3-13 同居人の昏倒
「どらあああっ!!!!」
木陰で息を潜めていた燕色の髪が、小さな合図とともに木漏れ日へと飛び出す。同時に様々な方向から顔を出す四人の狩人。
突然の襲撃にそれまで固まって静かに草を食んでいた魔物達は、一転して各々の方面へ逃げはじめた。大きな身体の割にぴょんぴょんと軽く跳ねるそれは、サイズは倍ほど違くとも雌の鹿にとてもよく似ていた。すばしっこいのが憎らしい。
チオリ達は、散り散りになってゆくその背中を追わず、見送りながら地へ目線を落とす。この魔物は人の足では到底追いつけない速度で逃げるので、狩る場合は気がつかれる前に命を奪うか、足の筋肉を切り裂くのが主流だ。魔法を使える者が居れば遠隔攻撃という手もあるが、視界の開けていない森の中では危険が大きい。
今回の成果は七匹。 動けない状態で横たわり、ぴくぴくと動く身体にとどめを刺したチオリは、その隣に膝をついて胸から腹にかけて切り込みを入れた。不必要な内蔵を取り除き、地面へ埋める。
そんな、エグバリーやチオリたちとの、六度目の狩猟でのことだった。
一行が後処理をはじめるなか、津島はどうしても木々の間に紛れて遠くなってゆく魔物のうち一体から目を離せずに居た。
早くエグバリーやチオリに、手伝う事はありませんかと聞かなければならない。そんな心の呟きもむなしく、ふいに浮かぶ考えが身体を勝手に動かす。
——いけるんじゃないか?——
襲撃時に魔物の筋肉を切った感覚を手に残したまま両足を開き、借り物である刀をまっすぐ投げる。まるで氷上を滑るように魔物へと撃ち放たれたそれは、木々の合間をくぐり抜けて音を立てずに魔物へ突き刺さった。魔物の断末魔が響き渡り、我に返った津島の喉が音をたてる
「はえ」
なんとも間抜けな声を上げたチオリが魔物の内蔵から顔を上げ、津島の背を振り返る。
「どないしたん?」
「えっ、ええ……と」
「津島すげえ!! 俺、取って来るな!!」
なんとか動揺を悟られないよう答えようとした津島にかぶさるようにして、空が駆け出した。盛り上がった木の根の先へ行くその背中を見送りながら、エグバリーが細い目を大きくさせる。
「あの武器を……投げたのか」
「は……はい」
顔を青くさせた津島が頷く。
刀は骨と骨の隙間を通り魔物の急所に真っすぐと突き刺さっていた。
戦うためのトレーニング方法を教えてください。と言ったあの日から三週間が——この世界で週間という単位があるかどうかは不明だが—— 過ぎようとしている今、津島と空は体力作りの合間をぬって狩りへ出る日々を送っていた。
ブラウでのトレーニングの成果もあり、みるみる狩人としての頭角を見せはじめている空と同じように、津島もチオリたちが驚くほどの速さで戦い方を身につけはじめていたが、常に津島は不安と隣り合わせであった。
チオリやエグバリーから習った武器の使い方はほんのわずか、小さな助言程度のみ。基本的な刀の扱いは日々の戦闘で思い出すように頭の中に湧き上がってくる。冒頭の投擲もそうだ。まるで強くなる為に必要な知識の大半が自分の中にあるようで、自分が得体のしれないなにかに感じられてくる。そして心の中で踊る、狩りに対する楽しいという気持ちが不安を助長させる。そんな思考はどう考えたって“普通”じゃないと、自分自身へ嫌悪を抱くのだ。
しかし、それでも津島は決してそれらを外に不安を出さなかった。三週間前にチオリが言った“辛そうな顔”も、狩人として頑張るためにも浮かべないよう心がけて。もしかしたら……同居人の彼には、バレていたかもしれないけれど。
起きがけ、薄暗い外を眺めながら、その日の予定にため息をつくことも少なくはなかった。
——そんなだから、集中力が乱れていたのだろう。 きっとそうだ。
ある日、津島は朝から調子が良くなかった。
物心がついた頃から今まで、風邪などの病気類は一切したことがなかったため、身体が思うように動かないという不慣れな感覚に動揺をしながら顔を洗い洗面台を離れる。
「うわ!!! 津島……顔色が土みたいだけど大丈夫か??」
「う、うん。たぶん大丈夫。ありがとう」
朝の挨拶よりも前に尋ねられる体調に、津島は首を横に振った。ここまで酷い自分の顔色は初めて見たためか、とにかく初めての不調に少しばかり興奮したのも確かで。それに、朝ごはんを食べたら良くなると思っていたのだ。
しかし、そううまくはいかなかった。
