フロワル、広っ
マイルズはこほん、と小さく咳払いをした。
「では、陛下。本題へ」
「うむ」
スウェトボーレは小さく頷き、ひとつ咳払いをした。
「……さて。神いよ。そなたの個性的な確認は、多少の厳しさこそあれ、悪いものではなかった。だが、長引かせるわけにはいかぬ。マイルズは承知しておろうが、この時間より『心のバラたち』の新話が始まる」
「……は?」
「見逃すわけにはいかぬ」
心のバラたち。
タイトルからして、だいぶ情念が煮詰まっとるやつやん。
マイルズのしっぽが、ほんの少しだけ下がった。
あ、知っとる顔や。
この毛玉、絶対もう何回も巻き込まれとる。
「単刀直入に言う。任務そのものは単純だ。ディアブロ王国へ赴き、書簡を届け、戻る」
簡単に言うなや、王様。
「ほな、何待っとんねん。はよ行こ。バラ始まるんやろ?」
「待て、神い。まず聞け」
王が蹄をわずかに動かすと、マイルズが封書を差し出した。
「そなたらには、ディアブロ王国へ向かってもらう。そこの王、キングストロングへ、この書簡を届けよ」
厚い紙。
赤い封蝋。
金の紋章。
表には、見ただけで眠気が来るくらい長い文字列が並んどる。
青薔薇機能不全に伴う非常共同対策要請書。
「……もっと長い題名なかったん?」
「重要書類でございます」
「そこまでは見たらわかる」
封書を手に乗せられた瞬間、なぜか指先が少し固まった。
紙やのに、変に重い。
うちは一秒だけそれを見て、すぐフルカフトへ差し出した。
「ふるるん、これ持っとき」
「よろしいのですか」
「うちが持ったら、三分以内に折るか、燃やすか、どっか変なとこ挟む」
「承知いたしました」
「なくしたら、顔面エクスプロージョン予約な」
「……承知いたしました。失くしません」
フルカフトはそう言って、封書を受け取った。
折りもせず、雑にもせず、旅装の内側へすっと収める。
場所は見えへん。
でも、あの手つきで失くすやつは、たぶんおらん。
「ちょい待ち。なんで王様本人が行かへんの。サボり?」
「条約だ」
スウェトボーレは短く言うた。
「余はディアブロ王国へ入れぬ。加えて、キングストロングより七キロ圏内への接近も禁じられておる」
「七キロ!? どんだけ仲悪いねん」
「ゆえに、余は直接動けぬ。正規軍も越境させられぬ。だが、そなたらは軍ではない。青薔薇に応じた当事者であり、使者としてなら通せる余地がある」
「……つまり、自分で出せへん手紙を、うちらに持たせて、王様は玉座で『心のバラたち』待機ってこと?」
その瞬間、王の影が濃くなった気がした。
「――『心のバラたち』を愚弄することだけは許さん!!」
「一番気にするとこ、そこなん!?」
世界規模とか条約とか青薔薇とか全部あったやん。
なんで一番怒るスイッチそこやねん。
「神い様」
マイルズが小さく言う。
「陛下は、あの作品に関しては非常に」
「マイルズ」
王の声が低くなった。
マイルズのしっぽが、ぴたりと止まる。
「……失礼いたしました」
スウェトボーレは玉座に座り直した。
「本題に戻る。今回の旅において、長距離転移は禁ずる」
「なんで?」
「青薔薇が乱れている今、長距離転移は推奨できません」
マイルズがすぐ横から入った。
「座標固定、身体保持、到着点の補正。すべて制御系に依存いたします」
「つまり?」
「失敗すれば、到着ではなく事故になります」
「……なんか、めっちゃ危ないんはわかった」
「加えて、道中で現地の異常を確認せよ」
王が続ける。
「急いで飛び越えれば、得られるはずの情報を失う。青薔薇の乱れがどこまで広がっているか、そなたら自身の目で見よ」
うわ、道中まで仕事やん。
まあ、この城でまた座学されるよりはマシか。
王はフルカフトへ視線を移した。
「フルカフト」
「はい」
「二人を守れ。道中の判断は、お前に任せる。必要であれば、フロワルの名を用いよ。ただし、無用な衝突は避けよ」
