死ぬやつやん
その瞬間やった。
王が、音もなくこっちを向いた。
ほんまに、音ひとつせえへんかった。ただ視線だけが、まっすぐ刺さる。息が止まる。
「……魔法が、存在せぬと申すか……?」
低い。
静かやのに、そこだけ急に刃の向きが変わった。さっきまでと違う。手順を読んどる声やない。よう触ったらあかんとこへ、うちが指を突っ込んでもうた感じやった。
かつ、とまた乾いた音が鳴る。
気むうは動かへん。視線は床に落ちたまま。ただ、肩だけが小さく、小さく震えとる。
「虚言を弄する者には、然るべき措置を取らねばならぬ……である」
怒鳴りもせん。声も荒れへん。
せやのに、その一言で、身体のどっかが先に終わった。
「この地の正義に従わぬ魔女には、相応の裁きが要る……よきかな」
「魔女ちゃうって言うとるやろ!!」
叫んだ拍子に、身体が前へ出た。
次の瞬間、王が腕を伸ばす。まっすぐ、うちを指す。その指先だけ、ほんのわずかに震えとった。
細い高音が鳴った。
「――ィィィィィ……」
耳の奥に、細い刃物を差し込まれたみたいな音やった。王の指先へ白い光が集まる。細い。静か。せやのに、一目でわかる。あれはあかん。触れたら終わるやつや。
言い返す言葉も、謝る言葉も、全部喉の手前で潰れた。
横で、気むうが顔を伏せる。
うちも、つられて顎が落ちた。
死ぬ。
その二文字だけが、遅れて腹の底へ沈んだ。
「陛下」
マイルズの声やった。
綺麗な声やのに、その一語だけやけに硬い。
「今は差し控えよ、マイルズ」
「差し控えかねます。薔薇反応を検出しております」
ぴたり、と止まった。
光も、音も、さっきまで部屋を押してた圧も、一瞬で消える。あまりに急で、今度は心臓のほうがついてこんかった。
マイルズが静かに板を差し出す。紙の下、黒い板みたいなんが鈍く光っとる。何かは知らん。知らんけど、王の顔がそれを見た瞬間、変わった。
「……あり得ぬ」
低く落ちたその声は、今度こそ手順やなかった。
王はもう一度見る。さらにもう一度。視線が、ほんのわずかに沈む。
意味はようわからへん。せやけど、ここで怒るんとも違う、もっと面倒くさいほうへ転んだんはわかった。洒落にならん穴が、足元に口開けたみたいな感じやった。
王が、ゆっくりこっちを見る。
そのままマントの内へ手を入れ、薄いもんを取り出した。燭台の火を受けて、ぬるく赤い。
花びらやった。
「そなた――まず、これに触れよ……まいか」
向けられたんは、気むうやった。
声つきが変わっとる。優しなったんやない。扱いが切り替わっただけや。それが余計に怖い。
机に置かれた花びらは、薄い赤の中に火みたいな筋が静かに流れとった。綺麗や。綺麗やのに、触れたら何か決まってしまいそうで嫌やった。
気むうの喉が、小さく上下する。唇が、ほんの少しだけ開いて閉じる。指先が膝の上で一度止まって、それからようやく離れた。
「……あの……」
息みたいな声をこぼして、そっと指を伸ばす。
触れる。
……何も起きへん。
王の眉が寄る。握った拳に、わずかに力が入る。
うちの背中を、冷たいもんがまた這う。あ、あかん。これも違うんか。まだ終わってへんかっただけで、結局あかんのか。
王は無言のまま、もう一度マントの内へ手を入れた。
取り出した花びらは、さっきとは色が違う。
「……では、こちらで試すとしよう……よきかな」
今度の気むうは、さっきよりもっと小さく見えた。
肩が内へ入っとる。睫毛は伏せたままやし、息だけが細う揺れとる。膝の上の指先が、一回だけきゅっと止まって、それからようやく離れた。
「……では、こちらで試すとしよう……よきかな」
王が差し出した花びらは、さっきの赤とは違うた。白い。せやけど、ただの白やない。中でうっすら光が流れとって、じっと見てると、明るうなったり戻ったりする。なんか、生きもん見てる気分になって落ち着かん。
気むうの喉が、小さく上下した。
