3-19 借金持ちの挨拶回り
雲のない天にただよう光の魔力が地を照らしている。
冬場とあって色の薄い草原と対比するように、深くも浅くも見える天。まるで画用紙をおいたようなそこを赤色の鱗を持った魔物——四本足のドラゴンのような見かけだ——が横切って行った。
赤い色……ということはあれは火を吐く魔物なのだろうか。いや、それはさすがに短略的すぎる考え方かもしれない。あの鱗はいい装備の素材として活用できそうだが肉はどうだろう。おいしいのだろうか。
津島はそう考えかけて、今まででは考えられないような自分の思考に思わずゴクリと唾を飲んだ。
今、わずかに後方を歩く空との間に先ほどまでのやや重い空気はみじんも残っていない。
だんだんと近づくにつれて大きく見える畑の敷地。
二人は顔をそっと見合わせ、もう真新しいとは言い難い様子の、わずかに埃を被った柵の扉を押した。
「こんにちは!!」
敷地へ入ってすぐのところで、二人分の声に一人の男性がゆっくりとこちらを振り返る。
「おっ、お前ら!! ご無沙汰じゃねえか」
それは懐かしいこの畑の主人、ジェスの父親にあたる人だ。帽子の下に見える笑顔へ空がぺこりと頭を下げる。
「お久しぶりです!!! 近くまで来る用事があったので挨拶に来ちゃいました。最近めっきり、来れることも少なくなっていたので」
「ここはお前らの溜まり場じゃねえんだからそう律儀に挨拶にくることもねえけどな。なんか遠くへ行っていたんだってな? カズの唐突な挨拶で拍子抜けして内容をあまり覚えていなかったんだが……。そうだ。少しここで待っていろ。娘を呼んでくる」
「あっ、ありがとうございます。あの時は本当に、事前連絡もない突然の報告だけ残して辞めてしまってすみませんでした」
一本に結んだ髪を尻尾のようにぴょこりと揺らし頭を下げる津島に対し、すでに背を向けていた主人は小さく口角を上げる。
「問題ない。ここには力を貸してくれる人がたくさんいるんだ。一人や二人減ったところで痛くは無いさ。痒くはあったけどな」
じゃりと砂の音を立てて主人は家の中に顔だけを入れた。大声でなにやら呼びかけた様子の後に、離れた場所で動かない津島と空をちらりと見る。
「上がりな。今、娘は母さんの手伝いをしてるそうだ。時間は大丈夫か」
そう言って手招きをする彼の言葉に、二人は合わせてこくりと頷く。
「おじゃまします!」
「二人に感化されたんか知らんが、ジェスはここ最近積極的に母さんの手伝いをするようになってな。ついて来い。リビングはこっちだ」
「あっ、ありがとうございます」
「ジェス、すごいですね!! ブラウを出る前にもらった弁当も美味しかったもんな! やっと料理の楽しさに気がついたってとこか」
そう言って大きく笑った隣の空を横目で見た津島は、どうだろうね。と口の中だけでつぶやきながら主人に続いて廊下の床板を軋ませる。
最初に出会った頃より髪がすこし伸び、なんとか一つに括れるまでになっている跳ねたくせ毛に、白いシャツとベージュのオーバーオール。そしてエプロン。キッチンに立つふくよかな体型の奥さんの隣で、ジェスは必死に包丁を動かしていた。
「カズくんにソラくん。お久しぶりだねえ! 元気にしてたかい? 外寒くなかったかい」
奥さんがキッチンから出て、二つの湯呑みをテーブルに置く。湯気を立てるその中身は、香りが特徴的なお茶のようだった。
「もうそろそろ冬も本番ってところですね!! とっても寒かったです。ところで……このお茶はなんですか?? いい香り」
「この畑で採れたものさ。暖まるよ」
「やった! いただきます!!」
両手で包み込むようにして湯呑みを持つ空の隣で、津島は未だこちらに背中を向け包丁を動かすジェスを見やる。
「ジェスも、なんだか久しぶりだね。元気だった?」
すると彼女はびくりと肩を揺らしたのち、わなわなと振り返る。言いたいことはあるようだが気持ちを表すにあたり適切な言葉が見つけられないらしく、しばらく唇をもごつかせたのち、顔を真っ赤にして大きく息を吸いこんだ。
