2-20 見習い
「ただいま」
普段より相当遅い空のその挨拶に、リビングでお金を計算していた津島が立ち上がった。
「やっと帰ってきた!! どうしたの。すごい遅かったけど」
「ちょっとね! あー、疲れた!」
あまりに帰りが遅かったため既に夕飯は終えてしまっていた。あまりはあるから暖めなおそうかと声をかけると、さっそく床に座り込んで新しい痣を数えはじめた空は顔を上げる。
「いらない! グルーンさんのおごりで食べてきたんだ、サンキュー」
「ならいいけど……ぽぽーんの活動そんなにすごいの? 怪我の数、すごいね」
「いや。ぽぽーんの活動っていうか、今日は完全に俺の……わがままで遅く、なって」
いつもの騒がしさはどこへ行ったのかフェードアウトしていく言葉にあわてて近寄ると、そんな津島にもたれるようにして空の体が傾いた。
準備のなかった津島はそれを受け止めきれず、膝から滑った頭は床へ重い音を立ててぶつかる。それでも空は声を上げることなく、瞼を開くこともなかった。
「空? ちょ、ちょっとー? もしかして……寝てる?」
そのままでは腰が痛くなってしまうだろうと、床からソファーまで体を引き上げた体に、掛け布団を乗せ、滲み出た汗を拭う。
ここまでぼろぼろになってまで頑張る理由など、今の津島には到底理解できそうになかった。
次の日の朝、津島が一階へ降りると空の姿はもう無く、リビングのテーブルの上に「昨晩はありがと」と殴り書きされた紙が一枚残されていた。
昨日あんなにへとへとな様子だったのに。と津島は鼻から息を吐く。
しかし少し心配をする彼の感情などおかまいなしに、空の帰りは今日も遅くなった。津島は疲れたからとまっすぐ部屋に入って行く背中を見送ることしかできず、そうして次の日も、また次の日も。気がついたら出かけた後という日々が続き、気がつけば数日が経過していた。
空が家にいる時間は激減し、二人の間で交わす言葉は朝を夜の挨拶だけになった。
ある日は筋肉痛だろうか、階段を上るのが辛そうだった。
ある日のソファーで眠る空の手はたくさんのタコで痛そうだった。
それを見ていることしか出来ない津島は、自分もなにか頑張らなくては。となんとなく思う。しかし彼が思いついたのは、畑仕事を増やしてもらうというものだけだった。戦うなど、自分にはできない。
元の世界に戻る手段探しは今のところ詰んでおり、頼りのベニヒには「もうちょっと待って」と言われたきり。
星の街へ行くという目的が無くなってしまった今、空のように目指すものもない津島は何をしたらいいのかわからなくなってしまった。
そんな生活を続けて何日目かの夜。津島はふと疑問を感じて自室の窓から天を見上げた。
「そういえばこの世界は星、無いよね」
雲もなければ太陽もない。そんな天に、同然星もあるはずがない。
ならば星の街の『星』というのはなんだろうか。神は何にその名をつけたのだろうか。もしかしたらそこからなら本物の星が、そして雲や太陽も見えるのかもしれない。
考えれば考えるほど行きたくなったが、直後 脳裡にフォーンの言葉が響く。
『君は、普通かな』
自身の立場を忘れ、周りに寄りかかりまくって生活しているのにも関わらず普通の人と同じ扱いをするように求めていたことがとても恥ずかしく不甲斐無く感じて、津島は布団の中で頭を抱えて低いうなり声を上げた。
×××
気がつくと海から街へと吹き抜けていた早朝の風が、街から海へと流れを変えて、窓を開ければつんと鼻に染みる寒さを感じるようになりはじめていた。
新しく植えた種が芽を生やし、あたりをぷんぷん飛び回っていた虫たちはいつのまに姿を消して、世間は吐く息が白くなる季節へと移り変わろうとしている。
そんなある日空が少し早い時間に帰ってきた。ついこの間包帯が取れたはずの場所に新しい包帯を巻いた彼は、賑やかにフローリングの床を踏む。
「俺、夕飯まだなんだけどカズもう食べたよね?? 時間あるし簡単なのつくっちゃお」
「あっ、ううん。まだなんだ、作り置きがあるからそれ食べない?」
「いいの? 食べる食べる! なんだかんだこうしてカズと飯食べるのも久しぶりだな。ずっとぽぽーんの人たちと食べていたから……」
空は皿を並べる津島の隣に並び、鍋を覗いて舌なめずりをした。
「そういえば空は最近ご飯どうしてるの? 朝とか……」
「体力作りのランニングの後に市場で買って食べてるよ! いい総菜の店見つけたから、今度一緒に買いに行こうぜ!!!」
手際よく料理を盛り付ける空に頷きつつ、津島は彼の腕を見る。サポーター的役割で巻かれた包帯が目立つ焼けた肌は、この世界にきてすぐの頃より大分たくましくなっていた。
「最近どうなの? 【ぽぽーん】での活動」
気がついた頃にはもう遅く、質問が口から飛び出ていた。
それに空は一瞬ぽかんとしたような顔をしてから、目を伏せて笑う。
「活動ってほど、まだ【ぽぽーん】の活動にまでたどり着けてない感じかな」
「えっ、どういうこと? 今日までの忙しそうだったのは……」
「戦えるようになるための特訓!」
空のその笑顔の中に、自嘲の色が含まれているように感じた津島は、何故。と尋ねずにはいられなかった。
「空、魔法構文が使えるんでしょ!? だったらそんなぼろぼろになるまで特訓しなくても……」
「最初がピークだったみたいで、二回目以降に使った魔法構文は皆それより弱くなっちゃってた」
「そんな……」
「だったら、物理で行くしかないだろ?? で、こうやって鍛えてるわけ!