「カズ、どないした!!!」
昼間の草原に、チオリの声が響く。
力が抜け、刀が地面とぶつかる音を立てた。狩りの最中だ。戦場で武器を落とすなんてありえない。なのに全身に力が入らなくなってしまった。名を呼ぶ声に返事をしようとしても上手く声が出せず、視線だけを燕色の瞳に向ける。今ではその色すらわからない。狭くなってゆく視界全てが、白黒になってしまったようだった。どっと吹き出す冷や汗と、みるみるうちに聞こえなくなってゆくまわりの音。
下がってゆく重心に「ああ。限界だ」と思った。
視界がブラックアウトすると同時に途切れる意識。次に視界に映ったのは、木でできた見覚えのある天井だった。
『目が……さめた?』
その言葉は空気を伝って来るものではなく、脳内に直接響いてきた。
————
特訓中に津島が倒れた。
真っ先に津島の異変に気がついたチオリが「大丈夫」とまるでなだめるように空に言う。
「苦手な事を無理してやったせいで心に疲れがたまっとったんやね。いまのいままで全然気がつかんかった」
やっぱり津島に訓練なんてするんじゃなかった。そう言いたげなその呟きに、空は腕をさする。
思い当たる節はある。朝だって顔色が最悪だった。周りにその疲労を絶対見せまいと振る舞う姿は、なんというか……
「……健気って感じだったな」
「ん? なんか言った?」
「いや……あのさ、チオリさん! 俺すぐここに戻ってくるから、一旦津島を家まで運んじゃだめかな???」
「ああ! 別に戻ってこんでえーよ。君たちが居なくったってわたしたちは大丈夫やし。ただ、気をつけてな。完全に気を失ってる人を運ぶんはなかなかに疲れる上、魔物から襲撃を食らったとき咄嗟に反応でけへん。それに……」
「ありがとう!! 大丈夫! 周りに注意して運ぶよ」
空はやかましく笑い剣を鞘に入れ、心配するチオリの腕から浅い呼吸を繰り返す津島を引き上げた。脇の下に腕を入れて、肩で支える形に落ち着け息を吸う。
「すみません!! じゃあ俺ら、お先に失礼します!」
「おーう、お疲れさーん!!」
「気をつけろよ」
いつの間にエグバリーも狩りを中断していたのか、空達を無表情で見送ってくれた。肩で担いだ津島は想像していたよりも軽くて小さくて不健康な感じがする。
「ったく……馬鹿野郎が」
口の中だけでそう呟く。舌打ちは、我慢して止めた。
森を抜ける。ただ支えて引きずるより背負った方が楽だと気がついたので、途中からおんぶに切り替えた。人をおぶるなんて産まれて初めてのことで、やりかたを間違っていないか不安だったがなんとか集落へたどりつく。
家の鍵を開けるのに悪戦苦闘した後、ぽいと部屋のベッドに転がした。靴を脱がせてやり、風邪をひかないよう掛け布団をかけてあげてから窓の外を見ると、天はすっかり暗くなってしまっている。
「疲れた……」
すっかり重くなった身体を引きずって自室へ戻る。人を運ぶために長いこと同じ姿勢だったためか、両腕を上に突き出し全身を伸ばすと固まった筋肉が悲鳴を上げた。めりめりと音をたて疲れを主張するような身体に、大きく息を吐きつつベッドに飛び込む。
パジャマに着替えなくては。でも、もう立ち上がるのも億劫だ。
足だけで靴を脱ぎ散らかし、掛け布団もかぶらず大の字になって目を閉じる。
「へーーーっくしょい!!」
次の日の朝、空は自分のくしゃみで目を覚ました。
「カズ君、倒れたんだって? 大丈夫かい??」
「これ、お野菜だよ。カズ君が倒れたと聞いてね。ソラくんもなんだかふらふらしてるじゃないか。二人で食べておくれ」
「おや、ソラ君、声が酷いね? 昨日、お腹を出して寝たりしたじゃないかい? このスープ、身体暖まるし、カズくんと一緒に召し上がってよ」
普段叩かれる事の無い扉が、朝だけで何度も何度も叩かれる。空はげほげほと咳をしながら、一体どういうことだと目を白黒させた。
何故、皆津島が倒れた事を知っているのだろう。帰路の途中で会った狩りの一行が話して回ったというのか。
いぶかしげな空に、皆と同じように家を尋ねてくれた女性はわははと笑った。
「まあ、話が広がる発端はそこらだろうね。この集落は皆が仲いいから、すこし見かけたこと程度でも朝市でバッと話が広まってしまうんだよ」
フルーツやら肉やら、料理やら。見舞いに受け取る食料は、もはや冷蔵庫に入りきらずテーブルの上に積み重ねられている。恐ろしい情報網だと考えつつ、痛む頭を我慢して礼を言った。
