2-04 泥棒さんを追いかけて
四本あるパナーダの大通りのうち一本の中央を羅針盤にしたがって駆け抜けた津島とフォーン。二人はひとまず泥棒の向かった方向の確認をしなおすため、街の外へ続く門の前で立ち止まった。
「カズくん大丈夫? 走り続けてしまったし、ここからは歩いて行こうか」
「すみません、体力が……足引っ張ってしまって本当に」
数え切れない謝罪の合間に荒い息を吐く津島を気遣いつつ、フォーンは歩幅を小さくする。
街中に比べると少ないとはいえ、それでも揃いの制服を着た学生たちが舗装された道を賑やかに行き交っている。ところどころに作られた地下へ潜る階段の先であったり、遠くに見える岩肌だったり。そういったものが、学生たちにとっては大切な研究材料なのだとフォーンは言った。
「僕は早々にやめてしまったけれど、ぽぽーんに所属しているグリエくんだって、この中に混ざって研究をしていた時期があったんだよ」
「ベニヒさんたちはしていないんです?」
「学舎で学べる戦闘技術は大したことがないからね、ギルドを運営していく必要最低限の知識だけつけてみんな辞めてしまったよ。勉強するにはお金がかかるし、余裕のない人はなるだけ短い期間で密度のある学習をして辞めるのがほとんどさ。グリエくんは意地で高い成績を叩き出してスポンサーをつけていたけど。カズくんとソラくんはどうしていたの?」
向けられた優しい視線に、津島は内心冷や汗をかく。右手のコンパスに目線を落として、必死に嘘を練る。
「自分は、行きませんでした。お金に余裕がなくて」
「……そうなんだ。まあ、義務ではないからね」
不自然な間があった。ばれたかな、と少しだけ思ったが、ばれてもいいか。という気持ちも少しだけあった。
津島の手の中で、羅針盤は二人をまっすぐに巨大な森の中へと誘導している。
パナーダの森と呼ばれるそれは、地図なしに足を踏み出せば最後。地図を持って踏み出しても迷うことは少なくない。それだけ巨大で複雑な森である。その森に飲まれて行方不明になった者は数え切れず、人生に行き詰まった人がよく訪れる場所としても有名な場所となっていた。そのためか、森の中へ続く道の脇には命の大切さを謳う看板が立てられていて、津島は眉をしかめずにはいられなかった。
パナーダへ来る際フォーンから借りた護身用の短刀をリュックから出しぶら下げながら、再三羅針盤の指す方向を確認する。短刀は敵を仕留めることは難しくても、身を守るのには十分である。
森の入り口で立ち止まったフォーンが後ろの津島に再び訪ねた。
「やっぱり森の中にあるって言ってる?」
「はい。この森をまっすぐ行った先に本はあるみたいです」
「参ったなあ。まあ、行くしかないよね」
声を固くしたフォーンに、津島は続く。
二人はとうとう、緑生い茂る深い深い森の中へ足を踏み入れてしまった。ふわりと湿った空気が頬を撫で、それまでじりじりと焼かれるようだった肌の温度を拭い去ってゆく。さきほど見た看板を思い出して、少しだけ背中に力が入った。
フォーンは進んで行く上で障害になる魔物達を剣であしらい、津島は邪魔にならない場所で待機しつつこまめに羅針盤を確認する。戦えないことへ少々のもどかしさに唇を噛むことはあれどフォーンの強さは確固としたもので、短刀をとる勇気も必要もないことは確かだった。
「道らしきものが全くないですね」
「うん……。羅針盤に集中しすぎて、転ばないように気をつけて————カズくん! 後ろ!!」
津島は返事をすることができなかった。フォーンの焦りを多く含んだ大声が、それまで静けさを保っていた森に響き渡る。フォーンの視線の先を振り返った津島の瞳に熊の爪が大きく写り込んだ。木の枝を蹴り、今にも津島へ襲いかかろうと伸ばした爪だ。魔物と、目を見開いた津島の視線が交わり、魔物は激しい鳴き声をあげる。大きな体の割、甲高いその声に津島の意識はぐらりと遠のいた。
フォーンが津島をかばうため足を踏み出すより前に、津島は後ろに飛ぶようにして魔物の爪から逃れる。そして着地と同時に体制を整える巨体へ護身用の刃物を投げつけた。短刀はまっすぐ狙った場所、魔物の眉間にめがけて深く突き刺さる。
