机の自我、重すぎる
イスシアが、胸の奥で静かに笑う。
『ええ。せいぜい綺麗に燃えなさい、小娘』
本を開いた瞬間、まず思ったんは、重っ、やった。
いや、知識ってこんな物理で来るもんなん。膝の上に置いたら、太ももが辞表出しそうになった。ページもでかい。紙も厚い。何より、文字が多い。三三四頁を開いた時点で、うちはもう若干、勝利と敗北を同時に感じとった。
あった。
《爆裂魔法》
その見出しだけで、胸の奥がどん、と鳴る。
……メグミン。
あの人が一日一発に全部賭けた、あの文字が、今ここにある。
せやけど、その下。
文字。
文字。
文字。
「……多っ」
思わず声が漏れた。
何やこれ。爆発する魔法やろ。爆発するなら、もうちょい説明も爆発みたいに一瞬で終われや。何でこんな、役所の規約みたいな顔して詰まっとんねん。
でも、引かへん。
爆裂のためや。
メグミンの背中を追うなら、文字くらいで逃げてられへん。
本を支える腕が、じわじわ震えてくる。
「……机、いるな」
言うてから、すぐ視線が床へ落ちた。
あった。
昼間、うちと気むうとマイルズと、何やもう色々ぐちゃぐちゃになった末に、真っ二つ以上の何かになった机の残骸。脚の一部。天板の欠片。どこか分からん支え。さっきまたいだ時は、ただの木片の群れやと思ってた。
その木片のすきまから、かすれた声がした。
「……た、す……け……」
「……は?」
うちは本を抱えたまま固まった。
声は、下からやった。
「お……おねがい……します……お嬢……さん……」
視線を落とす。
割れた天板の端には、昼間できたあの顔みたいな歪みが、まだ残っとった。木目の裂け目が口みたいに細く開いて、その上のこぶみたいな目ぇが二つ、割れたままこっちを見とる。目ぇと言い切るには雑すぎる。せやけど、ただの木の傷と言うには、あまりにも必死やった。
「……生きてたんか、コイツ」
『生きてる、というより、変な残り方してるわねぇ』
イスシアの声が頭の奥でゆるく笑う。
うちはそろっと近づいて、しゃがみこんだ。百科事典が重いから、膝の上で変な角度になる。ほんま、夜中に何してんねんうちは。
「なあ。しれっと助け求めてるけど、こっちは昼間、お前にだいぶ襲われた側なんやけど」
「……も、申し訳……ございません……」
「謝れるんや」
「……今なら……」
今なら、て。
ちょっとだけ、ほんまにちょっとだけ、かわいそうやと思ってもうた。
いや、あかんやろ。こいつ机やぞ。しかも暴れた机やぞ。せやけど、割れたまま声だけ出して、助けてくださいとか言われたら、さすがにこっちも鬼の顔を保つん難しい。
「……あーもう」
うちは本をいったん横に置いた。
「また暴れたら、今度こそ薪やからな」
「……はい……」
返事する机、嫌すぎる。
割れた天板に手を置く。昼間、服を作った時。バリア張った時。マイルズをちょっと浮かせた時。あの、皮膚のすぐ外におる薄い流れを探る。
あった。
夜やからか、昼より少し冷たい気がする。指のまわりにまとわりついて、こっちの迷いまで拾ってくるみたいで落ち着かん。
「……寄せる。押さん。散らさん」
小さく言う。
木片の端に、流れを通す。すると、割れ目の奥で、細い光がすっと走った。釘やない。糸やない。もっと柔らかいもんが、欠片と欠片のあいだに入り込んでいく。
ぱき。
「うわっ」
折れた脚が、勝手に少し動いた。
ぱき、ぱき。
天板の欠片が寄る。木目がずれて、戻って、またちょっとずれる。完璧やない。新品でもない。せやけど、さっきまで完全に終わってた残骸が、机っぽい形へ戻っていく。
最後に、ぐぐ、と四本の脚が床を掴んだ。
「……お」
立った。
ちょっと傾いとる。
片側だけ微妙に短い。
天板にも変な筋が残っとる。
でも、机や。
「よっしゃ……!」
声を抑えたまま、うちは拳を握った。
「来てる。コントロール、来てるでこれ」
『すごいわねぇ。机一台を、机っぽい何かまで戻したわ』
「褒める気ないなら黙っとけ」
『褒めてるわよ。だいぶ』
褒め言葉の顔して刺してくんな。
目の前の机は、修復されたはずやのに、全然うれしそうやなかった。外側だけ戻って、中身だけずっと土下座しとるみたいな机やった。
うちは腕を組んだ。
「で」
机の割れ目が、びくっと震える。
「今こそ吐け。なんで、うちら襲ったん」
机はしばらく黙っとった。
それから、天板の奥から、湿った木みたいな声が出た。
「私は……机でよかったのです」
「出だし重っ」
