3-15 手がかり
『目が……さめた?』
頭に直接声が響くというのは、なんとも気味が悪くで不愉快なものだ。しかし、津島にとってこれを経験するのは二度目であった。
最後の記憶はなんだったっけ。何故自分はこんなところで寝ているのだろう。
気を失ってから初めて目を覚ました津島が答えを思い出す前に、再び頭の中に声が響く。
『声は出さないで』
何故だろうか。津島はその理不尽さに顔をしかめながら、きしむ身体を起き上がらせた。
そこは自室だった。狩猟民族の集落 ブラウで借りている質素な一室。津島が布団の上に行儀よく座った黒猫に気がつくと同時に、その二股に分かれた尻尾がぱたりと揺れた。顔を上げると、ベッドから少し離れた場所に膝を揃えて座った角のある少女。途中で光沢ある金色に変わるベージュの長い髪が下の方でくくられているのも、頭にある角も花も、そこから生えている蔓も、まるで眠っているように閉じられたまぶたも、なにもかもが以前花の街で出会った頃と変わらずそこに居た。
津島は状況把握をそっちのけにして、内心で歓喜する。会いたくて会いたくてたまらなかった二人がここに居るのだ。学問の街パナーダへ行ったときになくしたお守りを持ってきてくれた猫又、そして翼人の街エリギへと案内したかと思えば爆発に巻き込まれたのち忽然と消えた少女。二人は揃って空の前に現れ、彼の身体の異常を治したという。
声を出そうと息を吸う。効きたい事が、二つか三つか四つほどあった。
喋る事を、禁止されてしまったが。
『ドアの向こうには、関係のない人がいる』
少女はそう言って、眉を下げた。“ごめん”の意味だろうか、目を閉じたままだからわかりにくい。関係のない人とは、空のことだろうか。……いや、違う気がする。きっと扉の向こうには空の他に誰かがいるのだ。
少女は椅子から立ち上がり、もう一度深く頭を下げた。ふわりと広がった緑色が基調のストライプ模様のスカート。袖が大きく広がった白いシャツの上から羽織られたベストは、黒地に赤の花模様がよく映えている。そんなどこかの民俗衣装を彷彿とさせる格好の少女が、津島に謝罪の意を表しているのだ。
どうしたものか。自分には人に謝らせる趣味などはないのだけれど……と困惑していると、少女がやっと顔を上げる。
『無事でよかった。心配してた。倒れることも予想できていたのに、すっかり気をぬいていた。和音ちゃんそういうの隠すの、上手になってるね』
想像できていた? 上手になっている? 津島は頭の中がとたんに散らかるのを感じた。この物言い、この少女がもうずっと前から、津島の存在を知っているみたいではないか。
知っていないと「わたしたちはあなたの仲間」と言い切ることができないのも確かだ。しかし津島には目の前の、ファンタジーを捏ねて形にしたような容姿の少女と知り合った記憶は当然ながら無かった。
少女は津島の動揺をそっちのけて、話を続ける
『あなたが、わたしたちに会いたがっていることは想像できてた。から、こうして二人でお見舞いに来た。でもわたしの持つ権限では“こちら”でのあなたをもとの身体……女の子に戻してあげることはよっぽどのことがない限り難しいとおもう』
言っていることを理解するのに、時間が必要だった。そして、得られた情報に絶句した。
『ごめんなさい。人としての姿を確定させるのが、精一杯だった』
うつむく少女から一度目を離し、猫又へ顔を向ける。他の色が一切入らない吸い込まれそうな黒い瞳に津島は唾を飲んで口を開く。
「それはこれから先、ずっと?」
『ううん、“こちら”の世界での姿だけ。元の世界に戻ったら、多分身体も元に戻るはず。……できるだけ、影響のないようにしたから』
思わず声を出してしまったが、それに対するお咎めは無い。原因の解らない汗が津島の顎を伝って落ちた。はず。ってなに。適応ってなに。断言はしてくれないの。自分の生活はどうなるの。と、ごちゃごちゃしてきた頭がぼんやりする。
なんだかお腹がすいてきた。なにか食べてからの方が落ち着いて考えられるかもしれない。