「承知いたしました」
「マイルズ」
「はい、陛下」
「お前も同行せよ。記録、連絡、判断補助を担え」
「承知いたしました」
マイルズはいつも通り綺麗に下がった。
「以上だ」
王は玉座の肘掛けに蹄を置いた。
「書簡を届けよ。返答を持ち帰れ。そして、見たものを余へ報告せよ」
「はいはい。国際便、行って帰って見て喋る。了解」
「神い」
「何」
「『心のバラたち』を茶化すことは、二度と許さぬ」
「まだそこ引きずっとる!?」
王の目が、影の奥でぎらっと光った。
「行け。そして届けてこい」
くっそ、最後だけちょっとかっこええやん。
そうして、うちらは出発した。
神い、気むう、マイルズ、フルカフト。
世界を救う部隊というより、朝から変な用事を押しつけられた一団やった。
城の廊下を進んでいると、さっきまで飛んで遊んだ道が、ちょっとだけ違う顔に見えた。
壁。
燭台。
長い絨毯。
番号札。
玉猫たち。
全部さっきと同じやのに、もう部屋へ戻る道やない。
外へ出る道や。
フルカフトは、うちらの少し前を歩いとった。
前すぎず、後ろすぎず、こっちが転びそうになったらすぐ横へ入れる位置。
……護衛って、立つ場所からもう護衛なんやな。
気むうは静かやった。
どこを見とるんか、よう分からん。
床を見てるようで、床でもない。
「……気むう」
「ん」
返事は早い。
でも、目は戻らへん。
「なんでもない」
「……うん」
今つついたら、たぶん余計なとこまで触る。
せやから、それ以上は言わんかった。
「……ただの往復、ねえ」
口の中だけで言う。
まあ、ただの往復で済む顔は、誰もしてへんかったけど。
やがて、廊下の先に大きな扉が現れた。
城で見たどの扉とも違った。
飾りは少ない。
そのかわり、厚い。
外と内をほんまに分けるための扉、って顔をしとる。
マイルズがその前で止まった。
「こちらで、城内区画は終わりです」
マイルズは扉の金具にしっぽをかける。
「この先は外気に触れます。光量、高度、風圧にご注意ください」
「外出るだけで注意事項多ない?」
「城は山腹上層にございますので」
山腹上層。
その言葉だけで、もう嫌な予感がした。
けど、誰も止まる気はなさそうやった。
そして、マイルズが扉を開けた。
光が、目ぇに刺さった。
「っ……」
まぶしい。
牢屋でも、図書室でも、薔薇の間でも、玉座の影でもない。
天井やない。
空やった。
青かった。
腹立つくらい、ちゃんと空やった。
風が来る。
ほんまの風や。
壁の隙間で死んだ空気やなくて、ちゃんと広いところを通ってきた風。
髪が揺れる。
うちは一歩だけ前へ出た。
その下に、階段があった。
いや、階段というより、山や。
いや、山というより、階段みたいに削られた世界やった。
でかい段が、いくつもいくつも下へ続いとる。
一段ごとに家がある。
屋根がある。
橋がある。
洗濯物みたいなんが風に揺れとる。
小さい影が歩いて、羽のあるやつが手すりを飛び越えて、丸い生き物が階段の端で何か売っとる。
遠くの段では、水が細い線になって落ちて、その下の段で光っとった。
街や。
でも、うちの知っとる街やない。
地面が平らな顔をしてへん。
全部が下へ、横へ、奥へ、勝手に続いていく。
「……なにこれ」
フロワル。
城の中で何回も聞いた名前。
書類の上で眠そうに並んでた名前。
王様が背負っとる国の名前。
それが、今、目の前でアホほどでかい階段になっとった。
ずるいやろ、こんなん。
「……気むう」
横を見る。
気むうも、空を見ていた。
嬉しそうとか、怖そうとか、そういう分かりやすい顔やない。
ただ、見ていた。
風で青灰の髪が少しだけ揺れる。
その目が、ほんの少し細くなる。
「……広い」
それだけで、充分やった。
「せやな」
うちは笑った。
上等や。
「フロワル――行くでぇぇぇ!!」