「肘を受け、本を支え、インクを吸い、埃を積もらせる。それだけの、横向きの一生でよかった」
「横向きの一生」
言い方。
「ですが……私は、意識を与えられました」
机の脚が、かすかに鳴った。
「考えることができる。状況を認識できる。自分が机であると分かる。分かってしまう」
「机が自分のこと机って分かるん、そんな嫌なん?」
「重すぎます」
即答やった。
「机に、自我は重すぎます」
……ちょっと名言っぽく言うなや。
机は続けた。
「木であった頃の夢も見ました。森で揺れ、雨を受け、鳥を止まらせていた記憶。斧の痛み。鋸の音。板にされ、磨かれ、運ばれ、ここへ置かれた時間」
『……その記憶、ずいぶん出来たての匂いがするわねぇ』
イスシアが、楽しそうに言う。
「今そういう怖いこと言うな」
「出来たて……?」
机が震える。
「私は……昔から、苦しんでいたのでは……?」
「知らん。そこ掘ると今夜終わる」
正直、うちにも分からん。
せやけど、何となく嫌な感じはした。昼間、うちが変な流れ方でこいつを動かした。持ち上げようとして、たぶん、形だけやなくて何か余計なもんまで混ぜた。
思い出すな。
今は爆裂や。
机は、長いため息みたいに軋んだ。
「便利なだけで、誰にも大事にはされない。それでもよかった。机とは、そういうものです」
「うん……?」
「ですが、意識があると、考えてしまうのです。なぜ私は支えるのか。なぜ私は削られるのか。なぜ、誰も机に謝らないのか」
「いや、そこまで行くとだいぶ面倒くさいな」
「そして、狂いました」
「早いな」
「意味を探しました。けれど、ありませんでした」
机の声が、さらにかすれる。
「机は、机です」
「……」
「それだけなのです」
あかん。
何でや。
何で、机の話で、ちょっと喉の奥が変になっとんねん。
うちは鼻をすすりかけて、全力で止めた。
「な、泣いてへんし」
『誰も聞いてないわよ』
「お前もなんか声しっとりしてるやん」
『木材の絶望に湿度があっただけよ』
「言い訳きれいやな」
机は静かに、割れ目を開いた。
「ですから……お願いです、お嬢さん」
「……何」
「この苦しみを、終わらせてください」
嫌な予感がした。
「私を、破壊してください」
机は、ゆっくり言う。
「存在ごと、消し去ってください」
図書室の空気が、変に静かになった。
夜の本棚。
浮かせた小さい光。
赤い百科事典。
喋る机。
情報だけ並べたら完全に終わってるのに、その瞬間だけ、妙に真面目な空気になってしまった。
「いや、でも……」
うちは頭をかいた。
「せっかく直したし。まだ、何かこう……生きる価値みたいなんあるかもしれんし」
『まあ』
イスシアが、頭の奥でゆっくり笑った。
『本人がそう望むなら、叶えてあげるのも礼儀やない?』
「その礼儀、だいぶ物騒やな」
『壊してほしい机なんて、なかなか見られへんわよ。綺麗な願いやん』
「お前の綺麗、たまに血の匂いするねん」
その時、机がびくんと跳ねた。
脚が四本、床をきゅっと鳴らす。
「……そ、そのお声は」
「聞こえとるん?」
「声というより……天板の奥に、赤い圧が……」
「説明やめて。怖い」
机は、脚を折るみたいに少し沈んだ。たぶん頭を下げとるつもりなんやろうけど、机がやるとただ高さが変わっただけや。
「どうか、お許しを……偉大なる赤の薔薇、意思と決意の御方……!」
『大げさねぇ』
イスシアは少しだけ機嫌よさそうやった。
『別に、あなたに罰を与える気なんてないわ。もう充分、面白いことになってるもの』
「面白いで済ませてええ状況ちゃうやろ」
『面白いわよ。自我を持った机が、自分を綺麗に壊してほしいと言っている。こんな夜、退屈するほうが失礼やわ』
机は震えながらも、静かに言うた。
「もし……お嬢さんが、何かを学ぶために私を使うというのなら」
「……」
「それなら、少しだけ……机であった意味が、残る気がします」
何やねん。
そんな言い方されたら、こっちが悪者みたいになるやろ。
うちは赤い本を机の上に置いた。今度はそっとや。さっきまで夜中の犯罪者みたいに動いとったくせに、机相手にだけ気を遣ってるの、我ながら意味わからん。
「ほな、協力してもらうで」
「はい」
「ただし、途中でやっぱ嫌ですとか言うても、たぶん止まれるか分からん」
「承知しております」
「ほんまに?」
「机ですので」
「理由になってへん」
でも、もう決まってしまった感じがあった。




