3-12 記憶の隅にこびりつくもの
エグバリーから思わぬプレゼントを受け取った次の日の、天が一番明るくなる時間帯。広場に隣接する、総合施設の前で津島と空は足をとめた。
用事があったため一度チオリ達が住むターナ家の扉をノックしたものの、誰も家に居る様子が無かったからだ。いつも玄関先の小屋で眠っていたダチョウのような魔物も居なかったため、どこかへ出かけているのだろう。そうして考えた末たどり着いたのがメリィの職場である総合施設だった。
今、二人はとにかくターナ家の誰かに会いたかった。最悪、住民の半分以上が狩人というこの集落の人ならば誰でも良いのかもしれないが、せっかくならば気の知れた人がいい。
前に立つ空が、総合施設の扉に手をかける。カランカランと鐘の音を響かせ開いた扉の先には、奥へ続く大空間。ソファーで何やら雑談している人や、受付でやりとりをしている人。外の静けさに反し活気に満ちている施設内に、津島は今日こそは肩を揺らさなかった。
「メリィさんは、依頼の受付をしてるって言ってた……はず」
そんな津島の言葉通り、目的の人物は役所の受付の隣にある『依頼受領』のテーブルで接客をしている最中だった。普段のおおざっぱな様子とは違う雰囲気であることが遠くからでも見て取れる。喋り方は聞き取りやすく、また、言葉選びも滑らかだ。
あらかたの手続きを終えた客が席を離れ、外へ出て行くまでをしっかりと見送った彼女は、顔を津島たちへ向け、歯を見せる。それまで接客の様子をじっと眺めていた津島は、眼鏡越しにあった視線にびくりと身体を強張らせた。
「ソラくん、カズくん! 遊びにきてくれたのー? 視界の端にちらちら映るから気になっちゃったじゃん」
そう言いながらカウンターを乗り越えるメリィへ、空達も近寄り、まずぺこりと頭を下げる。
「すみません。仕事中に来てしまって」
「いーよいーよ。遊びに来てって言ったのは私じゃん。
今受付別の子に変わってもらうから、こっち入っといで! なんか用があって来てくれたんでしょ?」
その言葉に二人は頷きメリィに案内された受付の裏、スタッフルームで再び頭を下げた。最初に空が大きな口で息を吸い、ここまで来た要件を伝える。
「狩人として活動していく上で、必要なトレーニングを知りたいんです!!!」
そう、二人はそのために、ターナ家の人を探していた。交流の少ない他の住民に「どうやってトレーニングされてるんですか?」と聞くのはいささか、主に津島にとってハードルが高すぎるという空の判断だ。
二人の言葉にメリィは少しの間動きを止める。しばらくして彼女は、ゆるりと口角を上げた。とても優しく暖かい、まるで何かを懐かしむようなその笑顔を不思議に思いつつ、津島が口を開く。
「そっ、空はともかく自分は、ブラウでも全くトレーニングをしてこなかったので本当に基礎のトレーニングを聞きたいんです。沢山の事をメリィさん達に頼ってしまってごめんなさい。忙しいでしょうし、よかったら文字面だけででもいいので……」
「いや、謝る必要はないと思うよ」
津島の言葉を遮るようにしてそう言ったメリィは、考える動作の後再び口を開く。
「人は誰しも最初は初心者だし。人に聞いて勉強することはいいことだって! ただ、ごめん。本当に申し訳ないんだけど、体力とか筋肉とか……その件に関してわたしはあまり力になれないや。私もソラ君やカズ君と一緒なんだよね。ドがつくシロートなの。意気地なしだから、魔物を克服しようとしはじめたのも最近だし、それまで狩人になるなんていう選択肢は頭に一切なかったし。学生時代も全然身体動かさなかったもん。
でも、二人は今日もご飯作りにきてくれるんでしょ? その時にエグ兄に聞いてみるといいよ。エグ兄なら、懇切丁寧に教えてくれると思うから」
そう言って彼女がにこりと笑った直後、扉の向こうから声が飛んで来た。
「ごめん!! メリィ。ちょっと手伝ってもらえるー?」
「はいはーい!」
メリィは返事をしながら立ち上がり、二人へ笑いかける。
「ちょっと手伝いに戻るね。いくらでもここでゆっくりして行っても良いけど、帰る時も来た時と同じようにカウンターの脇を通って出て行ってね!
