こんな姉
「……気むうさん?」
わざと軽めに言うた。
「その態度、何なん? 姉に向かってちょっと冷たすぎへん?」
「姉」
気むうは小さく繰り返した。
そこだけ、妙に平らやった。
「せや。姉や。姉が言うとるんやから、妹はちょっとくらい協力してもええやろ」
言ってから、少しだけ自分でも引っかかった。
でも、止まらんかった。
「だいたい、うち前出てるやん。カエルの時も、ゴリラの時も、変な客の相手も、犬の暴走も。毎回なんかしら食らっとるんうちやん。気むうは後ろで、こう、ちゃんとやってるけど、ちゃんと安全な感じで――」
「安全?」
低かった。
本が閉じる音がした。
ぱたん、やなくて、もっと小さい音やった。
気むうは本を膝に置いたまま、皿のほうを見た。
うちを見た。
もう一回、皿を見た。
「……私は、あんたのメイドちゃう」
静かやった。
静かすぎて、逆に腹が立った。
「誰もメイドなんて言うてへんやろ。皿洗いくらいでそんな大げさに――」
「くらい」
「……何」
「皿洗いくらい」
気むうは、そこで少しだけ息を吸った。
指先が、本の端を押さえる。
白くなるほどやない。
でも、離れへん。
「じゃあ、神いがやれば」
「だから! こっちは疲れとんねんって!」
「私も」
「そらそうやけど、うちは今日も外で――」
「私も」
同じ言葉。
同じ声。
二回目のほうが、少しだけ硬かった。
マイルズが、静かに板を伏せた。
「神い様」
その一言だけやった。
それだけで、うちの胸の奥が妙にむかっとした。
止められた。
またや。
飲むな。
撃つな。
騒ぐな。
歌うな。
今度は皿かい。
こっちはずっと、何かに手ぇ押さえられとる。
「……何やねん」
声が低くなった。
「うちが悪いんか。皿洗って言うただけやろ。何で全員、うちがまた何かやらかしたみたいな顔すんねん」
「顔はしておりません」
マイルズが言う。
「してるわ!」
気むうは何も言わんかった。
それがまた、腹立った。
「……あー、もうええわ」
うちはベッドから起き上がった。
「そんな嫌ならええ。うちがやるわ。はいはい、うちが全部やります。前にも出るし、爆発もするし、怒られるし、皿も洗います。姉って便利やなあ。雑巾か何かか」
「……そういうところ」
気むうが言った。
「は?」
気むうは、皿を見ていた。
乾いたタレ。
斜めになった皿。
それから、うちを見た。
「……いつも、そう」
胸の奥が、ぴくっと鳴った。
「何が」
「神いのものが、こっちまで来る」
部屋が、もっと静かになった。
イスシアの声もしない。
いつもなら、こういう時こそ絶対何か言いそうやのに。
言わん。
それが、余計に嫌やった。
「……何それ」
笑おうとした。
うまくいかへんかった。
「うち、そんな話してへんやん。皿やん。皿の話やん」
「皿やない」
気むうは、そこで初めてまっすぐうちを見た。
目が冷たいんやない。
疲れとる。
それが一番、見たくなかった。
「……全部」
その二文字だけで、何かが床に落ちた気がした。
「全部て何やねん。言わなわからんやろ」
「言ったら、また皿の話になる」
「するかい!」
声が跳ねた。
「何やねんそれ! うちかて気ぃ遣ってるやろ! あんたが黙っとったら心配するし、前に出るし、危なかったら守るし、あの時だって離さへんかったやろ!」
言ってしまった。
気むうの顔が、一瞬だけ動いた。
「うちは姉やねん。姉が前に出るの、当たり前やろ。妹は――」
「もうええ」
気むうは立ち上がった。
声は大きくない。
でも、うちの声より遠くまで届いた。
「……もう、無理」
「気むう」
マイルズが名前を呼んだ。
気むうは返事をせんかった。
本をベッドの上に置く。端を揃える。靴を履く。紐を結ぶ。全部、静かやった。
静かすぎて、こっちが怒鳴りたくなるくらい。
「ちょ、待てや。どこ行くん」
「外」
「外て。今から?」
「うん」
「何しに」
気むうは扉へ向かった。
肩が小さかった。
でも、背中は思ったより遠かった。
「気むう」
「……城に行く」
その声だけ、少しだけ揺れた。
「帰る方法、聞きに行く」
「は? 何それ。今急に?」
「急やない」
取っ手に手がかかる。
「ずっと」
うちは立ち上がりかけた。
でも、立てへんかった。
足がじゃなくて、何か別の場所が止まった。
「……気むう、待てって」
「神い」
振り向かへんまま、気むうが言った。
「何」
間があった。
長くはない。
でも、息を吸うには長すぎた。
「……まさか、“こんな姉”やとは思わんかった」
扉が閉まった。
音は小さかった。
せやのに、部屋の中でいつまでも残った。
うちは閉まった扉を見ていた。
何や今の。
何やったんや、今の。
頭の中で処理しようとして、最初に出てきたんは、腹立つ、やった。
「……は」
笑いみたいな息が漏れた。
「はあ?」
マイルズは何も言わへんかった。
イスシアも、何も言わんかった。
それがまた、最悪やった。
「……そ、そうや。勝手に行けばええやん。外でも城でも薔薇でも、好きなとこ行ったらええわ」
声が少し震えた。
腹が立つ。
「別に。うち、気にしてへんし。ほんまに。あほらし」
ベッドへ倒れ込む。
わざと音を立てたつもりやったのに、思ったより小さい音しか出えへんかった。
背中を扉へ向ける。
皿の匂いが、まだ部屋の隅から来ていた。




