気まずい火の挨拶
うちは百科事典を開き直す。三三四頁。爆裂魔法。文字びっしり。さっきよりも、さらにびっしり見える。夜中の文字って何で増えるん。繁殖すな。
「イスシア」
『何よ』
「これ、人間用に三行くらいで。うち、爆裂まで最短距離で行きたいねん」
『無理』
「即答やめて」
『これは魔道書というより論文ね。書いたやつ、説明する気はあっても読ませる気がないわ』
「最悪やん」
その時、机が静かに言った。
「神い嬢。その頁を、もう少しこちらへ」
「読めるん?」
「机ですので」
「だから理由になってへんて」
それでも本をずらす。
机の天板の割れ目が、すうっと細く開いた。上のこぶみたいな目ぇが、ぎこちなくページのほうへ寄る。木目が文字をなぞるみたいに動いて、行をゆっくり追っていく。
読んどる。
机が、くそ真面目に読んどる。
何この絵面。
数分、黙った。
うちは腕を支えて待つ。途中で百科事典の重さに腕がぷるぷるしてきた。机に置いてるのに、何でこっちまで疲れるん。文字、腕までしばいてくるタイプなんか。
やがて、机が言うた。
「……爆裂魔法は、分類名のようです。その中でも、この術式――FINAL SPELL No.646、エクスプロージョンは、構造そのものは単純な部類です」
「来た」
「膨大なエネルジアを一点へ集中。圧縮。火熱系への変換。詠唱による形状維持。そして、崩壊寸前での解放」
「……単語は分かるのに、全部つなげると嫌な予感しかせえへん」
『単純でしょ?』
イスシアが、楽しそうに言う。
『崖から落ちるのと同じよ。手順は少ないわ。落ちるだけ』
「例えが終わっとる」
『でも、綺麗に落ちれば、一瞬だけ空を飛んだみたいに見える』
「お前ほんま、危ないもん好きやな」
『これ、嫌いじゃないの』
イスシアの声が、少しだけ艶を帯びた。
『乱暴で、単純で、品がないくせに、決まれば綺麗。全部を一点に集めて、最後にぜんぶ捨てる。意志と決意の名に、よく似合うわ』
胸の奥で、赤い薔薇が小さく脈ついた気がした。
「……できるん?」
『できるかどうかは、あなた次第』
「出た。便利な責任転嫁」
『やるんでしょ、小娘』
言われるまでもない。
ここで引いたら、うちは一生、画面の向こうの爆裂に顔向けできへん。
うちは机の前に立った。
補助外套が肘のあたりでだらっと引っかかっとる。ちゃんと羽織る気はない。せやけど、完全に外す勇気もない。茶色い布が、今この瞬間のうちの覚悟を絶妙にダサくしてくる。
ほんま、お前だけ世界観ちゃうねん。
『まず構えなさい』
イスシアが言う。
「こう?」
普通に立った。
『爆裂を撃つ子が、寝起きの猫みたいな足で立たない』
「言い方」
『足。もう少し広く。腰を落として。背筋は伸ばす。でも張りすぎない。そう。手のひらを机へ』
うちは言われた通りにする。
机が、ぴしっと固まった。
「……私で、よろしいのですね」
「今さら確認すんなや。こっちの罪悪感が戻ってくる」
『いい顔よ、二人とも』
「二人に数えんな。机やぞ」
『今夜は立派な相手役やわ』
それは、ちょっと分かるのが腹立った。
『よく聞きなさい』
イスシアの声が、少し近くなる。
『これから三つ、同時にやるわ』
「は!? 三つも!?」
声が出た。
「うち、TikTok見ながらゲームするだけでもだいぶ怪しいんやけど!?」
『爆裂、覚えたいんでしょ?』
「…………はい」
『一つ目。手のひらに、持ってるエネルジアを全部集める』
「全部」
『残すんやないわ。ぜんぶ寄せなさい。けちった爆裂なんて、見てるだけで恥ずかしいもの』
「成功サインがもう説教寄り」
机が続ける。
「圧は、崩壊寸前を超える必要がございます。途中で緩めれば散り、押し込みすぎれば術式そのものが破裂します」
「聞けば聞くほど、普通にやめたほうがええやつやな」
『二つ目』
イスシアは無視した。
『手のひらの中心で、火を作る。燃やすんやない。形を与えるの。小さくていい。逃げない火』
「逃げない火」
『三つ目。詠唱で、その形を固定する』
うちは眉を寄せた。
「詠唱、いるん?」
『いるわよ』
「え、いるんや」
『当たり前でしょ。爆裂を黙って撃つなんて、品がないにもほどがあるわ』
「そこなん?」
『そこよ』
イスシアの声が、少し笑う。
『それに、詠唱は飾りやない。崩れかけた力を、言葉で縛るの。声が震えたら、形も震える。覚悟が抜けたら、火も抜ける』
「……急にちゃんと怖いこと言うやん」
『怖いことを綺麗にするのが詠唱よ』
何やそれ。
でも、ちょっとかっこええ。
うちは息を吸った。
手のひらへ意識を寄せる。
皮膚のすぐ外。指先。腕。肩。胸の奥。そこらへんに散っとる薄い流れを、全部、右手へ集めていく。
重い。
さっきの光とは違う。服とも違う。バリアとも違う。手のひらの中心に、見えへん石が置かれていくみたいな重さ。腕の内側がびりびりする。心臓が、変に速い。
補助外套が肘で少し引っかかった。
「邪魔……」
『そこで崩れたら、詠唱だけ立派な火遊びよ。動かない』
「はい」
手のひらの奥で、ぽっと小さい火が生まれる。
