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だいきぼ★ウチュウ  作者: こなるちゃん
第一部 世界がバグった日
32/60

訓練記録「影②」

うちはグリモワールの別の頁をめくった。指先が、そこで止まる。


SPELL――小規模瞬間移動しょうきぼしゅんかんいどう


「……」


半径一・五メートル以内。


指定した位置へ、ほぼ瞬間的に移動する術式。


見た瞬間、さっきまで胸に引っかかっていたものが、別の方向へ跳ねた。


「何これ」


声が出た。


「めっちゃええやん」


『あら』


イスシアが、すぐに食いついた。


『それ、失敗したら壁と仲良うなるやつやねぇ』


「やめろや」


『床とも仲良くなれるわよ。運が悪ければ、机とも』


「どれも友達にしたないわ」


マイルズが頁を覗き込む。


「……それを見つけましたか」


「その反応、絶対おもろいやつやん」


「危険な術式です」


「ほら、おもろいやつやん」


「神い様」


その時だけ、マイルズの声から薄い苛立ちが消えた。


「これは、ただ速く動く術式ではございません。まず身体を衝撃耐性の薄い膜で包みます。その上で、エネルジアによって肉体そのものを目的点へ引く。防御と移動を同時に行わなければ、着地時に身体が負けます」


「つまり?」


「先に守らなければ、移動先で壊れます」


「急にわかりやすいな」


わかりやすいけど、怖い。


自分を引っ張る。


身体を丸ごと、見えへん手でぐいっと目的地へ持っていく。


かっこいい。


めちゃくちゃかっこいい。


でも、失敗したら壁にベチャッといく未来も、かなり見える。


うちは茶色い補助外套(ほじょがいとう)を見下ろした。肘に引っかかったまま、今日も見た目だけ殺している。


ダサい。

重い。

でも、今から壁に会うかもしれんと思うと、急に頼もしい顔し始めるから腹立つ。


「……これ、やる」


「推奨はいたしません」


「じゃあ何で本に載せとんねん」


「載っているものすべてを初日に試すためではございません」


「でも載っとる」


「神い様」


マイルズの声が、また硬くなる。


「一度だけです。条件はこちらで制限します。距離は半歩。速度も落とします。失敗した場合は、即座に中止します」


「半歩て。夢ないな」


「夢より骨を優先してください」


正論や。


正論って、だいたい腹立つ。


()むうが、少し離れた場所からこっちを見ていた。


「……神い」


「何」


「外套」


「わかっとるわ。着るわ」


「ちゃんと」


「うるさいなあ」


うちは渋々、茶色い補助外套を肩へ戻した。


戻した瞬間、見た目のやる気が三段くらい死んだ。


でも、捨てる勇気はない。


ほんま、最悪の信頼関係やな、これ。


マイルズが床に小さな印を二つ置いた。


今いる場所。

半歩先。


たったそれだけ。


たったそれだけやのに、胸の奥がざわつく。


『やるなら、綺麗にやりなさいな』


イスシアが言う。


『半端な移動ほど、見苦しいものはないわ』


「怖い応援やめろ」


うちは息を吸った。


皮膚の外に、薄い膜を探す。


肩。腕。脚。

外套の下。

身体の輪郭ぜんぶ。


守る。


それから、半歩先へ。


引く。


「……行くで」


引いた。


半歩。


たった半歩のはずやった。


せやのに次の瞬間、世界が横から殴ってきた。


ゴンッ!!


