2-05 吐露
女性の一人暮らしだろうか。
小屋全体と扉の大きさから、フォーンはなんとなく目星をつけながら扉を叩く。
「誰かいらっしゃいますか」
反応はない。試しにノブを回してみれば、その扉に鍵はかけられておらず、なんの抵抗もなく開いた。
普通に通ればおでこをぶつけてしまいそうな玄関を、体を屈めて通り抜ける。待機を命じられた津島は、その背中を外から見送った。
「おじゃまします……と、なんだ。いらしたんですね」
正方形のこじんまりとした部屋、その真ん中で、椅子に座った一人の女性が、落ち着いた面持ちでフォーンを迎え入れた。女性は無言のまま頭をさげる。椅子から立ち上がろうとは、しない。
フォーンは腰に下げていた巾着から小さなバッジを滑らかに取り出して見せた。それは津島に「置いてきた」と言った、赤く輝く所属部隊を表すバッジであった。
「暗い時間に失礼いたします。ウォルノール軍第二番隊所属、フォーンと申します。どうして軍人である私がこんな森の奥深くまで来たか……お分かりですよね」
暗い外で、津島は心細い気持ちを押さえ込み、閉められた扉を見つめ続ける。小屋の中で今、フォーンはなにをしているだろうか。本泥棒に襲われて大怪我などをしていたらどうしよう。あらぬ心配が首をもたげて、さらに津島を焦らせる。
ここで待っているよう言われたが、やはりついていったほうがよかったのではないか。
「……でも、ついていったところでなあ」
できることはなにもない。ちりちりと鈴を鳴らすような虫の声に混じり、どこかから水が流れる音が聞こえる。大きな森だ。川の一つや二つあったところでなにもおかしい話じゃない。突然ばしゃりと上がった水音は、起きたばかりの夜行性物が体を洗う音だろう。のしのしという足音が遠ざかって行くのを聞きつつ、津島はだれにも見つからないようただ息を潜め、ひたすら扉が開く瞬間を待ち続けた。
目が慣れれば、夜の森も存外明るい。すっかりあたりの様子が見える様になった津島は、待ちくたびれて一瞬だけ気をぬいた。
その瞬間だった。バタリと音を立てて開いた扉から、自然光とは比べものにならない明るさが吐き出される。続いて響いた騒々しい足音に津島は、泥棒がフォーンから逃げ出したことを悟った。
足音がこちらへ近づいてくることに気がつき、口角を引き上げる。まさか軍人の仲間が、ここにいるだなんて思ってはいないだろう。
「カズくん! 追って!!」
フォーンの声が聞こえた。泥棒に居場所がばれないよう、心の中で返事をしてそっと泥棒の人影へ駆け出す。
泥棒は、長い髪の女性だった。自然光に反射して見えた色は緑に近い青。綺麗な色だと思いながら、津島は泥棒に向かって全ての体重を乗せた体当たりをお見舞いした。
「いや〜助かったよ。カズくんがいてくれてよかった」
小屋から少し離れた、木々の密度が薄い場所で、焚き火を前にフォーンはゆるい笑顔を浮かべる。
隣り合う二人の背後にはさきほど組み立てたテントがあり、ここまでの荷物と靴を全て入れてある。万が一のことがあったときのため、いつでも野宿ができるよう道具一式をまとめたポーチは、軍人の常備品なのだそうだ。
「花の街は明日になってしまうね。ここまで付き合わせちゃってごめん」
「とんでもないです。こちらこそ、ありがとうございました。あの」
差し出されたおにぎりを両手で受け取りつつ、津島は一度大きく息を吸う。
「先ほどの女性は、縛っておいたりしなくても大丈夫なんですか」
早速包みを剥いてかぶりついていたフォーンは、垂れた目をぱちくりと動かしておにぎりを飲み込んだ。
「なにを言ってるの? 大丈夫さ。拘束輪だってつけたし、カズくんにはおうちに外から鍵をかけてもらったじゃないか。僕が火を焚いている間に」
「で、でも、なにかしない保証はない……じゃないですか」
失礼なことを言ってしまわないよう、頭のなかで必死に遂行しながら吐き出す言葉にも、フォーンは理解ができないという顔をする。
拘束輪とは、逃げ出した泥棒が津島によって捕らえられたあと、フォーンによって首につけられた黒く細いベルトのことを指している。それは特に人を柱などに括りつける役割があるわけでもなく、どこにでもあるただの装飾品に思えた。その効果がわからなかったから、津島は大丈夫だと言い切るフォーンの意図も、拘束輪をつけられたときの泥棒の悲しみと絶望が入り混じったような表情の意味も理解ができずにいるのだ。
