2-24 前夜、最期の日
切られたはずの尻尾が風を切る。残るはお前だけだと言うように、魔物の目はすでに空に向けられていた。
「うそ……だろ」
空は立ちすくみ、呆然とつぶやく。
「津島。おい、嘘だよな」
魔物の足元から、彼の肩から上部分がはみ出ているのを見る。驚きで見開いたまま固まった、口の周りに沢山の血をつけた、彼の顔が。
「まじかよ。ちょっとあっさりしすぎなんじゃないの…………おい」
空は震える手を押さえ込んで収めていた大剣を抜き、そして顔を上げて魔物を睨みつけた。
「津島を返せよ」
一歩踏み出す。好戦的な魔物の瞳へ今度は息を大きく吸い込んだ。
「津島を返せえええええ!!!!!」
地面を蹴る。そのとき、彼の頭の中でなにかが弾けた。
身体の奥深くでぱちりと隙間が埋まる感覚。そしてそれを伝うようにして、全身に引き込まれる大量の魔力。
空の視界がぱちぱちと火花を散らしはじめ、見えているもの全てが光を放ちはじめたような感覚に陥る。
——この世界には魔法構文というものがある。
人間が行使する、魔力を言葉で扱い事象を起こす技術のことだ。魔力によって起こせる事象は決まっており、人はそれを系統と呼んでいる。
しかし魔法構文は万能ではない。
体内の魔力が切れれば使えなくなるのはもちろんのこと、構文を唱えている人に強い集中力が必要となる。本来ならば唱えている最中に動くことは、不可能なのである。
そう——本来ならば。
視界がきらきらと輝き続ける中、空は吐き出すようになにかを叫びながら魔物との距離を詰め剣を振りかぶった。辺りに小さな光がぱちりと具現し、魔物に剣を突き立てた時、彼はすでに定型を逸脱してしまっていた。
突き立てた剣に沿って、走っている間に完成させた魔法構文を流し込む。空を襲おうとしていた魔物は、それに目を見開き苦しさにのたうちまわった。
「それ以上 津島を踏むな!クソ野郎!!!」
空の叫びに呼応して魔力は大きく膨れ上がり、魔物の体内で質量の魔法に完成する。間もなくして、風船が割れるように内側から膨れた魔物は破裂した。同時に頭の中の火花も消える。
弾け飛んだ肉片は地面に着く前に空気に溶け、ぶわりと生暖かい空気が周囲に広がった。血肉を残さない魔物がその代わりに残す、核と言われる黒い石が草原に落ちた。
しかし今の空にとって、魔物の最期など既に興味の範囲外だった。消えた魔物の足跡に、力なくしゃがみ込む。
「津島。おい、大丈夫か」
どこからどうみても大丈夫ではない。本当に人の身体は沢山の水分で出来ているんだな。と現実逃避気味に考えつつ、そっと残った部位、頭部へ手を伸ばす。
指先が黒髪に触れる、その瞬間。空の身体をひどい圧力が襲った。魔法構文を唱えるときと同じ感覚だ。
手が強く津島だったものに吸い付き力を入れても離れない。否、力が入らない。
何故。
先ほど魔物を破裂したときには走って斬りかかることができるほど、圧力なんてこれっぽっちも無かった。茫然とした不安に襲われて、身体がふるりと震える。そうして津島だったものから空の手が離れたのは、十数秒経った後だった。空からしてみれば、何分にも感じられた長くて短い時間。
荒い息をつきつつ恐る恐る目を開くと、辺りに飛び散っていた血やいろんなものが綺麗さっぱり消えていることに気がつき、津島の方へ視線を落とす。
すると先ほどまでは頭しか残っていなかった彼はそこで、まるでなにもなかったかのようにすやすやと寝息をたてていた。空はその信じられない再生劇に少しの間呆然とする。
「よ……よかった」
ぽつりと呟くと同時に、すっと遠のいてゆく意識。あーちょっと疲れちゃった。そう声にならない呟きを残して、空も津島の隣で目を閉じる。
少しだけ冷たい風が、草をさあと撫でる音に混ざり、遠くで魔物が鳴き声を上げる。
天は吸い込まれそうな闇で包まれ、辺りはすでに夜の時間になっていた。津島の目はまだ閉ざされたままで、その傍らに座り込む空も、頭を傾けて夢の中。
しかし、そんな静まり返った辺りの空気に、一人の影が入り込んだ。人影はまるでできる限り空気を壊さないよう気遣うように
「……いったいなにをしてるの?」
返事がないことも気にせず、辺りを見渡しながら言う。
「こんなにまたせて、またかくれんぼ? みがわりをおいて、どうするつもり?」
眠っている二人を視界に入れ、その周りをぐるりと歩いて
「ねえ、どこにいったの?わたし、あなたに あいにきたのよ」
珍しく酒を飲んでいないその人影は、そう言って虚ろな目を動かした。




