3-23 作戦会議
そういえばこの世界の地図を見たのは、初めてかもしれない。
ラグの上に広げられた世界地図を見て、津島は思う。港町ブラウから狩猟民族の集落エリギまでの道を確認するために、狭い範囲でありながら細かく記載された地図なら見たのだが。
こうしてみると自分たちの行動範囲がいかに小さいかを思い知る。あんなにヒーヒー言って歩いた二つの街の間は、今フォーンとシフォー・カロユを含め、床に座った七人で覗き込んでいる世界地図で見るとゴマ粒程度の大きさでしか掲載されていない。
「ちなみに、カズくんが前に行った学問の街パナーダはこのあたり」
「へえ……思った以上に遠い場所にあるんですね」
唖然とする津島に、他の言葉は見つからない。空がぽんと、地図の一箇所を指差した。
「この“ルベルグ”って書かれている場所が、今回目的のルベルグの山ですか???」
「そうよ。にしてもこんな大きな地図、大抵のことじゃ入手できないわよ。チオリのって言ってたけどあんた、調理器具だけじゃなくて世界地理学の収集もしていたの? 高かったでしょう」
「どうやろう……家を出るときに書斎にあるものを一つかっぱらってきただけやし、価値はわからん。それで? ここが目的のルベルグ山なら、一番近い転送門がある街は鉱資源の街テンティノやけど」
近場にある二重丸の表記がされた場所を指差すチオリに、世界学者の顔つきになったシフォー・カロユは口角を上げる。
「そうね。最短距離はその街からジェデグナ砂漠を抜けるルートよ」
「ただこの道で行くと、相当戦闘が続くことになる。念には念を入れて、学問の街パナーダからの出発という選択肢もあるが」
「パナーダには国内に複数ある軍の拠点のうち一つがある」
エグバリーの言葉を拾ったのは、軍人フォーン。
「本に対して一部隊だけで急襲を仕掛けてきたということは軍は……二番隊は、なにかその本に対しておおっぴらに動けない理由があるんだと思う。だから人の目がある街中は大丈夫でもパナーダを出た後が怖いね。このメンバーなら襲われても大丈夫かもしれないけど、この集落に変な目をつけられる可能性を考えて避けたほうがいいかもしれない。あともう一つの理由は……」
「お前が上司に見つかったら連れ帰られる可能性がある……と」
「大正解だよ。さすがエグ兄」
「……ロユの怪我の調子は本当に大丈夫? 無理しているとかない?」
「ありがとメリィ。でもあたしは大丈夫。それに……仮に多少無理をしていたってあたしは行くと思う。今までとは違うなにかが見つけられそうな気がするんだから」
そのまなざしに宿る光は強く、津島と空はそれに圧倒されるようななにかを感じた。
フォーンの言葉に従い出発地点を鉱資源の街テンティノに決めたところで、次はそこからはじまりの樹へ進むルートを決めてゆく。しかしそのルート決めが難航した。気を抜くと会話がみるみる脱線してしまうのだ。食べると美味しい魔物の話から、終いには近所のおじいさんの笑い話まで。主にチオリとエグバリーとフォーンとメリィと空のせいで。つまりほぼ全員のせいで。
津島はおろおろと脱線してゆく話題を見守ることしかできず、話がまとまる頃にはすでに夕飯の準備をはじめる時間帯になっていた。一日でまとめることができたのは必死に声を張ったシフォー・カロユのおかげだろう。最後にはエグバリーの眉間に拳が飛んだ。
「もう時間遅いし、今日は狩猟もお休みしよか」というチオリの提案に反対する者は誰もおらず、そのまま皆で夕飯を囲むこととなった。
————
「じゃあお疲れ様。話がまとまってよかったわ」
「当日はよろしくね」
「おう! よろしゅうな!!!」
とっぷりと日が暮れた集落の中、そう言い残して帰ってゆくフォーンとシフォー・カロユを見送るチオリ。手を大きく振り続ける彼の背中を追いかけて、津島はそっと外に出た。
帰る二人の背中が木々の間に消えるまで振り続けられていたその手が下りたところで息を吸い込む。
「チオリさん」
松明が明かりを放出し、ペットである魔物は小屋で眠る。そんなしんと静まっていた空気のなか突如響いた人の声に、チオリは肩を揺らして振り返った。
