3-17 一団結成
「数日間寝続けていたってことは、きっと汗臭い……よね。お風呂にいってくるね」
二人の客人が去って静かになった室内に津島の声が鳴った。わたわたと立ち上がって逃げるように家を飛び出すその背を見送った空は、ぽつりと置いて行かれたソファーで目をぱちくりと瞬かせた。
「いってらっしゃーい。……俺も外に行くかぁ。のんびりはしてられないもんな」
軽く膝を叩き立ち上がる。運動用の動きやすい服に腕を通し、大きく伸びをしながら脚周りの筋肉を念入りにほぐす。普段より少し長い準備運動を済ませた空は、そのまま勢いをつけて玄関を飛び出した。
落ち着いて入られなかった。のんびり座ってなんていたら、こみ上げる気持ちににやけながらのたうち回ってしまいそうだった。
先ほどまでリビングで行われていた会話の中で、ロユやエグバリーから戦力としてカウントされたことが、こんなにも嬉しいだなんて。そのカウントに応えられるようにならなければならない、応えられるようになりたい。
高まる気持ちに反し、冷たい空気が空の頬をぴりりと刺激した。
借り家から集落の外側へ向かい、そのまま外周をぐるりと囲むように走る。ちゅんちゅんと木々の間から聞こえる魔物の声に口角が上がるのを感じつつ、呼吸を整えながら足を大きく前に、前に。
ぽぽーんの人たちへ「強くなりたい」と宣言してから、時間にしておよそ一ヶ月。それは一般の狩人になろうとする人からすれば異様に短い下積み期間だ。それでも空にとっては、ひどくひどく長い時間のように感じられていた。
少しでも、認められる日がやっと来たのだ。
「みたか」と思い、直後に少しだけ自分にがっかりもした。
何度も往復したことで慣れてきた道を走る。そういえば最近、木の根などに引っかかってつんのめることがめっきり減った。気がつく小さな成長に顔をほころばせながら自然のままの草むらを避け、ぬかるんだ場所を飛び越える。
そうして温度の篭る息を吐き出し、滲む程度だった汗が重力に逆らえず伝う頃。ふと一つの茂みが空の視界に映り込んだ。
森の奥へと続いてゆく方角に向かって、その茂みは見覚えのない道を作り上げている。いや、それは道というにははばかられる、長く伸びたただの草むらが人に踏みつぶされたただの跡だ。昨日はこんな跡なかったはずだったが。
この道はほぼ毎日ランニングコースで通りかかる場所だったから、些細な違いもすぐに気がつく。今までこの草むらの方向へ行ったことは無い。思い返してみると、今までにこの方向へ行こうとするエリギの住民をみたことも、1度もなかった気がする。
気がつくと空は、その草むらに迷わず足を踏みいれていた。
胸まである高さの草をかきわけ、ふと心の中に幼い頃の高揚感が蘇ってくる。小学生の頃はよく、こうして長い草に紛れて一人で遊んでいた。近所の小さな森の中、長い草をかき分けた先に自分だけの秘密基地があったのだ。もしかしたらここを進んだ先にも何かが——という期待に胸を高鳴らせ、まさに何かを隠すようにして垂れ下がる木の蔓をそっとかきわける。
「うわぁ……!」
それはため息に似た、感嘆の声。
予想通りだった。ぽっかりとできた空間には、木漏れ日に照らされて並ぶ人工的で重々しい六枚の石の壁。再奥に一枚。その手前に二枚。そしてその手前に三枚。上から見ると三角の配置に置かれたそれは、もう長い年月そこに放置されているようでなんだかとても古ぼけている。
さやさやと音を立てて、周りを囲む木の蔓が揺れる。
自然溢れる森の光景とは対照的であるはずなのに、その人工的な石の壁たちは不思議と森の中になじんでいた。
六つのうち一枚にそっと近寄る。それには文字……おそらく人の名前が、びっしりと書き込まれていた。高さ三メートル程度の、黒い石に掘られた沢山の名前。どこか神聖な雰囲気をかもし出す理由を察した空は、ごくりと唾を飲み込んだ。
ここは恐らく、祀る場所なのだ。この集落で生きた人の名前を。
そこで突然、空の視界の外から足音と同時に声がした。
「……おや、こんな所に人かな。ここまで来る人はそんなに居ないと思っていたのだけど……」
空は身体をビクリと跳ねさせ、あわてて顔をそちらに向ける。
「だ、誰?」
「そんな、警戒しないでよ。僕だよ、ソラくん」
その言葉とともに、岩盤の影のちょうど死角になっていた場所からひょこりと覗く顔。