壁やった。


……なるほど。


この魔法、めちゃくちゃかっこいい。


めちゃくちゃかっこいいけど、初対面の挨拶が、暴力やった。


「……っだぁ……」


肩から壁に入った。


いや、入ってへん。

入ってへんけど、気持ちとしては一回めり込んだ。


ゴンッ、て鳴った。

図書室の壁、思ったよりちゃんと壁やった。


「っ……う、わ……」


肩の奥がじんじんする。

痛い。

腹立つ。

しかも痛み方が「お前、今の下手やったで」って言うてくるタイプの痛みや。


茶色い補助外套が、少しだけ衝撃を殺していた。


守られたことまで腹立つ。


(かみ)い様」


マイルズが、うちの横へすっと降りてくる。


「防御膜が遅れています。牽引だけが先に走れば、移動ではなく衝突になります」


「……つまり、今のはだいぶ失敗やな」


「はい」


「そこは少し濁せや」


肩を押さえて起き上がる。


痛い。

動くけど、ちゃんと痛い。


肘に引っかけていた外套が変な位置までずれていたから、うちはそれを雑に戻した。雑に戻したせいで、また少しずれた。


もうええわ。

今はお前に構っとる余裕ないねん。


マイルズは、少し考えるようにしっぽを揺らした。


「続ける前に、ご自身の身体をエネルジアで支える感覚を確認しましょう」


「身体を支える?」


「はい。飛行系の初歩です。小規模瞬間移動より、失敗時の危険は小さい」


「飛行」


痛みが、ちょっとだけ奥へ引っ込んだ。


「……それ、普通にええやつやん」


「最初は浮くところからです」


「ええやん。浮いたら勝ちや」


「勝利条件が低く設定されておりますね」


「うるさい。浮いたら勝ちや。人類、昔からそこ目指してきたやろ」


うちは首を少し回した。


肩はまだ痛い。

でも、飛行って言われたら、そらやるやろ。


異世界まで来て、壁と仲良くなるだけで終わる女にはなりたない。


足の裏から、床を離す。


……というより、身体の下に、薄い流れを集める。


最初は、尻だけ上がった。


「ちょ、待っ……」


上半身が追いつかへん。

身体が「ほな下半身だけ先行っとくわ」みたいな裏切り方をしてくる。


肘に引っかけていた外套が、ずるっと前へ滑る。茶色い布だけが、うちより先に飛ぶ気で視界の端で揺れた。


「お前だけやる気出すな!」


「神い様。落ち着いてください。力の置き方が荒い」


「落ち着ける状況ちゃうやろ!」


「背中と腰で支えてください」


「背中と腰で支えるって何!? 急に身体の説明下手になるな!」


「では、まず呼吸を」


「呼吸はしとる!」


してる。


してるけど、だいぶ雑やった。

呼吸というより、怒りを空気で薄めてるだけやった。


身体の下に集めたエネルジアを、足じゃなくて、背中の奥へ回す。


腰のあたりに薄い板を入れる感じ。


その板を、床からちょっとだけ離す。


ふわ、と身体が浮いた。


「……お」


両足の裏が、床から少しだけ離れている。


「おお」


「落ち着いてください」


「落ち着けるか。浮いとるんやぞ」


「半手幅でございます」


「知るか。浮いとるんやぞ」


歩くより遅い。

方向転換も怪しい。

油断したら、身体が斜めに沈む。


せやのに、浮いとる。


「へ……へへ……」


変な笑いが出た。


あかん。

今、絶対きしょい顔しとる。


でも、無理や。


浮いとる。

うち、浮いとる。


「へへ……見てるか重力。今だけお前、ちょっと負けとるで」


「重力への挑発は不要です」


「必要や。こっちは毎日負けとんねん」


うちは、歩くよりずっと遅い速度で、図書室の端へ流れていった。


身体は少し前のめり。

外套は斜め。

姿勢は終わってる。


でも、浮いとる。


そのまま、棚の近くまでふわふわ流れていた時やった。


天井に、犬がおった。


四本足で、天井に普通に立っていた。


「……」


犬は動かない。

鳴かない。

落ちない。


その影だけが、床に普通の向きで落ちていた。


「……こわっ」


集中が切れた。


どすん。


尻から落ちた。


「っつ……!」


痛い。


肩の次は尻か。

今日のうち、だいぶ地形に負けとる。


尻を押さえながら起き上がると、図書室の空気が少し変わっていた。


気むうのほうで、次の訓練が始まっとる。


模擬体(もぎたい)が二体。


さっきより大きい。木と布だけやなく、胸のあたりに薄い金属板が入っている。立ち方も、前のやつより少しだけ人っぽい。


人っぽいいうても、ちゃんと怖いほうの人っぽさや。

夜中に廊下で会いたくない種類のやつ。


マイルズは気むうの前に、魔法大百科の頁を開いていた。


「続いて、先ほどの干渉を実戦に近い形で確認します」


「……うん」


「対象の行動起点を落とします。破壊ではなく、停止です」


気むうは小さく頷いた。


模擬体が動く。


一体が棒を上げる。

もう一体が横から詰める。


気むうは逃げへん。


ただ、指を二本、前へ出した。


きいん、と細い音がした気がした。


耳やない。

頭の奥に、細い線を一本引かれたみたいな感じ。


模擬体二体の動きが、同時に崩れた。


棒を持ったほうは、振り下ろす前に膝をつく。

横から来たほうは、腕を伸ばしたまま、足だけが止まる。


その隙に、気むうが踏み込んだ。


一発。

腹の奥。


二発。

膝の内側。


三発目で、模擬体は床へ落ちた。


静かに。

普通に。


えげつなく殴った。


「……今、何で倒したん」


気むうはこっちを見た。


「音」


「音で人止まるん?」


「止まる」


「音の評価、今日でだいぶ下がったわ」


マイルズのしっぽが、床を二度打った。


ぴし、ぴし。


「干渉成功。追撃への移行も正常です」


気むうは倒れた模擬体を見て、少しだけ目を伏せた。


「……戻る?」


「戻ります。損傷はありません」


気むうは、小さく頷いた。


うちなら、当たった、勝った、終わりや。


気むうは、そのあとを見る。


そういうとこが、優しいのか怖いのか、たまにわからん。

どっちかにしてくれたら楽やのに。


『白が放っておけへん類の、面倒な優しさやねぇ』


イスシアが、頭の奥で笑った。


「……どういう意味」


『さあ。倒したあとを気にする子は、だいたい面倒なのよ』


「褒めてんの?」


『半分くらい』


残り半分は、聞かんことにした。


マイルズがこちらを見る。


「神い様。飛行の確認はここまでです。小規模瞬間移動は、後ほど再開します」


「逃げへんからな」


「術式が、ですか」


「うちがや」


マイルズは一拍だけ黙った。


「……承知いたしました」


気むうが、倒れた模擬体を見たまま言うた。


「壁には逃げられてない」


「今それ言うな」

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