2-06 ひとり
港町ブラウの夜は、昼に比べると随分静かだ。人々は市場からそっと帰路につく。
辺りもすっかり暗くなったその時間に、宓浦 空は特徴的な癖毛を揺らしながら石畳の道をとろとろと歩いていた。借りた家から離れ、わずかな勾配の坂をのぼり、普段はあまり行くことのない居住区を行く。
パナーダと言えば港と市場が主な観光地だが、実際の規模は居住区の方が格段に大きい。家の前で立ち話に花を咲かせる女性たちの横をのんびりと通り過ぎるバスには、ギルドのお勤めでくたびれた人々がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
津島が学問の街パナーダに行ったことで数日ぶりに使用者が一人になってしまった借家は、昼間のにぎやかな町と対比するように静まりかえっていた。扉の木目から一挙一動を監視されているような気がして、畑から帰ってきた空は動く気力が欠片もおこらない午後を過ごした。
夕飯にと作ったシチューも失敗した。原因はわからない。ただ数日前津島と同じレシピで作ったときおいしくできあがったものを、今度は一人でもう一度作ろうとしただけだ。
気分が悪くなり、すべてゴミ袋に流し込んだ。考えなしに外に出て、そのままふらふらと気分転換もかねた散歩をはじめたところで、冒頭へと至る。
「おーい、ソラ!」
突如名を呼ばれた名前に緩慢な動きで振り返ると、狩猟ギルド【ぽぽーん】のリーダー、ベニヒが空に駆け寄ってきていた。相変わらず重たそうな酒瓶を片手に持っているが、彼女の息はいつ嗅いでも全く酒臭くないから不思議である。
慌てて表情をやかましく繕う空に追いついた彼女は、ことりと首をかしげた。
「なんで居住区に居るんだ。お前らの家からここ、相当離れてるだろうが」
「食休みの軽いお散歩にと思って!! ベニヒさんはどうして??」
「私たちの家はこちらの方なんだ。……なあお前、なにかあったのか。カズはどうした?」
「別に俺ら、いつも一緒にいるわけでもありませんし! 急にどうしたんですか??」
「私の目は誤摩化せないぞ、ソラ。話してみろ、なにがあったんだ」
瓶の中身を軽く呷り、ぽってりとした唇をにいと引き上げたベニヒに空はぐっと息を飲む。確かに気分はどちらかと言えばマイナスだったが、まさかそれを他人に指摘される日が来るとは思っていなかったのだ。
堪忍し適当に今の状況を説明すれば、ベニヒは黄色い瞳をわかりやすく輝かせる。虫の居所が悪い空は「なにがそんなに楽しいのか」とわずかに眉をよせるが、そのいら立ちは次の一言であっけなく離散した。
「それなら、ソラ。暇なんだろう、私の家に泊まりにおいで」
「へ」
それはあまりに予想外な誘いだったからだ。目を丸くする空に、青い髪のリーダーは慌てる。
「その、無理にとは言わないが」
「行っていいんですか?? また、どうして」
「理由か、そうだな。最近全然話していなかったし世間話でもしたいと思ったんだ」
明らかに「今考えました」という理由だったが、今の空に断るうまい理由は思いつかなかった。口にした礼に返ってきたのは、機嫌のいい笑顔。
「礼なんていい。それにしても、カズとフォーンなんて……なんだかおもしろい組み合わせだな」
空が案内された先は大通りから一本横にそれた、静かな通りのなんてことない一軒家だった。大きさから外観、内面に至るまで空たちが借りているものとほぼ変わりない。
「姉さん、こんな時間まで一体なにをやっていたんだ。遅くなるとわかっているなら教えてくれっていつも言っているじゃないか。ソラまで連れてきて」
「だからその点は悪かったって。ソラはさっき説明しただろう。居住区でフラフラしていたから連れて来たんだ。同意のもとだぞ」
「悪いって思っていないだろ、人に変な心配させてそんな楽しい? まったくもう……」
グリエのぷりぷりとした止まらぬ小言を笑顔で受け止めるベニヒの様子を視界の端に、ソラは通されたリビングルームのソファーで落ち着きなく尻の位置を直した。出された冷たいお茶が、暑さに慣れた体に深く染み渡る。
なにを言っても聞く耳を持たないベニヒにグリエは匙を投げ、お茶へ舌鼓を打つソラへ顔を向けた。
「姉さんにつき合わせちゃってごめん。さっきの姉さんの話が本当なら、明日の朝ごはんもここで食べていってよ。暇なんでしょう」
「いただきます! やった、グリエさんの料理をやっと食べることができるんですね」
「ソラの舌に合えば良いけど。ね、ソラ。せっかく姉さんがここまで連れてきてくれたんだし、聞きたかったことを聞いても良い?」
尋ねながらそっと隣に腰掛けるグリエ。思わぬ距離感に内心で身構えつつ、空は頷く。
「俺に答えられることならなんでも!!」
「じゃあお言葉に甘えて。ブラウの外にある児童養護施設で昨日起きた、軍人騒動の内容を聞きたいんだよ。ソラ達、保育施設のそばの畑で働いてるんでしょう。なにか知っていることはない? 」
ああ、と空の喉から声が漏れた。あまり答えたくない質問だ。しかし知らないと言うほど、この人に恩義を感じていないわけじゃない。
わかりやすく実演してみせるためグリエの腕を掴み、空だけが立ち上がる。