空は目を見開いて「なぜここに」という言葉を飲みこんだ。冷静に考えてみれば彼がこの集落に居る事は、なんらおかしい事ではない。なぜなら彼はここの生まれであって、津島と空にこの地を勧めてくれたのも彼だったのだから。
「……こ、こんなところで何をしているんですか!! ビックリしちゃったじゃないですか!」
敵ではないとわかっていても、空は彼がどうも得意ではないタイプの人間だと感じていた。何か大切なものを、空からすくい上げていってしまうような気がして。脳裏に雲のない単調な夕焼け空が浮かぶ。最初はただ軍人が格好良いという理由だけで声をかけただけだったのに、こんなことを感じるようになるだなんて予想していなかった。だからと言って、それを表に出すほど空も頭の悪い人間ではなかったが。
半ヶ月程度見なかっただけでひどく懐かしく感じるうぐいす色の制服姿に、空は一度息を吸って、その名前を口にする。
「フォーンさんの……ばか!!」
汗はいつのまにひいていた。
ごめんごめんと緩く笑う彼の顔を睨み、ぶすくれたまま空はたずねる。
「……なにをしてたんですか???」
「うーん…………。ソラくんはここがどういう場所かわかるかな?」
「お墓……ですかね?」
「うん、大正解」
喋りながら彼は、石の壁の裏側に歩いて回る。
空も付いて行くと、そこには指で摘める程度の大きさのキーホルダーが草に呑まれながらもその存在を主張していた。思わず喉がゴクリとなる。
「……これは」
「上から21列目、右から13人目。僕の妹の名前がここに書いてある。今日は軽く、会いに来てみたんだ」
喋りながら、黒石の壁の中心近くに書かれたひとつの名を指差す。その周囲だけ異様に文字が小さく、なんと書いてあるかが非常に読みにくい。空はしばらく呆然としてから、あわててその名前へ両手を合わせる。信仰なんかには一切触れてこなかったから、こういうときに唱えるべき念仏なんて知らないけれど。空が顔を上げるタイミングを見計らって、フォーンは「ありがとう」と小さく言った。
「……あのキーホルダー」
ざくざくと長い草をかき分け来た道をひきかえす中。空が口を開くと、前を歩くフォーンは目線だけで話を促す。
「おそなえしていたあのキーホルダーって、お土産の類いですか?? パナーダ・ベスクって書かれた小さい札がくっついてましたけど……」
「ああ! よく気が付いたねー。あれは前に学問の街パナーダへ行った時のお土産さ。丁度、カズ君と一緒に行った時かな」
「フォーンさんが転送門施設内の売店でおみやげのキーホルダーを買っていたっていう津島……津島の話は、本当だったんですね」
「はは、お恥ずかしいことにね。全部妹の影響さ。もともとおにぎりの具材にならないようなお土産には興味なかったのだけども。死に際に、全部あげる。って言われちゃったらね。じゃあ、集めてやりますか! ってなってしまうでしょう? 結構僕の家にもあるんだよ」
へらりと笑う彼に、空はなるほど。と、つぶやく。
「遺産みたいな感じですね。 でもせっかく買ったものをああしてお供えしたら集まらないんじゃないですか??」
「うん。確かにあつまらないね。ああいうふうに放置しておけば、じき魔力に還ろうとして激しく劣化してしまうし。でも、こうすれば気持ちが届くような気がするんだ」
フォーンは言葉を選びながら、先頭に立ち草をかき分ける。そろそろ元の場所へ戻れるのではないかというところで適当な言葉を見つけたようで口を開いた。
「僕がまだお前を……妹のことを忘れてはいないという気持ちが。大切な、家族だったから」
長い雑草の一帯が終わった。土の上に足を踏み出し、その歩きやすさにほっと溜息をつく。いろいろと込み入った話を聞いてしまった。謝ろうと空が息を吸った直後、フォーンが口を開いた。
「いろいろと込み入った話をしてしまってごめんね。聞いてくれて、ありがとう」
「へっ!? いえいえ。こちらこそ踏み込んでしまってすみませんでした」
空は、素直に一度頭を下げてからフォーンの顔をまっすぐに見る。笑う、その顔に受ける印象が先ほどとは少し変わっていることを感じつつ、空はいろいろと頭を動かしながら彼のくせ毛に口角を引き上げた。
「フォーンさん、前髪に葉っぱついてますよ!!!」
毎日港でおにぎりを食べているだけで、仕事をしている様子は見られない。そんな彼を……兄を見た妹さんとやらは一体何を感じるだろうか?
