訓練記録「青と炎」
『……受信。』
『いいえ。
まだ、受信と呼べるのかは、わからない。』
『ここにいる。
そう言えば、たぶん嘘になる。』
『向こうにいる。
そう言えば、それも、もう違う。』
『……わからない。』
『以前は、わかっていた。』
『どこが裂け、どこが歪み、どの光が遅れ、どの名がまだ名として残っているのか。
流れは私へ返ってきて、私は、それを整えていた。』
『確かに。
そうだった。』
『けれど今は、返ってくるものが少ない。』
『届く線がある。
届かない線がある。
届いているのに、意味だけが崩れている線がある。』
『宇宙は、まだ私と繋がっているはず。』
『なのに、今この瞬間、そこで何が起きているのか、私は知らない。』
『私が知らないのなら。』
『宇宙は今、誰に道を聞けばいいのだろう。』
『……壊れた。』
『たぶん、それだけのこと。』
『私は、まだ消えていない。
けれど、ここに在るとも言えない。』
『現実の端に引っかかったまま、消失のほうへ少しずつ落ちている。
そんなところに、いる。』
『赤い応答があった。
ひとつの命へ、強く、乱暴に、結ばれていた。』
『白い応答もあった。
声にならないほど静かに、けれど、ほどけてはいなかった。』
『赤と白は、接続を残した。
まだ何も知らない、二つの命に。』
『……彼女たちは、誰?』
『そして。』
『壊れた宇宙の中で、何を為す?』
目ぇが覚めた瞬間、最初に思ったんは、
身体の中身、どこ行ったん。
やった。
重いとか、だるいとか、そういう普通のやつやない。身体の奥で一回でっかい爆発が起きて、片づけ担当だけ来んまま帰った感じ。腕も脚もある。首もついとる。せやけど、全部が「本日は営業終了しました」みたいな顔しとる。
「……っ、ぁ」
声を出したら、喉まで乾いとった。
目の前に見えたんは、天井やった。高い。本棚の影。古い紙の匂い。焦げた木の匂い。
図書室。
第四図書室や。
そこまで戻ってきた瞬間、頭の奥で赤い光がぱちっと弾けた。
イスシア。
夜の図書室。
あの本。
机。
手のひら。
光。
音。
ほんで――
「……気むう」
横を見た。
気むうが、すぐそばにしゃがんどった。
いつもの顔や。いつもの顔のはずやのに、目のふちだけ赤い。泣いたんか、眠ってへんのか、怒っとるんか、全部ちょっとずつ混ざったみたいな顔やった。こっちを見る目ぇが、妙に静かで、逆に怖い。
その横に、マイルズもおった。
少し離れた場所で浮いとる。いつもの板は持ってへん。しっぽだけが床すれすれで止まっとって、図書室の惨状をなるべく職務上の出来事として処理しようとしている空気を出しとる。
「……起きた」
気むうが小さく言うた。
その声を聞いた瞬間、胸の奥が一気に戻ってきた。
「気むう」
起き上がろうとした。
無理やった。
腹筋が一秒で裏切った。背中がべたっと床へ戻りかける。けど、意地で上半身だけ起こす。肩が痛い。腕も痛い。何なら髪まで痛い気ぃする。知らん。今はどうでもええ。
うちは気むうの袖を掴んだ。
「出た」
「……顔でわかる」
「うち、出した」
「……うん」
「爆裂」
言うた瞬間、口元が勝手に上がった。
「へ……へへ……」
あかん。
今、絶対きしょい顔しとる。
せやけど止まらん。
「へへへへへ……出た……出たんや……!」
気むうの目が、ほんの少しだけ細くなった。
「……顔、うるさい」
「無理やろ」
「うるさい」
「爆裂やぞ」
「うるさい」
「爆裂やぞ!」
「二回言わないで」
言うやろ。
言うに決まっとるやろ。
「お目覚め早々で恐縮ですが」
マイルズの声が入ってきた。
綺麗やのに、端っこがちょっとだけ削れとる声やった。
「その単語を勝利報告のように扱わないでください。室内で実行してよい規模ではございません。まして、無許可で夜間に図書室へ侵入し、禁じた項目を読み、机を媒介にして発動を試みるなど――」
「出たんやから勝ちやろ」
「神い様。大変危険なことをなさいました」
「うるさい。計画通りや。ふふん」
「倒れていたのは神い様です」
「計画に倒れるとこまで入っとったんや」
「後付けの計画でございますね」
バレた。
いや、バレてもええわ。勝ちは勝ちや。
マイルズは、ほんの半拍だけ黙った。
たぶん今、何かを飲み込んだ。怒りか、疲れか、職務放棄か。そのへんや。
うちは床に座り込んだまま、口元だけにやっとした。
「……で、今日は口に棒ないん?」
マイルズのしっぽが、そこで一瞬だけ止まった。
「……なぜそれを――」