二口目のおにぎりを飲み込んだフォーンは、短い眉をハの字にする。
「……あの輪には、魔法構文が組み込まれているのさ」
ぱちりと、薪の水分が弾ける音がした。津島は未だ包みを剥けていないおにぎりを手のなかで転がしながら相槌を打つ。
「つけられた時点で、あの女性が気を失ったのを覚えているかな。あれが拘束輪に組み込まれた魔法構文の効果さ。強い眠気は拘束輪を外されるか、魔法構文が解けるまで消えない。ええと……どれくらいだっけな。25日間くらいは持った気がする」
「その間……ご飯とかは」
「当然食べられないさ。だから、輪をつけた罪人の命は軍人が握ることになる。このまま死刑になって二度と起きられない可能性だって出てくるのさ」
だからか。と津島は納得した。
本一冊盗んだくらいで死刑になることはないだろうが、あんな悲しそうな顔をするくらいなら盗みなんて働かなければいいのに。
「野宿道具も含めて、国直属の軍だし装備くらいはしっかりしておかないとって上は思っているみたいだね。一応それが牽制として働いてもいるみたい。……さてと、僕からも質問したいことがあるんだ。いいかな」
「質問……ですか」
津島のつぶやきに、フォーンはうなずく。
「カズ君はさ、その短刀で魔物を殺す術を、一体どこで身につけたのかな。ここに来るまでの戦闘で観察させてもらったけれど、確実に一般市民の身体の使い方ではなかった。普通なら、一回の投擲で魔物を仕留めるなんて不可能だよ。狩猟ギルドにでも入ったりしたのかい? それこそ、ぽぽーんとか。……それともまた、したことがある気がした通りに動いただけ。というのかな」
その言葉に、おにぎりの包装をむこうとしていた津島は動きを止め、驚きの顔をフォーンに向けた。
彼から先ほどまでの緩い雰囲気は一切消えていて、代わりに軍人の改まった、硬い空気がその身を包んでいた。津島をまっすぐと見つめる紫の瞳に、津島の背を冷や汗がつたう。
辺りの雰囲気さえ緊張感あふれるものに変えたその軍人に、津島はうつむいた。
「……どこででも身につけていません。 今回はそういう既視感も、ありませんでした」
今まで優しかったフォーンが、自分自身へ軍人としての威圧感を出しているということが津島にとってはひどくショックだった。それと同時に切り替えの早さへ、この人はいくらサボっていたとしても確かに軍人なのだと、実感させられる。
しかし押し黙るわけにもいかず、言葉を続けた。
「昨日の保育施設でのことは本当に話した通りで、嘘ではありません。今日のは体が勝手に動いたというところは昨日と似て」
津島は、喋りながら両手を口元に当てた。
喉が震え始めたのだ。
それはショックによるものでもあるが、今まで押さえ込んでいた感情によるものも大きく
「本当にっ、わからなくって! 本来なら有り得ないことなのに!! 既視感なんてっ……、それに、今回、身体が、ここを……刺せば一発で倒せると、あの動きはこう躱せばいいと……! ぜんぶ分かっているみたいで」
しゃっくりに似た喉の震えとともに津島の目からぼろぼろと水がこぼれはじめた。
しかしそれでも、フォーンは軍人としての姿勢を崩さない。急かさない。しかし、逃がさない姿勢で話を聞き続ける。
津島はそこで息を大きく吸って吐いて、もう一度大きく吸った。涙をながしつつも、強い目付きでフォーンを視界に入れる。
一ミリも揺れ動かないフォーンの鋭い目付きに、津島の頭のなかでなにかがぶつりと音をたてた。
「気持ちが悪いんです! 自分の身に覚えのない感覚があることが! なのにどうして!! どうして自分がこうやって、変な目で見られなくちゃいけないんですか!! お守りもなくして……!」
流れる涙もそのままに、まるで逆ギレのように叫び散らす。
手につよく力が入り、握られていたおにぎりが潰れた。圧力に堪えきれず、おにぎりに包まれていた具材が外に漏れだし
ぬる
本来のおにぎりにあるまじき感触に、津島の動きがぴたりと止まった。
おそるおそる視線を下し手元を見ると、手に付いているのはおいしそうなお米と、赤黒い半固形物質。
新鮮な血肉を連想させるその外見に津島の涙は引っ込んだ。
驚いた表情をしているフォーンへ、津島はなんとか声を絞り出した。
「なんすか……これ」