「おは……カズくん、いつからおったん。びっくりするやないの」
「あっ、あの、よかったら手合わせをお願いできませんか。食後ですけど……」
「へっ、ええの!? ぜひぜひ!! わたしも今日は全然動いていないせいで、全身むず痒くて仕方ないんや」
そう言って身体をよじらせたチオリに、津島は深く頭を下げる。手合わせは話し合いをしているときからずっと思っていたことだった。強くならなければ道中で死ぬかもしれない。そんな恐怖に、津島はわずかな焦りを感じたのだ。
それまで両手で抱えていた木製の武器をチオリへ手渡す。普段彼が使っているものとまるきり同じ大きさの木製の武器だ。
「わあ! わたしの手合わせ用の武器! 持ってきてくれたんやね。ありがとう」
「いっ、いえ! チオリが身体を動かしたがってると思うからってメリィさんが渡してくださったんです。 自分にも一本貸してくださいました」
そういいつつ津島は、一緒に持っていた細身の剣に似せて作った棒を示す。
少し家から距離をおき、わずかに暗い森の中で二人は向かい合った。
「カズくんと手合わせかあ! よしよし、頑張るぞ」
「すみません、いきなりわがままいってしまって。よろしくおねがいします」
エグバリーやメリィ、そして空はまだ家のなかで話を続けているだろう。光源から離れているせいで視界が不明瞭だったが、こういう環境で戦う必要だって出てくるかもしれない。そのとき「戦えません」では、洒落にならないのだ。津島は深く息を吸い込んで木製の武器に手を添えた。
「最初カズくんは絶対に戦えるようにならないと思ってた。あんなにひどい顔をして……過去のわたしを見ているようで可哀想やったんよ。わたしも昔は、魔物と戦うことにひどく抵抗があったから。でも今は、あの時エグ兄に言葉を止めてもらえてよかったと思っとる」
あのときというのは津島が空とともに戦い方の指導を乞いた日のことだ。
さらりと冷たい空気が頬を撫で、二人の長い髪を小さく揺らした。木がざわざわとざわめくなかチオリは言葉を続ける。
「こうして狩りもおひらきになってしもうて、なんだか手持ち無沙汰の時に、手合わせを申し込んでくれる友達が一人、増えたものね」
風が止まった。森の中のすべての音が一瞬だけ消えたその瞬間に、二人は姿勢を変え地面をつよく蹴り飛ばす。
「自分も!! 最初はダメそうだと思っていました! でも……っ!」
普段使っている武器と似た刀身で削られた木の武器。チオリから振り下ろされたそれを受け止めた津島は、弾き返すとともに反撃の姿勢を作りながら言葉を続ける。
「こうして強くならなくちゃ、きっとはじまりの樹へは辿りつけません!! だから、今回の手合わせで見つけた自分の欠点、後で教えて下さい!」
「ようしゃべるな。舌噛まんよう気をつけえよ!!」
「チオリさんこそ!!!」
そうしてぶつけ合った木製の武器に、やはり筋肉トレーニングは大事だろうかと津島は思う。ワンテンポ置いて再び繰り出す津島の横薙ぎをぴょんと跳ねるようにして後方に飛びず去ったチオリは、チャラチャラと装飾品を鳴らしながら一気に距離を詰めてきた。
チオリは反射神経が鋭い。柔軟にぐにぐにと曲がるような回避と、時折挟む突き刺すような鋭い攻撃。必死にそれを模擬刀で受けながら、津島は足払いを試みるもすっかり読まれており軽くかわされた。
くそ。と舌打ちが出そうになるのを飲み込んだところで、ふと脳裏に切り裂かれる軍人の姿が浮かんだ。この世界に来てすぐの、育児施設での光景だ。
「おっと」
模擬刀にチオリの髪がかすめる。惜しい。もう少し早い攻撃を繰り出せたら、その髪飾りを取ってやることくらいできたかもしれない。津島はそう内心で呟きつつ、背後から仕掛けられる回転切りをかわして武器を持ち直す。
チオリがヒュウと口笛を吹いた。
「やるねえ。カズくん」
「ありがとうございます!」
汗を拭う暇もない。相も変わらず、戦うことで少しずつ過激になってゆく自身の感情を必死に抑えながら津島はチオリの攻撃を受け止めた。ぎり、と噛み締めた歯が嫌な音を立てる。
(ただの棒切れでも、人を大怪我させることくらい可能だって、知ってんでしょ?)