「数人の軍人さんが、養護施設の女の子を襲っていたんですよ!! こうして体を無理やり引っ張って、到底聞く機会のないような暴言を吐きながら。誘拐しようとしているようにも見えました。 助けてって声が聞こえたので畑から慌てて駆けつけたのですが……俺は到底なにもできなかったです。怖くて」
「へえ……軍人が。そこのなかにフォーンはいた?」
「フォーンさんですか? いや……あの人はそのすぐ後に駆けつけて来てくれたんです! 『そこのウォルノール軍! なにをやっている!!』って!! すごい格好良かったです!! にしても……なにかあったんですか??」
身振り手振り大きく、当時のことを再現する空。
当時その場にいた人たちで、主に津島のために取り決めた「口外しないこと」をふざけた様子でありながらしっかり守った空に、グリエは「僕にはなにも」と笑って答えた。
「すこし話がそれるけど、僕たちの身の上話をさせて」
グリエは唐突にそう切り出す。座るタイミングを逃しかけた空に再びソファーを示しながら。
「別に覚える必要はないんだけど【ぽぽーん】に所属する僕たち五人は幼いころ、キクジン村という辺鄙な村に住んでいたんだ。そこには、ちょっと変わった儀式があってね」
『二月の精錬』って言うんだけど。
グリエの口から、そんな言葉がこぼれ落ちた。
「二月のあいだ、扉も窓も締め切った神殿に引きこもり、水だけを口にしてひたすら瞑想をし続けることで土地を守る神様と対面をする……っていう儀式なんだ」
「まあ、大抵気持ちさえあれば一週間弱で終わるぞ」
それまで食事をするテーブルにつき、無言で酒をなめていたベニヒが口を開いた。
「よほどのぽんこつでなければ二月もかからない。私とグリエは三日くらいかな。そうしたら神との対談がはじまるんだ。ああ、寝不足による幻影かな……? と思うから、最初はちょっとビビるんだよ」
「自己紹介に始まり、そこで『力』を一つ受け取る。姉さんはその二月の精錬で『様々な事象を小さな球に込める方法』を手に入れたんだ」
腰のポーチから取り出された小さな球が、ころりとベニヒの手の上で揺れる。その球は深い赤色で満たされていた。中ではなにかが息づいているのではないかという錯覚さえ起こす、濃密な赤だ。
「これは火を起こす魔法構文を吸収して球にしたものだ。突然することになってしまった野宿先でも、簡単に焚き火を作ることができる。こちらの白い球は……」
コンと音を立てて机にぶつけられた白い球は、衝撃に反応して柔らかい光をこぼした。
「見ての通り、発光の魔法構文を丸めたもの。魔力使いがいる狩猟ギルドに、適当な狩り場で喧嘩をふっかけて集めるんだ」
「うわ、とんだヤクザですね!? ってことは、グリエさんも同じような力を?」
空の問いかけにグリエはうなずく。
「僕がそこでもらったのは『音をいい感じで使う方法』なんだ」
唐突に両手を強く打ち合わせる彼。しかし、手の平同士がぶつかる音が空の耳に入ることはなかった。
「こうやって自分の立てた音や声を小さくしたり、反対に大きくしたり、周囲の些細な音を聞き取ったり。いろいろできるの」
「……つい昨日、依頼から戻って暇を持て余していた私たちのもとへ、突然フォーンがやってきたんだ。珍しく慌てた様子でな。ノックもせず扉を開いたかと思えば、第一言めが『声を大きくする球をくれ』だ」
ベニヒの力は、二月の精錬で手に入れるような力にも利用することができる。その場でグリエの力を急いで丸めたのだそうだ。
二人の話に、空はフォーンの声が遠い場所に居たのにも関わらずよく聞こえたことを思い出した。
「その顔……二月の精錬に興味があるみたいだね。【ぽぽーん】の人たちはみんな持っている力だから、どんなものか聞いてみてもいいかもしれないよ。そもそも、こんなに小規模でまともに狩猟ギルドをやってこれているのはこの力のおかげだから」
「そういえば俺の友達も言ってました。【ぽぽーん】の人たちはミステリアスクールって!! グリエさん、ベニヒさん、もっとギルドの話を聞かせてもらえませんか。俺、二月の精錬だけじゃなくみなさんのことを聞いてみたい」
空の言葉へわずかに抜けた表情をしたグリエは、しかしすぐに破顔した。
「いいよ。とは言っても、楽しい話なんてあまり無いけどね」
まるで自分の家族を紹介するかのようにギルドのことを話し始めるグリエ。
空はその話に相槌を打ちながら内心で強く思い知らされた。一人の家で落ち着けなかった理由を。
天井の模様に、こちらの挙動をひとつひとつ監視されているような錯覚を覚えたのは心細かったからだ。料理が不味かったのも、無性にイライラしたのも、知らない世界だからこそ、二人でいる安心感を覚えてしまったが故に。
人の話をするときに嬉しそうな顔をするグリエが、そんな空をあざ笑っているかのような錯覚を覚える。
つい先日終わらせた討伐依頼の話が終わったところで、情けなさに乾ききっていた唇を小さく動かした。
「グリエさん、ベニヒさん」
普段とわずかに違う声色へ小さく反応した二人に、空は続ける。
「俺を、ここのギルドに入れてください」
他人なんかと一緒じゃなくても一人でだって生きていけるように、まずは準備をしなくてはならない。
他人から得られる安堵など糞食らえだ。人は、いつだってあっけなく離れていってしまうものなのだから。
「ソラ……?」
「俺は強くなりたい。ならなくちゃいけない。だから——」




