3-20 手紙の旨意と基礎理念
必要な物を抱えた津島と空は、狩猟民族の集落エリギの空気を吸ったとたん、その異変に気がつき足を止めた。
普段の穏やかな空気は消え去り、ぴりと張りつめたものへとまるきり様子を変えている。
エリギを離れていた時間はたった二日間だ。その間に一体なにがあったのか。いつもは活気あふれている施設内もいやに静かで、変に触れれば指を切ってしまいそうだった。
二人は顔を見合わせ、声を潜める。誰も居ない転送門の受付を抜けると、慌てて外へ向かおうとする女性が二人を目に留めた。
「あら……二人とも、戻って来たのね」
この総合施設の職員だ。しかし普段浮かべている柔和な笑みは消え、そこには焦りだけがある。空が軽く会釈をした。
「戻りました!! にしても……なにかあったんですか?」
「え……ええ。まあ、ね。あなたたちは寄り道をせず、まっすぐ家にお帰りなさいな。危ないからね」
「危ない……?」
首を傾げる津島に、女性はこくりと小さく頷く。
「大丈夫。あなたたちが犯人だなんて、誰も思っていないからね」
女性はあまり事の詳細を話すつもりは無いらしい。ぱたぱたと遠ざかってゆく背中を追いかけて、二人はひとまず総合施設の外に出る。
合わせ扉をくぐると一番に見えるのは広場。そこに広がる異様な光景に、空は「あれ」と声を漏らした。
普段この時間帯に広場で人を見ることは稀なくらいなのに、今ではどうしてか十数人もの集落民が立っていたのだ。
その人達に囲まれた中央になにかが積み重ねられているようだが、集落民の体に遮られていてよく見えない。
「あ〜あ〜。まーた土が汚い血で汚れちまう」
男性のぼやきが聞こえた。
「やっと前の奴らが綺麗になって、いい感じになじんで来た所なのにねえ」
「ううん……このバッヂはレグル隊のものやなあ。まさかエリギにもきはるとは。どこから情報を仕入れたんやろか」
ため息まじりのチオリの声がする。なにがあったのかと二人がその集団に近寄ろうとした直後、それを遮るような怒声が森に響いた。
「フォーン!! アイツは、いつ恩を仇で返すような人間になったァ!」
「おちつけよ、じいさん。原因がフォーンなわけ」
「おちついとる。あやつが今回の原因と決まってたら、すでにあやつは死んどるわい」
なにが起きているのかもわからないまま立ちすくんでしまった二人に気がつかないまま、エリギの住民達は物騒な言葉を交わし続ける。
そんな中、新たに総合施設の扉を開く音がした。カランと鳴るベルの音に、津島と空は振り返る。
「フォーンさん!」
空の声で、はじめて住民達は総合施設の方へ視線を向けた。
あまりのタイミングだ。フォーンは殺されてしまうのかと、パニックになりかける津島の気持ちなどつゆ知らず。焦る二人の肩にぽんと手を乗せた癖のあるベージュの髪の男は、口もとに米粒をつけて柔和な笑みを浮かべた。
「やあ、ただいま。みんなめずらしく広場に居るなんて、なにかあったの……って、うっわ! え、ちょっと何これ。何やってるのさ! また殺したの?」
人による垣根が分かれ、その先に置かれていたものが津島と空の目に入る。直後、そこに広がっている光景へ津島は意識が遠のくのを感じた。まるで脳みそが理解する事を拒むように、働くのをやめてしまったようだ。
人々の中央に重ねられていたのは、二十はくだらない死体だった。それらが揃って身につけているのは見覚えのあるうぐいす色の上着。そして肩には赤のバッジ。今フォーンが着ているものとまるきり同じものだ。中には既に首が落とされている人もいて、目の当てられる状態ではない。
フォーンの話しぶりからすると、この集落の人達が殺し、ここに積み重ねたという事になるが……幾分信じ難く、それでも慣れているのか緊張感が無いフォーンは口元に米粒を付けたまま大きくため息をつく。
「ソラくんとカズくんにはこういうところ見せないでよ〜。イメージわるいじゃないか」
「……ロユちゃんがやられてしもうた。エグ兄と話しているとこを襲われて、持っていた本を無理矢理奪われたんやって。ロユちゃんもロユちゃんで下手に抵抗しはったからかなりの重症や。ソラくんとカズくん、戻って来とったんやね。気がつかんかった。すまん。二人は見舞いにでも行ってやってくれへんか」