「風邪なんて何年ぶりだろう……」
最後にひいたのは小学二年生とか、それくらい昔のはなしだ。フルーツや野菜が置かれたテーブルを一瞥してから自室のベッドに潜り込む。
目を閉じるも眠れる気配は一切なく、げほげほと止まらない咳が少しつらい。そこでふと思い出して、空は部屋の机に置いてあった一冊の本を手に取った。
白い表紙に茶色の文字。
「クロメールと世界の幸……」
怠さよりも興味が勝り、空はうつぶせに寝転がった状態で表紙をめくる。
タイトルが書かれているページの次のページをめくったところで、そこにぽつんと書かれた一文にほんの少しだけ目を細めた。
「『大切な君との思い出を、ぼくの歴史としてこの紙の上に綴る』」
無意識のうちに一文を読み上げた空の声は、集落の人たちが言う通りガサガサしたひどいものだった。
気がつくと外が明るくなっていた。
一周読んで、気になる箇所は少しずつ戻って読み返したりしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまっていた。小さく聞こえはじめた人の話し声にあわてて本を閉じ、柔らかい所で書いたせいでぐちゃぐちゃになったメモを机へあげる。
「寝よ、寝よ」
頭の痛みは酷くなっている。本を読んでいる最中、咳だって何度も出た。上半身を支え続けガチガチになってしまった肩をほぐしながら仰向けになる。津島が起きたときのことを心配する思考もあっと言う間に睡眠欲に負け、気がついたら夢の中へ完全に沈み込んでいた。
それから頭痛由来の悪夢から目を覚ましたのは天がしっかりと明るくなった時間帯であった。親が殺されたのかと思いたくなるほどの扉への強いアタックに、空は慌てて体を起こす。汗がひどい。人に会う前に風呂に入りたい気分だが。
「はーい」
予想以上に酷い自身の声に空は驚く。他に家の中からの反応はない。津島はまだ眠っているらしかった。
「そらくーん、おきてますかー?」
声に、空は扉を開けながら応えた。
「ノック音で起こされましたー。おはよーございます、チオリさん」
「うっわ、ソラくんひどい声!! カゼひいた話をメリィから聞いて遊びに来ました! まだ治りそうな兆しは0? 大丈夫?」
「うーん。残念ながら!! 本当は一昨日に途中で帰っちゃった分、朝市で荷物運びの手伝いをしたかったんだけどさ……昨日も今日も朝礼サボってごめんな!!」
「ええって! そんくらい。それよりそないな声出さんといて、死にそう。わたしが。とりあえずこれをね、二人に作ってきたからお昼ご飯に食べて。ご飯をやわく煮たやつ。肉も脂少ないところ使うたから食べやすいと思う」
「うわ、いいの!? ありが」「だー! もう喋らんといて!!!おやすみ! お邪魔しました!」
空の言葉を最後まで聞かず、盆を押し付けたチオリ・ターナは扉を閉めた。ノック音と同様激しい音を立てた扉に、空は思わず目をつむる。
「ご飯をやわく……ってことは、お粥か?」
食欲はなかったが、風邪の時は食欲が無くなるのが普通だ。空が最後に風邪をしたのが何年も前ということもあり体験をした記憶はおぼろげだが、育ての親の友人がよく病気をする人だったことを思い出す。
「食欲が無くとも、食べたくなるようなものをつくるのが看病をするものの勤めなんだぜー。病気を治すには体力! 体力は飯でつくもの! 覚えとけよな」と、よく聞かされていた。ここは食欲などなくとも食べるべきなのだろう。
しかしテーブルに置いたどんぶりの蓋をそっとあけた瞬間、今までの食欲の無さはどこへやら、腹の虫は突然元気になりはじめた。艶やかなご飯の上に盛りつけられたほかほかの肉と、卵のそぼろ。思わずじゅると唾液が出る。
「いただきます!」
手を洗う事も忘れスプーンを伸ばした。するすると喉を通ってゆく米に、さっぱりとした食感の肉。空気をたっぷり含み、ふわりと膨らんでいる卵。暖かい旨みに身体がみるみる満たされてゆく感覚へ、空は同時に幸せを味わう。他人の作ったご飯で幸せを感じた事なんていつぶりだろうか。終いには片手でどんぶりを持ち上げて夢中でかき込んだ。
料理人を目指す男の料理は、すごい力を持っている。
食べる前より明らかに軽くなった体調へ空は不思議ともったいなさに似た何かを感じながらベッドにころりと横になった。悪夢のことなんて、もうこれっぽっちも頭には残っていなかった。