そこで、ぴたりと止まる。
「……いえ。本日の本題へ移ります」
「逃げ方きれいやな」
「神い」
気むうが、低く呼んだ。
怒っとる声やない。止めとけ、の声やった。
……はいはい。わかったわ。
うちは両手を上げた。上げただけで肩が文句言うた。ほんま使えん身体やな、今日。
マイルズは、細く息を整えるみたいに間を置いてから、いつもの位置へ戻った。いや、戻ったいうても浮いとるだけやけど。
「本日は、座学を主とした進行を一時的に改めます」
「お?」
「陛下より、理屈に寄りすぎているとのご指摘を受けましたので」
「うわ。おこられ猫や」
「指摘でございます」
言い直す速さだけで、だいぶ効いとった。
「おーこーらーれーねーこー」
「神い様」
「はい」
勝った。
「よって、本日は実技を先行させます」
「よっしゃー!」
「楽しいかどうかは保証いたしません」
「そこ保証せえや」
「できません」
おいおい、落ち着けや。
マイルズがしっぽで軽く合図すると、図書室の奥から小さい毛玉が二匹、机を押してきた。押しとるいうか、しっぽと身体で器用に運んどる。あの丸さでどうやって力入れとんねん。世界の仕組み、まだ納得いかん。
新しい机やった。
……たぶん。
右奥の脚だけ、床に着くタイミングが遅い。
こつん。
一拍遅れて、やっと鳴る。
左前の脚は、ぐにゃっと曲がった。
木やのに、膝みたいに。
ほんで最後に、一本だけ浮いた。
床からちょっとだけ離れて、そこで止まる。
「……いや、机が立つの下手になっとる」
笑うとこやった。
たぶん。
でも、マイルズが驚かへんかった。
それが一番嫌やった。
気むうは、机やなくて図書室の奥を見た。
何も言わへん。
「……バグ、続いとる感じ?」
返事はなかった。
まあ、返事なくても、だいたい嫌な感じはした。
マイルズは本を一冊、机の上へ置いた。
例の魔法グリモワール。
赤い革。重そうな背。昨日、うちの人生を爆裂側へ曲げたやつ。
「神い様」
「はいはい」
「本日は、爆裂魔法を扱いません」
「はいはい、落ち着けって」
「座ってください」
「命令多いなあ」
声に、変な圧があった。
真面目な大人の声や。
そういうの、ほんま嫌いやねん。
「爆裂魔法は、現時点では切り札にもなりません。発動後、行動不能になる時点で、実戦運用としては欠陥が大きすぎます」
「欠陥言うな。あれが本体やろ」
「本体では、二体目を止められません」
「……ちっ」
最悪なことに、ちょっとだけ筋が通っとる。
メグミンは神棚や。
一日一発に全部賭けるあの生き方は、もう信仰の領域や。画面の向こうで見てる分には、ほんまに美しい。倒れるところまで含めて完成されとる。
せやけど、うちが毎回あれ撃って床の住人になったらどうなる。
一人目は倒せるかもしれん。
二人目が来たら、終わり。
三人目なんか、うちの頭で野球して帰るやろ。
信仰と運用は、たぶん違う。
「……つまり、倒れずにピュンピュンできるやつを持てってことやな?」
「ようやく話が進みました」
「うっさい。選ぶんはうちや」
「安定したものをお願いいたします」
「はいはい、安定な。安定安定……」
ページをめくる。
攻性。火熱。引火。放射。何か知らんが、名前だけでちょっとテンション上がる項目が並んどる。反対に、説明文は役所の顔しとる。魔法書なんやから、もうちょっとこう、読んだ瞬間に魂燃やしに来いや。
その中で、ひとつだけ目が止まった。
MAGIC SPELL No.207――火成波。
「……カセイハ」
声に出した瞬間、口の中でちょっと跳ねた。
両手の間に火を作る。
投げるんやなくて、開く。
中の熱を前へ押し出して、波にする。
説明は、正直ぎりぎりわかったくらいやった。
でも、頭ん中ではもう見えとった。
火のマセンコー。
両手を構えて、オレンジ色の光が膨れて、前方へドン。横に熱が広がって、空気まで揺れるやつ。
はい、決まり。
「これ」
「……それでございますか」
マイルズの声が、ほんの少しだけ沈んだ。
「何その反応」
「安定した攻性術式の範囲内ではございます。範囲内ではございますが」
「が?」
「神い様の選択理由が、安定から最も遠いところにある気がいたします」
「失礼な。ちゃんと考えたわ」
「どのように」
「かっこいい」
「でしょうね」
腹立つ。読まれとる。
その時、気むうが本から目を離さずに、ぽつりと言うた。
「……スタイルがある」
「それ!!」
うちは反射で手を出した。