津島は床に足を下ろし、正面から少女を見た。可哀想になるくらい縮こまっている彼女を見たら、責める気持ちはどこかに引っ込んでしまう。ずるいと津島は内心で呟きながら、手が届くところにあるメモを手に取った。いっそ開き直って、ぞんざいな態度で居てくれれば、もっと文句なりなんなり言って胸ぐらでも掴むことができたのに。
ペンが動く音に少女は顔を上げ、猫又は伸びをする。
まだまだ書くには難しい文字をできるだけ綺麗に書き、少女に見せる。それを読んだ少女はパッと顔を上げ同時に赤くしながら『ありがとう』と言った。
——言い難いことを教えてくれて、ありがとうございます。
聞きたい事、知りたい事が増えてしまったけれど、今難しい事を考えられる自信がないので……もう一度、会いに来てくれる事はできますか——
その一文に、少女はしつこいくらいに頷きを繰り返す。
『もちろん、会いにくる。会いにくるよ、何度だって。ニルフェ。わたしのことは、ニルフェって呼んでほしい。そしてこの猫の姿の人は……』
「なぁお」
ニルフェと名乗った少女の言葉を遮るように猫又は鳴き、逃げるように窓から外へ飛び出して行った。
『あっ、待って! 和音ちゃん、ごめんなさい。わたし、また会いに来るから』
そう言い残したニルフェは、あわててその後を追いかける。初めて会ったときの忽然とした去り方はどこへやら、颯爽と窓枠を飛び越えてゆくその背に津島は小さくため息を漏らす。
「帰れたら元に戻れるのなら……まあ、いいか」
一人になった部屋でそう呟いて、ベッドから立ち上がった。結構前向きな、良い考え方じゃないかと自分で評価しながらメモを置き、部屋の扉へ手をかける。
結局二人は、どういう存在なのだろうか。津島が元は女であることも、すべてがわかっているような物言いだった。「人としての姿を確定させるのが、精一杯だった」とニルフェは言った。津島がこの世界に来てしまったことに関わりがなければ、そんな言葉は出てこないだろう。聞きたいことがさらに増えた。解決したのは、二つだけ。次こそ会ったら逃がさないんだから、と心に決めて、部屋の扉を思い切りよく開ける。
するとそこには空と世界学の学舎であるシフォー・カロユが、机を挟んでソファーに座っていた。シフォー・カロユの足元には、音に反応してぴくぴくと耳を動かす従獣インピィが丸くなっている。なぜここに? と驚くのと同時に、先ほどニルフェが言った“関係のない人”とはロユとインピィの事だったのだと納得する。
二人の目が津島をとらえ、同時に大きく見開かれた。
「津島!! 起きたか!! 大丈夫?? お腹すいてない??」
「カズ! 倒れたって聞いたけど……!」
ソファーからそろえて身体を浮かせる二人に、津島は居心地の悪さを感じつつ頭を下げる。
「う、うん。今起きました……! おはようございます」
——
「空きっ腹に流し込むなら、最初は軽い方がいいよな??」
そう言うのはキッチンに立つ宓浦 空。対して津島は、ロユと並んでリビングの椅子におとなしく座っている。手伝おうとすると空に怒られてしまうのだ。非常に落ち着かない津島だったが、身体を動かすエネルギーが無いのも確かだった。
「う、うん。ごめんね、空もロユも……二人でお話していたのに」
「いいって! まだ全然話しはじめにも至って無かったし。な」
「ええ。というか、本当にごちそうになってもいいの? わたし帰るけど?」
「いいよいいよ! これくらい。二人じゃ食べきれないくらい いろいろ貰ってるんだ!! 一緒に食べるの手伝ってよ」
言いながら空は鍋を温めていた火を消し、完成したスープを椀に注ぐ。
しばらくしてテーブルに並べられたのは、あたためた惣菜達とパン、そして空が作った野菜のスープだった。空が「インピィはこれ!」と、皿に盛った小さな果実を床に置き椅子に座ったところで三人は食事を始める挨拶をする。
津島はまずスープを口に含み、頬を押さえた。鶏のダシがよく出ているさっぱりとしたスープだった。しゃきしゃきと混ざる野菜の食感に口角が上がる。
「美味しい!! さっきはロユと何を話してたの?」
