃も欠けず錆びることもなく出会った当初からの輝きを保ち続けているのだから不思議だ。
「こんなところまで来てしまったね」
小声で語りかけて、そっと地を撫でる。もう、大分長い付き合いになってしまった気がする。
この世界に来てすぐの頃は今くらいの時期には既に帰れているものと思っていたのに。
この遠出から戻ったらベニヒに刀の手入れ方法を聞こうと決めつつ刀身を鞘に戻し、背後でのんびりと槍のグリップを見ていたフォーンへ顔を向ける。
「あの、フォーンさん。この街で軍人さんって嫌われちゃうんですか?」
突然の問いかけにフォーンは虚をつかれたような顔をし、直後普段通りの笑みを浮かべた。
「うん、だから制服なんて着てぶらぶらしてたら囲まれちゃうよ。とはいっても基本的にここの住民は外の人たちみんなに対して冷たいかな。過去に戦争でいろいろあったせいで、外の人間は基本的に警戒する癖が染み付いちゃったみたい。そういった点ではどこか狩猟民族の集落と似ているかも」
「アホか。大違いや」
「ええーそうかなあ。初見の対応にわずかな差があるだけじゃないか」
巨大包丁で素振りをしながら割り込んできたチオリの言葉にそう答えたフォーンは、肩で支えていた槍を地面に置いた。その視線をたどるように顔を上げると、小屋を出て駆け足で戻ってくるシフォー・カロユの姿。
いよいよ、街の外へ出る許可も得た。武器をしまったエグバリーが地図を広げる。
「カロユ、礼を言う。……さて、とうとう出発だがここを越えたら先は一切気を抜けない。目標地点は前に話した通りだが、一番目の目標へたどり着くのにも相当きびしい道を通る。できるだけ配慮はするが辛くなったらちゃんと言うこと」
地図を示しながら話すエグバリーに、頷く六人。目的地点とは言っているが、そこ以外にテントを張れそうな場所がないというだけ。なんとしてでも夜までにはここへ辿り着かなければならない。
「それから先のことは今夜に話そう。準備はいいか」
普段以上に引き締まった顔でそう言ったエグバリーに、各々気の入った返事を返す。彼は長い金の髪を揺らして、バリケードを振り返った。その瞬間ぴりと張り詰めた辺りの空気に、津島はごくりと唾を飲む。横目で伺うと、それまで一切口を開いていなかったメリィの顔が見えた。面白いくらいに汗をかいている。
緊張しているのは自分だけでは無い。そう思うと、なぜだか不思議と心に余裕が生まれた。
外へ続くバリケードの扉を押し上げ、順番に体をくぐらせてゆく。一同は壁の先へ広がる広大な地へ足を一歩踏み出して……
「おいおい……まじかよ」
空が顔をこわばらせた。
険しい岩の大地。バリケードを出たそこで、人ははじめて鉱資源の街が過酷な環境にあることを知る。
上を見上げれば高く連なる山脈が、そして正面には雨季と風の影響でできた見事なまでの階層谷が広がっている。
本来ならば、その盛大な景色に感嘆のため息でもついていたところだろう。しかし、今は残念ながらそれを堪能することは叶わなかった。
イタチのような姿をした魔物が門をぐるりと囲いこみ、津島たちが進むべき道をみっちりと覆い隠しているのだ。
まるで、人間という餌が出てくることを待っていたかのように、そしてこれからの道がたやすくないことを知らせるかのように、魔物たちはヒゲをピクピクと動かして、まっすぐに津島たち一行を見つめていた。




