飲んだ。
「来るぞ」
フルカフトの声が低く落ちた。
うちは手を握った。指先の外に、エネルジアの薄い膜が寄る。身体の奥はまだ重い。けど、火は来る。来るなら、行ける。
たぶん。
いや、行くしかない。
「神い様。無理に正面から受けないでください。相手の動きは通常のラノイドと異なります」
「通常のラノイド知らんねんけど!?」
「では、今見えているものを通常と思わないでください」
「それはわかる!!」
フルカフトは白い虎へ姿を変えた。
音は小さかった。けど、空気だけが一段重くなる。白い毛並み。でかい肩。獣の目。さっきまで人の形で立っていた場所に、戦うための何かが静かに現れた。
「神い、ゆみ。前へ出ろ。俺が後ろを見る」
「……は?」
「危なければ拾う」
「それ、安心してええやつなんか!?」
「動け」
もう会話終わりやった。
ゆみがうちを見る。不安そうやけど、逃げる顔ではない。
「わ、私、右から行きます。神いさんは左から」
「逆や。うちが前、あんた後ろ」
「でも」
「怪我しとるやろ。無理すんな」
言うてから、自分もまあまあ無理しとることに気づいた。
知らん。今はええ。
うちは濡れた髪を首の後ろへ払った。全然まとまらん。水が頬を伝う。視界の端で赤い毛が揺れる。
「ほな行くで、踊るなキモガエル」
地面を蹴った。
火を拳へ寄せる。火纏拳。昨日よりは軽い。エクスプロージョンみたいに腹の底を全部持っていく感じはない。これなら何発かいける。
カエルが一歩、横へ滑った。
うちはその腹めがけて拳を叩き込む。
当たる。
そう思った瞬間、カエルの肩が一拍ずれた。
腹が消えた。
かわりに、肘みたいな硬い部分が横から来る。
「っ!?」
避けきれへん。
どん、と胸の横に入った。息が曲がる。身体が横へ持っていかれて、土の上を転がった。
「いっ……!」
痛い。
普通に痛い。
昨日の訓練とか、マイルズのしっぽとか、そういう“授業の痛さ”ちゃう。知らん生き物に、知らんリズムで殴られた痛さや。
「神いさん!」
ゆみが跳ぶ。爪がカエルの背中を斬った。皮膚が裂れて、ぬるい液が飛ぶ。けど浅い。カエルは動きを止めへん。むしろ、斬られた動作まで振り付けに入れたみたいに、肩をくいっと上げた。
気持ち悪い。
痛がれや。
「アウッ」
声みたいな音を出して、カエルが後ろ足を振った。
ゆみは腕で受けた。軽い身体が吹き飛ぶ。うちは立ち上がりながら、火をもう一回拳へ寄せた。
「この、腹立つなあ……!」
真正面はあかん。なら、下。
うちは滑り込むように踏み込んで、膨らんだ腹の下へ拳をめり込ませた。
ドン、と入った。
今度は入った。
「よっしゃ――」
腹が、膨れた。
いや、さらに膨れた。
白い腹が内側から押し返してくる。拳が埋まったまま、弾力がぎゅっと溜まる。
「……あ」
次の瞬間、うちごと弾かれた。
空が見えた。
門の上。城壁。朝の光。自分の赤い髪が水しぶきを散らしながら視界を横切る。
「うわあああああっ!」
背中から地面に落ちた。肺の中身が全部出る。咳き込もうとして、空気が入らへん。
ゆみが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫なわけあるか……! 何やあの腹、反則やろ……!」
カエルたちはまた並んだ。
三匹。
足を揃える。肩を揃える。首を同じ角度で倒す。
同じ拍。
同じ呼吸。
同じ気持ち悪さ。
「……踊ってるんじゃない。動かされてるみたい」
気むうの声が、門のほうから届いた。
小さいのに、変に通った。
その一言で、背中の汗が冷えた。
せや。
楽しそうとか、ノリノリとか、そういう顔やない。目が合ってへん。口の端から泡が出とる。身体だけが、どこかから流れてくる拍に従って勝手に動いとるみたいやった。
「気ぃつけろ!」
フルカフトの声。
遅かった。
一匹の舌が、拍の間から飛んだ。
ぬるい線が空中を裂く。速い。狙いは、うちやない。
ゆみや。
「ゆみ!」
ゆみは反応した。ほんまに反応した。身体を捻って避けようとした。
でも、さっきの蹴りで足が一瞬遅れた。
舌が、腰と腕ごと巻きついた。
「っ、あ……!」
ゆみの爪が舌に食い込む。裂ける。ぬるい液が飛ぶ。それでも舌は緩まへん。むしろ締まる。
「神いさん!」
その声で、頭が真っ白になった。
うちは走った。
痛みとか、濡れた髪とか、昨日の疲れとか、全部置いて走った。
「離せ!!」
火を纏った拳を舌に叩き込む。
じゅっと焼ける匂いがした。
カエルは口を開けた。
暗い。
赤黒くて、ぬめってて、奥が見えへん。ゆみの身体がそこへ引きずられる。爪が地面を引っ掻いて、土に線が残る。
「やめろ!!」
何度叩いても、舌は切れへん。
ゆみの目がこっちを見る。怖がっとる。助けを求めとる。いや、たぶん、声にできんだけで叫んどる。
うちは手を伸ばした。
指先が、ゆみの手首に触れた。
掴む。
掴んだ。
ぬるい液で滑る。
「っ、くそ……!」
「神い、引いて!」
気むうの声がした。
引けるか。
引けるわけないやろ。
カエルの口が閉じ始める。
「ゆみ!!」
「神いさんっ……!」
最後に、ゆみの猫耳が見えた。
それから、消えた。
口が閉じた。
ぐぷん、と嫌な音がした。
カエルの喉が、ゆっくり動く。
飲んだ。
今、飲んだ。




