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だいきぼ★ウチュウ  作者: こなるちゃん
第一部 世界がバグった日
33/60

訓練記録「戦」

何日目かは、もう怪しかった。


起きる。顔を洗う。茶色い補助外套(ほじょがいとう)と目が合って負ける。第四図書室へ行く。


その流れだけは、だいぶ身体に入ってきていた。


異世界生活、思ったより通勤感がある。

通勤先で毎日、床と壁に負けるところまで含めて。


ここ数日、うちは小規模瞬間移動しょうきぼしゅんかんいどうにずっと負けていた。


半歩にもならん距離。

歩けば終わる距離。

せやのに魔法で越えようとした瞬間、そこだけ急に崖になる。


肩は棚を覚えた。

肘は床を覚えた。

膝は壁を覚えた。

首元は、茶色い外套に裏切られた感触を覚えた。


身体中に、図書室の地図ができそうやった。

痛覚で。


成功したんは、一回だけ。


半メートル。


しかも着地は、勝ちというより転倒の親戚やった。


それでも、動いた。

その事実だけが、身体中の痛いところに引っかかって、寝ても抜けへんかった。


新しい朝が来ても、痛みだけは昨日のままやった。


()むうは何も言わずに、肘まで落ちていた補助外套を少し直した。怒ってる、という感じでもなかった。ただ、そうした。それだけやった。


「……壊れないで」


「壊れへんわ」


言うたけど、たぶん声はだいぶ弱かった。


そしてその日も、うちらは第四図書室へ向かった。


その日の城は、いつもより読み込みが雑やった。


廊下の柱が、一拍遅れて震える。

燭台の火だけが、揺れたあとにもう一回同じ揺れを繰り返す。

床の模様が、踏む前と踏んだ後で少しだけ位置を変える。


一番腹立ったんは、右の扉やった。


ほんの一瞬だけ、鏡のふりして二枚になりよった。重なって、ずれて、また一枚へ戻る。


「……今日、現実の機嫌悪ない?」


うちは足を止めかけた。


マイルズは前を進みながら、振り向きもしない。


「現在、レンダリングエラーの波が強まっております。足元にご注意ください」


「その説明で済ますなや。廊下が二重に見えたんやけど」


「二重に踏まなければ問題ございません」


「問題の置き場所おかしいやろ」


気むうは隣で、黙って床を見ていた。怖がっている顔ではない。でも、いつもより少しだけ、歩幅が狭い。


うちは、直されたばかりの外套の端を指で押さえた。


……ちっ。


図書室に着くと、いつもの長机がなかった。


代わりに、奥の空間が広く空けられていた。棚の前に白い円が描かれていて、壁際には模擬体が何体か、眠るみたいに並べられている。


「……何これ」


嫌な予感がした。


マイルズは、黒板の前ではなく、円の外側へ浮いた。


「本日は、模擬戦を行います」


「模擬戦?」


「はい。対戦相手は、お二人です」


「……は?」


意味が入るまで、一秒かかった。


入った瞬間、声が出た。


「妹に手ぇ出せるか、アホ」


「訓練でございます」


「訓練でも嫌やわ。何でうちが気むう殴らなあかんねん」


「殴る以外の選択肢もございます」


「屁理屈の毛玉」


その時、気むうが小さく言った。


「いいよ」


「……え、ええの?」


気むうは、いつも通りの顔でこっちを見ていた。


「どうせ、神いは当てられないと思う」


図書室の空気が、そこで一回止まった。


「……」


「……」


「……」


うちは、深く眉を寄せた。


肘まで落ちていた外套を、肩へ一気に戻す。

戻した瞬間、見た目のやる気が三段くらい死んだ。


でも今はええ。


