表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
だいきぼ★ウチュウ  作者: こなるちゃん
第二部 貧乏で、無力で。
60/60

今ちゃうやろ

路地へ入った瞬間、背中側の音が一段遠くなった。


鍋を叩く音も、酔っぱらいの笑い声も、誰かが階段を駆け下りる音も、まとめて奥へ押し戻される。


石。

湿った木。

腐りかけの野菜。


あと、何か知らんけど、鼻の奥に残ったら負けみたいな匂い。


「……うわ、急に治安の顔変わるやん」


口ではそう言うたけど、足は止めへん。


細い路地は、奥へ行くほど灯りが減っていく。壁に掛かったランプが、二つに一つくらい死んどる。生きとるやつも、光り方が弱い。黄色いはずの火が、時々だけ青っぽく薄まって、すぐ戻る。


……バグか。

いや、今それ拾ってる場合ちゃう。


()むう……」


名前を呼んだつもりやった。

でも、声は壁に吸われて、すぐ消えた。


返事はない。


そらそうや。

返ってきたら苦労せえへん。


角を曲がる。

また細い道。

その先で、階段が斜めに落ちとる。


城の方角とは少しズレてる。


……あのカエルの子、ほんまにこっち言うたよな。


胸の奥が、嫌な鳴り方をした。


その時やった。


背中のほうで、灯りが一つ消えた。


ふっ。


風もないのに。


振り向く。


何もない。


……いや。


路地の角。

壁と屋根のあいだ。

そこだけ、影が濃い。


人の形には見えた。


頭。

肩。

腕みたいなもの。


せやのに、顔だけが抜け落ちとる。


黒い布を、人の形に立てたみたいな影やった。


一つ。


その上、屋根の端にもう一つ。


「……いやいやいや」


足が勝手に半歩下がった。


二つとも、動く。


「今ちゃうやろ……!」


考えるより早く、うちは地面を蹴った。


エネルジアを足裏に集める。

身体が浮く。

低い屋根の間を、縫うみたいに滑り抜ける。


背中で、空気が裂けた。


バチッ、と青白い線が壁に走る。


当たりに来た、というより、うちが抜けようとした出口を横から潰しに来た。


細い火花が散って、道が一瞬ふさがる。


「っ、はあ!? 撃ってきた!? 今、普通に撃ってきたやんな!?」


叫んでも返事はない。


影は音もなく追ってくる。


速い。


飛んでるわけやない。

走ってるわけでもない。

壁の上、屋根の裏、階段の影、そういう場所を勝手に繋いで、こっちの進む先に滑り込んでくる。


「くっそ、夜の街、急に高難度ステージにすなや!」


右へ切る。

低い物干し竿をくぐる。

左の壁を蹴って、上へ跳ねる。

屋根のふちをかすめて、また路地へ落ちる。


補助外套(ほじょがいとう)が肩でばさっと暴れた。


ちゃんと着てくるんやなかった。

邪魔。

でも、今さら脱ぐ暇ない。


後ろから、もう一発。


青白い線が、今度は足元の石畳を叩いた。


石が弾ける。

小さい欠片が頬をかすめる。


「痛っ……! おいコラ! 顔はあかんやろ顔は!!」


ほんまは、顔どころの話やない。

心臓が喉のすぐ下まで来とる。


でも、口を止めたら、そのまま怖さに追いつかれそうやった。


もう一回、上へ。


路地の壁を蹴り、屋根と屋根のあいだへ抜ける。

夜空が一瞬だけ広がった。


城が見える。

遠い。

でかい。

光っとる。


気むうは見えへん。


「……っ」


視線を戻した、その瞬間。


前の屋根の影から、黒い腕みたいなものが伸びた。


「うわっ!」


身体をひねる。

ぎりぎりで避ける。


その先の路地へ入るつもりやった足が、勝手に別の屋根を蹴っていた。


「だったら……!」


アニメで見たやつを思い出した。


たぶん、だいぶアホなやつ。

でも、こういう時に出てくる知識なんか、大体アホや。


まず上。

全力で上。


影がついてくる。

屋根の線を伝って、二つとも上がってくる。


よし。

見とけや。


「――今ッ!」


身体を一気に反転させる。


頭が下。

足が上。

夜空がひっくり返って、屋根が落ちてくるみたいに迫る。


胃が変な場所に上がった。


「うおおおおお死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」


そのまま背面で落ちる。

落ちながら、壁際ぎりぎりでエネルジアを噛ませる。

速度を殺しきらず、路地の細い隙間へ身体をねじ込む。


靴底が石に触れた。


ずんっ。


膝が笑う。

肩が壁にぶつかる。


でも、止まった。


ゴミ箱みたいな木箱の陰に身体を押し込む。

息を止める。

補助外套の裾を手でつかんで、揺れを殺す。


頭上を、影が二つ通り過ぎた。


黒い布でも投げたみたいに、すうっと。


「……よっしゃ」


声には出さん。

出したら負けや。


胸の中だけで、ちっちゃく勝つ。


そのまま待つ。


一拍。

二拍。

三拍。


遠くで、どっかの扉が閉まる音がした。

誰かの笑い声が、もうずいぶん遠い。


影の気配はない。


……撒いた?