「げっ、元気だった? じゃないよ!!! なんで事前連絡無しで来るの!? なんか、さあ! もう、こっちも準備とかほらあるんだから……!」
「おやジェス、どうしたのさ。せっかく久しぶりに会えたのにそうしてつっかえして! だから友達ができないんじゃないのかい」
母の言葉に、ジェスはうぐと息を詰まらせる。
「おっかさんには関係ないでしょ!? ととととにかく! 次来るときは前もって手紙とか……そういう、連絡をよこしてよ!」
包丁を握り締めながらそう言った彼女に、空は苦笑いを浮かべ津島はごめんと頭を下げた。
謝りつつ、内心でこの状況に笑いをそっとかみ殺す。
「ここには相当お世話になっていたけど、ここまで上がってきたのは初めてかもしれないです!! 畑から中を覗いたことはありましたけど。なんだか懐かしさを感じる、いい雰囲気のお家ですね!!!」
空はどこぞの評論家のようなコメントを述べた後、鼻をすんすんと動かしペロリと唇を舐める。
「お昼は香草焼きです???」
「おっ、匂いだけで当てるとはね。あたりだよ。久しぶりに来たんだ。食べてくかい?」
「いいんですか!!?」
奥さんの誘いにがたりと音を立てて反応する空。
考える間無く頷いた奥さんに津島と空は頭を下げた。
「ありがとうございます!! やったぜ」
「あっ、手伝えることありますか? ご馳走になるだけは心苦しいです」
「じゃあカズはこっちで魚切って。ソラは……」
奥さんは、ぴこぴこと嬉しそうに揺れる空に目線を向けそっとそらす。
「そこのテーブルを拭いといて!」
「はあい!!」
ぽいと投げられた台布巾をキャッチする空と、包丁を渡される津島。
「ランチョンマットはどれですか??」
「あにいってんのさ。そんなものこの家にはないよ!!」
バッサリ切り捨てられる空をよそに、津島はフライパンとにらめっこをしているジェスの隣にそっと並ぶ。
「あの、ジェスの手伝いをしてもいいよってことだと思うのだけど……」
「いいもん。私一人でやれるし、カズは座ってなよ。客人じゃん」
「そっ、そんな申し訳ないことできないよ。……まだ、怒ってるの? ごめんって。ジェスにも事情があるのはわかったから、次また遊びに来るときは事前に連絡を入れることにする」
ごめん。と再度眉を下げる。するとジェスはおどろいたように、眉をあげた。
「また遊びに来てくれるの?」
「えっ、うん。ジェスがいいのなら。……どれ切るの手伝えばいいかな」
「……じゃあこれ。ささがきにして欲しい。また一緒に買い物行ってよ。二人が今何をしてるのかもちょっとだけ気にならないことはないし、話も聞きたい」
「うん。またいろんなお店回ろう」
その返答へ心なしか嬉しそうにするジェスに、津島もなんだか嬉しくなるのを感じた。
津島によって手際よく刻まれた材料をジェスがフライパンに入れ、出汁のような汁を加えて蓋をする。音を立てて上がった水蒸気に目を細めながら、津島は口を開いた。
「自分がここでのお手伝いをやめると報告したあとにジェスがくれたお弁当あったでしょう? あれ、とっても美味しかったよ」
ジェスが肩を揺らして顔を上げる。ぱちりとあった目に津島は逸らしそうになるのを我慢して続ける。
「空も美味しいって言ってた。どうもありがとう。ごちそうさまでした」
頭を下げると、ジェスは顔を赤くすると共に忙しなく首を横に振り始めた。
「べっ!!!べつにあんたのために作ったわけじゃないし!! あれから作れるものも作ったものも増えたんだから!! 」
「空のため、でしょう。わかってる」
声を潜めて笑う津島に、ジェスは動きを止めた。「へっ」と短く漏れた息に、津島はニコニコと微笑む。
「あっ、大丈夫だよ。自分は絶対言わないからね。じゃあ、ここにはもう自分のやれること無いみたいだし、おばさんのお手伝いをしてくる」
こそそとジェスの隣を離れる津島。
その背中をぽかんと見送ったジェスはしばらく呆然としたのち「はぁ!?」と悲鳴に似た声を上げた。
×××
「あっ、居た。津島お前……何考えてるんだよ」
畑の敷地を出た空の、最初の一言はそれだった。視線の先で、柵に持たれてぼんやりと空を待っていた津島が体を起こす。