「おそまつさまです! 全然。まだ何も話してなかったよ!! この前津島が勧めてくれたクロメールと世界の幸のことについて聞きたい事があったから来てもらったんだ。むしろこのタイミングで津島が起きてきてくれてよかったかもしれない」
空は、テーブルを挟んで向かいで惣菜に箸を伸ばしながら口を開く。
「あまりにも普通の物語だったから危険図書である理由が理解できなくて、聞いてみようって思って!そういえばここらの惣菜はみんな集落の人達からのお見舞い品で頂いたものです。ので、元気になったら礼言いに行こうな!」
テーブルに並べられた皿を箸で示す空に、津島は目を丸くする。
「お見舞い!? 空、なにか病気をしたの??」
「バーカ、そうじゃないだろ!! 確かに俺もちょっと風邪ひいたはひいたけど、集落の人達はカズが倒れたからって持って来てくれたんだよ!!」
「結構話は広まってたわよ、朝市でね。ソラがぐったりしたカズをおぶって歩いてたって」
「えっ……そう……だったんだ。そっか。空が、自分を運んでくれたんだね。ありがとう」
「……どういたしまして」
ぺこりと互いに頭を下げたところで、静かになる。スープを飲み、頂き物の惣菜へ箸を伸ばし、パンを齧り。
シフォー・カロユも、小学校高学年程度の見かけに反してよく食べる人であった。テーブルを彩る様々な惣菜は、三人の手によってあっという間に食べつくされた。
「それじゃあこれが危険資料として扱われている理由でも説明しようかしら」
皿を片付けを三人でやり終え、ソファーに座った津島と空がしっかりと聞く態勢になった後。その向かいのソファーに深く腰掛けたロユが、白い本の表紙を示した。お腹のふくれたインピィは、さっそく彼女の隣ですぴすぴと船を漕ぎ始めていたが。
お願いしますという二つの固い声に、そこまで固くならなくても、と小さく笑いながら、ロユは息を吸う。
「このクロメールと世界の幸が発表されたのは、あまり昔ではないの。あたしのお婆さまの上の代が産まれるか、産まれないかって頃かしら。
聞いた話によると、発表されてから一年間はただの物語として扱われていたらしく、神学からも世界学からもノーマークだったの。規制をされた原因は神学。神学っていうのは……まあ、簡単に言うと神様についての伝承などからソラリス神という存在を確立させようとしている学種なんだけど、これに携わっている人は地上にはあまり居ないの。殆どが天の大地……シフォルア街の民による研究よ」
喋りながら紙に三つの円を描き始める。
「なにも別の世界を題材にして物語を売り出すこと自体が規制されているわけじゃない。あたしが住んでる世界。あんた達がいた世界。そして、この本の中に出てくる白の世界。この三つの世界のうち、あなた達がいた世界を題材にした場合なら規制はされない。仮説の立てすぎで頭がイったと思われる程度ね。……ただ、白の世界は特別であり禁忌。神学の中ではひときわ重要な意味を持ってるの」
三つの丸の内、一つの円にバツがつけられた。
「その名は『かみさまの部屋』。神学では、クロメールと世界の幸の舞台になるような “どこまでも続く白の空間” は統一してそう呼称されるわ。神話にはほぼ確実と言っていいほど出てくる空間なんだけど、そこはかみさまの部屋と言うだけあってとても神聖とされてるの」
一度口の中にたまったつばを飲み込み、ロユは続ける。
「人間なんかが立ち入るのは不可能。許されない空間という位置付けってことね」
「つまり、そこに人が入る表現をしたからこの本は規制されたということ?」
話を追いかけるようにメモを取りながら首をかしげる津島に、ロユは迷いなく頷いた。
「そうよ」
「クロメールと世界の幸が実話であるという証拠は??」
「無いわ」
その否定に少々怯む津島に、シフォー・カロユは小さな歯を覗かせる。
「無くても、そういう話ってだけで神学的には規制対象なのよ。ただ……頭に引っかかるのはその規制の強さね。それが信憑性の高さを示してるのだけど……。普通ならばこれ以上売られないようにと商店ギルドなどから回収する程度なのに、全ギルドの力を使えるだけ使って所持者を辿り、漏れなく奪い取ったうえ全て燃やし、著者を殺してまで本の存在をなかったことにしようとした強行手段。