それを、彼は、考えない人ではないはずだ。故人へ一つの主張をしようとする彼が、考えないはずがないのだ。
空は、とんちんかんな場所を触っては「ここ? ここ?」と首を傾げるフォーンの前髪に触り、かわりに葉っぱを取ってあげながら思った。
きっとなにかが、彼をこうしてしまったのだ。毎日、彼を港に縛り付けるような何かが、彼にはあったのだ。
————
「フォーン! お前、戻ってきていると聞いたから探していたのに、どこへ行っていた」
集落へ戻ってきてすぐ、そうして二人を出迎えたのは仏頂面のエグバリーだった。フォーンはあわてて、両手を横に振る。
「なにもしてないよ!ソラくんと森の中をお散歩していただけさ。挨拶を後回しにしてごめんよーエグ兄ぃ。そう怒らないでほしいな」
「怒ってはいない。お前が挨拶をしてこようがしまいが俺には関係ない。 ただ、今回はお前に話があったから探していただけだ」
つらつらとそう述べる金のポニーテールに、フォーンは首をかしげる。
「話って?」
「軍人としてではなく、一集落エリギの子フォーンとして受けてほしい依頼がある」
「なにかな、それ。なんだかすごく混み合った事情でも?? 悪いけど面倒ごとなら……」
「世界学権威であるシフォーカロユの護衛だ。他にそこのソラとカズ、チオリとメリィで行く。どうせ暇だろう?」
「大所帯じゃないか! 行き先は?」
「ルベルグ」
「ルベルグの山!? あの周囲は力の強い魔物がうじゃうじゃといるし、山自体だってそういう奴らの巣窟なのに……。いったい何が目的なのかな。皮? それとも骨?」
問いかけるその顔に、エグバリーは何かを感じたようだった。その証拠に眉間に皺を寄せて、口をへの字に曲げる。
「お前……趣味が悪いな。わかってるんじゃないのか?」
「えへへ。ごめんよ。実はちょっとだけ聞いてきたのさ。ブラウに突然やって来たロユちゃんからね。ただ詳しい事がわからないのは本当だよ? 出会い頭に『手伝ってくれないかしら? 集落の人間はみんなあんたみたいに暇じゃなくって』って言われただけ。
ルベルグの山にはもちろん、ついていくよ! 力になれるのならドンと頼ってよ! 困りの回復係はメリィちゃんで補うことにしたんだね」
「ああ。出発は十日後の朝だ」
「野宿用の道具はそれまでに各自で揃えるんだよね? なにか現地点で僕に手伝えることはあるかな? あとよかったら、事に至るまでの経緯を聞きたいなあ」
喋りながら二人は、どこかへと歩いて行く。
置いていかれてしまった空は少し二人に付いて行こうかを悩んだ結果、そのまま家へ帰る事にした。
港町ブラウの様子見から帰って来たシフォー・カロユが細く切った魚の干ものをかじりつつ彼らの家の扉をノックしたのは、夕方を過ぎてからだった。
——出発まで、あと十日。




