生物まで来たか
「……おい。おい、おいおいおいおい……!」
拳を叩きつける。腹へ。喉へ。顔へ。火を乗せる。乗せても、皮膚が焦げるだけや。ぬるい表面で衝撃が逃げる。中まで届かへん。
「吐け!! 吐けやこのクソガエル!!」
カエルは踊っとる。
ゆみを飲んだまま、踊っとる。
肩を跳ね、腹を揺らし、足を滑らせる。
「ふざけんな……!」
火を両手へ寄せる。火成波。今出せるやつを全部。
腹の底が嫌な音を立てる。昨日の残りカスが、もうない袖を引っ張るみたいに痛む。知るか。今出さんでいつ出すねん。
「火成波ぁぁぁぁぁっ!!」
赤い波が、カエルたちへ叩きつけられた。
草が焦げる。土が割れる。熱で空気が歪む。カエルの皮膚が焼けて、黒い斑点が走る。
でも、倒れへん。
一匹がぐらついた。けど、そのぐらつきさえ隣の二匹が拾うみたいに、また拍へ戻る。
「……うそやろ」
息が切れた。
足が笑う。
その隙間に、別のカエルが来た。
腕が伸びる。掴まれる。肩と腰を同時に持たれる。ぬるい指が服に食い込む。
「っ、離せ!」
カエルたちが、円になった。
嫌な予感どころやない。
一匹がうちを蹴る。
腹に入った。
「がっ……!」
次の一匹へ飛ばされる。
そいつが膝で打つ。
肋骨のあたりで、何か小さく鳴った。
また飛ぶ。
肩。背中。太もも。横腹。
全部、拍に合っとる。
こいつら、うちをボールみたいに蹴り回しながら、まだ踊っとる。
「や、め……っ」
声が出えへん。
息が入らん。
視界の端で、草が四角く歪んだ。緑の面が一瞬だけずれて、別の緑に貼り替わる。バグったみたいに。いや、ほんまにそうなんかもしれへん。
痛い。
痛い痛い痛い。
骨が一発ごとに、身体の中で位置を間違えていく。口の中に鉄の味が広がる。髪が顔に張りつく。濡れとるんか、汗なんか、血なんか、もうわからん。
「ゆみ……」
あかん。
あの子、まだ中や。
まだ、あの中やのに。
「もういい」
低い声がした。
次の瞬間、うちの身体が空中で止まった。
白い毛。
でかい前脚。
フルカフトが、うちを咥えるでも掴むでもなく、身体ごと受け止めていた。落とさんように、でも痛いところへ触れんように、妙に正確に。
その目が、カエルの群れを見た。
さっきまでの静けさと違う。
もう、見てる側の目やなかった。
「下がれ」
誰に言うたんか、わからんかった。
次の瞬間、うちは門のほうへ投げられた。
投げられた、いうても雑やない。マイルズと気むうの近くへ、ちゃんと落ちるように。空中で身体が一回転して、地面へ転がる前に、マイルズの光が受けた。
「神い様、動かないでください」
「ゆみ……ゆみが……!」
「承知しております。今はご自身の骨を散らさないでください」
「言い方……!」
言い返したつもりやったのに、声が潰れた。
気むうが膝をついた。青い目が、うちの胸と腹と腕を順番に見る。
「……折れてる」
マイルズのしっぽが光を引いた。薄い糸みたいなものが、うちの肋骨のあたりへ潜る。痛みが跳ねる。
「っ、あ゛……!」
「呼吸を止めないでください」
「止まるんやって……!」
気むうの指が、うちのこめかみに触れた。
冷たい。
白っぽい流れが、痛みの暴走を押さえ込むみたいに広がる。痛みが消えるんやない。奥へ沈む。
その向こうで、フルカフトが動いた。
白い虎が、地面を蹴る。
速い。
カエルの踊りは、さっきまで意味不明やった。読めへんかった。拍がずれて、攻撃がどこから来るかわからんかった。
でも、フルカフトは、その拍の外におった。
一匹が傾く。
フルカフトは、その戻り際に肩を入れた。巨体が崩れる。次の一匹の足が滑る。三匹目が舌を出す前に、白い爪が顎を叩き上げる。
踊りが、崩れた。
たったそれだけで、カエルたちは急にただの大きい生き物になった。
いや、ただの、ではない。まだデカいし、キモいし、危ない。でも、さっきまでの気持ち悪い一体感がほどけた瞬間、フルカフトのほうがずっと速かった。
一匹目の脚を折る。
二匹目の首を地面へ押さえる。
三匹目の腹を避けて、横から肋骨ごと叩き潰す。
音が重い。
踊りの音やない。
終わらせる音やった。
「……っ」
うちは治療されながら、それを見とるしかなかった。
悔しいとか、すごいとか、そういう前に、ただ差があった。
うちが全部使って届かんかったものを、フルカフトは無駄なく崩していく。
最後に、ゆみを飲んだカエルが残った。
そいつはまだ、腹を揺らそうとした。