でもいいんだよ。自分でやりたいって言ったし、筋肉とか結構ついてきてるんだぜ??? 実感するとすげー嬉しいからさ。だから、そういう顔やめて」
そう言い終えるか終えないかのタイミングで、空はあえて音を立てて皿を置いた。盛り付けられた料理が揺れ、皿が立てた音に会話は切れる。
それから会話を切り出すこともなく無言で食事を終えた二人は、そのまま一日を終えた。
次の日、津島が畑での仕事を終える頃にはもう天が暗くなりつつあった。短くなった日に目を細めて大きく伸びをする。
今日の今日まで頑張って育ててきた作物が、今日出荷された。
ここまでとことん手間をかけて作り上げたものがこの手から離れて行くのはすこしさみしかったが、「やりきった」という達成感の方が大きかった。
いままで部活もなにもやってこなかった津島にとって、こんな感動に似た達成感は初めてだった。
空もこういった達成感を積み重ねて、日々頑張っているのだろうか。と考えてみると、応援したいという気持ちがむくりと湧き上がった。
——なのに。それなのに、どうしてこんなことになってしまうのだろう。
ちょっと遠回りになってしまうが、違う道を使って帰ればよかった。そうすれば目の前の問題にも気がつかずにいれたのに。
津島が激しい後悔と疑問に悩まされることになったのは、それから間も無くしてのことだった。
ブラウの道を家に向かう最中、偶然空を見かけたのだ。グルーン、レヨンとともに道端でなにかを話し込んでいる。
声をかけようかと悩んでいる間に、ふと空が顔を上げた。そこでぱちりと目を合わせてしまったのが、失敗だったのだ。
津島があわてて息を吸うのを待つことなく、空は何事もなかったかのように視線を逸らした。まるで目があったこと自体なかったことにする態度へ、津島は自身の目を疑う。
上げかけの右手が行き場をなくした。まさか無視をされるとは思ってもいなかった彼は呆然と立ちすくむことしかできなくなってしまった。
逸らされる直前に見えた突き放すような目に、叫びだしたくなるような恐怖すら感じて後ずさる。
「カ、カズ」
三人を避けるため引き返したところで、震える声と共に津島の肩が強く掴まれた。
他の二人から離れてやってきた空の、わずかな手の震えを感じて津島は立ち止まる。
「そんなつもりじゃなかった。俺、今お前を無視して……」
「ソラがいきなり走り始めたからどうしたかと思えば、カズじゃないか。こんばんは!」
取り残された二人からの景気いい挨拶へ、津島は振り返ると共にスイッチを切り替えた。
「あっ、こんばんは! もうすぐ真っ暗になっちゃいますけど、今から訓練ですか……?」
「そ!今は休憩時間であって、決してさぼりじゃないぜ! 暗い中での戦い方っていうのがあるから、それを体に覚えこませんの」
グルーンの屈託のない笑顔へ涙が出そうになるのをこらえて、津島は小さく笑う。
「あ、あの。頑張ってください。空をお願いします、なんて、自分の言えた立ちじゃないんですけど……!」
「当然! 今日は向こうの草原でやってるから、気が向いたら遊びに来いよ!」
畑のある側を指差すグルーンに、津島は小さく頷く。
津島は景気のいい二人の挨拶に頭をさげつつ、それでも晴れない心はみるみると靄を生みはじめた。