ほんまに?


そろっと木箱の陰から出る。

足の裏が、さっきの着地でじんじんしとる。頬も少しひりつく。


「……あーもう。気むう探すだけで何でこんなアクション要るん……」


そう言いながら角を出た。


目の前に、影が二つおった。


「っっ――はあああ!?」


身体が勝手に構える。


右手にエネルジアを集めかける。

火成波(かせいは)でも何でも、次に動いたら叩き込む。


でも。


影は動かへんかった。


攻撃もせん。

近づきもせん。

ただ、そこに立っとる。


待ってた、みたいに。


「……何やねん」


声が変に細くなった。


「追いかけたいんか、待ち伏せたいんか、どっちかにせえや……」


影は答えへん。


次の瞬間、すっと薄くなった。


輪郭が、濡れた紙みたいにへにゃっと崩れて、壁のしみみたいに潰れていく。


あとには、ほんの少しだけ、赤黒い粒が残った。


火の粉みたいな。

でも、熱はない。


指先を近づける前に、その粒も夜風で散った。


「……何これ」


燃えた跡、やない。

きれいな魔法の残り、みたいな顔もしてへん。


火のゴミ。


「イスシア、助けろや……なあ、ちょっとくらい何か言えや……」


返事はない。


「……くそ」


気むう。

気むうを探す。


通りへ戻ろうとして、足が止まった。


少し先に、小さいばあちゃんが立っとった。


背中が曲がって、杖をついて、さっきからずっと路地の奥だけを見とる。顔はしわだらけで、耳は長い。エルフっぽい。だいぶ古漬けのエルフっぽい。肩に古い布を巻いて、こっちの騒ぎなんか最初から数に入れてへん顔やった。


こんな時間に。

こんな路地で。


普通なら怖い。


でも、もう普通の怖さに構ってる余裕がなかった。


「すんません!」


ばあちゃんが、ゆっくりこっちを見る。


「灰色っぽい髪で、ちょっと青入ってて、目ぇ青い女の子見ませんでした? 白っぽい服で、あんまり喋らへんくて……えっと、顔はそんな動かんけど、怖い子ちゃうくて」


またや。


また、説明が足りへん。


妹って言葉だけで足りてほしかった。

でも、この世界では足りへん。


うちは奥歯を噛んだ。


「……うちの妹なんです。気むうって言います」


ばあちゃんは、しばらく瞬きもせんかった。


それから、細い指で、さっきから見ていた路地の奥を指した。


「ああ……青い目の娘やろ」


息が止まった。


「どこ!?」


「そこの奥へ入っていったよ」


ばあちゃんはそこで一度、口を閉じた。

何かを思い出すみたいに、目だけが細くなる。


「ひとりではなかった」


「……誰と」


「背中の曲がった、緑のフードの爺さんと一緒に」


喉の奥が、変な音を出しかけた。


「爺さん?」


「顔はよう見えんかった。古い緑の外套を着ておった。あれは……この辺りの者ではないね」


「何か聞いてません? あいつ、何か言うてませんでした?」


ばあちゃんは首を横に振った。


「いいや。呼んでも、こちらを見なんだ。足音にも、匂いにも、まるで反応せん。歩いとるのに、歩かされとるみたいでな」


喉が、そこで詰まった。


気むう。


あいつが。

そんなふうに。


緑のフード。

背中の曲がった爺。

夜の路地。

反応せえへん妹。


一瞬だけ、頭の中に見えた。


見えた瞬間、吐きそうになった。


「やめろ」


声に出てた。


「やめろや」


でも、もう遅い。


「……ありがとうございます」


頭を下げたつもりやった。

ちゃんと下がったかは知らん。


足が先に出る。


「おい……」


声が、自分でも聞いたことないくらい低かった。


「どこの誰か知らんけどな……」


路地の奥は、もう道というより、建物と建物のあいだに残った黒い隙間やった。


そこだけ、灯りがない。

石壁の間から、甘いような、腐ったような、変な匂いが流れてくる。


うちは補助外套を肩で押さえ直した。


「うちの妹に、変な手ぇ出してたら――」


足元にエネルジアを集める。


「二度とまっすぐ立てる体やと思うなよ」


聞こえたかどうかなんか知らん。


聞こえてへんなら、あとで直接言う。


うちは黒い隙間の奥へ、低く飛び込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