チオリの言葉に津島と空はこわれた人形のようにぎこちなく頷く。今までにここまで険しいチオリの顔など見た事も無くて、普段通り接していいものかもわからなかった。フォーンは死体の確認のためにチオリに近づいて正面で足を止める。肩のバッヂで何番隊か確認する大きな背中に、チオリは目を細めた。
「二番隊や」
「二番……確かに、赤色のバッヂだね」
初めてフォーンの顔に緊張感がうまれる。
「フォーンくんはそこ所属だって言っとったけど」
「よく覚えていたね。でも……今回のことに関してはなにも聞いていない。わりかし限られた人の中で進められた話だったのかも」
「まあ、そうやろうと思っとったよ。フォーンもソラ君達といっしょに、ロユの見舞いにでも行ったって。今、メリィが港町までアニ……あーっと、ミヨ・トッペスを呼びに行ってるところやから、まだ相当辛いと思うし」
「嘘でしょ? ミヨちゃんを呼ばなくちゃいけないほどの怪我なの? メリィちゃんだって多少の回復知識はあるはずじゃない」
そこでふくよかな女性が一歩前に出た。
「軽く言って瀕死ってところだったよ。先ほど一度泥を落とさせてもらったけど、なんであの子はあんなになるまで抵抗したのか……なぜ死なずに済んだのかもわかんないくらいで」
「見つけたぞ!! 生き残りだ!」
女性の言葉を遮って森に響いた声へ、広場の住民達は顔を上げた。
「五人居る!!」
複数人の小さな足音が右から左に抜け、それが消えると同時に二人分の断末魔が響く。
木漏れ日の間にしか見えないその始終に空は唾を飲み、津島は震える自身の手を握りしめた。積み重ねられた山に新しく二人が加わるのだ。
ふと、木の陰から一人の男が飛び出した。
うぐいす色の上着を着たその男は、逃げ場所をさがしていたつもりが一周して広場に来てしまったようで、あわてて踵を返す。その際フォーンに気がつき足を止めた。
もしかすると彼の目には、同じ制服を着た仲間がエリギの住民に囲まれ尋問されているように見えたのかもしれない。軍人は無理矢理住民達の間に割り込み、フォーンの腕を掴んだ。
「おっ、おいお前!! 大丈夫か??? ここ、聞いてた以上にヤベーって!! お前も騙されて、ここに来たんだろ??」
手の震えを長袖のインナー越しに感じたフォーンが難しい顔をする。
「騙されて……?」
「そうだよ!! この…死体の山を見たらわかるだろ? 俺達は騙されたんだ!!! ただ、弱そうな魔物を連れたガキから本を奪えばいいって話だったのに、なんでこうなったんだよ……!」
周りの住民達に剣を抜きつつも、笑う膝を必死に支えるために縋り付いてくるその軍人を支え、フォーンは少し離れた場所に座らせる。
「どういうことか、落ち着いて話しをしてくれないかな。君は二番隊? 区間三か。そういえばさっきおばさんが、レグル隊って言ってたものね」
制服の肩部分についたバッヂと階級布でそう判断する。軍人はこくこくと頷いた。
「ああ……そうだよ。レグル隊区間三所属だ。久しぶりに隊長からの仕事が来たと思ったらこんなことに……。そういうお前はなんで布もバッヂもつけていないんだ? 規則違反だろ。っていうかお前は大丈夫かよ? 今、囲まれてただろ? 俺の同期もここのやつらに全員殺されちまった! ここの住民は狂ってんだ! こうやってのんびり話をしてる場合じゃねーんだよ!!」
「……そうだね。布やバッヂを付けないのは、普通じゃ規則違反かも」
「は?」
「ごめんね。きみのことは知らないけれど、それでもきみは同じ二番隊の仲間だ。助けたいのは山々だけれど……」
バキリと音を立てて、軍人の身体が二つに割れる。
叫び声すら出せず崩れ落ちる軍人の先に舞う金の髪を見ながら、へらり。と緩い笑顔を浮かべた。
「素手で、怒ったエグ兄に立ち向かえるほど僕は強くないからなあ」
派手に飛び散る内容物に、フォーンは目を閉じて「うへえ」と息を漏らす。
住民とフォーンの背中越しに崩れゆく軍人の姿を見た津島は血の気が引くのを感じ、ぐらりと倒れそうになった所であわてて空に支えられた。
