餓死ルートやん
「いっくでぇぇぇぇぇ!!!!!」
――と、うちは叫んだ。
山の上の城から、外へ。
閉じ込められたり、測られたり、燃やしたり、燃やしすぎたり、妹にボコられたり、数字で現実を見せられたりした末に、ようやく外へ。
そら叫ぶやろ。
叫ぶしかないやろ。
肘に引っかけとる茶色い補助外套が、叫んだ勢いでずり落ちかけた。うちはそれを、見もせんまま肘で戻す。
ちゃんと着てへん。
脱いでもへん。
外でもこれが一番マシやった。
「……はいはい」
気むうは、横でいつもの温度のない返事をした。
けど、その返事の先で、うちはふと顔を上げた。
空。
青い。広い。ちゃんと空。
……の、はずやった。
「……ん?」
一回、まばたきした。
もう一回見る。
空の端が、妙に角ばっとる。
雲の輪郭も、薄いところと濃いところが噛み合ってへん。遠くの青が一枚の布みたいに伸びとるのに、その真ん中へ、でかい線がすうっと入っとる。片側だけ色が浅くて、もう片側だけやけに重い。
その線だけ、雲が流れても半拍遅れて動いた。
空やのに、空の皮だけ貼り損ねたみたいな感じやった。
「……おい」
思わず、声が落ちた。
「なに」
「空、ちょっと下手ちゃう?」
気むうも顔を上げた。
ほんの少しだけ、目が細くなる。
「レンダリング、まだ死んどるやん……」
「死んではおりません。乱れているだけでございます」
マイルズが、後ろからしれっと言う。
「その“乱れてるだけ”の範囲、広すぎへん? 空やぞ。空のミスはもう誤字ちゃうやろ」
「青薔薇の状態を考えれば、外界にも影響が出るのは自然でございます」
「自然、の意味を一回辞書で殴ってこい」
そう言い返したところで、マイルズのしっぽがぴたりと止まった。
「……皆様」
声が、少しだけ小さくなる。
「何」
「お気づきでしょうか」
「何に」
「今、めちゃくちゃ見られております」
……。
うちは、ゆっくり周りを見た。
見られてた。
めちゃくちゃ見られてた。
階段の途中で荷車を押しとる小さい角の生えたおっちゃんも、店先で湯気立つ何かを混ぜとる鳥っぽいおばちゃんも、屋根の縁に腰かけとる羽つきの子どもも、全員、こっちを見とる。
言葉にはしてへん。
けど顔が全部言うとった。
“なんや今の赤いの”
“城から来た変なんが叫んだ”
“関わらんほうがええかもしれん”
そういう顔やった。
「……あ」
うちの声が、一気に三分の一くらいになった。
「目立ちすぎやねん」
気むうが、横からぼそっと刺してくる。
「っ……ち、違うし。今のは、出発式みたいなもんやし」
「一人で?」
「……うるさい」
うちは前を向いた。
マイルズも前を向いた。
フルカフトも、何もなかったみたいな顔で前を向いた。
気むうだけ、ほんの少し口元を押さえとった。
笑うな。
いや、笑うならちゃんと笑えや。
中途半端に勝つな。
「ようこそ、外王都村へ」
マイルズが、声量を控えめに戻しながら言った。
「ここは王城の外郭に広がる、フロワルでも重要度の高い集落のひとつでございます。城下、というよりは、城へ続く山道そのものに町が育った場所でございますね」
「……外王都村」
うちは、その名前を口の中で転がした。
外。王都。村。
全部入れたらええと思っとるやろ。
「名前、詰め放題すぎん?」
フルカフトが、穏やかな顔で周囲を見渡した。
「ここで滞在するのか、マイルズ」
「はい。当面はこの村を拠点に、旅の準備を整えます」
「城から出てすぐ旅ちゃうん?」
「準備ができなければ、旅は途中で止まります」
「……ちっ」
マイルズは、そこで一拍だけ黙った。
嫌な沈黙やった。
こういう時のマイルズは、大体、うちらに都合の悪いことを丁寧に包装して出してくる。
「なお」
ほら来た。
「スウェトボーレ陛下の偉大なるご判断により、今回の旅費として、フローリン一枚すら支給されておりません」
……。
風が吹いた。
さっきまで気持ちよかったはずの風が、急に人の金欠を笑う冷たい風になった。
「……一枚も?」
気むうが、まばたきした。
「一枚も、でございます」
「待って」
うちは手を上げた。
「旅費なしって、どういうこと?」
「言葉通りでございます」
「食費は?」
「ございません」
「宿代は?」
「ございません」
「道中の物資は」
「ございません」
「ディアブロ王国まで行く気ある?」
「ございます。ですから稼ぎます」
「お前、頭大丈夫か!?」
フルカフトは、顎に手を当てて、真面目に頷いた。
「なるほど。良い試練になる」
「ならん!!」
その時、階段の脇の屋台から、湯気が上がった。
丸い焼き菓子みたいなもんを、甲羅のあるおばちゃんが鉄板の上で返している。甘い匂い。粉と油と、ちょっと焦げた蜜の匂い。
その瞬間やった。
身体の奥が、急に思い出したみたいに鳴った。
食べ物。
そういえば。
「……でも」
気むうが小さく言う。
「うちら、何日も食べてへん」
「……あ」
確かに。
城に来てから、まともに飯を食った記憶がない。
寝て、起きて、測られて、走らされて、燃やして、怒られて、また寝た。飯っぽい場面は、なかった。
「せやん。なら別に、うちら飯いらんタイプになったんちゃう?」
「いえ」
マイルズの声が、妙に申し訳なさそうに細くなった。
「城内の空気には、生命維持用の栄養素がごく微量に含まれております。王城内部では、それを呼吸によって取り込むことで、最低限の活動を維持できるよう調整されております」
うちと気むうは、同時にマイルズを見た。
「……今、なんて?」
「城の空気は、最低限、食べ物の代替になります」
「空気、食ってたん?」
「非常に乱暴に言えば」
「じゃあ、ここは」
「普通の空気でございます」
沈黙。
さっきの甘い匂いが、急に暴力になった。
屋台の湯気が、こっちを見ながら手ぇ振っとる気がした。
“食えるならな”って顔で。
「……つまり」
気むうが、静かに言った。
「ここからは、食べないと死ぬ」
「残念ながら」
マイルズが、深く頷いた。
うちは、ゆっくり両手を伸ばした。
マイルズの毛玉胴を、がしっと掴む。
「お、お嬢様……!」
「マイルズ……!!」
「は、はい!?」
「うちら、城から出た瞬間、餓死ルート入ったってこと?」
「まだ入っておりません。回避手段はございます」
「金なしで?」
「はい」
「飯なしで?」
「はい」
「宿なしで?」
「はい」
「お前、説明の順番が犯罪やぞ!」
「八つ当たりでございます!」
「伝え方の問題やろが!! 飯と宿が死んだ音したわ!!」
「神い」
気むうの声が、冷たく刺さった。
「毛玉、伸びる」
見たら、うちの手の中でマイルズの丸い身体が、若干縦長になっとった。
「……あ」
「は、離して……いただけますか……」
マイルズが、ぎりぎり礼儀だけ残した声で言う。
うちは手を離した。
マイルズは、しっぽで自分の毛並みを整えた。