「ああ、そう。ほな今から泣かす」


(かみ)い様」


マイルズが入る。


「模擬戦です。過剰な出力は禁止します。爆裂魔法は禁止。対象の生命維持に関わる術式は禁止。終了の合図には即座に従ってください」


「わかったっちゅうねん!」


「では、開始位置へ」


うちらは円の中へ入った。


距離は、十歩くらい。近いようで遠い。遠いようで近い。


気むうは構えない。

腕も組まへん。

足も広げへん。


ただ、そこに立っている。


それが逆に腹立つ。


こっちはちゃんと戦闘っぽい姿勢を取ってるのに、あいつだけ日直みたいな顔しとる。


「三、二、一でええ?」


「合図はこちらで行います」


「ええ!?」


「開始」


でも、身体はもう動いていた。


飛行。

速度補助。

足裏に火の芯を通す。

拳には、薄い炎。


火纏拳(ひまといけん)


こういうのは信用できる。

手に火が乗る。

それだけで、だいぶ話が早い。


うちは正面から突っ込んだ。


「いっけぇぇぇ!!」


正面突破。


気むうは動かない。


ほんまに動かない。


「うそやろ!?」


拳が届く寸前、気むうの前腕がすっと上がった。


白い膜。


バシィッ!!


炎の拳が弾かれる。熱が散って、衝撃が浅く逃がされる。


「っ、固……!」


「バリア」


名前だけ置いて、気むうはほんの少しだけ足を引いた。


それだけ。


うちは地面を蹴り直す。

下から行く。

脚を狙う。

火をまとわせた拳ではなく、速度補助で詰めた下段。


入る、と思った。


でも、気むうの身体が、ふわっと上へ逃げた。


高い。

必要最低限なのに、妙に高い。


「はあ!?」


空中の気むうが、指を二本、こちらへ向けた。


きいん。


「ぐぇ……っ」


足が、一瞬だけ言うことを聞かんかった。


痛い、ではない。

でも次の動きが半拍遅れる。


着地が乱れる。

床が近い。

慌てて外套を引く。

茶色い布が肘に絡んで、さらに邪魔をする。


「ほんまお前は戦闘中まで――!」


「神い、前」


「へ?」


気むうがもう目の前にいた。


手刀みたいな軽い一撃が、肩へ入る。


痛いというより、体勢が抜けた。

身体の中心だけ、ふっと横へずらされる。


「っ、あぶな!」


転びかけて、飛行で無理やり戻る。


「今のはずるいやろ!」


「模擬戦中でございます」


マイルズの声が飛んできた。


「神い様。勢いで形が崩れております」


「今それどころちゃう!」


「それどころです」


うちは奥歯を噛んで、距離を取った。


息を整える。

手のひらを見る。


火。

速度。

飛行。


それだけじゃ、届く前に読まれる。


なら、読まれる前に位置を変える。


「……ここ数日、うちが何に負けてたか知ってる?」


気むうが、わずかに首を傾けた。


「壁」


「そこだけ覚えんなや!!」


でも、今の怒りで逆に腹が決まった。


うちは真正面から飛んだ。


速く。

まっすぐ。

わざとわかりやすく。


気むうの目が、うちの肩を見る。


読まれた。


たぶん。


なら、それごと使う。


拳を前に出す。

炎をまとわせる。


気むうが防御を上げる、その直前――


守る。


引く。


小規模瞬間移動。


視界が半拍だけずれた。


真正面から、斜め後ろへ。


身体がまだ追いついてへんのがわかる。

背中の奥が、びりっと引っ張られる。

茶色い外套が一瞬遅れてついてくる。


それでも、抜けた。


「カセイハァアアア!!」


両手の間で、火が開いた。


投げるんやない。

前へ逃がす。


火の波が、気むうの横から走る。


ドンッ!!