「何って……何も。ただ自分は、挨拶したからいいかなって思って」
空の怒りの原因は、ジェスの家で昼食をご馳走になった後の行動にある。ジェス、そしてその両親と挨拶をした彼は、少し会話をしただけで「じゃあ自分はここで失礼します」と挨拶をし空を置いてそそくさと敷地から出てしまったのだ。
津島からしたらジェスに気を利かせた末の行動だったが、空はぷんぷんと効果音が尽きそうなくらい頬を膨らませている。
「そういうところさあ……。本当にマジでやってるの?」
「えっ! ま、まじって何が……? い、いや、そういうわけじゃないよ。自分はただ単にジェスが……」
「ジェスが、なに?」
首を傾げる空を見て、津島は口を噤む。空が何に対して怒っているのか、そして自分が何を言い訳しようとしているのかがわからなくなってしまったのだ。
「な、なんでもない! さあ、用事は終わったし、戻ろうよ」
「はあ!? ま、まあ、やることはやったけど……」
ブラウに向けて足を踏み出した津島の後に続いて歩みを進める空は、癖の強い髪を揺らしため息を零した。
パステルカラーの建物ばかりが立ち並ぶ港町ブラウの中、市場に近い通りにある唯一といっていいだろう木製の一軒家。ひどく目立つその建物は、狩猟ギルドぽぽーんの拠点である。
港町ブラウでの用事を終えた津島と空は、荷物を抱えてその扉をこんこんとノックした。拠点内で休憩しているメンバーの誰かに、借りた家の鍵を預ける為だ。
できることなら家の持ち主——ベニヒかグリエのどちらかに直接渡し、お礼を言えるのがベストなのだが。などと考えていると、内側から開けられた扉の先には目的の人、ベニヒ・エッシェーが立っていた。今までソファーで寝ていたのだろう。ぐちゃぐちゃに乱れた髪を整えることもせず、パッチリとした目を瞬かせる。
「……ソラとカズじゃないか。どうしたんだ、そんな大荷物で」
「ブラウでの用事が終わったので、鍵を返しに来たんです!!」
空が応えると同時に津島が一つの鍵を差し出すと、ベニヒは一度首を傾げてから「ああ」と気の抜けた声を上げた。
「わざわざ返しに来てくれたのか。いつでも戻れるよう持ってていいのに」
「そんなわけにはいかないです!! 俺らいつどのタイミングで帰れちゃうかもわからないですし、そこまでベニヒさん達におんぶに抱っこじゃ申し訳ありませんから!!!」
空はきっぱりとそう言い切って、やかましい笑顔をさらにうるさくさせる。ベニヒはそれに口角を引き上げた。
「頼りがいある言葉だな。おんぶに抱っこをさせるつもりじゃいなかったがそう言われたら仕方ない。また泊まりたかったらいつでも言ってくれ」
「ありがとうございます。あと、もう一つお渡ししたいものがあるんです」
津島は自身の手からベニヒの細い指が鍵を拾い上げるのを待ってから、手のひらサイズの巾着を差し出した。
「なんだ? それは。他になにか貸していたものがあったか」
「か、借りていたものではなくて、頂いたたくさんのものの一部を……返したくて」
津島は、ベニヒの黄色い瞳を伺い見る。彼女は首を傾げつつ鍵と同じように巾着をつまみ上げた瞬間、しかし大きく肩を揺らしてそれを放り投げた。
「あーっ!!! ベニヒさん!! なにしてんですか!!!」
空が地面へ叩きつけられた巾着を拾い上げる。ジャラリと金属質の音を立てるその巾着は、見た目にそぐわずなかなかの重量を持っていた。
「なにってお前ら、それ金だろ!? なにを考えている、買収か? 布施か? いっとくがわたしは今そういうのは全く受け付けていないし、貰った所でなにもしてあげる事はできないぞ!」
所々跳ねている青い髪を揺らしながら一歩、拠点へ後ずさるベニヒ。その騒動に気がついてか、拠点の中から一人の男が顔を出した。
「どうしたんだー? 玄関先でそんな騒いで」
ベニヒに比べ頭一つ分は高い身長に、緑色のくせ毛。口をへの字にまげたその男は、ぽぽーん随一の戦闘バカと称される、グルーン。慌てて津島は口を開く。
