踊るカエルやん
一回。
二回。
三回。
湿った朝の空気を、硬い金属音が割っていく。
列に並んどった冒険者たちの顔が、一斉に変わった。さっきまでタオル持って半分寝とった連中が、次の瞬間にはもう仕事の顔になっとる。
フルカフトが、静かに入口のほうを見た。
「緊急招集でございます」
マイルズの声も、すぐ業務の温度に戻った。
うちは濡れた髪を握ったまま、鐘の音のしたほうを見る。
「……風呂くらい、最後までさせろや」
「冒険者各位。Cゲート・逆陽域前にて脅威発生。戦闘可能者は即時集合してください。繰り返します。Cゲート・逆陽域前、脅威発生。戦闘可能者は即時集合してください」
天井の隅に埋まっとる丸い石から、声が落ちてきた。
列に並んどった冒険者たちが、タオルを肩から引っぺがす。濡れた髪のまま剣帯を掴むやつ。片足だけブーツ突っ込んで跳ねるやつ。今の音聞こえませんでした、みたいな顔で個室へ戻ろうとするやつ。
いや、聞こえとったやろ今の。
「……風呂場で言う内容ちゃうやろ」
うちは濡れた髪を握ったまま、ぼそっと言うた。
まだ全然乾いとらん。髪も服も中途半端。茶色い補助外套だけは、気むうが拾って投げてきた。
「肘」
「わかっとるわ!」
濡れた腕に引っかける。水が服に染みる。気持ち悪い。身体の奥もまだ昨日のエクスプロージョンで重い。腰のあたりが、走る前からもう嫌な顔しとる。
フルカフトはもう入口へ向かっとった。
「え、ちょ、待てや。うち髪」
「走りながら絞れ」
「雑!!」
「神い様、髪は前に垂らさないほうが。視界を塞ぎます」
「今それ言う!?」
マイルズは答えへんかった。
うちは片手で髪を後ろへ雑に絞って、浴場棟を飛び出した。朝の空気が濡れた頭に刺さる。
「っ、寒っ」
「走れば温まる」
「そういう問題ちゃうねん!」
宿舎の中庭から石段へ。外王都村の階段は、朝から容赦ない。冒険者たちが武器を抱えて降りていく中で、動かへんやつもおった。
扉の陰から顔だけ出して引っ込む男。濡れた布を頭に乗せたまま壁にもたれる女。防具を半分着たところで鐘のほうを見て、ゆっくり逆方向へ歩く獣人。
「……おい、みんな行くんちゃうんか」
「戦闘可能者のみ、でございます」
マイルズが横を飛びながら答える。
「今の“可能”って意味、だいぶ広ない?」
前を行くフルカフトが、振り向きもせずに言う。
「責めるな。何日も続けば、足が止まる」
何日も。
今の、何日も、って言うたか。
「なあ、何が出とんの」
「現地で見る」
「先に言うてくれたら心の準備できるやろ!」
「見たほうが早い」
「嫌なタイプの早さやんけ!」
気むうは隣を走っとる。騒ぎも焦りもせん。ただ、音の鳴った方角と、避けていく冒険者たちを交互に見とった。
「……嫌われてる」
「何が」
「その脅威」
それだけで、ちょっと背中が冷えた。
Cゲートは、村の外周に近い場所にあった。
城壁に埋め込まれたでかい門。上には古い金属の札で《C》と刻まれとる。その横に、黒く焼けたみたいな境界線が一本、地面から壁まで伸びていた。そこから向こうだけ、空気の色が少し違う。
逆陽域。
名前の意味は知らん。けど、見た瞬間、あ、普通の場所ちゃうな、とはわかった。
門の前には数人の冒険者が集まっとった。数人だけや。みんな武器は持っとる。けど、前へ出る顔やない。
そのうち一人が、フルカフトを見て息を吐いた。
「フルカフトさん……!」
「状況は」
「まだ中です。あの子が一人で抑えてます。けど、もう長くは……!」
あの子。
聞く前に、門が開いた。
ぎぎ、と古い腹の底みたいな音を立てて、城壁の向こうが見える。
最初に見えたんは、草地やった。