「ご、ごめん」
「いや……」
空も言葉が上手く出てこないらしい。強張った顔は、少しばかり青くなっている。
「……さてと、数も増えてきたし、先に片付けはじめちゃいますか」
なんてことないように言ったチオリの声に、津島と空ははじめてこの集落の恐ろしさを思い知った。
エリギの住民へ危害を与えることはいわゆる“タブー”である。ここに住む者は皆、集落に害をおよぼすものの命を奪うことへ躊躇いが無い。
そのことを知っている人は、今や国内にもわずかしか居ないけれど。
「帰っていろ。別にお前らが手伝う必要は無い」
血を流し続ける身体を担ぎながら、エグバリーは立ちすくむ二人にそう吐き捨てた。フォーンが腕を捲りながら「手伝うよー」と声をかけるのには、短く「頼む」とだけ応えて背中を向けてしまう。
運んでいるものを見なければ朝市の撤収作業にみえなくもない。そんな和やかな様子で軍人だったもの達を運んで行く住民達から、津島達は顔を背けるように家へと逃げもどった。
「エグバリーさん、怒ってたね」
リビングのソファーに買って来た荷物をおろし、そのとなりに腰掛ける。思った以上に心が疲れた感覚がある。まぶたがとたんに重くなった。
対して空はキッチンで火を焚きながら、津島の言葉に軽く頷いた。
「ロユとは仲よさげだったしな。長い付き合いってのもあって、怒るのは当然なんだろ、きっと。……津島、白湯飲む?」
「あっ、飲みたい。ちょっと外寒かったし……。前から思っていたけど、最近空ずっと白湯飲んでるよね。好きなの?」
「いや、特別好きな訳じゃないけど!! お茶っ葉はなんか勿体ないだろ? でもあたたかいものは飲みたいじゃん」
「まあ、そうだね。冬は指先かじかむもんね」
中身のない話をタラタラと続ける。二人はそうして平穏を保つことで、動揺をなんとか収めようとしているのだ。
津島にマグカップを手渡した空もソファーに音を立てて座る。互いにテーブルを挟んで向かい合った状態で白湯を口に含んだのち、しばらくの間を空けて空がつぶやいた。
「ロユ、大丈夫かな。これ飲んで少し休憩したら様子を見に行ってくる。はじまりの樹への出発もできない状況だろうし」
「あっ、自分も行く。広場は、そろそろ落ち着いているかな」
「そういえば最初から書いてあったな。フォーンさんからの手紙には」
なにが? と首を傾げる津島に、空はリビングの隅に構える本棚の手紙を拾い上げる。それは港町ブラウを出る直前にフォーンから手渡されたものだった。そのうちの一行を津島に示しつつ、空はもう一度白湯を口に含む。
「ここの最後。書こうとして途中で終わってしまった所。怒らせると恐いので…って書いてあるじゃん。フォーンさんは、俺らがあの軍人達と同じようにならないよう心配してくれたのかもしれない」
「ああ……そっか、そうかもしれないね」
小さく返事をしつつ脳裏に浮かぶ血しぶきに、津島はぎゅっと目をつむった。
×××
集落の中心からかなり離れ、家の密度も低くなった先に世界学者シフォー・カロユの家はある。
集落は静まり返り人一人居ない。普段の様子に戻ってしまった集落を歩いていると、先ほどの喧噪が夢だったのではないかという気すら沸き上がってくる。ただ広場の地面に広がる、はたまた木の幹に付着した赤黒い血液達だけが、さきほどまでの騒動が決して夢ではないことを強く知らしめていた。
狩猟民族の集落エリギは建物以外の目印が少ないため、散策する度現在地が分からなくなりそうになる。きょろきょろと周囲を見渡しながら道を進んでいると、ふと一か所、今までに無いくらい荒らされた場所が視界に映り込み、津島の足が止まった。気がついていない空に声をかけ、指し示す。
「空、あそこ……すごい酷い」
伸ばした指が震えている事に気がつき、津島はあわてて両手を握りしめる。空の表情がぐっと険しくなり「ひでえな」という呟きがその口から漏れた。何かが暴れたようにして散らばる枯れ枝達。土はえぐれ、木の幹には切り傷やひどく摩耗した跡がある。近寄る勇気はなかった。一目見れば分かった。
「あそこで、ロユがやられたんだな」
