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だいきぼ★ウチュウ  作者: こなるちゃん
第二部 貧乏で、無力で。
50/60

沈黙記録「ロストティー②」

夜風が、すぐに入ってきた。


テーブルが一つ。

椅子が六つ。


コップも六つあった。


そのうち、濡れていたのは一つだけ。


皿には、手をつけられていない小さな菓子が並んでいた。

安そうやけど、ちゃんと並べてあった。


紙ナプキンも、変な三角に折られていた。

たぶん、頑張ったやつ。


紙の飾りも、低い柵に三本だけ結ばれている。


一本だけ、途中でほどけかけていた。


椅子の一つは、少しだけ引かれていた。

誰かが座る前に止まったみたいな位置やった。


誰も来なかったんやと思った。


ルイは、まだ片づけていなかった。


私は聞かなかった。


テーブルの向こうに、男の子が一人いた。


扉に背を向けたまま、空っぽの夜を見ていた。


背中だけは、少し格好つけていた。


──人って、ほんま、演出好きすぎやろ。


音を立てないように歩こうと思った。


哲学でもしているなら、一人でしていればいい。


でも、椅子に触れる前に気づかれた。


「あっ、()むうさん! 来てくれて嬉しいです!」


名前、覚えてたんや。


「……うん」


「お姉さんは?」


部屋の神いを思い出した。


壁を向いたまま、動かなかった背中。

いつもより小さかった部屋の空気。


「……寝てる」


「疲れてた?」


「うん」


それで済ませた。


カエルとか。

ユミさんとか。

神いが何も言わずに落ちたこととか。


ここで言うには、重すぎた。


「……そっか」


男の子――ルイは、椅子に座った。

私の正面。


背もたれに少しもたれて、深く息を吐いた。


「はぁ〜〜……ほんま、あの子たち……」


「……ん?」


「せっかく小さいパーティーでも開こうと思ったのにさ。みんな来ないんだよ。主催者が“落ちこぼれ”だからって」


笑っていた。


でも、テーブルの端を指でなぞっていた。

同じところを、何度も。


「“誰でもない人間”には、誰もついてこないんだって」


「……そう」


「でも、君が来てくれてよかった。ほんとに」


ルイは、すぐに顔を上げた。

上げるのが少し早かった。


痛くなかった顔を、先に作ったみたいやった。


「よかったら、ちょっとだけ一緒に飲んで……話さない?」


話す。


私はあまり話さない。


でも、聞くだけならできる。

聞くだけなら、たぶん。


「……いいよ」


「ん。はい、どうぞ。自分で注いでね」


ルイは一本のボトルを差し出した。


透明な瓶。

中の液体は、濃い茶色。

冷たいお茶みたいに見える。


でも、よく見ると、青っぽい光が中でふわっと揺れていた。


泡ではない。

氷でもない。

小さい光が、沈みきれずに泳いでいるみたいやった。


ラベルには、大きく書いてある。


『LOST TEA』


その下には、小さい文字で、やたら必死な宣伝文が並んでいた。


一度きりの夜に。

迷子のあなたへ。

世界で一番、帰り道に近い味。


……飲ませる気、満々やん。


「……これ、何?」


「ロスト・ティー。冷たいお茶、だと思う」


「この青いのは?」


「さあ。たぶん、それが“ロスト”ってこと? なんか、唯一無二らしいよ」


「……へぇ」


唯一無二。


雑な言葉やと思った。


でも、この夜も、この席も、この味も。

たぶん、もう同じには戻ってこない。


そう思うと、その雑さも嫌いではなかった。


コップに注ぐ。


琥珀色(こはくいろ)の中に、青い光が泳いだ。


迷子になった星みたいやった。


少しだけ、きれいだった。


私は、そっと一口飲んだ。


変な味やった。


冷たい。

少し渋い。

甘いのに、奥で苦い。

舌に触れた後、喉の少し手前で、青い匂いみたいなものが残る。


おいしかった。


思ったより、ずっと。


いや。


たぶん、今まで飲んだものの中で、一番おいしかった。


そう思った。


でも、笑わなかった。


口元に出かけたものを、戻した。


大げさに見えるのが嫌やった。


ルイは平然と飲んでいた。

ただの水みたいに。


それが少し腹立つくらい、普通に。


「なあ……誰も来なかったの、どう思う?」


「…………」


「いや、ずっと考えててさ。別に全員が来る必要なんてないけど……“誰も”来ないって、さすがにひどくない?」


私は答えなかった。


喉じゃなくて、胸の奥に、もう一口流し込んだ。


「……さあね」


それだけ出た。


ルイは苦笑した。


「まあ、そうだよね」


それで終わるのかと思った。


終わらなかった。


「今回、全体通知とかじゃなかったんだよ。ちゃんと、一人ひとりに声かけたの。直接。顔見て、言葉選んで」


ルイは、コップを両手で持った。


両手で持つ必要のない小ささやった。


「それでも、誰も来なかった。“行くよ”って一言もなかった」