そしてカズの話が本当なのなら、神学ではなくなぜか世界学の蔵書に、まるで守られるようにして保管されてる事実。まあ、詳細を知らない一般人が書いたからこそ、専門的な分野で一致しているところがいくつもある。っていうことも問題なんでしょうけど。……ねえ、あなたたち、この話の主人公が目覚めた場所に、興味はない?」
突然の問いかけに、津島と空は互いの顔を見合わせた。今までとくになにも感じていなかったが、なにか価値がある場所なのだろうか、と。
「そう言われると見に行ってみたくなるな! 聖地巡礼みたいなノリで……? でも目が覚めた場所のことは明確に表記されてなかった気がするけど」
「この物語は、主人公が長いこと暮らしていた『かみさまの部屋』、そしてそこの住人であるクロメールに別れを告げ、現世で目を覚ますところで終わるわ。この最後の目を覚ます描写……『目を覚ますと僕は木の麓で涙を流しながら立っていた。そう広くない、ぐるりと一周するのに半日かからないであろう盆地の、その中央。水の成分が少なく生の気配が無いその地に、青々としたそれはなんとも奇妙な光景だった。年が明けようとしていた』……この特徴的な地形で思い当たるところなんて一つしかないの」
目を細めて口角を上げるロユの、なんとも頼もしい事。彼女は「それにね」と話を続ける。
「聖地巡礼もいいけど……この話が仮に事実だとしたらどうする?」
どうする
この問いかけに、津島は頭を動かした。本当に本当だったら……ほかの世界へ繋がる何かがそこにあるということだろうか?
世界学は仮定の積み重ねで成り立つ学問。このクロメールと世界の幸は、その分野へ身を置くシフォー・カロユにとっては大きな手がかりであり、ここから研究を深めてゆく最高の足がかりなのだろう。心がとくんと波打つのを感じた。どうしてか、大きな一歩を踏み出せるような気がして。
「行ってみたい」
「俺も」
間をあけず、空も即答した。
「そこが、前にロユの言っていた『世界の接点』かもしれない……って事だもんな。そんなの行ってみたいに決まってる」
正確に言えば、ロユが津島に話したことだったが。そこで津島はソファーに座り直し、口を開く。
「で、でも、行くとなると相当大変なんじゃないかな」
「そうね、二つ険しい山を越えなくちゃいけないし、その山へ行くのにも……国境近くの街から内地へ歩き続けなければならないわ。長い旅路を予想することね。ブラウからこことは、訳が違う」
その言葉にさっと顔を青くさせたのは、津島だった。しかしその様子に気がつく事無く、ロユは指を折る。
「まあ、どれくらいかしら。しっかり計算なんてしたことないからピンと来ないけれど……十日は余裕で越えるんじゃないかしら。それでも行く? ついてきてくれる?」
「ああ。それでも!」
あくまで前向きな様子の空にあわせて、津島も小さく頷いた。
「ありがとう。ならまず道具を一式そろえるところから始めたほうがいいわね。一筋縄では行かないだろうから、戦える人を何人か付けた方がいいわ。少し待っていて、今から人を呼んでくる」
言うや否や、ロユは立ち上がって家を出て行ってしまった。鼻提灯をぱちんと割ったインピィが、慌ててその後を追いかける。もう湯気の立たない冷えきってしまったお茶と一冊の本がぽつりとさみしく取り残されるのを見て、空と津島は顔を見合わせる。
「やったな!! これで帰る目標に向けて一歩前進できるんじゃないか???」
「よかった。行き詰まりを感じていたから、どうにかなって……ほんと、安心した」
思わずため息が漏れる。高揚感に心臓の音が大きく聞こえて、そこにそっと手を重ねた。そんな津島を横目で見ていた空がふと口を開く。
「戦う事になるかもしれないけど……」
「自分も、戦うよ」
空の言葉を遮って津島は呟く。小さくとも、芯の通った声に空は目を細めた。
「倒れて、目が覚めてすぐなのによくそんなこと言えるな。帰る為なら——って感じ??」
「帰る為なら……うん、そう。これくらい頑張らなくっちゃね」
津島は自身に言い聞かせるように呟きながら、自身の手を握りしめた。