シフォー・カロユが抵抗し、軍人がムキになり、ここの住民達が駆けつけた場所だ。彼女がいかに激しく抵抗し、大きく動き回ったのかが血痕でも見て取れる。
二人して茫然としていると、向かっている方向から元気の無い声が聞こえた。
『お見舞い、来てくれたの』
少年のような声だった。
血だまりからそちらへ顔をむけると、木々の間にぽつんと小さな狐が座っている。
いつもはロユの肩、もしくは足元に居る狐型の魔物だ。つぶらな瞳は、津島と空を真っすぐと見つめている。
「インピィ! 無事だったんだな!!!」
空がその小さな身体に駆け寄ると、狐は小さく頷いた。
『ごめんよ。人の形で出迎えたかったけど、そんな体力もなくって……僕はどうせ無事なんだ。守る所は守ったから。ただ……おろ?』
言葉は途中で途切れた。インピィの身体がゆっくりと宙に浮く。
「あなたの言う通りお見舞いに来たのだけど……ロユは今どんなかんじ……?」
そっと黄色い身体を抱いた津島が尋ねた。普段は早口なその口調も今はゆっくりで、一言一言、一生懸命というようにインピィは紡ぐ。
『ミヨに治してもらっているところ。……顔を見せてあげてよ。きっとロユは頑張れる。まだ生きられるはずなんだ』
その物言いに、思いのほか現状が危うい事を知った二人は再び足を動かしはじめた。
「インピィ、寝ていていいよ。なんだかあなた、疲れているみたいだから……ってあらら、もう寝ちゃってる」
津島の言葉を待つことなく、その魔物はすでに目を閉じて寝息をたて始めていた。
地面に転々と続く小さな血痕が気になる。二人が向かう先へ続くこの血はおそらく、シフォー・カロユのものだ。
「無事でいて……」
津島は呟き、一層歩く足を速める。空はその斜め後ろで無言を貫いている。
実際は短くとも気の遠くなりそうな時間を早足で歩き、やっとたどり着いた家へノックもせず転がり込んだ。
シフォー・カロユの家は1DK。寝室へ繋がる扉も、以前来たときに少しだけ見た。歩くスピードは緩めず、その寝室へ繋がる扉へ勢いよく飛び込んだ津島と空は、そこでやっと歩みを止める。
冷えきった外とは大違いの、サウナのように熱の篭った部屋。ドアを入ってすぐのところでミヨ・トッペスが椅子に座っている。ぽぽーんの回復係として動いているはずの彼女は、普段の無表情などどこへやら、難しい顔で掛け布団に手を突っ込んでいた。その頬には汗。そしてミヨ・トッペスの隣に立ち尽くしているのは、メガネをわずかに曇らせたメリィ・ターナ。二人の視線が集まるベッドでは、シフォー・カロユがオレンジの髪を乱して荒い息を繰り返していた。そのベッドも今や血で酷く汚れている。
ミヨは侵入者を一瞥し、口を開いた。
「ノックしなさい」
「すみません。ミヨさん……ロユは今」
ミヨ・トッペスは空の問いかけに答えない。見かねたメリィが口を開いた。
「最低限の……大切な器官を元に戻そうとしているところで、すごい大切なところだから……その、部屋から出て待っていてくれないかな。入ってよさそうだったら声をかけるからさ」
できるだけ柔くした言い方に、津島はちらりと治療に専念する身ミヨ・トッペスを見て、小さく頷く。
ミヨもメリィも髪色がとてもよく似ていてなんだか姉妹みたいだと、状況にそぐわない思考と共に津島は部屋を出た。先ほどまでは慌てるあまり気がつかなかったが、綺麗に整頓された部屋にもきっちり血痕は続いている。腕の中ですやすやと眠るインピィをそっと椅子に下ろし、津島は部屋の隅に置かれたバスケットから小さなタオルを取り出した。
続いて寝室から出てきた空が、タオルをしぼる津島に目を丸くする。
「何を??」
「せめて家の中だけでも血痕は取っておこうと思って」
津島は答えながら木製の床に膝をついて、ごしとこする。できて間もない血の跡はあっさり布に吸い込まれた。
ある程度綺麗になったところで、二人は椅子に腰掛ける。起きてしまったことが受け入れられず、散らかってしまった頭の中を整理したくて、気がつくと外とともに部屋の中は完全に暗くなっていた。
不思議と空腹感はなかったが、その日は結局誰も部屋からでてこなかった。
——————ルベルグの山へ出発するまで、あと……