「……気むう」
呼んでも、こっちは何もしてやれへん。
手ぇも伸ばされへん。ただ見とるしかない。
気むうは目をぎゅっと閉じた。ほんで、あんま触りたくなさそうに、でも逃げもせんと、ちょっとずつ指を近づけていった。
触れた。
白う光った。
びかっとやない。
もっと静かや。静かなのに、妙に目ぇ離されへん。気ぃついたら、そこばっか見てまう光り方やった。
気むうの指先から、白い光がじわっと広がる。花びらが小さい灯りみたいになって、そのへんだけ少し明るう見えた。めちゃくちゃ綺麗やった。綺麗やのに、うわ、これ素手で触ってええやつなんか、ってなる。神社とか寺の奥に置いてそうなもんを、うっかり触ってもうた時みたいな、ああいう落ち着かん感じや。
しかも、それを今、気むうが触っとる。
音はない。
せやのに、部屋の空気だけ変になった。
さっきまでと違う。なんか、真ん中だけすっと入れ替わったみたいな。よう言われへんけど、とにかく、もう同じ部屋には見えへんかった。
「……あり得ぬ……」
王の声は低かった。
せやけど、もうさっきまでの“裁く側の声”やない。怒ってるとも違う。かといって、ただ驚いてるだけでもない。よう知っとるはずのもんに、急に知らんことされた時の声やった。
気むうはまだ花びらに触れたままや。
息は細い。肩も小さいままや。せやのに、さっきまで王の机やった場所の真ん中に、今は気むうがおる、みたいな変な感じがした。
うちは意味わからんまま、喉だけきゅっと縮んだ。
何やねん、今の。
何で、さっきまで殺す気ぃやった部屋が、急にこんな止まり方すんねん。
白い光の感じがまだ机の上に残っとるうちに、今度はうちの前へ赤い花びらが差し出された。
「そなたも触れてみよ……まいか」
「え、ええと……はい……」
自分でも情けない声やった。さっきまであんだけ噛みついとったくせに、ここへ来て妙に素直や。せやけど、逆らうとか、そういう空気はもうどこにも残っとらんかった。
赤い花びらは、近うで見ると変な色しとった。赤やのに、ただの赤やない。火ぃを薄う引き延ばして固めたみたいな色や。燃えてへんのに、見てるだけでちょっと熱そうに見える。触ったらビリッて来るんちゃうかと思て、指先がちょっとだけ止まる。
それでも、触れた。
ぼう、と赤う光った。
白とは全然ちゃう。
こっちはもっとわかりやすい。うわ、来た、って感じで光る。赤い線みたいなんが花びらの中を走って、そのままうちの指先へ移ってきた。熱いわけやない。せやけど、急に自分の手ぇだけちゃんとそこにあるみたいになって、息が止まった。
白と赤。
机の上で、二つ並んで光っとる。
綺麗やった。
せやけど、綺麗やなで済ませてええ感じはまるでせえへん。さっきまで裁くための部屋やったのに、今はそこへ別の答えが勝手に入り込んできたみたいで、見てるだけで胃ぃの奥が重うなった。
王は何も言わへん。
ただ、見とる。
白を見る。
赤を見る。
それから、うちらを見る。
順番は静かやのに、その沈黙のほうがよっぽど怖かった。怒鳴られたほうがまだマシや。こういう時の無言って、たいていろくでもない。
やがて王は、ゆっくり視線を持ち上げた。
何もない壁のほうや。いや、壁しかないはずのほうやのに、あいつにはそこに何か見えとるみたいな顔で、しばらく止まった。
顔が変わっとった。
さっきまでみたいに、こっちを切る気ぃ満々の顔やない。怒ってるとも違う。何やそれ、って感じやった。見てるこっちまで、うわ、やめろや、その顔、ってなった。
それから、小さく息を吐いた。
「……マイルズよ。あとは任せる……よきかな」
それだけ言うて立ち上がる。
マントの裾が揺れた。肩の金の薔薇が火を拾う。
そのへんだけ、また変なふうに見えた。うわ、まだ終わってへんのかよ、ってなる。
王はそのまま部屋を出ていった。
扉が閉まる直前まで、こっちを振り返りもせえへんかった。