連続で降りかかる攻撃を全て受け止めきった津島は、ビリビリと震える腕を少しでも休ませたくてチオリから距離を置こうと後ろに飛び退った。しかしそれすらも見通されており、一切距離をつけられないまま模擬包丁の切っ先が津島の右脇腹に触れそうになる。
どこか一つでも人間の急所に当たれば負け。それがこの集落での手合わせの唯一のルールだ。
負けたくはない。
津島は燗と輝く黒い瞳で、チオリの瞳に視点を合わせた。同時に模擬包丁を持つチオリの左腕を外側に強く蹴る。丸く開かれた目を見送り、ぶわりと広がる裾に模擬刀を振り下ろす。
ばきり。
木の割れる音は、チオリの模擬包丁から鳴った。
「くそっ」
受け止められたのだ。素早く一回転したチオリに、真正面から。抑えきれなかった津島の悪態に、チオリは楽しそうに口角を引き上げる。自分が彼をこんな表情にさせているのだと思うとなんだか無性に嬉しくなってくるが、しかし
(ここでこの男を、チオリ・ターナを殺したら?)
心の奥底で小さな誰かが津島に囁いた。かき消したくて、構えた模擬刀を再び突き出す。
(集落の敵として断罪してくれるのでは? ……そう、あの軍人たちのように)
集中力の乱れは練度を下げる。切っ先はチオリの模擬刀に触れることすらなく虚空を引き裂いた。
(村から逃げることは許さないと、死ぬまで殺してくれるのでは?? ここでチオリを殺せば)
(ここで、殺せば)
集まる目線を思い出して、目の前の燕色の瞳を見る。その目の変化に気がついたのだろう。チオリ・ターナは眉を寄せ、僅かに模擬包丁の持ち方を変えた。
「カズくん……?」
形のいい唇から名前を呼ぶ声が聞こえて、なぜか目の奥が熱くなった。
この集落は、あの狭い部屋によく似ている。三十人が机を並べて一つの世界を形成する、あの部屋に。
少しずつ二人の動きが速くなる。津島がスピードを上げるのに合わせ、チオリもそれを上回るべくして模擬包丁を振るうのだ。無意識のうちに光源からみるみる離れる二人はその地形を完璧に把握しているように動き、木製の武器をぶつけあう。
津島の心の底でささやいていた誰かはついに立ち上がり、目いっぱいに声を張り上げた。
(ここでチオリを殺せば、あたしは死ねる! 殺せ、この男を!)
「そこらにしとけよ。津島」
激しい攻防の間、突然すっと刃を差しこむような低い声が響いた。ぴたりと止まる津島の動きに、チオリは模擬包丁を下ろしながら声の方へ顔を向ける。
「ソラくん……どうしたん、いきなり」
「手合わせ中に邪魔してごめんな、チオリ。俺らちょっと用事あるから帰る。今日はありがとう」
低い声の主は空だった。彼は言葉を残すや否や、動かなくなってしまった津島の腕を引いて家へと歩き始める。
すっかり置いて行かれたチオリは息を整えつつ汗をぬぐって、引きずられ遠ざかる津島を見送った。手合わせの腰を折られたことに対し怒りは一切無く、それどころか“助かった”という強い安堵がじわじわと湧き上がってきている。
「カズくん……息一切乱れとらんのか」
自分でさえ、こんなにも息切れしているというのに。
今の今までチオリが持つ津島のイメージは、ゆっくりとした穏やかな子というものだった。しかしどうやら、そのイメージは間違っていたらしい。
早いやりとりに加え重圧に似た殺意。心の奥底——本能と呼べる場所で彼に人間離れした何かを、そして強い恐怖を感じた。
「おふろ…行こうかな」
すっかり気の抜けてしまったチオリは、そうつぶやいて踵を返した。
「津島、下手な事はするな。頼むから」
家へ帰るなりそう言った空は、祈るように目を閉じた。
「変な気は起こさないでくれ。お前がなにを思っているかなんて知らない。ただ帰るまでは粘れよ、お願いだから。帰りたいんじゃなかったのか」
「……ごめんなさい。変なことを考えちゃってた。じ、自分は」
うつむいてそう漏らす津島の表情は空には見えない。
ただ津島は謝るなり小さく鼻をすすって自室に飛び込んでいってしまった。その背中を差し出しそびれたハンカチ片手に見送り、頭を掻く。
ひどく後悔をしている様子にふと明日が心配になった。
「もう出発なんだからさ……ったくも〜」
また面倒なことになりそうだとえらく深いため息をついて、彼も自室に足を向けた。
——出発まであと、2日