まただ。と思った。既視感に似た、知らない自分の記憶だ。二つの瞳の間が魔物の急所だと、なぜか体は知っていた。自分の知らない体の記憶にたまらず冷や汗が流れる。
崩れ落ちる肉体は記憶の通り、地面とぶつかる瞬間 空気に溶けて消えた。コツンと音を立て地面に落ちたのは黒で染められたガラスのような球体と、津島が眉間に突き立てたはずの短刀のみ。再び静寂につつまれた森の中でフォーンが小さく津島の名を呼ぶ。
「だ、大丈夫です。けがも何もしていません」
震える喉で応えつつ津島は短刀を拾い上げ、危険を教えてくれた礼とともにフォーンへ頭をさげた。
体液もなにも付着していない刃を確認し、鞘に収める。一瞬、こんな使い方をしたら怒られてしまうだろうかと思ったが、フォーンは眉を寄せたきりなにも言わない。
再び歩き始めて、津島は気がつく。
「フォーンさん、自分も……戦うの手伝います」
そちらの方が早く進めそうだということに。いつまでも後ろで見ているだけにはいかない。自分の体力が無いせいでもあるが、泥棒へ追いつくには今の進む速さでは追いつけない可能性がある。目を丸くして振り返る軍人の、紫色の瞳を見上げた。
「でこぼこ道にも慣れてきた気がするので、走っても大丈夫です。気を使わせてしまって、すみませんでした」
頭を下げた津島に、フォーンは何かを言いかけるも口をつぐんだ。
「……わかったよ。でもくれぐれも、無理はしちゃダメだからね。頼れないって思われてるかもしれないけど、僕だって一応軍人なんだ」
頼れないなどと思っているわけがない。彼のつかみどころのない強さは、この森に入ってすぐのところで強く思い知らされていた。
だからこそ、その強さに頼ってばかりではいけないと思ったのだ。熊に手をかけて、自分が無力じゃないことに気がついた。
「もう少しちゃんとした武器を持って来ればよかったね。戦いにくいでしょう、それ」
「そんなことないです。筋肉がないので……これ以上重かったら好き勝手振り回せないと思いますから」
「ならいいんだ。じゃあ、戦う上で知っておくべきことを少しだけお話ししようかな」
知っているとは思うけれどと前置きをして、フォーンはわずかに歩幅を大きくした。
「魔物には殺せば血肉を残す魔物と、残さない“はずれの”魔物。この二つがあるんだ」
先ほどの熊を思い出して、津島は相槌を打つ。一瞬で空気に溶けて消えた熊は、代わりに黒いガラス玉を遺していた。核と呼ばれるそれは、加工により人々の生活に役立つという。
「軍の中では呼び分けのために歪妖と呼んでいるよ。彼らは体に一つしかない急所を刺さない限り死ぬことなく、体を再生させ続けるんだ」
さっきはよく一発で仕留めたね。と褒められ、心がわずかにこわばった。
「個体によって急所の場所は違うんですか?」
「そう、そこが厄介なんだ。なにか法則があればわかりやすいんだけれど……」
戦う人数が増えて、森を進む速さは確実に上がった。本へは順調に近づいているかのように思われる。しかしそんな中でも避けられない問題は、じわじわと二人に迫っていた。
「……暗くなってきましたね」
津島は辺りを見渡す。
「この森の中、夜になったらどうやって街まで戻るんですか?」
「まさかこんな森の深くまで入ってきてるとは思わなかったから、想定外だけど……。今日は野宿かな」
喋りながら森の中を歩く。まだ天からの明かりがある今ですら根っこに足をとられそうになるのだから、真っ暗な中をすすむのは確実に危険だ。よくこの森を逃走ルートに入れたなと本泥棒に感心しつつフォーンは眉間を揉む。泥棒を捕まえるのも花の街へ行くのも、明日になってしまいそうだ、と。しかし羅針盤がくるくると回り始めたポイントがあった。深い深い森の中、不自然にぽつりと建てられた木の小屋の前。
フォーンはニヤリと口角をあげる。
「追いついたぞ」
辺りは暗く、すでに夜の時間が始まろうとしていた。