事務所にあるドアは、隣の相談所に繋がってるから開けないように気をつけて。じゃっ、今日のおかずも楽しみにしてるから!」
パタンと扉が閉められた直後、メリィの営業用の声が、扉の向こうから聞こえた。
————
「なるほどな、 それで昼にメリィのところへ行ったのか」
上着のお礼には仏頂面と唸り声だけというリアクションだったエグバリーが、納得したような声を出した。
「そうなんです!! 体力無いんで鍛えなくちゃいけないんですよ!!!」
そして強くなって、魔物を狩って、この集落の人達へ御礼をしなくてはいけない。空の言葉にチオリが大きな動作で頷く。
「わかるわー。出来るだけ早く、強くなって戦えるようにならんと!! って、感じるんよね。ここに居ると。でもカズくん。きみは……」
ソファーで背筋よく座るチオリは、言葉を切ってリビングルームに居る津島を視界に入れた。
ぱちりと会った目に、津島はびくりと肩を揺らす。
「じっ、自分は……ダメですか?」
ごくりと唾を呑む彼に、チオリは目を丸くしてから間もなく首を横に振った。
「いやいや。そういう事を言いたいんやないよ。ただ、カズ君もトレーニングをしたいって言うとは思わんかった。本当に大丈夫なん?」
「だっ、大丈夫です! でもその質問ってどういう意味ですか……?」
「いや……あのね。港町ブラウでもそうやったからこそ、ソラ君は訓練をしてカズ君はしなかったんと思う。この集落でも、それは一緒よ? 別に狩猟をしなくちゃいけないわけやない。ただただ他の街より狩人の数が多いだけで、狩り以外に生計を立ててゆく術はちゃんとある」
視線を床に落とし、思案する間を開けた。
「……おとつい、皆で草原へ狩りへ行った時のカズ君の苦しそうな顔を、わたしは今でも忘れられん」
「かっ、顔??」
「自分じゃ気がついとらんかったんね。メリィは魔物に潰れとったし、ソラくんとエグ兄も生き残りを追い回しとったから見てないと思うけど」
「全然自覚、していませんでした」
「何かに耐えるような、辛そうな顔しとったよ。眉間にしわを寄せて、まるで別の人みたいな目つきになって。わたしはあんな顔をするくらいなら、絶対に狩人として戦わん方がええって思う。なによりカズくんの為にならん。だから大丈夫かって聞いたんやけども」
そこでふと、今まで無言で椅子に座っていたエグバリーが口を開いた。
「チオリそれ、二十年くらい前の自分に言えるのか」
ギクリと肩を揺らすチオリに反し、エグバリーは食後のお茶をのんびりと啜りつつ言葉を続ける。
「もう嫌だと、泣いて吐いて、ご飯が喉を通らなくなって、日に日に痩せて、終いに箸すらも持てなくなったあの頃のお前は、お前が見たカズ以上に相当だったんじゃないかと思うけどな」
「……それ今ここで言う? エグ兄」
「チオリだって、育った環境とここの差があまりにも大きいからこそ大変だったろうが。同じようにカズにだって多少の壁はあるだろ。もしかしたら、ソラにもこれから先あるかもしれない。自分から立ち向かおうとしてる壁から遠ざけようとしてどうする」
そこでエグバリーはじっと津島の瞳に焦点をあてる。津島はいつもの癖で逸らしてしまうが、エグバリーの視線は縫い付けられたようにそこから動かない。落ち着かなくなり、津島がそわそわと空へ助けを求めようとしたところで、エグバリーは小さく口を開いた。
「俺はその壁を越えた先、本当のお前に、興味がある。だからこそ、初めて会った時の事を覚えていた。忘れなかった」
しんと部屋が静まり返り、そこに唾の飲む音が鳴った。
————