朝の光を受けた、普通の草地。ところどころ土が抉れて、柵が折れて、荷車が横倒しになっとる。そこまではまだ、襲撃跡として理解できた。
その奥。
カエルが立っとった。
……立っとった。
「……は?」
でかい。
うちの何十倍もある。緑灰色の皮膚が濡れた布みたいにてかり、白い腹だけ異様に膨らんどった。
そいつが、斜めに倒れた。
いや、倒れてへん。
上半身をありえへん角度まで傾けて、そのまま、ぴたりと止まった。つま先だけで支えとる。
「……いやいやいや」
次の瞬間、横の二匹も同じ角度で傾いた。
三匹そろって戻る。肩を跳ねる。膝を曲げる。足を滑らせる。ぬるい皮膚が、光を拾って気持ち悪く波打つ。
カエルたちは、踊っとった。
しかも下手ちゃう。腹立つくらいキレがある。首がかくんと動き、腕がぴしっと止まり、足先が土を擦って、同じ拍で三匹の舌が口の端からぬるっと覗く。
動きだけ見たらステージや。
生き物として見たら終わっとる。
そして、その踊るカエルの間を、一人の女の子が跳んでいた。
黒い猫耳。細い尻尾。軽い防具。腕には傷。頬にも泥。爪みたいな武器を両手から伸ばして、跳んで、避けて、斬って、また跳ぶ。
速い。
たぶん強い。
でも、息がもう荒い。
ひとりや。
ほんまに、ひとりで抑えとる。
「っ、また来た……!」
女の子が地面を蹴った瞬間、カエルの一匹が腰を振るみたいに半回転した。
その動きの最後で、腕が鞭みたいに飛ぶ。
「きゃっ……!」
女の子はぎりぎりで避けた。けど、爪の先が空を切る。着地が少し乱れる。
カエルたちは、そこでまた同じ拍を踏んだ。
フッ、ハッ。
喉やなくて、腹から空気が漏れるみたいな音。
「ジャクソンばりのキレで踊りながら、普通に殺しに来とる……」
口から勝手に出た。
誰も笑わへんかった。
女の子がこっちに気づいた。目が丸くなる。次の瞬間、ほんの少しだけ顔が明るくなって、でもすぐ痛そうに歪む。こっちへ走ろうとして、足元がふらついた。
フルカフトが前へ出る。
「下がれるか」
「は、はい……っ!」
女の子は地面を蹴って、うちらのほうへ滑り込んできた。近くで見ると、思ったより小柄やった。猫耳はぴんと立っとるけど、先だけ震えとる。肩で息して、爪の根元に血がにじんで、膝の布も破れとる。
それでも、頭を下げた。
「来てくださって、ありがとうございます……! ほんとに、ほんとに助かりました……!」
「状況を」
マイルズが短く言う。
女の子は喉を鳴らして、息を整えようとした。でも、言葉が焦って前に転がる。
「あのラノイドたちです。三日前から、逆陽域の近くに……最初は一匹か二匹だったのに、昨日から群れで来て、動きも変で、避けにくくて……前に出た人が二人、脚をやられて戻ってきました。今日はもう、ほとんど来てくれなくて……ゲートを抜けられたら、宿舎側まで行っちゃうので」
そこまで言うて、奥歯を噛んだ。
門の前の冒険者たちが、誰もそっちを見ぃひんかった。
なるほど。
嫌われとる、の意味がちょっとわかった。
「一人でやってたんか」
うちが聞くと、女の子は困ったみたいに笑った。
「……誰かが止めないと」
その声が、優しすぎて腹立った。
何でそんな顔で言えるんや。怖いやろ。無理やろ。さっきから息、全然戻ってへんやんけ。
「名前」
気むうが言うた。
女の子は、はっとして顔を上げる。
「ゆみです。Cゲート担当の冒険者で……あの、臨時ですけど」
「うちは神い。こっちは気むう」
「よろしくお願いします、神いさん、気むうさん」
「よろしく言う状況ちゃうけどな」
言うた瞬間、カエルの一匹が大きく跳ねた。
跳ね方まで拍に乗っとる。
ぬるい巨体が、空中で一回転する。腹が見える。舌が揺れる。着地と同時に、土が破裂した。