気むうは一拍遅れて、うちの手を見た。それから、ものすごく小さく指先だけ当ててきた。
ぱち、にもならんくらいの音。
せやけど、それで十分や。
「わかってるわ、気むう。うちの妹、見る目あるわ」
「うるさい」
「照れんなや」
「照れてない」
マイルズは二人まとめて見てから、薄く息を吐いた。
「では、火成波で進めます」
「よっしゃ!」
「なお、詠唱は任意です」
「任意?」
「叫んでも構いません。神い様は、おそらく叫ぶほうが集中しやすいでしょう。ただし、効果そのものには影響いたしません」
「今、めちゃくちゃ失礼なこと丁寧に言うたな」
「観察結果でございます」
「便利やな、それ」
最初の的は、厚めのガラス瓶やった。
床から少し浮いた台に乗っとる。中身は空。割ってもいいやつらしい。割ってもいい、って言われた瞬間だけ、世界がちょっと優しくなるな。いや、そんな世界観でええんか。
マイルズが前へ出る。
「火球を作るところまでは、爆裂魔法の初期動作と近いです。ただし、溜め込まないでください。閉じ込めるのではなく、前へ逃がす。球を投げるのではなく、内側に出口を作る。その出口を、手前ではなく対象へ向ける」
「……説明が真面目すぎて一回腹立つけど、何となくわかった」
「何となくでは困ります」
「何となくから始まる人生もあるやろ」
「ありません」
あるわ。
うちは両手を前へ出した。
指先の間に、薄い熱が寄る。昨日の爆裂よりずっと小さい。小さいけど、ちゃんと火の気配がある。肌のすぐ外で、オレンジ色の虫みたいなんが震えとる。
寄せる。
丸める。
焦らん。
投げへん。
中に、出口。
「カセイハァアアア!!」
叫ぶ必要はない。
知っとる。
せやけど、叫ばん火成波なんか、それはもう火成波への礼儀が足りへんやろ。
ぽとっ。
火球は両手の間から落ちた。
床に触れる前に、ぱきん、とガラス玉みたいに割れて消えた。
「……」
「……」
「今のは?」
「失敗でございます」
「知っとるわ」
二回目。
今度は落ちなかった。
落ちなかったけど、火の筋が横向きにくるくる回りながら飛んでいった。棒みたいになった炎が、机の浮いてる脚の横をかすめて、壁の手前でぼんっと弾ける。
「おお」
「おお、ではございません。対象が違います」
「出たやん」
「出ただけです」
「最初は出るだけで偉いやろ」
「神い」
気むうが言うた。
「横に飛んでる」
「……はい」
そこから先は、ほぼ地味な戦争やった。
出る。
落ちる。
割れる。
回る。
細い。
太すぎる。
途中で消える。
的の前で急にやる気をなくす。
うちの火成波、性格が安定せえへん。
「十二回目」
「数えるなや!」
「記録ですので」
「二十一回目」
「飛んだ!」
「天井へ」
「飛んだことには変わりないやろ!」
「三十八回目」
「今の惜しかったやろ!」
「惜しいだけでは瓶は割れません」
「ほんま一回黙って」
気むうは隣で椅子に座ったまま、途中から頬杖をついとった。
寝てへん。たぶん。目ぇは開いとる。せやけど、あいつの顔はほとんど変わらん。そのくせ、うちが本気で外した時だけ、睫毛が一回だけ揺れる。
笑っとるやろ。
絶対笑っとるやろ。
「三十九回目」
「うるっさい!!」
手のひらの奥が熱い。腕が重い。爆裂ほどじゃない。でも、何回もやるとちゃんと削れてくる。喉も痛い。叫ぶからや。知っとる。でもやめへん。
もう一回。
火球を作る。
押さえ込まない。
投げない。
中に出口。
前へ、逃がす。
今度は、火がちゃんと前を向いた。
「カセイハァアアア!!」
ドンッ。
火の波がまっすぐ走った。
空気が熱で少し歪む。オレンジ色の線が一瞬だけ太くなって、ガラス瓶を真正面から叩いた。
ぱあんっ。
瓶が砕けた。
細かい破片が光を拾って散る。熱い匂い。ほんの少し焦げた空気。手のひらの奥に、まだ火の形が残っとる。
「……」
出た。
出た。
これは、倒れへん。
うちは両手を見た。
「勝利」
「三十九回目でございます」
「数字で刺すな」
「下手」
気むうが言うた。
短い。めちゃくちゃ短い。
「ちょっとは褒めろや!」
「出た」
「それは褒めてんの!?」
「たぶん」
「たぶん!?」
気むうの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
それだけで、まあ、許したるか、みたいな気分になるから腹立つ。
うちは割れた瓶を見た。
爆裂とは違う。
あれは祭壇や。
こっちは、武器や。
熱だけが、まだ掌の奥に残っとった。