「…………」


「……傷つくよ。正直」


声は、思ったより小さかった。


さっきの背中より、小さかった。


私は、テーブルの上を見た。


六つのコップ。

六つの椅子。

一つだけ濡れたコップ。

触られていない菓子。

ほどけかけた飾り。


椅子は、ちゃんと人数分あった。


「……軽蔑(けいべつ)されても、仕方ないと思う」


「え?」


「来ないなら、来ないって言えばいい」


自分でも、少し驚いた。


思ったより、声が出た。


ルイは私を見た。


それから、少しだけ笑った。


「……だよね」


それ以上、言わなかった。


沈黙が屋上を満たした。


でも、不思議と居心地は悪くなかった。


何も言わないのは、楽やった。


優しい、というより、楽。


私は、たぶん、それが好きやった。


いつも何か言わないと落ち着かない人もいる。

黙ると、空気を埋めようとする人もいる。

こっちが何か言うまで、質問を重ねてくる人もいる。


ルイは、そうしなかった。


私が黙ると、黙った。


それが、少し楽やった。


数秒後、私は飲み物の味に集中していた。


ルイは空を見上げていた。


まるで、タバコでも吸っているみたいやった。


吸っているのは、ロストティーやけど。


「気むうはさ」


ルイが、ぽつりと言った。


「人って、変われると思う?」


「……どういう意味?」


「いや……こういうのって、変わるのかなって。人の態度とか、性格とか。最初は嫌なやつでも、途中から少しマシになることって、あるのかなって」


「…………」


「物語だと、よくあるでしょ。敵だったやつが仲間になるとか。嫌われ者が、ちょっとずつ変わるとか」


ルイは、コップの中の青い光を見ていた。


「でも、それって現実にもあるのかなって」


私は、ゆっくり飲んでから答えた。


「……さあね」


それしか出なかった。


「あるのかもしれないし、ないのかもしれない」


「うん」


「知ってる人も、そんなにおらへんし。考えたことも、あんまりない」


「じゃあ、直感では?」


「……たまには、あるんちゃう」


「たまには?」


「毎回あったら、たぶん世の中もっと楽やから」


ルイは少し笑った。


今度の笑い方は、さっきより本物に近かった。


「それは、そう」


また沈黙。


風が通った。


ほどけかけた飾りが、ぺら、と鳴った。


「でもさ」


ルイは、少し迷ってから続けた。


「“変わるから”って言われて、信じて、結局変わらなくてさ。前よりひどくなることもあるじゃん」


「……あるんやろね」


「そういう時って、相手に腹立つのもあるけど、自分にも腹立つと思うんだよ。なんでまた信じたんだろうって」


私は、少しだけ考えた。


恋人。

元恋人。

もう一度信じる。


どれも、私の棚にはなかった。


「……恋人、いたことない」


ルイは私の顔をじっと見た。


それから、ふっと笑った。


「──だろうね。なんか、出てる」


出てる。


何が。


どういう意味やねん。


聞く勇気は、なかった。


「でもさ」


ルイは、そこで少し詰まった。


「……いや、うまく言えないけど」


「うん」


「他人が変わるかどうかって、考えても、たぶん分からないじゃん」


「……うん」


「だから、その……自分のほうなら、まだちょっと分かるのかなって」


ルイは、空のコップを見た。


「気むうはさ。自分を変えられると思う?」


私が。


変わる。


その言葉は、思っていたより遠かった。


遠いのに、急に目の前に置かれた。


私はコップを見た。


青い光が、茶色い中でゆっくり沈んで、また浮いた。


変われる、ということを、考えたことがなかった。


今こうしてここにいる自分。

こういう話し方をする自分。

何かをすぐ大丈夫にする自分。


どこかで、そうなるだけの理由があったんやと思っていた。


理由があるなら、変わるのは逃げることなのかもしれない。

変わらないのは、罰なのかもしれない。


……面倒やった。


「……わからない」


それだけ言った。


ルイは頷いた。


責めなかった。


それが、少し意外やった。


「君って、静かなタイプだよね」


「……うん」


「そういうの、“変える”っていうのはどう? もっと喋るとか。もっと人と関わるとか」


「…………」


「たとえばさ、いつかお姉さんみたいに――」


「無理」


声が出た。


出すつもりはなかった。


でも、出た。


完璧な答えやった。


たった二文字で済むくらい、完璧やった。


ルイは少し目を丸くした。


「即答」


「それは無理」


私はもう一度言って、ロストティーを飲んだ。


少しずつ、この味に慣れてきていた。


慣れてきた、というより。

好きになってきていた。


言わないけど。


「なんで無理だと思う?」


「私が神いじゃないから」


今度も、すぐ出た。


それ以上の理由はなかった。


神いは神いやから、ああなれる。

