表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
だいきぼ★ウチュウ  作者: こなるちゃん
第二部 貧乏で、無力で。
59/60

遅ない?

マイルズの金輪(きんりん)が、板の端を一回だけ叩いた。


かつん。


それだけが、やけに聞こえた。


「……なあ、マイルズ」


「はい」


「皿、あんた洗ってくれへん?」


マイルズのしっぽが止まった。


一拍。


二拍。


「お断りいたします」


「ですよね」


即死やった。


うちは片手だけひらっと上げて、降参みたいな形にした。

しょうもない。

ほんまにしょうもない。


皿を洗うか洗わへんか。

それだけの話やったはずやのに。


「……ほんま、皿くらいで」


そこまで言って、やめた。


天井を見る。

木目が一本、変なところで曲がっとる。


「……わかっとる。城行く言うてたし。帰る方法聞くとか、急に変なこと言い出しただけやし。どうせ途中で冷えて戻ってくるわ。あいつ、そういうとこあるし」


あるか?


知らん。


あることにした。


「……妹って、めんどいな」


それも、軽口のつもりやった。


マイルズは何も言わんかった。


窓の外は、まだ完全には暗くなかった。

階段みたいに重なった外王都村(そとおうとむら)の屋根が、夕方の色を薄くかぶっとる。下の通りから、誰かの笑い声と、鍋を叩く音がした。


普通や。


村は普通に続いとる。


うちらが喧嘩しても、皿が腐っても、妹が出ていっても。

犬は鳴くし、誰かは飯食うし、誰かは酒飲む。


戻ってくるやろ。


たぶん。


いや、戻ってくる。


戻ってきたら、何て言う。

別に。

何も。

向こうが先にあんなこと言うたんやし。


……いや、でも。


「……あー、もう」


枕に顔を押しつけた。


臭い。


いや、枕やなくて皿や。

部屋の隅から来とる。


匂いまでしつこい。

()むうみたいに無言で残るな。


時間の感覚が、だんだん薄くなっていった。


マイルズの金輪が、ときどき板を叩く。

下の階の声が、少しずつ減る。

窓の色だけが、薄い紫から、汚れた青に変わっていく。


うちは何回か、扉のほうを見そうになった。


見いひん。


見たら負けや。


勝ち負けの話ちゃうやろ、ってどっかで思ったけど、そのどっかはすぐ黙らせた。


「……遅ない?」


口から出た。


マイルズが、板から目を上げた。


「外王都村から城門までは、歩幅にもよりますが、それなりに距離がございます」


「そういう数字いらんねん」


「では、言い換えます」


マイルズは一拍置いた。


「追うなら、早いほうがよろしいかと」


腹の奥が、むっとした。


「……別に、追うとかちゃうし」


声が小さかった。


「ま、まあ……城に行く言うてたし。あいつやったら、そのうち着くやろ。……着く、よな?」


最後だけ、変なふうに落ちた。


窓の外を見る。


空が、もう暗かった。


薄い夕方やない。

夜の色やった。


その瞬間、さっきまで何とか形を保っとった何かが、ぺしゃっと潰れた。


「……もうええわ」


うちは起き上がった。


「迎えに行く」


補助外套(ほじょがいとう)を掴む。

いつもなら肘に引っかけるだけやけど、今日は一回、ちゃんと肩にかけた。


マイルズは何も言わず、板を閉じた。


「戻らんかったら、城ごと起こして」


「承知いたしました」


「そこは止めるとこやろ」


「その前にお戻りくださいませ」


うちは窓へ向かう。

取っ手を掴んで、がっと開けた。


マイルズが、板の途中で顔を上げた。


夜の空気が部屋に入ってきた。

冷たい。

油とタレの匂いを、一瞬だけ押し返す。


出る前に、一回だけ部屋を見た。


気むうの本。

気むうのベッド。

斜めになった皿。


それから、閉まったままの扉。


「……すぐ戻るわ」


声に出したんか、口の中だけやったんか、自分でもようわからんかった。


窓枠を蹴って、外へ出る。


落ちる前に、エネルジアを足元へ集めた。