帰路は無言だった。いや、無言なのはいつもだ。それなのに無言がこんなにも気になる日は初めてだった。
エグバリーの意味深な言葉に、津島は確実に動揺をしていた。それに対し空はあえて何も言わず先を歩く。
二人で住むには少し大きすぎる借り家に入ったところで、津島は大きく息を吐いた。借り物とはいえ、やはり家というものは偉大なのかもしれない。少しだけ気分が、落ち着いたような気がする。
なぜか今日に限って真っすぐ自室に入っていかない同居人の脇を通って自室へ足を踏み出したところで、同居人——宓浦 空が薄く口を開いた。
「あんまり気にする事ないんじゃないの」
何に対する言葉かは、考えなくてもわかった。突然の、それでも一番欲しかった言葉に津島の喉がひくつく。空はニッと、歯を見せた。
「人にさ、なんか……よくわからないものを勝手に重ねて期待されるのって迷惑だよな。エグバリーさんのさっきの言葉、そんな気にする事はないと思う」
ひどく優しい喋り方だと津島は感じた。やはり彼は普段のやかましい喋り方より、今のような人を思いやる喋り方の方がつっけんどんではあるけれどとても落ち着く。
「ありがとう。空……でも」
「でもじゃない。本当のお前もクソもない。壁なんてものも無い。人の目線にビクつくようなお前も、戦うことが楽しいと思うお前も、皆が皆本当のお前なんじゃないの? 俺はそう思うけれど……」
言いながら空は目線を落とし、突然「やっぱ今のナシ」と言った。
「えっ」
「今のナシ。全部ナシ!! 聞かなかった事にして! あの、俺は……とりあえず気にするな! つって、言いたかっただけだから。 他の事は全部無し、なし!」
ぱたぱたと慌ただしく両手を振って自室へ踵を返した同居人に、津島は「おや」と思った。
照れているのだ。彼は。
後ろからでも顔が耳から首まで赤くなっているのが伺える。もしかしたら感じた事をそのまま表に出す事に慣れていないのかもしれない。そう思うと、なんだか目の前の男が可愛く感じられるから不思議だ。まだ部屋に引っ込んでほしくなくて、津島はつい反射で息を吸う。
「ま、待って、空!」
「なんでもない! 言いたい事なんて無いって言ったろ!!」
「あっ……ええと、そうじゃないんだ。自分も、 空に言いたいことっていうか……そう、お願い! お願いがあって!」
「……お願い?」
足を止める同居人に、内心でほっとしながら本棚に近寄る。すると後ろをついてきた空が声を上げた。
「あ、ああ。ここの本なかなか面白いよな!! どんくらい読んだ?」
「えっ……全然読んでない。ぱらぱら捲った程度だよ。まさか空、全部読んで……?」
「まさか!!! ここのは四冊だけだよ。ブラウに戻る前に全部読みたいって気持ちはあるけど」
「それなら、この本はもう読んだ?」
本と本の間から抜き取った、白地に茶色で題名が書かれただけのシンプルな表紙。
それに空が首をかしげるのを確認し、津島は息を吸った。
「お願いなんだけど……この本を、読んでほしい。明日でも明後日でも暇なとき気が向いたときでいいから。それでよかったら自分に感想を聞かせてもらえないかな」
本を受け取った空は、唇を尖らせながらもこくりと頷く。
「わかった!! でもわざわざ何でこの本を??? そんなに面白かった??」
「う、うーん。面白いというより普通のおとぎ話に思えたんだ、自分には。だからこそ空が読んでどう思うか感想を聞きたいの。その本は……」
息を吸って、空の手に収まった本の題名をなぞる。
「『クロメールと世界の幸』。学問の街ブラウで“危険度の高い本”として秘蔵されていた本……なんだ」