私は私やから、こうなった。


「そっか」


ルイは、思ったより簡単に受け取った。


「じゃあ、お姉さんみたいじゃなくてもいいとして」


「…………」


「友達を作るとか。誰かと集まるとか。こういうふうに、たまに屋上で飲むとか」


ルイは少し笑った。


「そういうのなら、できそうじゃない?」


私はテーブルを見る。


六つの椅子。

一人しか来なかったパーティー。

その一人が私。


できている、とは言いにくい。


「……今、友達いないでしょ?」


「…………」


図星やった。


地球でも、私はあまり人と関わってこなかった。


家。

部屋。

本。

勉強。

たまに、神いの声。


それで足りていた。


足りていたことにしていた。


音の少ない場所に慣れると、人の多い場所は少し遠くなる。


遠くなった場所へ、自分から歩くのは難しい。


「……状況が違ったら、たぶん」


「状況?」


「うん」


「状況が違ったら、できた?」


「たぶん」


ルイは、ロストティーを一口飲んだ。


勢いよく。


「じゃあ……やる場所とか、相手とか、そういうのが変わったら、少し変わることもあるんじゃない?」


「…………」


「ほら、ギルドでもさ。ずっと荷物持ちだった人が、急に前に出されたり、落ちこぼれって呼ばれてた人が、次の依頼でちょっと見直されたり……逆もあるけど」


ルイは自分で言って、少し眉を寄せた。


「……ごめん。例が冒険者ばっかりだな」


「ここ、そういう町やし」


「まあ、そうなんだけど」


ルイは、空のコップを指で回した。


「でも、ギルドって、昨日の噂が次の依頼でちょっと変わったりするじゃん。パーティーだって組み直すし、宿だって変わるし、昨日食えなかったやつが今日食える日もあるし」


「……急に生活感」


「そこが一番大事でしょ」


「そうかも」


「だからさ」


ルイは、ほどけかけた飾りを一瞬見た。


「いきなり別人になるとかじゃなくて、明日もここに来る、くらいなら……変わったことにしてもいいんじゃないかなって」


私は黙っていた。


こういうテンションは、少し苦手やった。


でも、今回は腹が立たなかった。


六つの椅子の前で言ってるからやと思った。


一人で待って。

誰も来なくて。

それでも、明日も何かを置こうとしている。


それなら、聞けた。


「……たしかに」


そう言った。


ルイは嬉しそうにした。


大げさではない。

ほんの少し、肩が落ちた。


安心した時の落ち方やった。


「……結局、誰も来なかったな」


ルイは、またひとつ息を吐いた。


いくつ目かは、もう分からない。


「でもさ」


「うん」


「気むうと話せて、普通に楽しかったよ」


私は、コップを持ったまま止まった。


今日、何か話したっけ。


思い返しても、印象に残る言葉は少なかった。


私はほとんど、聞いていただけやった。


たまに返して。

黙って。

飲んで。

また黙って。


「……私、そんなに話してない」


「うん」


「それで楽しいん?」


「うん。変?」


「……少し」


ルイは笑った。


今度は、ちゃんと笑った。


「じゃあ、明日も来てみない? 同じ時間、ここで」


「またパーティー?」


「いや、パーティーって言うと誰も来ない気がしてきたから、ただ飲むだけ」


「それ、名前変えただけ」


「大事だよ、名前」


「そう」


「愚痴でもいいし、昔のことでもいいし、意味のないことでもいいし。何も話さなくてもいいし」


何も話さなくてもいい。


私は、空になったコップを見た。


「正直、気むうはこういうの苦手だと思うけど」


「うん」


「そこは否定しないんだ」


「事実」


「でも、俺は今日、来てくれてよかった」


ルイは、空になったコップを見た。


「それで十分」


私は最後の一口を飲んだ。


ロストティーは、もうぬるくなっていた。


青い光も、最初より薄くなっている。


それでも、味はまだ残っていた。


変な味。

おいしい味。

少しだけ、戻りたくなる味。


私はコップを置いた。


音は小さかった。


「……うん。いいよ」


言ってから、少し遅れて、自分の声を聞いた。


ルイは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく頷いた。


「ありがとう」


私は何も言わなかった。


言ったら、余計になる気がした。


屋上の夜は、まだ空っぽやった。


椅子も余っていた。

コップも余っていた。

菓子も、ほとんど残っていた。


何も解決していなかった。


それでよかった。


帰り際、ほどけかけていた飾りが、また風で揺れた。


私はそれを一度だけ見て、直さなかった。


明日も使うなら、たぶん、その時でいい。


ロストティーの味は。


なぜか、少しだけ甘くなっていた。

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