赤い。いや、赤というより、赤くなろうとしてる何か。豆粒みたいな火。情けない。けど、そこにある。
『いいわ。そのまま』
イスシアが言う。
『まずは、うちに続きなさい』
「……うん」
『燃えろ、叫べ、天の底!』
「も、燃えろ、叫べ、天の底!」
『炎は我が心、』
「炎は……我が心!」
『爆炎は我が名!』
「爆炎は我が名!」
『この一撃は逃れぬ運命、拒めぬ審判!』
「この一撃は、逃れぬ運命……拒めぬ審判!」
『時空を焼き尽くす、破壊の号砲!』
「時空を焼き尽くす、破壊の号砲!」
手のひらの火が、一瞬だけ膨らんだ。
いける。
そう思った瞬間、イスシアが高く告げる。
『█▓▒░ FINAL SPELL No.646 ░▒▓█』
「█▓▒░ FINAL SPELL No.646 ░▒▓█」
息を吸う。
「エクスプロォォォ〜〜〜ジョン!!」
手のひらから、ちっっっっっちゃい火玉が、ぽすっと出た。
「……」
ひらひら。
ふらふら。
酔っ払った蜂みたいに空中をさまよって、途中で一回、上に行くんか下に行くんか迷ったみたいな動きをしたあと――
ぴん。
机の脚に当たった。
焦げた。
ちょっとだけ。
「……これは」
机が静かに言う。
「希望が見えるスタート、でしょうか」
『今のを爆裂と呼んだら、爆裂のほうが泣くわね』
イスシアの声が冷たかった。
「初回やぞ!」
『初回にしても、あまりに小さいわ。今のは爆裂やなくて、気まずい火の挨拶よ』
「気まずい火の挨拶て何やねん!」
「ですが、発生はしております」
机が言うた。
「方向も、一応は私へ向かいました」
「ほら!」
『慰められて嬉しい? 机に』
「……ちょっと嫌」
うちは手を振った。指先がまだびりびりしとる。たったあれだけで、腕の奥が少し重い。
ふと、不安になった。
「なあ、イスシア」
『何よ』
「これ、ちゃんと成功したら……この城、吹っ飛んだりせんよな?」
言うてから、今さらすぎると思った。けど大事や。夜中に図書室ごと王城を爆破しました、はさすがに寝坊の言い訳では済まん。
『この城は、魔力による物理破壊に対して常時防御が張られてるわ。何世紀もね』
「便利すぎん?」
『この中で戦う前提の施設やもの』
「……戦うの? ここで?」
『戦闘用のアリーナくらい、いくつもあるわよ』
「王城の顔した戦闘施設やん。だいぶ詐欺やろ」
『だから、城そのものを吹き飛ばす心配はしなくていいわ』
「なら安心――」
『でも、あなたは普通に倒れるかもしれない』
「安心返せ」
『返さないわ。必要な恐怖やもの』
そうして。
イスシア曰く、ぴったり三時間と四分が経過した。
その間に起こったことは、もううちにも説明できへん。
「エクスプロォォォ〜〜〜ジョン!」
ぽす。
「エクスプロォォォ〜〜〜ジョン!!」
ぼふっ。
「エクス・プロ・ジョーーーン!!」
ぱんっ。
最初は、集める前に火が逃げた。
次は、火だけ先に走った。
その次は、詠唱の途中で手のひらがびびって、形がぐにゃっと歪んだ。
玉。
卵。
手榴弾みたいな何か。
信号弾。
途中から、火なのか物なのか判断に困るやつまで出た。
一回だけ、手のひらから火の小人が三体出てきた。
三体とも、空中でパラパラ踊り始めた。
しかもBGM付き。
「……何で!?!?!?」
その瞬間、うちは腹を抱えた。
『あは……あははははっ、何それ……! 何をどう間違えたら踊るのよ……!』
イスシアまで笑っとる。上品ぶろうとしてるのに、声の端が完全に崩れとる。
机も、焦げた脚を震わせながら、かすかに笑った。
「ふ、ふふ……これは……新しい系統の可能性が……」
「ないないない! こんなん系統にすな! 火の小人ダンス魔法とか嫌すぎる!」
小人たちは、最後に謎の決めポーズをして消えた。
静かになった図書室に、うちの笑い声だけが残る。
あかん。
夜中やぞ。
笑うな。
見つかる。
そう思うのに、止まらん。
そのあとも、失敗は続いた。
火玉が机の前で礼して消えたり。
手のひらの中で小さい花火みたいに散ったり。
机の上に、なぜか焦げた丸い跡だけ綺麗に十個並んだり。
せやけど、失敗するたびに、ちょっとだけ分かる。
押すんやない。
握るんでもない。
手の中に閉じ込めたまま、声で形を保つんや。
だんだん、うちの腕は重くなっていった。
最初は、ただびりびりしとるだけやった。途中から、肘の奥が熱くなった。さらに続けると、肩まで鈍い。息を吸うたび、胸の真ん中に引っかかる。
でも、やめる気はなかった。
もうちょいや。
たぶん。
たぶん、もうちょい。
爆裂は、こういうもんやろ。
一発のために、全部持っていかれるもんやろ。
「神い嬢……」
机が、ついに言うた。
全身、黒い。
片脚、だいぶ短い。
天板の端は焦げて、さっきよりもさらに人生を諦めた顔になっとる。
「頼みます……もう、死にます……」
「最初から死にたい言うてたやん」
「死にたいのと、死に続けたいのは……違います……」
「名言みたいに言うな。刺さるやろ」
『あと一回』
イスシアが、静かに言うた。
さっきまで笑ってた声やない。
赤い薔薇の奥にある、硬い芯みたいな声やった。
『今の形、悪くなかったわ。次で決めなさい』