身体がふわっと持ち上がる。前よりは、もうだいぶ慣れた。


肩の補助外套が夜風でばさばさ揺れる。

ちゃんと着ると、やっぱり邪魔やった。


「気むう……どこ行ったんや」


外王都村は、夜になると昼よりずっと別の顔になる。


階段みたいな街並み。

上下にずれる屋根。

細い道に並んだ黄色い灯り。

閉まりかけた店。

まだ飲んどる冒険者の声。

どっかの窓から漏れる煮込みの匂い。


その全部の上を、うちは滑るみたいに飛んだ。


高く上がれば、城のほうは見える。

山の上。でかい影。明かりの筋。あそこまで道は続いとる。


昼なら、一本道に見えたかもしれん。


でも夜の街は、上から見ても素直やなかった。

階段は途中で曲がるし、屋根は重なるし、明かりのない路地が、黒い縫い目みたいに何本も走っとる。


城は見える。


せやのに、気むうは見えへん。


人影は見える。

獣人も、毛玉も、角のあるやつも、しっぽ二本のやつも、背ぇ曲がったばあちゃんも。


青灰の髪はない。


白っぽい服もない。


あいつの歩き方もない。


「……くそ」


高度を少し下げる。


街灯の一つが、ちかちか変な間隔で瞬いとった。

二回、止まって、三回。

その隣の灯りは、影だけが遅れて揺れとる。


世界、まだパッチ当たってへん。


そんなこと、もう知っとる。

いちいちツッコんどる場合ちゃう。


せやのに、胸の奥だけがざわっとした。

バグった灯りの下を、気むうが一人で歩いてる絵が勝手に浮かんだ。


「……やめろや」


誰に言うたんか、またわからん。


空から見ても埒が明かへん。

うちは近くの屋根に足をつけて、そこから通りへ降りた。


石畳に靴が鳴る。


「すんません!」


通りを歩いとった角つきのおっちゃんが振り向いた。


「灰色っぽい髪で、ちょっと青入ってて、目ぇ青い女の子、見ませんでした?」


おっちゃんは眉を寄せた。


「灰色……? いや、見てないな」


「そう……ですか。すんません」


違う。


次。


「すみません、長い髪で、灰色と青の間みたいな色で、目が青い子。白っぽい服で、あんまり喋らへん感じの――」


「さあねえ。今日は人が多かったから」


違う。


次。


「青い目で、顔あんまり動かんくて、でも怖いわけちゃうくて、えっと……」


自分で言いながら、言葉が詰まった。


何言うとんねん、うち。


気むうを探しとるのに。

口から出てくるんは、髪の色とか、目の色とか、喋らへんとか、そんなんばっかりや。


それで足りるわけないやろ。


妹です、だけで見つかる世界ならよかった。

この街では、妹にも特徴欄が要るらしい。


「……ほんま、どこ行ったんや」


奥歯を噛んだ。


道の端に、小さい影が動いた。


最初、子どもかと思った。

違った。


緑っぽい肌の、ちっさいカエルみたいなやつやった。服は着とる。腰に小さい袋を下げて、両手で何かの包みを抱えとる。


そいつが、うちのほうをちらっと見た。


「なあ!」


思わず駆け寄る。


「灰色っぽい髪で、青い目の女の子見いひんかった? 背ぇはこれくらいで、白っぽい服で、静かで、たぶん……ちょっと怖そうに見えるかもしれんけど、怖いんちゃうくて」


自分でも、最後のほうは何を言うとるかわからんかった。


カエルの子は、ぱちぱち瞬きした。

それから、うちやなくて、通りの奥を見た。


「……青い目の子なら、見たケロ」


息が止まった。


「どこ!?」


「こっちの角ケロ。でも、変だったケロ」


「変?」


「あんまり周り見てなかったケロ。呼び込みの声にも、鍋の匂いにも、ぜんぜん振り向かなかったケロ」


小さい手が、細い路地のほうを指した。


昼なら、ただの裏道に見えたかもしれん。

でも夜のそこは、灯りが途中で切れていた。

奥の影だけが、やけに濃い。


「……おおきに」


うちは走り出した。


曲がり角の奥で、影がひとつ、先に道を譲るみたいに細くなった。


見間違いでも、もう止まれへんかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