皿の匂い
あれから何日か経った。
ギルドでうちがヒミツの実に負けかけて、歌いかけて、妹にしばかれて、結局エクスプロージョンまで撃った、あの日から。
村は普通に続いとった。
犬は洗われるし、荷物は運ばれるし、冒険者は昼から飲むし、うちは通りでたまに「爆裂娘」って呼ばれるようになった。
やめろ。
呼ぶな。
いや、ちょっとだけ気分ええけど、呼ぶな。
あの爆発の話だけは、誰もテーブルの真ん中に置かへんかった。
ギルドの連中は笑う。
ゆみは普通に礼を言う。
フルカフトは黙って周りを見る。
マイルズは板に何か書く。
気むうは、何も言わん。
その何も言わんやつだけが、なぜか部屋までついてきた。
で。
そんな日々の中で、もう一個だけ、うちの人生をじわじわ削っとるものがある。
イスシアや。
赤い薔薇。
意思と決意の薔薇。
由緒正しそうな名前しといて、実態は人の頭の奥に勝手に椅子置いてくつろぐ寄生花や。
『寄生花て。ほんま、礼のない子やねぇ』
「うわ出た」
階段を上りながら、うちは思わず眉を寄せた。
『出た、やないわ。せっかく顔出したったのに』
「三日ぶりくらいやな。新記録ちゃう? そのまま一生更新してくれてもええで」
『小娘の頭ん中に三日もおると、こっちも疲れるんよ。散らかりすぎやもの』
「誰が散らかり頭や」
『あら。自覚ないん?』
うざい。
ほんまにうざい。
声だけは相変わらず妙に艶があって、ぬるっと上から撫でてくる。腹立つのに、消えへん。追い出せへん。しかもこいつ、自分が人の頭ん中にいることを悪いと思ってへん。
悪いどころか、家賃払ってる顔しとる。
『それより、聞きなさいな。さっき、桃の子と黒い子がねぇ』
「何。宇宙終わる系?」
『茶色の子の部屋の前に、水を張った器を置こうとしてたわ』
「……」
『開けたら、ばしゃん。古典的やけど、悪ないやろ?』
「帰れ」
『早いわねぇ』
「青薔薇が壊れて現実が終わりかけとる中で、薔薇ども何しとんねん。会議せえや会議」
『してるわよ。昨日なんか、“次に何を話し合うか”について、たいそう長く話し合ったもの』
「帰れ」
『はいはい。帰るわよ。――まだね』
「……は?」
『何でもないわ』
声の奥で、イスシアが小さく笑った。
『で? 今日は何か面白いこと壊すん?』
「壊さへんわ。毎日壊してたまるか」
『あら、残念』
残念やない。
ほんま何やねんこいつ。
階段を上り切って、外王都村の宿舎へ出る。外王都村の宿舎は、城の一二〇〇号室みたいな「金と薔薇で殴ってきます」感はない。木の床。薄い壁。誰かの足音。下の階から油と煮込みの匂い。
現実寄りすぎる異世界、ほんま疲れる。
『ところで、小娘。うちが見てるの、まだ嫌なん?』
「嫌に決まっとるやろ」
『全部やないわよ。……たぶん』
「たぶん言うな」
言いながら、部屋の扉に手をかける。
……いや。
待て。
こいつ、まさか夜中にうちが何してるかも――
考えるな。
考えたら負けや。
「絶対考えへんからな」
『何を?』
「うるさい」
扉を開けた。
まず、匂いが来た。
古い油。
冷めた肉。
甘辛いタレが乾いたやつ。
それに、何かようわからん生活の負けた匂い。
「……うわ」
部屋の隅に、皿が積んであった。
積んである、いうても綺麗な塔やない。崩れる寸前の敗戦国や。いちばん上の皿が斜めになって、乾いたソースが端で固まっとる。昨日か一昨日かその前か、もうどこの肉やったんか思い出せへん茶色い跡が、こっちを見とった。
誰かが置いて、誰かが洗うのを待っとる顔。
腹立つ顔やった。
部屋には気むうとマイルズがおった。
マイルズは小さい机の上に板を広げて、依頼の報酬と旅費らしき数字を並べとる。しっぽの金輪が、板の端を小さく叩いたり止まったりしとった。
気むうはベッドの端に座って、本を読んでいた。
足元は妙にきちんとしとる。
靴も揃ってる。
毛布も乱れてへん。
あいつの周りだけ、部屋のだらしなさから一歩逃げとるみたいやった。
こっちを見ない。
ページを一枚めくる。
音だけが、やけに薄い。
「ただいまー」
返事はない。
いや、マイルズだけが頭を下げた。
「お戻りでございますか」
「見たらわかるやろ」
「一応でございます」
気むうは本から目を上げへんかった。
……何やねん。
うちはブーツを雑に脱いで、自分のベッドへ倒れ込んだ。外套が肘からずれて、床に落ちかける。見もせんまま、足で引っかけて戻す。
うまい。
この雑さだけは日々成長しとる。
部屋の隅から、またタレの匂いが来た。
「……なあ、気むう」
ページが止まった。
「何」
「皿、いつ洗うん?」
気むうは、ほんの少しだけ目を上げた。
うちやなくて、皿を見た。
それから、また本へ戻る。
「……自分で洗えば」
「は?」
疲れとタレの匂いが、変な方向に声を押し上げた。
「いやいやいや。何その返し。皿やで? 山越えろ言うてるんちゃうで?」
「皿やから、自分で洗えば」
「いや、せやけどさあ」
うちは上半身だけ起こした。
「このまま置いといたら、部屋がベーコンの墓場になるやん。あの匂い、もう自我持ちかけとるで」
「なら、早く洗えば」
「誰が?」
「神いが」
「うち?」
「うん」
即答やった。
即答すな。
「ちょっと待てや。うち、今日も外で荷物運んで、犬洗いの手伝いして、ついでに知らんおっさんに“カブームの子や”って呼ばれて心削られて帰ってきたんやぞ?」
「私も働いた」
「知ってるけど!」
「じゃあ、知ってるだけ」
マイルズのしっぽが、板の端で一度止まった。
気むうは本に栞を挟んだ。
ゆっくり。
やけに丁寧に。
その丁寧さが、何か嫌やった。