フルカフトの前脚が、その腹の前で止まる。
潰さへん。
中にゆみがおるからや。
「マイルズ」
「位置は胃袋付近でございます。まだ反応があります」
「わかった」
フルカフトは虎のまま、白い爪を伸ばした。
誰も喋らへんかった。
門の前の冒険者たちも、さっきまで逃げ腰やった連中も、全部黙っとる。
白い爪が、カエルの腹を裂いた。
ざく、と鈍い音。
次の瞬間、ぬるい液体がどっと流れた。血と胃液と、何かわからん透明な粘りが土の上に広がる。匂いが遅れて来た。
酸っぱい。
生臭い。
熱い。
「っ……!」
喉が勝手に閉じた。
その中から、ゆみが出てきた。
ぐったりして、全身どろどろで、猫耳までぺたんと倒れている。
フルカフトは牙を使わず、前脚と鼻先で、ゆっくり引き出した。雑に掴まへん。壊れたものを扱うみたいに、慎重に。
ゆみが咳き込んだ。
一回。
二回。
口から胃液みたいなんがこぼれて、身体が震える。
生きとる。
「ゆみ……!」
立ち上がろうとした瞬間、肋骨の奥が鳴った。
「神い、まだ」
気むうが肩を押さえた。
「離せ……!」
「まだ」
その声が、珍しく硬かった。
マイルズの治療が最後にきゅっと締まる。骨の位置が戻る。痛みは残る。残るけど、立てるくらいにはなる。
うちは気むうの手を振り払うんやなくて、少しだけ借りて立った。
足が震えた。
それでもゆみのところへ行った。
「おい、ゆみ。聞こえるか。なあ、しっかりせぇ」
ゆみの顔に手を当てる。ぬるい液で滑る。さっき、舌から手を離してもうた感触が、指に戻ってきた。
「ごめん……ごめんな。うち、掴んだのに……掴んだのに、離してもうた……」
ゆみのまぶたが震えた。
ゆっくり開く。
焦点が合うまで、少しかかった。
「……神い、さん」
声が細い。
でも、生きとる声やった。
「助けに、来てくれて……ありがとう、ございます」
「助けてへんやろ……! うち、何もできへんかった。殴っても焼いても、全然……っ」
「でも、来てくれた」
ゆみは、それだけ言うて、また咳き込んだ。
それ以上喋らせたらあかんかった。
ほどなく、救護班が駆け込んできた。
マイルズはゆみの横へ降りて、しっぽを伸ばした。光がゆみの胸と喉に触れる。
「呼吸路に残留物。骨折二箇所、打撲多数。意識は保持。搬送を」
戻ってきた気むうが、ゆみの手首に指を添えた。
「……震え、強い」
「神経系の反応が乱れております。抑えられますか」
「少しなら」
気むうの声は、いつもより細かった。
でも、手はぶれへん。
うちはその横で、何もできずに膝をついていた。
髪から水が落ちる。
いや、もう水だけやない。血と、カエルの液と、土と、全部混ざって頬を伝う。さっき浴場で見られて顔が熱くなった髪が、今はゆみの胃液の匂いを吸って重く垂れとる。
何やこれ。
ほんまに、何やこれ。
少し離れたところで、フルカフトが人の形へ戻り、カエルの頭を調べていた。
倒れたカエルの頭部を開き、何かを見ている。門の前の冒険者たちは目を逸らす。そら逸らすわ。うちも見たくない。でも、見てしまう。
救護班がゆみを受け取ると、マイルズはフルカフトのほうへ飛んだ。
「何かございましたか」
「脳だ。形が崩れている。怪我ではない」
マイルズの声が、少しだけ低くなった。
「同じ拍が、同じ経路にこびりついています。ラノイドに、この処理はできません」
「非知的生命体だ」
「はい」
言葉が、朝の空気に冷たく落ちる。
踊っとったんやない。
動かされてた。
気むうが、ゆみの運ばれていく方向を見たまま言う。
「……何かあったの」
マイルズはすぐには答えへんかった。
しっぽの先が、カエルの開かれた頭部の前で止まる。
「断定はできません。ただ、この焼きつき方は、研究所で確認されたレンダリングエラーの挙動に酷似しております」
その単語だけで、胸の奥が冷えた。
「……つまり」
自分の声が、掠れた。
「カエルまで、バグり始めたってことなん」
マイルズは、ほんの一拍だけ沈黙した。
その沈黙が、答えやった。
「陛下へ報告いたします。ここで終わった話ではございません」
フルカフトは血のついた手を払うでもなく、ただ倒れたラノイドを見下ろした。
「生物まで来たか」
誰も何も言わへんかった。
救護班に運ばれていくゆみの肩が、小さく震えとった。
指には、まだ、滑って離れた手首の感触が残っとる。
目の前には、踊りながら人を飲んだカエルの死体。
「……風呂くらい、最後までさせろや……」