「買収だなんて、そんなつもりは一切ありません! た、ただ。沢山お世話になってしまい、お金も沢山借りました。それを少しずつ返していかなくちゃいけないと思ったんです」
「……なんだ。カズのいうことは全うな理由じゃん。とりあえず外にでるか中に入るかのどっちかにしてくんない? ドア開けっ放しだと風が寒いからさ。なあ、フォーン?」
「うん。やっぱりこの時期はちょっとね」
拠点内への問いかけに、返事があった。空と津島は動きを止めて、拠点の中へ顔を向ける。
玄関に立つベニヒの身体越し、デスクについておにぎりを食べるうぐいす色の制服を着た男が二人の視界に写る。
「フォーンさんだ!!!! なんでここに?」
空の大声に、中のフォーンはへらりと笑う。
「この季節、海辺は厳しいんだ。出発前に体調を崩したら冗談にならないだろう? ソラ君もカズ君も、準備はととのったのかな?」
「はい。無事! できるだけ安い物を買って、余ったお金をこうしてベニヒさんに渡そうと思ったんです!!」
先ほど拾い上げた巾着をぷらぷらさせる空。津島はベニヒに頭を下げる。
「受け取ってもらえないですか。やっぱり、自分たちはベニヒさん達にお金を借りっぱなしなのが申し訳ないんです」
「で、でもなあ、確かに返そうとしてくれる気持ちはありがたいが、わたしもグリエもそう金は使わない。その上グリエは最近貯めることに楽しみを見出しているから、どちらかというと余っているくらいなんだ。仮にこの先ここで暮らしていく可能性を考えて、まだ……持っていてはくれないのか」
困ったように眉を下げるベニヒに、津島は「そこまで言うのなら……」と言いそうになる気持ちをぐっとこらえる。
「……じゃあさ、オレからのお願い! そのお金は持っててよ」
突然、ベニヒの背後に立つグルーンがそう言って顔の前で両手を合わせた。
「ベニヒは使わないって言ったけど、コイツ酒飲みだろ? ある日、酒とかツマミとかに全財産つかっちゃったとしてさ。そんなときのためにカズたちにお金の一部を持ってもらう……ってことで」
「そんな……」
そんなこと、起きるはずがない。津島は確信していた。そこまでベニヒはバカではない。
しかし気遣いからの提案を真正面から否定することもできず、浮かぶいろいろな気持ちを言葉にするべく整理している間に、空が巾着をぷらりと揺らしてため息をついた。
「わかりました。すぐに返せないのは残念ですが、俺らがそれまでこのお金お預かりしておくという事で!! ただ、いいんですか? 俺ら、そういうときまでここに居るとはかぎらないですよ??? もしかしたらこのお金、持ったまま帰っちゃうかも……」
声を低くしおどける空に、ベニヒは間髪入れずに頷く。
「あ、ああ。いい。頼んだ。……いざというときのためにな。持っておいてくれ」
「はあい。了解しました! どうもありがとうございます。じゃあ、鍵は返しましたし、俺らはエリギに戻ります!! フォーンさんはあと八日後に、よろしくおねがいします!!」
目の前のベニヒと拠点の中にいる軍人へ、頭頂のアホ毛をぴょんと揺らして頭を下げた空は、津島の背を押して拠点から離れた。意図がつかめず押されるがままにステップを降り、通りへ出た津島は空の顔を見る。
「な、何を考えてるの……? お金、返せなかったじゃないか!」
今にも引き返しそうな津島に対し、空は声を抑えて歩きはじめる。向かうは転送門だ。
「ベニヒさんの顔、見た? 津島なら分かるだろ。なんだか様子も変だった。あそこまでお願いをされたらもう遠慮はいらないって」
「……確かに、そうだけどさ。確かにこの程度のお金を出したってベニヒさん達には全く影響がないのかもしれないけど、でも」
「折角だしありがたく頂いとこうぜ。……なんて。こんなこと言ったら、また津島からの信用無くしちゃうかもしれないけど」
空はそう言って津島の方を振り返り、ニシシと眉を下げて笑った。そんなことはないけれど。と口の中でまごつく。そういう思考の柔軟さが、空のすごいところだと少しだけ思った。少なくとも、津島にはないものだったからだ。
——ルベルグの山へ出発するまで、あと八日