熱が図書室の空気を揺らした。


気むうの身体が、床を滑る。

白いバリアが一瞬、遅れて光った。


完全には防げてへん。


そのまま、気むうは膝をついた。


手のひらが熱い。


小規模瞬間移動から火成波(かせいは)へつないだ瞬間、身体の中の何かが一拍だけ空になった。


でも、入った。


うちは拳を握った。


「よっしゃ……!」


声が出る。


勝った空気が、喉の奥まで上がってくる。


その瞬間やった。


気むうは、立った。


それだけで、うちの勝った空気が死んだ。


無言。

表情も変わらん。

でも、膝についた手を離して、まっすぐ立つ。


何なん。


こいつ、倒れ方まで静かか。


「……今の、効いたやろ」


「うん」


「じゃあもっと倒れとけや」


「まだ」


短い。


その短さが、いちばん嫌やった。


気むうの指が、また二本上がる。


今度は、さっきと違う。


空気の中の音が、全部そっちへ寄っていく。


図書室の紙の擦れる音。

遠くの本棚のきしみ。

うちの息。

床の微かな震え。


全部が細い線になって、気むうの指先へ集まる。


「神い」


気むうが言った。


「……止まって」


背中がぞわっとした。


「█▓▒░ FINAL SPELL No.345 ░▒▓█

 ハイ・ヘルツ」


次の瞬間、世界が白くなった。


視界が消える。


音が消える。


いや、違う。


音だけが残る。


キィィィィィィィィィィン。


耳鳴りやない。

耳鳴りというより、頭の内側へ直接、細い針金を張られた感じ。


痛い。

響く。

気持ち悪い。


上がどこか、床がどこか、一瞬わからなくなる。

気むうが前にいるのか横にいるのかも、白の中でほどける。


「っ、あ……!」


身体が遅れる。


手を上げたい。上がらん。

足を引きたい。遅い。

防御を張る場所すら、一瞬わからん。


その白の中で、何かが入ってくる。


一発目。肋骨の下。


二発目。肩。


三発目。脚の外側。


当たるたび、薄い訓練膜が遅れて光る。


痛い。


でも、壊す痛さやない。


動きを奪う痛さやった。


強すぎる打撃ではない。

でも、全部、嫌なところへ来る。


こっちの動きが戻る前に、次が来る。


「っ、く……!」


白が少しずつ薄くなる。

音が遠くなる。


視界が戻った時、うちは床へ片膝をついていた。


呼吸が荒い。

手のひらが震える。

足に力が入らん。


気むうは、数歩先に立っていた。

息は少し乱れている。

でも、顔は変わらん。


「……くっそ」


言うた瞬間、マイルズのしっぽが床を打った。


ぴし。


「そこまででございます」


うちはその場に座り込んだ。


いや、座り込んだというより、身体が勝手に床と契約した。


「……今の、反則ちゃう?」


「反則かと問われれば、いいえでございます」


「そこは否定してくれや」


マイルズは、二人の間へ浮いた。


いつもの綺麗な声。

でも、少しだけ息が入っている。

たぶん、ずっと細かく見ていたんやろう。


「初戦としては、悪くありません」


うちは顔を上げた。


気むうも、そっちを見る。


「神い様は、勢いで形を崩しすぎです。攻撃へ移る判断は早い。小規模瞬間移動と火成波の接続も成功しております。ただし、防御が遅れれば、今のように止められます」


「……はいはい」


「気むう様は、止め方が少々えげつない」


気むうの目が、少しだけ動いた。


「……えげつない?」


「はい。実戦では有効です。ただし、相手の復帰を見誤れば、過剰になります」


「……わかった」


マイルズは一拍置いた。


それから、しっぽの先を床から離す。


「ですが――お二人とも、戦闘にはなっておりました」


うちは床に座ったまま、手のひらを見た。


まだ火の熱が少し残っている。

耳の奥には、ハイ・ヘルツの白い音が薄く残っている。


気むうを見る。


あいつは、こっちを見ていた。


勝った顔はしていない。

謝る顔でもない。


ただ、確認するみたいに見ていた。


「……次は当てるからな」


うちが言うと、気むうは少しだけ息を整えてから言った。


「当たった」


「最後に勝ってから言えや」


「……勝った」


「言うな!!」


気むうの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


腹立つ。


でも、悪くなかった。

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